
- ガルシア・マルケス Gabriel Garcia Marquez
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<20世紀を代表する文学者>
寺山修司がかつて映画化した大作小説「百年の孤独」で有名なノーベル文学賞受賞作家(1982年受賞)ガルシア・マルケスは、ラテン・アメリカを代表するというよりも20世紀後半の文学を代表する作家と呼ぶべき存在です。その作風は、ラテン・アメリカ独特の幻想と現実を織り交ぜた不思議な世界観を有しています。そんな奇想天外な物語の中に政治的問題意識が織り込まれ、残虐性や愛憎の葛藤を徹底したリアリズムで描く手法は、その後のラテン文学のイメージを決定づけることにもなりました。それまでのファンタジー文学とはまったく異なる大人向けで難解なそのスタイルはどこから生まれたのか?20世紀最後の偉大な文学者の作風はどこから生まれたのでしょうか?
<生い立ち>
ガルシア・マルケス Gabriel Garcia Marquez
は、1928年?3月6日コロンビアのカリブ海沿岸にある町アラカタカに生まれています。幼い頃に、両親のもとを離され祖父母のもとで育てられることになった彼は、祖母から昔話や戦争中の体験談などを聞かされることになり、それが後に「百年の孤独」のもとになったとも言われています。そんな祖母の影響もあり、彼はお話つくりの魅力に気付き、17歳の頃、小説家になることを決意したといいます。
1947年、彼は首都のボゴタにあるボゴタ大学法学部に入学します。しかし、その頃、コロンビアでは民主化を求める自由の大統領候補が保守派によって暗殺されるという事件が起き、ボゴタを中心に暴動が起き、学校が閉鎖となってしまいます。さらにその混乱の中、彼は経済的に学業をあきらめざるをえなくなってしまいました。その後、彼は、「エル・スペクタドル誌」の記者として、ローマに派遣されます。彼はローマに滞在し、そこで映画学校に通い映画について学びながら映画の評論記事を本国に送りますが、1955年「エル・スペクタドル誌」は、政権を獲った右派の指導者ロハス・ビリーニャによって廃刊に追い込まれてしまいます。極貧生活を強いられた彼はそれでもなおヨーロッパで記者として活動、ソ連や東欧を旅するなど、多くの経験を積むことになりました。その後、彼はベネズエラに住む友人が編集を担当する雑誌社に記事を送りながら小説を書き続けてます。すると、その間、彼の友人が彼の原稿をかってに出版社に持ち込み、小説「落葉」として本国で出版され、彼に最初の成功をもたらしてくれました。
<記者から作家へ>
1959年、彼はキューバに渡ると、そこで革命の指導者カストロと知り合います。キューバ革命直後に出会った二人は意気投合し、彼はキューバ国営の「プレンサ・ラティーナ」の特派員として働くことになりました。残念ながら、社内における内部抗争に嫌気がさした彼はすぐにその仕事をやめてしまいますが、その後もカストロとの付き合いは続くことになりました。
1961年、メキシコに渡った彼は映画の脚本を執筆しますがうまくゆかず、再び小説家を目指します。「大佐に手紙は来ない」などの初期作品を発表します。そして、1967年、彼の代表作となる「百年の孤独」が発表されると、ラテン・アメリカ圏全体で大ヒットとなります。当然、その名は西欧その他の国々にも知られるようになり、彼と「緑の家」のバルガス・リョサ、「石蹴り遊び」のコルタサルらの活躍のおかげでラテン・アメリカ文学は世界的なブームとなり、その後多くの作家たちが世界的に知られることになります。
1973年、チリでアジェンデ政権がピノチェトを指導者とする軍部のクーデターによって倒されます。その際、チリを代表するノーベル文学賞受賞の詩人パブロ・ネルーダが命を落とし、彼は軍事政権に抗議して作家活動休止を宣言します。それに対し、ネルーダ夫人が作家活動こそ、あなたにとって唯一軍事政権に抗議できる手段であると説得。こうして、彼は彼の名をさらに高めることになった政治的な作品「族長の秋」(1975年)を発表します。
