「紳士協定 Gentlemen's Agreement」 1947年

- エリア・カザン Elia Kazan、ジョン・ガーフィールド John Garfie -

<知られざる名作>
 この映画「紳士協定」は、アカデミー作品賞、監督賞、助演女優賞(セレステ・ホルム)など、数多くの賞を獲得した文句なしの傑作であり、「エデンの東」、「欲望という名の電車」など、数多くの名作を撮った巨匠エリア・カザンの作品でありながら、日本での知名度は非常に低い作品です。その最大の理由は、この作品のテーマがユダヤ人への差別というちょっと日本人には理解しがたい問題だからかもしれません。
 アメリカの経済や映画界、音楽界など芸術全般をリードしてきた大物たちの多くがユダヤ系であるということは、今や誰もが知っています。しかし、そんなユダヤ系の人々が差別されている?ちょっと不思議な気がします。確かに、ついこの間の第二次世界大戦の際、ヨーロッパでは多くのユダヤ人が迫害され、殺害されたのは周知の事実です。しかし、そんなヨーロッパから多くの天才たちがアメリカに渡り、そこで数々の偉業を成し遂げ、アメリカを発展させてきたこともまた周知の事実です。それなのになぜ、アメリカで彼らは差別されていたというのでしょう?

<ユダヤ人とはなんぞや?>
 このことを理解するためには、先ずユダヤ人とはなんぞや?というところから理解する必要がありそうです。一般的に「ユダヤ系アメリカ人」という言い方がありますが、アメリカの国勢調査では、それぞれの所属する人種について書く部分に「ユダヤ系」という項目はないそうです。ということは、「ユダヤ人」という人種は存在しないということです。それではユダヤ人とはなんぞや?唯一区別できるとすれば、本人がユダヤ人であるかどうか?それとも母親がユダヤ人かどうか?それだけなのだそうです。ということは、黒人のユダヤ人もいれば中国系のユダヤ人もありうるということです。(参考:井沢元彦著「世界の(宗教と戦争)講座」、町山智浩編「異人たちのハリウッド」)
 そのため、ユダヤ人を区別することは非常に難しく、名前でいうと映画界では「スピルバーグ」、「サイモン」、「バーンスタイン」、「ハマースタイン」、「ニューマン」、「マザースキー」、「ストライサンド」、「コーエン」、「ニコルズ」、「ブルックス」などなど。ただし、多くのユダヤ人はアメリカに移民した時や就職する時に名前を変えてしまいました。(カーク・ダグラスはもとの名をダニエロヴィッチだったそうですし、ビリー・ワイルダーももとの名はサミュエル・ヴィルダーだったそうです)容姿では、黒くてクセッ毛の髪とわし鼻が基本とされますが、これまた例外は多いはずです。(ボブ・ディランアインシュタインウディ・アレンなどはまさにその典型的な顔です)
 それではユダヤ人はなぜ差別されてきたのか?その理由は黒人に対する差別とは根本的に違います。ユダヤ人=ユダヤ教徒であり、聖書(新約聖書)の中でイエス・キリストを処刑した人々はユダヤ教徒だったという記述があることが問題なのです。要するに、キリスト教徒(プロテスタント、カトリック)にとってユダヤ教徒は宗教上のライバルである以上に自分たちの神を殺した悪夢にも匹敵する存在ということなのです。こうして、キリスト教国のすべてにおいてユダヤ人は迫害されるという歴史が長く続くことになったわけです。
 ヨーロッパでも迫害され続けたユダヤ人はまともな職につけなかったため、最も身分が低いとされた職業につかざるをえませんでした。そのひとつが、音楽や芸能など大衆芸能の分野です。この伝統が今に至る音楽、映画、小説家、画家など芸術全般におけるユダヤ人の活躍につながることになります。そして、もうひとつが金貸しという卑賤な職業で、これもユダヤ人が関わることになります。(そうです、あの「ベニスの商人」のシャイロックもユダヤ人でした)しかし、そのおかげで彼らはいつしか巨万の富を貯めこむことになり、その富を利用して多くの企業の経営者として力をつけ、いつしか政治家としても成功するようになってゆきます。しかし、こうした彼らの活躍はしだいに他の民族から恨みを買うことにもなってゆきます。そして、そうした恨みが第二次世界大戦におけるナチス・ドイツのホロコーストを生むことになったわけです。もし、あの世界大戦でヒトラー率いるドイツが勝利をおさめていたら、アメリカに逃げ延びていたユダヤ人たちも当然強制収容所に送られることになっていたでしょう。そうなれば、アインシュタインもチャップリンも殺されていたことでしょうし、ウディ・アレンやビリー・ワイルダーの映画を見ることもできなかったでしょう。ボブ・ディラン、ポール・ニューマン、コーエン兄弟、フィル・スペクターバート・バカラック、アイザック・アシモフ、エリザベス・テイラー、バーブラ・ストライサンド・・・彼らのいない現在など創造できるわけがありません。
ユダヤ教について

