死を迎えるためのインド式解脱体験


「ガンジスに還る Hotel Salvation/Mukti Bhawan」

- シュバシシュ・ブティアニ Shubhashish Bhutiani -
<目に見える「死」>
 日本人の我々、というよりも世界中のほとんどの人は、「死」とは何かを考えることもなく、その存在を遠ざけることでより有意義に生きられると考えています。人生において、「死」とは避けるべきものとなり、葬儀場は人前から見えない場所に建てられるようになり、昔懐かしい霊きゅう車は今や国外でしか見られなくなりました。(ほとんどがモンゴルやラオスなどアジアの仏教国に輸出されたようです)
 インド映画「ガンジスに還る」は、そんな「死」の存在を目に見えるかたちにする施設「解脱の家」を舞台にした作品です。

<あらすじ>
 仕事中毒の真面目なラジ―ヴの父親ダヤがある日突然、自分はもうすぐ死ぬと宣言。死を迎えるためにガンジス河のほとりの聖地ヴァラナシにある「解脱の家」に入ると言い出します。父親一人で行かせるわけにもいかず、仕方なくラジ―ヴは父と共にバラナシに向かいます。
 「解脱の家」とは、自炊しながら心を清め、自らの死を静かに迎えるための施設で、運営者のミシュラによると死んでも死ななくても15日で出て行ってもらうことになっているとのこと。でも本当に父親は15日以内に死んでしまうのか?ラジ―ヴは疑問を持ちながら、そこでの生活を開始します。
 しかし、ある日、父親は突然体調が悪化し、もう長くはないと言い出したため、ラジ―ヴは急いで妻と娘を呼び寄せます。葬儀の準備も始め、一晩彼は父親に付き添い、最後に親子の関係が深まりました。ところが、翌朝、彼は元気を取り戻し、自分はまだ死を迎える準備はできていないと言い出します。
 そのうえ、家に戻った娘から連絡があり、彼女が婚約破棄をしたことを知ったラジ―ヴは、いよいよどうしたらよいのかわからなくなります。そんな時、「解脱の家」に住み、18年間死ねなかった女性ヴィムラが突然、この世を去ってしまいます。ヴィムラと親しくなっていたダヤはいよいよ自らの死が近いと感じ、それを受け入れる準備ができたと感じたのか、ラジ―ヴに家に帰るよう伝えます。家に帰ったラジ―ヴは、再会した娘と久しぶりに打ち解けるのでした。そして、・・・・ついにその時が来ます。

<ガンジス河にて>
 この映画の舞台ガンジス河には僕自身も忘れられない思い出があります。
 1988年の夏、僕は友人二人と2週間かけたインド旅行に行き、その際、ガンジス河のほとりの聖地ヴァラナシも訪れました。しかし、ヴァラナシまでの旅の途中、僕は疲労と水のせいでお決まりの腹痛に襲われていました。下痢と腹痛と高熱でもうろうとなった僕は、インド西部の砂漠に近い街ジャイプールのホテルで一人ベッドで寝込むことになりました。幸い知り合いから抗生物質をもらってきていたので、それを服用し、なんとか回復することができました。
 高熱にうなされていた夜のことは今でも忘れられません。意識がもうろうとしていた僕は、なぜか自分の意識が昔住んでいた小樽の実家へと飛んでいることに気づきました。それも母親がいつも使っていたミシンが置いてある小さな部屋でした。そこで僕はとにかく無性に懐かしい気持ちになっていて、子供時代の自分にもどったような感覚になっていました。その強烈な懐かしさは、今なら死んでもいいのかもしれないと思えるほどでした。(もしかすると、脳はそうやって死を受け入れる反応をするものなのなのかもしれません)
 この映画のオープニングで主人公はかつて自分が住んでいた村を自分が歩く夢を見て、自分の死が近いことを確信します。僕はすぐにインドでの見た懐かしい夢のことを思い出しました。

 その後、熱が下がった僕は、友人との旅を再開。飛行機でヴァラナシへと移動することができました。ヴァラナシに着いた僕は、体力も戻ってきたので一人でボーっとしながらヴァラナシの街を散歩することにしました。何の目標もなく、ブラブラとガンジス河と並行するにぎやかな街中の道を歩き続けていると、いつの間にか街の雑踏が終わり、突然、ガンジス河が見えてきました。驚きながら河へと近ずくと、河沿いにはだだっ広い野原が広がっていて、180度聖なるガンジスが見える壮大なパノラマを見ることができました。
 その風景は僕にとって、生涯忘れられないものになりました。人よりも牛の方が多いその場所は何だか天国のように感じられたことを覚えています。インド中から聖地ヴァラナシに集まってくる人々の雑踏が、突然終り、そんな聖なる風景が現れるなんて・・・。さすがは聖地ヴァラナシです。
 その翌日、僕はテンションが上がってしまったのか、再び一人でガンジス河に向かい、河沿いで行われる葬儀の現場を見学することにしました。そして、河のほとりの葬儀場で、人の葬儀から遺体の焼却までの行程を最初から最後まで、見続けることになりました。
 材木を高く組み上げた上に葬儀を終えた遺体を乗せ、灰になるまで焼き上げる行程は、2時間ほどかかったはずです。途中、燃える材木の中から焼け残った手や足がボロっと落ちることもありましたが、それを焼き場の男たちが木の棒で無造作に挟んで再び燃える火の中に戻したりしていました。最後に燃え残った材木と共に遺灰は、そのまま河にかき落されます。それら一連の儀式はかなり荒っぽく見える作業でしたが、それでも人の死を受け入れるための儀式の神聖さに僕は感動させられました。この時、僕が見たのは、葬儀への参加者が人の死を受け入れるために必要な儀式だったようにも思えました。
 普通、人は自分の死を受け入れるための準備期間を与えられません。入院生活を続ける中でゆっくりと死を迎える場合はありますが、そこに死を迎える心のゆとりがあるとは限りません。逆に死ぬまで生きるための努力を続け、死を遠ざけようとしているうちに死んでしまうのがほとんどのはずです。死を迎え入れるのは、ホスピスなどの特殊な施設に入った人か、自宅で死を待つ道を選択した人ぐらいでしょう。
 インドという国の文化に、自らの意志によって死を迎え入れるという発想があることに驚かされました。