その後、「予告された殺人の記録」(1981年)、「コレラの時代の愛」(1985年)、「迷宮の将軍」(1989年)などの作品を発表。その間、1982年にはノーベル文学賞を受賞しています。
<彼の文学の下敷き>
彼が記者として働いていた時期、コロンビアは保守党による圧政のもとでジャーナリズムは政治問題をまともに扱えずにいました。そのため、彼はゴシップ・ネタや民間伝承を数多く集めることでニュースを無理やりひねり出していたといいます。こうして、彼は民族誌の研究家並みに幅広く民間伝承を収集することになり、その膨大なストックが後に彼お得意の「世にも奇妙な物語」的な魔術的ジャーナリズムを生み出す元ネタとなったのでした。ありえない出来事が展開する彼の小説の物語は、実はその多くが実話をもとにしています。
「百年の孤独」におけるバナナ農園での虐殺事件は、実際にあった事件であり、登場人物に蝶がまとわりつくという逸話も、実際に起きている事象です。そのうえ、彼の祖父は実際に農園で起きた反乱に参加したこともあったといいます。
現実にこだわっているとはいっても、彼の作品最大の魅力はジャーナリスティックなその描写以上に幻想的で魔術的な不思議な世界描写にあります。そして、そこで特徴的なのは彼の描く小説の中のドラマは、登場人物の個人的な願望や感情に基づくのではなく、彼が属する民族や家族などの集合的無意識や願望が元になっていることです。それが彼の書く小説に他の作家が書く小説とはまったく異なる雰囲気をもたらしているのです。
彼はジャーナリスティックな分野の仕事としてルポルタージュ作品も数多く書いています。それらの中でも「カルロータ作戦」(1977年のキューバによるアンゴラ派兵について)「戒厳令下チリ潜入記」(1986年チリを追われた亡命映画監督)などでは、ルポならではのリアルな現実描写よりも、彼お得意のストーリーテリングの巧みさにより、読ませることに成功しています。ガルシア・マルケスは、作品によってその技法を自由自在に変えられる、まさに魔法のペンをもつ男といえるでしょう。
<映画化作品の数々>
彼の作品は、数がそう多くない割りに数多く映画化されています。それはたぶん、彼の作品がもつイメージの豊かさと物語の面白さが映像向きだからでしょう。それも実に国際色豊かな監督によって映画化されています。それは彼の小説がいかに世界中で読まれているのかを証明しているといえそうです。
「コレラの時代の愛」(2007年)(監)マイケル・ニューウェル(出)ハビエル・バルデム(原)「コレラの時代の愛」(アメリカ映画)
「血祭りの朝」(1990年)(監)リー・シャオホン(出)コン・リン(原)「予告された殺人の記録」(中国映画)
「大きな翼を持った老人」(1988年)(監)(出)フェルナンド・ビリ(原)「大きな翼を持った老人」(キューバ・スペイン・イタリア映画)
「公園からの手紙」(1988年)(監)トマス・グティエレス・アレア(出)ヴィクトル・ラプラーセ(原)(脚)ガルシア・マルケス「公園からの手紙」(キューバ・スペイン映画)
「ローマの奇跡」(1988年)(監)リサンドロ・ドゥケ・ナランホ(出)フランク・ラミーレス(原)(脚)ガルシア・マルケス「ローマの奇跡」(コロンビア・スペイン映画)
「予告された殺人の記録」(1988年)(監)フランチェスコ・ロージ(出)ルパート・エヴェレット、オルネラ・ムーティ(原)「予告された殺人の記録」(イタリア・フランス映画)
社会派の巨匠フランチェスコ・ロージ監督作ということもあり、マルケス作品の映画化作の中でも評価の高い作品