<ユダヤ人の反抗>
 幸いにしてヒトラーのナチス・ドイツは敗北し、戦後ユダヤの人々はそうした差別に対する反抗を開始します。(その最大のプロジェクトが、イスラエルというユダヤ人国家の建設でした)そのひとつが、この映画「紳士協定」の製作であり、この映画で取り上げられた雑誌による取材レポートの存在です。そのレポートは実際に当時行われたもので、この作品はその再現フィルムともいえる作品なのです。
 この作品は厳しいテーマではありながらストーリーはけっして暗くはならず、ラストにはキング牧師の演説を思わせる素晴らしい未来への宣言もあり感動させられます。
 ただし、こうした映画の企画が実現したというのも、新聞社や映画会社、そして俳優たちの多くがユダヤ系であったという条件がそろっていたおかげでもあります。長い迫害の歴史の中で、彼らはそれに対抗できるだけの力をつけてきたことも確かでしょう。この後、1950年代に起きることになる公民権運動において黒人たちの活動を応援する白人たちの中心となったのがユダヤ系の人々だったのも、こうした経験からきたのでしょう。差別されたことのない人間には、その心の痛みが本当に理解できることはないのかもしれません。そうした人々は差別を悪だと認識していても現実にそうした行為を目にした時、けっして自らが抗議するということをしません。お互いに、それは悪であると理解していることで満足しているという共通認識があればそれで良いのだと彼らは考えるのです。これこそが、この映画のタイトル「紳士協定」の意味するところです。
 島国に住み、人種的な差別がほとんどないように見える日本人は、まさに「紳士協定」にもとずいて生活する国民です。しかし、現実には差別のない社会など存在しません。宗教、人種、民族の違いだけが差別を生み出すとは限りません。経済的、職業的、性的、性格的、見た目的、家庭環境的、・・・いくらでも差別の原因はあります。
 「紳士協定」の国、日本ほど、多彩な差別が存在する国はもしかするとないのかもしれません。

<エリア・カザンの差別>
 ところで、この映画の監督であるエリア・カザンもユダヤ人だったのか?というと実はそうではありません。彼はユダヤ系ではなく、トルコ生まれのトルコ系ギリシャ人の移民でした。しかし、ギリシャ系の移民はほとんどが農民出身でユダヤ系の移民に比べ貧しく、ユダヤ系のよりも差別される民族でした。彼は幸いにして経済的には恵まれていましたが、それでも学生時代多くの差別を受けた経験があり、その悔しい思いがこの作品を生んだともいえます。ところが、この後1950年代にいわゆる「赤狩り」がハリウッドの映画人たちを襲った際、皮肉なことに彼のそのギリシャ人という立場が大いなる悲劇を生むことになります。
 共産党と関わりをもった映画人たちが次々に告発されてゆく中で、ユダヤ系の映画人たちはお互いにかばい合いながら危機を逃れることができましたが、映画界での少数派であるギリシャ系の彼には信頼できる見方がなく、孤立無援となった彼はついに共産党シンパの映画人の名前を明かし裏切り者の烙印を押されることになってしまいました。ただし、彼の場合、政府への協力はかなり積極的なものだったようでもあり、そのことについて間違っていたとは思っていなかったようです。そのため、彼に対する映画界リベラルからの風当たりは強く、彼は「裏切り者」として批判され続けることになります。
 1998年のアカデミー賞の授賞式で、彼がアカデミー名誉賞を受賞した際、多くの映画人が彼への拍手をせず、会場が異様な雰囲気に包まれるという出来事がありました。彼のかつての裏切り行為に対する映画界からの批判は、いまだに消えてはいないのです。
 差別の現状を暴き、それを批判する名作を撮った監督が、共産主義者に対する差別の片棒を担ぐことになるとは、・・・差別の落とし穴はいつどこで人を襲うことになるのか、その闇は深く暗いのです。
<追記>2016年4月
 60年代の後半に、ニューシネマと呼ばれる一群の若々しい映画が登場したとき「ニューシネマはアメリカの恥部を描いた」と評されたが、実は、ニューシネマよりはるか以前に、エリア・カザンはアメリカの恥部を、アメリカの夢の終わりを描き続けていたのではなかったか。それはいわば、「移民から見たアメリカ」であり「仲間から孤立した人間の目で見たアメリカ」である。・・・
「私はあの時まではただの青二才だった。しかしあれ以来、私はアメリカ社会を深く洞察することが出来るようになった。この国には生きてゆくために自分の好きでもない仕事に従事し、そのことで結局は自分を殺している人々が何千、何万人といるのだということがわかってきたのだ」
エリア・カザン
 「波止場」も「エデンの東」も「群衆の中の一つの顔」もカザンの「裏切り」「転向」後の作品なのである。・・・つまり、エリア・カザンはハリウッド映画史上はじめて「弱い青年」を発見したのだ。