「ガンジスにて」
ガンジスはすべてを受け入れる母なる川だ
死者を焼き尽くした後の灰
沐浴をする人々が洗い流した石鹸
あらゆる排泄物やゴミ
宗教的に焼かれずに流されてしまう赤ん坊や病人の遺体
噛みタバコの真っ赤な汁
ありとあらゆるものによって汚された汚れてしまった河
それでも人々はそこで沐浴を続けています
もしかすると、彼らは沐浴をすることで聖なる河を清めているのかもしれません
自らが汚してしまった河で自らを清める
これほど完璧な清めの儀式があるでしょうか

観光客をいっぱいに乗せた船が沐浴する人々の邪魔をしても
カメラのフラッシュが彼らの邪魔をしても
そんなことは彼らにとって、どうってことはないのです。
混沌の河ガンジスはすべてを受け入れ、清める聖なる河なのですから

<インド人目線のインド映画>
「アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲」
「めぐり逢わせのお弁当」
「食べて、祈って、恋をして」
「マリー・ゴールドホテルで会いましょう」
「スラムドッグ$ミリオネア」
「ダージリン急行」
「インドへの道」
 今までインドを舞台にした映画といえば、コメディー、ミュージカルか欧米の監督が撮ったエスニック体験を描いた冒険映画でした。サタジット・レイという偉大な監督による作品以外には、インド人によるリアルなインド人像を描いた作品はそう多くはないはずです。(もちろん日本で見られる作品は、という意味ですが・・・)
 そんな中、この作品はインド人監督がインド人俳優を使って、普通のインド人の暮らしと「死生観」を描いた貴重な作品と言えます。ただし、インドの人々の死生観が日本人と違うといっても、21世紀の今を生き、普通にケータイ電話で話す多くのインド人の死生観は、昔のインド人とは異なり、我々日本人の多くとそう変わらないこともわかりました。グローバリズムの波はそれぞれの国の死生観にも大きな影響を与えつつあるのでしょう。
 だからこそ、日本人である我々がこの映画を見ても、ごく自然に主人公の視点に立て、感情移入することが可能になっている気がします。我々もまた主人公と共に親の死を迎えるための疑似体験をすることができるのです。それにしても、この映画に登場する「解脱の家」という施設は少々怪しい部分もあるものの、なかなか素敵なシステムなのかもしれません。
 すべての部分が怪しいことだらけの国でありながら、それでもなお、そこには不思議な体験をもたらす何かがある。それがインドという国の魅力であることだけは確かのようです。あなたもそんなインドを訪れてみてはいかがでしょう!
 毎日がトラブルや交渉事だらけで、体調も崩すかもしれません。おまけに僕の場合、最後の最後、帰国の際、オーバー・ブッキングにより飛行機に乗れないというトラブルにまで巻き込まれました。帰国まで、すったもんだあって3日後にやっと飛行機に乗れました。
 とはいえ1週間我慢すれば、インドでの暮らしも楽しくなってくるはずです。(そうならなかった人はあきらめて帰ってきてください)
 この映画では、自分の死を受け入れるのに15日という期限が設定されていました。なるほど、例え外国人でもインドの国を受け入れるのに1週間。もしかすると、それからあと1週間で死まで受け入れられるようになるのかもしれません。
(注)
 それにしても、ガンジス河の水質は当時でもかなり悪るかったのですが、今はさらに悪くなっているのではないでしょうか。沐浴はいいとしても、間違っても、飲まないようにして下さい。

「ガンジスに還る Hotel Salvation/Mukti Bhawan」 2016年
(監)シュバシシュ・ブティアニ Shubhashish Bhutiani
(製総)ディナ・タッタニ
(脚)アサド・フセイン
(撮)マイケル・マクスィーニー、デヴィッド・フーラー
(音)タジダール・ジュネイド
(出)アデイル・フセイン、ラリット・ベヘル、ギータンジャリ・クルカルニー、パロミ・ゴーシュ、ナブニンドラ・ベヘル、アニル・ラストーギー

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