
「明日に向かって撃て」
「スローターハウス 5」
- ジョージ・ロイ・ヒル George Roy Hill -
<映画ファンのための映画>
初めてこの映画を見たのは、映画館ではなくテレビ画面ででした。しかし、その後東京に出てから名画座で改めて見たり、テレビでまた見たりと、5回以上が見ている数少ない作品です。(正直、同じ映画を何回も見ることはあまりありません)
この映画の衝撃的なラスト・シーンとその余韻は、僕が映画ファンになる原因のひとつだったように思います。オープニングのセピア色の画面やバート・バカラックの不滅のサウンドは、公開当時からノスタルジックな香りに満ちており、すでに永遠不滅の作品としての輝きを放っていました。「スティング」や「華麗なヒコーキ野郎」など、ノスタルジックな映画を得意とする彼にとって、この作品は出世作であり、西部劇へのオマージュとしても映画史に残る傑作といえるでしょう。
<ジョージ・ロイ・ヒル>
この映画の監督、ジョージ・ロイ・ヒル George
Roy Hill は、1921年12月20日アメリカ中東部ミネソタ州ミネアポリスに生まれています。元々音楽家を志していた彼はエール大学で作曲を学び博士号を取得しています。彼の作品の音楽がどれも素晴らしいのは、単に作曲家が優れているだけでなく、彼自身の音楽センスが生かされているからかもしれません。もし、第二次世界大戦がなければ、彼はそのまま音楽家として生きていたかもしれません。
アメリカが第二次世界大戦に参戦したため、彼は海兵隊に入隊。その後は海軍のパイロットとして戦闘機に乗るようになりました。(もちろん、この当時の体験が後に、「華麗なるヒコーキ野郎」や「スローターハウス5」などの作品に生かされることになります)
終戦後、彼はシカゴの新聞社でしばらく働いた後、アイルランドの首都ダブリンにあるトリニティ・カレッジに入学。そこでシェークスピアの芝居などを中心に公演を行っていた地元のシリル・キューザック劇団に入り、俳優として活躍しました。アメリカに帰国した後も、彼は俳優として活動を続け、オフ・ブロードウェイの芝居に端役ながら出演するチャンスをつかみます。ところが、ここで再びアメリカは戦争に参加します。朝鮮戦争です。彼は再び海兵隊に入隊し、今度は夜間に朝鮮半島への爆撃を行う爆撃機のパイロットとなりました。この時の体験が、後にアメリカ軍による絨毯爆撃により廃墟となった街、ドレスデンを舞台にしたSF反戦映画「スローターハウス5」(カート・ヴォネガット原作)を映画化する理由となったのでしょう。彼は当時の体験をもとにテレビ用の戦争ドラマのための脚本を執筆。それが「クラクフ・テレビ劇場」という番組に採用され、除隊後もテレビの世界で脚本、脚色、演出を担当するようになります。
1956年には、テレビドラマ「思い出の夜」で製作、演出、脚本を担当。1957年には、トマス・ウルフの作品を演出した「天使よ故郷をふり返れ」でブロードウェイに進出し、いきなりこの作品でピューリッツァー賞を獲得してしまいます。その後も、しばらくは舞台の演出家として活躍し、1962年ついに彼は映画監督としてデビューを果たしました。(デビュー作は「Period
of Adjustment」)
1964年の「マリアンの友だち」は、思春期の少女二人が憧れのピアニストの周りをストーカーのようにつきまといながら、様々な妄想の世界を展開するという青春ファンタジーの異色作。この作品が高く評価されたことで、彼はミュージカルの人気女優ジュリー・アンドリュースを主役に迎え、「ハワイ」(1966年)とミュージカル「モダン・ミリー」の二作品を監督。そして、その後、彼は自らの名を映画界に刻み込むことになる名作「明日に向かって撃て」の撮影に入ることになりました。