川本三郎「映画の戦後」より

<ジョン・ガーフィールド>
 この映画の中に登場する本当のユダヤ系軍人を演じたジョン・ガーフィールド John Garfield は、ニューヨークのアクターズ・スタジオでメソッドを学んだ俳優として初めてハリウッド映画に登場した俳優です。彼は「若者の反抗」を象徴する俳優たち、マーロン・ブランド、ジェームス・ディーン、ポール・ニューマンの元祖ともいえる存在でした。しかし、彼は1950年代にハリウッドを襲った「赤狩り」の対象となり、非米活動調査委員会の聴聞会に召喚されます。その時、彼は自らが共産主義者でないと断言しましたが、そこで求められた共産党シンパの名前を密告することを拒否したため、映画界から追放される危機を迎えることになります。追い詰められていった彼は生活が荒れてゆき、再度の証言を前に心臓麻痺でこの世を去ることになりました。
 舞台俳優として、労働運動のヒーローとして、多くのファンがいた彼の葬儀には、1万人を越える人々が訪れ、彼の死を悼んだといいます。
 もうひとり、「緑園の天使」でアカデミー助演女優賞を受賞し、再びこの映画でアカデミー助演女優賞の候補になったアン・リヴェールもまた「赤狩り」の犠牲となった女優です。彼女は、1952年に始まった「赤狩り」第二弾において、映画界から抹殺され、その後1970年代になるまで映画に出ることができなくなります。

ハリウッドにおける「赤狩り」についてとそのために映画界を追放された人々の悲劇の物語については、下記のページをご覧下さい!
「赤狩り」とハリウッド・テン

「紳士協定 Gentlemen's Agreement」 1947年公開
(監)エリア・カザン
(製)ダリル・F・ザナック
(原)ローラ・Z・ホブソン
(脚)モス・ハート
(撮)アーサー・C・ミラー
(音)アルフレッド・ニューマン
(出)グレゴリー・ペック、ドロシー・マクガイア、セレステ・ホルム、ジョン・ガーフィールド、アン・リヴェール

<あらすじ>
 主人公のライター、フィルは妻を亡くし、子供と母親とともにLAからニューヨークの雑誌社へと引き抜かれてきました。彼はさっそく新しい企画を担当することになりますが、その企画とは社会におけるユダヤ人の差別を明らかにし、その廃絶への道を示したいというものでした。フィル自身はユダヤ人ではないため、客観的な取材が可能でしたが、逆に差別の実感を得ることはできません。いったいどうすればよいか?
 そこで彼は、自分がまだ街に知り合いがまったくいないことを利用して、ユダヤ人としての生活を始める事を決意します。ユダヤ人としての生活をしながら、その体験をリポートすることで差別の現状を明らかにしようと考えたわけです。しかし、職場での差別はまだしも、婚約者の家族とのゴタゴタやホテルでの宿泊拒否、ついには子供へのいじめ事件までもが起き、予想以上に事態は深刻であることが明らかになり、ついに取材期間を終え記事を発表することになりました。


アメリカで「ハリウッド・テン」に有罪判決下る(赤狩りの時代)
リー・ストラスバーグとエリア・カザンがアクターズ・スタジオ設立
初の長編カラー作品公開される(ソ連)

