- グレイトフル・デッド Grateful Dead -   

<1976年「フランプトン・カムズ・アライブ」>
 僕が初めて買ったグレイトフル・デッドのアルバム「凍てついた肖像」が発表された1976年、その年は何故かライブ・アルバム大当たりの一年でした。その中でも代表的な作品は、なんと言ってもピーター・フランプトンの「フランプトン・カムズ・アライブ」でしょうか。(映画「リアリティー・バイツ」の主人公のひとりは、このアルバムの「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」を聴いて人生が変わったと言いました)それまで在籍していたハンブル・パイでの活躍以来、ヒット曲のなかったフランプトンが、ソロ・アーティストとして全米各地をツアーで回りながらコツコツと実績を積み、その結果を2枚組のアルバムとして発表したとたん大ブレイク。ライブ盤でありながら、そこから次々にヒット・シングルが登場することになりました。

<ライブ・アルバムの年>
 この年に発表されたライブ・アルバムを有名どころだけでもあげてみると、ボブ・ディランの「ハード・レイン」、アース・ウィンド&ファイアの「グラティチュード」、レイナード・スキナードの「ワン・モア・フロム・ザ・ロード」、デイブ・メイソンの「サーティファイド・ライブ」、アヴェレージ・ホワイト・バンドの「パーソン・トゥ・パーソン」、それに僕の大好きなJ.ガイルズ・バンドの「狼から一撃」と言う具合に、実に豪華なライン・アップでした。この年は、「ライブ・アルバム」がひとつのブームだったと言えるでしょう。

<スタジオ・ミュージシャンの時代始まる>
 この年、それまでスタジオ・ミュージシャンとして活躍していた名うての男たち(エリック・ゲイルリチャード・ティーら)が自ら「スタッフ」と名乗りアルバムを発表しました。デビューアルバム「スタッフ」は大ヒットとなり、セカンドアルバムの制作だけでなく、ツアーまで組まれるほどの人気バンドになりました。さらに、翌年発表されたスティーリー・ダンの「エイジャ」では、スタジオ・ミュージシャンが主体となって録音が行われ、スタジオ・ワークとしてのアルバム制作の時代が始まったと言えます。

<バンド演奏能力の絶頂期>
 この時代以降、パンクの登場やシンセサイザー、サンプリング・マシーンの発達にともない、バンドのもつ演奏能力はそれほど重要な要素ではなくなって行きました。そのため、この時代こそ、個々のバンドのもつ演奏能力が最も高かった時期と言えるかもしれません。そして、この時期、集中的に発表されたライブ・アルバムは、その意味では、究極のバンド演奏に支えられた「完成されたベスト・アルバム的作品集」と言う側面をもっていました。

<何故かグレイトフル・デッドは違った!>
 しかし、同じ年に発表された彼らの作品は、他のライブ・アルバムとは明らかに違っていました。ベスト・アルバム的に曲を並べ、観客を盛り上げ、時には大合唱をする、そんなホットな内容が「ライブ・アルバム」の基本であるのに対して、デッドのそれは「クール」という形容がピッタリでした。観客を前にしていても、意識的に盛り上げようとするわけではなく、自らの意志に従って、淡々と演奏を行い、インプロヴィゼーション的に曲を展開させてゆく、それが彼らのライブ演奏の基本なのです。録音もその意図に従い、あくまで演奏される音楽を中心に音を拾っていて、歓声や手拍子などは、ほとんど聞こえてきません。

<「凍てついた肖像」>
 いったいこれは何なんだ?僕はそう思いながらも、何度もこのアルバムに針を落としたものです。その意味では、アルバム・タイトル「凍てついた肖像」は実に素晴らしいタイトルでした。
 凍りつくように澄みきったジェリー・ガルシア独特のギターの音色とその音にからみつく霧にかすむようにもやっとしたボーカル。ジェリー・ガルシアを「仏像のような男」と言った人がいましたが、彼らの音楽自体、僕にはまるで禅問答のように謎めいて聞こえました。今にして思えば、それが彼らの魅力だったのです。

<不思議な音空間の意味>
 彼ら独特の音楽の意味が、やっとわかってきたのは、それから15年ほどたってからでした。それは、彼らのアルバムづくりに対する考え方がポイントだったようです。彼らはこう考えています。
「俺たちは、ライブで飯を食っているバンドなんだ。だから、アルバムづくりのために、ライブを中断してスタジオにこもるっていうのは時間の無駄だと思っている」
そして、彼らはライブの意味について、こう答えている。
「ライブで演奏するっていうのは、曲を完成するために絶対に必要なことなんだ。ひとつの曲が完成するためには、最低2,3年はライブで演奏しなきゃだめなんだ」
 すなわち、彼らにとってのライブ活動は、多くのミュージシャンにとってのスタジオにおけるセッションと同じ意味をもつと言うことなのです。だから、観客に手拍子させたり、いっしょに歌ったりなんてことは、やっていられないわけだ。彼らは、こうも言っています。
「もし、レコード会社の圧力がなかったら、永遠にアルバムを出さないかもしれないな」
 彼らのバンド名「グレイトフル・デッド」は、「感謝すべき死」ということであり、それはもちろん「輪廻転生」を意味しています。なんという首尾一貫したグループでしょう。(実は、このバンド名はジェリー・ガルシアが辞書の中から適当に指さしで選んだ「安楽死」からきているいうことです)
 今は亡きジェリー・ガルシアも、今頃何かに転生しているに違いないでしょう。もしかしたら、彼らが熱心に保護活動につとめた熱帯雨林の中の一本の大きな木になって、のんびりとうたた寝でもしているのかもしれません。全米一のカリスマ・ライブ・バンドは、全米一幸福なバンドだったのかもしれません。

<締めのお言葉>
「どんな作品にも空虚な場所が最後まで残っていなくてはなりません。つまり拘束的であってはいけないのです。おそらくそれは”永遠の”法則ではなく”明日の”法則でしょう。私は慎み深く、”明日”で甘んじます」 W. カンジンスキー(画家)

[参考資料]
「ロック伝説(上)」 ティモシー・ホワイト著(音楽之友社)

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