「明日に向かって撃て BUTCH CASSIDY AND THE
SUNDANCE KID」 1969年
(監)ジョージ・ロイ・ヒル
(脚)ウィリアム・ゴールドマン
(撮)コンラッド・ホール
(編)J・C・ハワード
(音)バート・バカラック
(出)ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロス、テッド・キャシディ、ジェフ・コーリー
<あらすじ>
物語の舞台は1890年代のアメリカ西部。家畜泥棒と銀行強盗を専門とする二人組みの強盗、ブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)とサンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)は、山の中にある隠れ家を根城に荒稼ぎをし、金や銀の鉱山があるという南米ボリビアに進出しようと狙っていました。
二人は列車強盗を計画。別の強盗ローガン(テッド・キャシディ)らを仲間にして見事に列車から大金を奪います。さらに彼らは同じ列車の帰り道に再び強盗に成功しますが、ブラッドソー保安官(ジェフ・コーリー)たちにしつこく追われ、渓谷の断崖絶壁に追い詰められてしまいます。かろうじて川に逃げ込んだ二人は学校で教師をしているエッタ(キャサリン・ロス)のもとに逃げ込みます。その後、二人はスペイン語が話せるエッタを連れて、ボリビアへと向かいますが、先ずはニューヨークを見物。ところが、その後彼らがたどり着いた南米のボリビアは予想に反しアメリカよりはるかに貧しい国でした。・・・
この映画の主人公三人は実在の人物で、それぞれ写真も残されています。ブッチ・キャシディことロバート・ルロイ・パーカーは、1866年生まれで、サム・ペキンパーによって映画化さえたバイオレンス映画の傑作「ワイルドバンチ」の中心メンバーでした。有名なガンマン、マイク・キャシディに憧れて、自らブッチ(屠殺者)と名乗ったとされていますが、実は彼自身はけっして凶悪犯ではなく人を殺したのはボリビアでの警官隊との銃撃戦が最初で最後だったといわれているそうです。極悪人でありながら、多くの人に愛されるキャラクターの持ち主だったらしく、その点ではポール・ニューマンの演じたキャラクターはそれほど誇張されてはいなかったのかもしれません。
サンダンス・キッドことハリー・ロングボーは残された写真を見てもわかる伊達男でお洒落なだけでなく早撃ちの名手だったとも言われています。エッタの恋人だったようですが、詳しいことはわからない謎の多い人物でした。
エッタ・プレイスは、残された写真を見ると彼女を演じたキャサリン・ロスよりも美人です。顔だけでなく行動も上品な人物だったようですが、乗馬も得意でライフル銃の扱いも上手かったといいます。デンバーで学校の教師をしていたらしいのですが、二人とともに旅に出た後の消息はまったく不明とのことです。
ちなみに、サム・ペキンパーの名作「ワイルド・バンチ」も、「壁の穴」一味を描いた西部劇でしたが、そちらはブッチがこの世を去った後の後日談になります。
<見所:イディス・ヘッド、バカラック・・・>
この映画の見所はいろいろありますが、そのひとつは西部劇でありながら、とにかくお洒落な衣装にあります。ニューヨークへの旅の三つ揃いのスーツとネクタイ。自転車に乗るシーンのポール・ニューマンのスタンドカラーのシャツにベスト姿も粋でした。もちろん、キャサリン・ロスのドレスと帽子も実に素敵でした。今着ても全然オ−ケーなセンスの良い衣装をデザインしたのは映画界最高の衣装デザイナー、イディス・ヘッドです。なにせ彼女は生涯になんと8回もアカデミー賞を受賞しているのです!