「影なき殺人」〈監)エリア・カザン(原)アンソニー・アボット(脚)リチャード・マーフィー(出)ダナ・アンドリュース
「仔鹿物語」(監)クラレンス・ブラウン(出)グレゴリー・ペック、ジェーン・ワイマン
「34丁目の奇蹟」(監)ジョージ・シートン(助)エドモンド・グウェン(アカデミー助演男優、脚色、原案賞
「上海から来た女」(監)(脚)(製)(出)オーソン・ウェルズ(出)リタ・ヘイワース、エヴェレット・スローン
「邪魔者は殺せ」(監)キャロル・リード(原)E・L・リード(出)ジェイムス・メイスン、キャサリン・ライアン
「紳士協定」(監)エリア・カザン(主)グレゴリー・ペック(助)セレステ・ホルム(アカデミー作品、監督、助演女優賞
「チャップリンの殺人狂時代」(監)(主)(脚)(音)チャーリー・チャップリン(原案)オーソン・ウェルズ(反戦映画に対する反発から映画館でボイコット運動起きる)
「二重生活」(監)ジョージ・キューカー(主)ロナルド・コールマン(アカデミー主演男優賞
「肉体の悪魔」(監)クロード・オータン=ララ(原)レイモン・ラディゲ(出)ジェラール・フィリップ、ミシュリーヌ・プレール
「虹を掴む男」(監)ノーマン・Z・マクロード(音)デヴィッド・ラクシン(出)ダニー・ケイ、ヴァージニア・メイヨ、ボリス・カーロフ
「ミネソタの娘」(監)ヘンリー・C・ポッター(主)ロレッタ・ヤング(アカデミー主演女優賞
「平和に生きる」(監)ルイジ・ザンパ(脚)スーゾ・チェッキ・ダミーコ(音)ニーノ・ロータ

新東宝設立

「安城家の舞踏会」〈監)〈原)吉村公三郎〈脚)新藤兼人〈出)滝沢修、森雅之、原節子
「今ひとたびの」〈監)五所平之助(原)高見順(脚)植草圭之助(出)竜崎一郎、高峰三枝子
「女優」〈監)〈脚)衣笠貞之助〈脚)久板栄二郎〈出)山田五十鈴、土方与志
「素晴らしき日曜日」〈監)黒澤明(脚)植草圭之助〈音)服部正(出)沼崎勲、中北千枝子
「戦争と平和」(監)山本薩夫、亀井文夫(脚)八住利雄〈出)伊豆肇、岸旗江
「長屋紳士録」〈監)〈脚)小津安二郎(脚)池田忠雄〈出)飯田蝶子、青木富広

<1947年の出来事>
トルーマン・ドクトリン発表、マーシャル・プランの提唱
非米活動委員会による赤狩り激化
フランコがスペインの終身国家主席となる
コミンフォルム(共産党情報局)の結成によりソ連圏が誕生(冷戦時代の始まり)
死海写本の発見
インド連邦、パキスタン自治領成立(ヒンドゥー、イスラムによる分離独立)
教育基本法、六三三制の導入
独占禁止法、労働基準法の公布
インフレによる急激な物価上昇進む
「『正義の使者』になりたいトルーマンは、スターリンのソ連を敵役にした。スターリンのソ連が善玉だったわけでもない。しかし、アメリカの大統領には”新たな敵”が必要だった。かくしてソ連=社会主義は敵視され、世界は『冷戦』の緊張状態に突入する」
(ギリシャの内戦を、無関係だったソ連のせいにしたチャーチルとそれにわざと騙されたふりをしたトルーマン米大統領について)
橋本治「20世紀」より

<音楽>
「ブルーグラス・ブレイク・ダウン」 ビル・モンロー(ブルー・グラスの完成形)
"That's My Desire" フランキー・レイン(カントリー)
「コンプリート・タウン・コンサート」 ルイ・アームストロング
「スターダスト」 ライオネル・ハンプトン Lionel Hampton
「ダウン・ホーム・ブギ」「ビール・ストリート・ブギ」 デルモア・ブラザース
「テンダリー」サラ・ヴォーン

アトランティック・レコード」設立(ニューヨーク)
「インペリアル・レコード」設立(ロスアンゼルス)
「マーキュリー・レーベル」「チェス・レコード」「チェッカー・レコード」設立(シカゴ)
レコードの録音用にテープ・レコーダーが使用されるようになる
この年の音楽、芸術については、ここから!

<美術>
「大聖堂」 ジャクソン・ポロック(ポアリング技法の完成)
「無題ナンバー21」 マーク・ロスコ(色だけの絵画という究極のスタイル完成まであとわずか)

<文学、思想など>
アンドレ・ジッドがノーベル文学賞を受賞
「青い山脈」 石坂洋次郎
「斜陽」 太宰治
「ペスト」 アルベール・カミュ
民衆芸術劇場(民芸)結成(日)

<時代を変えたモノ、ファッション>
クリスチャン・ディオールが初のオートクチュール・コレクションで「ニュールック」を発表(戦後の新しいファッションスタート)
自動小銃カラシニコフAK47(ソ連)

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