「エレンディラ」(1984年)(監)ルイ・グエッラ(出)イレーネ・パパス(原)(脚)ガルシア・マルケス「エレンディラ」(メキシコ・フランス・西ドイツ映画)
「さらば箱舟」(1982年)(監)寺山修司(出)山崎努、吉田真由美、原田芳雄(原)「百年の孤独」(日本映画)
寺山修司の遺作ともなった作品。内容があまりにも違いすぎるとマルケスが抗議し、公開が延期されたいわくつきの作品。まあ、原作に忠実に映画化すること自体困難だとは思いますが・・・
「コレラの時代の愛」El amor en los tiempos del colera 1985年
木村栄一(訳)
新潮社
彼の出世作である「百年の孤独」が百年にわたるある一族の歴史を描いた小説でしたが、この小説では一人男性の50年におよぶ恋の物語が描かれています。半分の長さとはいっても、50年間一人の女性を愛し、待ち続けたこと自体ひとつの伝説ともいえる偉業です。しかし、この小説には「百年の孤独」におけるラテン・アメリカ文学ならではのあり得ない物語の展開は、ほとんどありません。(実は、ラテン・アメリカ文学ならではの「あり得ない物語展開」というイメージを広めたのが「百年の孤独」だったのですが・・・)
あえて、この小説はリアリズムにこだわり、「偶然」や「呪い」や「奇跡」によるご都合主義的な物語の展開を排除しています。それでもなお、人が50年間誰かを愛し続ければ、何かが起こるかもしれない。(本当は、50年間愛し続けられたことこそが奇跡なのかもしれませんが・・・)それこそが、著者の描きたかったことなのかもしれません
この小説を書いた時、著者は57歳。「初老」となって、性的、肉体的に老いを感じながらも「恋」することを青春時代を変わらずに続けていたからこそ、この小説が生まれたのだと僕は思うのですが・・・こう書いている僕も50歳を越えています。肉体的な老いはそれほど感じていませんが、それでも確実に人生の半分を終えたことを実感しつつあります。まさか自分がこうした恋の物語をしみじみ読める年になったとは・・・。
かつて人生は50年といわれていましたが、今や70年は当たり前の世の中になり、恋愛ドラマにも新しい世代のためのものが求められるようになりつうたるのでしょう。
人に歴史あり、そして愛にも歴史ありなのです。
<あらすじ>
物語の舞台は1860年代から1930年代にかけてのコロンビア。母一人子一人で育てられたフロレンティーノ・アリーサは、引越してきた少女フェルミーナ・ダーサに恋をします。しかし、怪しげな裏家業でのし上がってきた苦労人のダーサの父親は二人の恋愛を認めず、二人を別れさせるためにダーサとともに旅に出ます。旅の途中にも、電信会社に勤めるアリーサはダーサと連絡を取り合いますが、少しずつ彼女の心は変化してゆきました。そして、旅から戻った彼はアリーサと再会するものの、もう彼を愛する気にはなれず、その後、名門家系の医師ウルビーノと結婚してしまいます。アリーサもまた彼女への思いを断ち切ろうと様々な女性と付き合いますが、心の底ではダーサへの愛を貫き続けます。
50年という年月が過ぎたある日、ダーサの夫ウルビーノが突然この世を去ります。そうなることを心の底で望んでいたアリーサは、再びダーサに思いを打ち明けます。しかし、亡き夫への思いを断ち切れない彼女は、アリーサの突然の告白に怒り、彼からの手紙にも答えませんでした。しかし、50年待ち続けたアリーサは、手紙を毎日のように書き続け、あきらめようとしませんでした。その情熱に負け、家への訪問を許したダーサは少しずつ彼の誠実さを認め、週に一度のデートをするようになります。そしてついにアリーサはダーサを自らの経営する船会社が所有する客船に招待します。70歳を過ぎた年老いた二人の恋の行方は?
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