その8作品とは、「女相続人」(1949年)、「イヴの総て」(1950年)、「サムソンとデリラ」(1950年)、「陽のあたる場所」(1951年)、「ローマの休日」(1953年)、「麗しのサブリナ」(1954年)、「よろみき珍道中」(1960年)、「スティング」(1973年)です。
そして、お洒落といえば、この映画の音楽を作曲したバート・バカラックの音楽もまたお洒落です。(彼の仕事については、このサイト内の彼のページをご覧下さい)この映画で彼は「雨にぬれても」でアカデミー主題歌賞とそれ以外の楽曲によりアカデミー楽曲賞も受賞しています。この映画での仕事は、彼の長いキャリアの中でもピークのひとつにあたるものだったといえるでしょう。
さらにコンラッド・ホールによる撮影の美しさもまたこの映画の見所のひとつです。オープニングで古い映画を上映するように始まり、世界初のアクション映画「大列車強盗」へのオマージュらしきサイレント映画で始めるイントロも、観客をこの映画の世界に一気に引き込む見事なものです。三人がニューヨークの街を観光する短い場面も実にお洒落。こうした、凝った映像だかでなくアクション・シーンでの撮影(特に列車爆破のシーンはまるでサム・ペキンパー作品のような迫力があります!)やラストのストップ・モーションまで実にすきのない映像美を堪能することができます。
この作品により勢いを得た彼は、この後も次々に名作を世に送り出します。
「スローターハウス5 SLAUGHTERHOUSE-FIVE」 1972年
(監)ジョージ・ロイ・ヒル
(原)カート・ヴォネガット・Jr
(脚)スティーブン・ゲラー
(撮)デデ・アラン、ミロスラフ・オンドリチェク
(音)グレン・グールド
(出)マイケル・サックス、バレリー・ペリン、ユージン・ロッシュ、ロン・リーブマン、シャロン・ガンス
僕の大好きなカート・ヴォネガット原作のこの作品は、アメリカの絨毯爆撃によって焦土となったドイツの工業都市ドレスデンの街に捕虜として居合わせたアメリカ人兵士の物語。時空を越えた幻想的なSF作品であり、恐るべき戦争犯罪を告発した反戦映画でもある幻の名作です。これは戦時中実際にドレスデンにいた原作者ヴォネガットの実体験をもとにした小説がもとになっています。
爆撃を行う立場にいたジョージ・ロイ・ヒルが、この小説を読んでどう感じたのか。その思いがこの作品を生み出しました。映像化は困難と思われた複雑な物語の展開を観客にわかりやく見せるテクニックは、その後も多くの分厚い小説を映画化することになる彼の手腕を証明したものといえます。後に「ガープの世界」を映画化できたのも、彼のこ能力があったからといえるでしょう。ある意味、この映画はそのための習作だったようにも思えます。この作品に関しては、原作者のヴォネガットも満足していたといいます。
「現在・過去・未来」、人はそのすべてを同時に生きている。この考え方は、宗教的、SF的、心理学的、小説的、人生訓的、様々な見方によって、正しいと思える考え方です。そして、この思想は、たぶん大きな影響をヴォネガットから受けたであろうジョン・アーヴィングが書いた小説「ガープの世界」へと受け継がれたのでしょう。そう考えると、その2作品を映画化したのがジョージ・ロイ・ヒルだったのは必然だったようにも思えてきます。
それともうひとつこの作品の音楽はなんとあの天才ピアニスト、グレン・グールドが担当しているのです!これも音楽ファンとしては見逃せないところです。「ヴォネガット原作でグレン・グールドが音楽」今ならそれだけで必見ということになるはずです。(公開当時は、そうはならず見た人は少ないはずです。もったいない)
最近、改めてこの作品を見ましたが、主役の二人を演じた俳優にもう少し魅力があれば、もっとこの映画は評価を上げたかもしれません。
<その後の名作>
「スティング」(1973年)は今さら説明不要の傑作。「華麗なるヒコーキ野郎」(1975年)もまた、かつて戦闘機乗りだった監督にとって、思い入れの深い作品だったはずです。永遠に続くかと思われるようなラストの空中戦は、宮崎駿の「紅の豚」の最後の空中戦に影響を与えたのではないかと思うのですが?どうでしょう。まるで子供のように戦闘機に命をかける主人公の姿は、彼が好んで描く映画の題材に共通するタイプのそのもです。
1979年の「リトル・ロマンス」は、まさに夢見る子供たちを描いたラブ・ストーリーでしたし、1982年の「ガープの世界」もまたそんな夢見る主人公を描いた傑作でした。
残念なことに、1988年、新作の撮影中に彼はパーキンソン病を発病してしまいます。その作品を完成させることができないまま映画界を引退。長きに渡る闘病生活の後、2002年12月27日に静かにこの世を去りました。
夢を追い続けた少年のような大人たちを描き続けたロマン派の映画監督、ジョージ・ロイ・ヒルは、夢見るように天国へと旅立つことができたのでしょうか?そうあってほしいと思います。
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