人生は悲し、されど映画は楽し!

「ガープの世界 The World According to Garp」 1982年

- ジョージ・ロイ・ヒル George Roy Hill、ジョン・アーヴィング John Irving -

<我が青春の映画>
 僕にとって、まさに「青春の映画」といえる作品です。最初に一人で見た後、当時好きだった女の子を誘ってもう一度見に行きました。映画は一人で見るものと思っている僕としては、実に珍しいことです。と思ったら、うちの奥さんによると、最初に付き合いだした頃、僕にこの映画のビデオを見せられたのだそうです。よっぽど好きだったんですね。
 人生の荒波に立ち向かうための教訓に満ちているのに、けっして説教臭くないこの作品は、リアリズムとはほど遠い現代の寓話であり、すべての弱き人々へ向けられた応援歌でもあります。
<追記>2015年2月
 NHKEテレの「岩井俊二のムービー・ラボ」ドラマ編でこの映画が取上げられました。人生の一断面を切り取って見せる「スライス・オブ・ライフ」と呼ばれる映画があります。その中でも、短い人生のエピソードをテンポよくつなぎ、目いっぱい押し込んだ素晴らしい人生ドラマがこの作品でした。そうしたタイプの映画としては、この作品は究極ともいえる作品として、それまでなかったものだということでした。「フォレスト・ガンプ」のような作品は、その亜流と言える作品だったわけです。確かに、僕もここまでスピードのある人生ドラマはそれまで見たことはありませんでした。

<ジョン・アーヴィング作品の映画化>
 この映画が素晴らしいのは、ジョン・アーヴィングによる同名小説のおかげなのはいうまでもありません。それを証明するかのように、彼の作品からは他にも素晴らしい映画が生まれています。「ガープの世界」はジョージ・ロイ・ヒルによって映画化されましたが、「ホテル・ニューハンプシャー」はイギリスの巨匠トニー・リチャードソン監督によって1984年に映画化され、高い評価を得ました。(主演は、ジョディー・フォスター、ロブ・ロウ)そして、「サイダー・ハウス・ルール」は、スウェーデンが生んだ巨匠ラッセ・ハルストレム監督によって映画化(1999年)され、マイケル・ケインがアカデミー助演男優賞、原作者でもあるジョン・アービングが脚色賞を受賞しています。いずれも甲乙つけがたい作品です。
 優れた小説は、優れた製作者に選ばれ、優れた脚色者によって脚色され、優れた監督によって映画化される。これは名作が生まれるごく自然な流れなのかもしれません。ただし、ジョン・アービングという作家の小説は、ただ単にそこで描かれているドラマを視覚化すれば良い映画になるというわけではありません。なぜなら彼の小説には、ハリウッド映画の枠には収めきれない「毒」が仕込まれていることを忘れてはいけないのです。そのため、「毒」の取り扱い方に不慣れなハリウッドの監督には映画化は難しいのです。だからこそ、映画化にあたってはハリウッドの枠からはみ出した監督たちにその役目が回ってきたのでしょう。彼の小説がテーマとしているハリウッド映画におけるタブーの数々、「テロ」、「レイプ」、「強姦」、「近親相姦」、「妊娠中絶」、「同性愛」、「宗教」、「政治」、「人種差別」、「不倫」・・・これらの問題について扱ったエピソードの数々を単にリアルに重く描くのではなく、微妙なサジ加減により、可笑しくて哀しくて喜びを感じさせるように描くことができなければジョン・アーヴィングの小説は映画化できないのです。小説と違い視覚化された映画というメディアは、同じ事件を描いても観客に与えるインパクトの度合いがはるかに強いはずであり、その描き方には細心の注意が必要なのです。幸いなことに、ジョン・アーヴィングの作品は優れた監督と出会うことで、良い作品となったようです。ジョン・アービングの小説を映画化したものは他にも「サイモン・バーチ」などあるのですが、僕にとってはやはり最初に出会った「ガープの世界」こそが最高の作品です。

<ジョン・アービング John Irving>
 この映画の原作者、ジョン・アーヴィング John Irving は1942年3月2日ニューハンプシャー州のエクセタで生まれています。早くから作家を志し、同時にレスリングに熱中。レスリングをするためにピッツバーグ大に一年間通った後、ウィーン大に留学。その期間中、彼はオートバイに乗ってヨーロッパを旅した後に帰国。ニューハンプシャー大を卒業後、1986年に処女長編小説「熊を放つ」を発表。その後、再びウィーン大で3年間過ごした後、「水療法の男」(1972年)、「158ポンドの結婚」(1974年)を発表。1978年発表の「ガープの世界」が世界的ベスト・セラーとなり、一躍時代を代表する作家の仲間入りを果たしました。
 上下2冊からなる「ガープの世界」はその長さだけでも2時間という映画の枠に収めるのが困難なボリュームです。ところがこの映画については、実に見事にそれぞれのエピソードが映像化されていて、原作を読んでいてもカットされている部分がほとんど気になりませんでした。
 実際、この映画を監督したジョージ・ロイ・ヒルは、この小説の映画化について膨大な情報をリズム良く短くつなげてゆくことを目指したと語っています。

<ジョージ・ロイ・ヒル>
 この映画の監督、ジョージ・ロイ・ヒルは、1922年12月20日ミネソタ州ミネアポリスに生まれています。イエール大で音楽を学んだ後、アイルランドのダブリンに移住。そこでトリニティ・カレッジを卒業後、現地の劇団に入って活動。その後、アメリカに戻りシェークスピア・カンパニーに入り、オフ・ブロードウェイで活躍。第二次世界大戦中は海兵隊のパイロットとして従軍していたが、朝鮮戦争が始ると再び従軍しています。彼のこうした従軍体験は、その後カート・ヴォネガット原作の「スローターハウス5」(米軍によるドイツのドレスデン爆撃を扱ったタイム・スリップSF映画)映画化の際、大きな影響を与えたと思われます。
 アイルランドでも舞台劇を演出していた彼は、1957年頃からアメリカでテレビやブロードウェイで演出、脚本を担当するようになり、ブロードウェイで演出した「天使よ故郷を見よ」でピュ―リッツァー賞を受賞します。そうなると映画界も彼を放ってはおかず。1962年、ついに彼は映画「調整の時間 Period of Ajustment」で監督デビュー。彼の場合、40歳で監督デビューしたこともあり、初めから彼の作品には大人っぽい洒落たタッチがありました。
 「マリアンの友だち」(1964年)はコメディー・タッチで評価を上げ、「ハワイ」(1965年)、ジュリー・アンドリュース主演のミュージカル「モダン・ミリー」(1966年)は、成功作とはいえませんでしたが、ノスタルジックなタッチをもつ一連の作品群「明日に向かって撃て」(1969年)、「スティング」(1973年)、「華麗なるヒコーキ野郎」(1975年)はどれも大ヒットとなり、「スティング」では、アカデミー作品、監督、脚本、音楽、美術、衣装デザイン、音響賞を受賞しています。
 それ以外にも、「スローターハウス5」(1972年)、「スラップ・ショット」(1977年)「リトル・ロマンス」(1979年)も、どれも素晴らしい作品です。
 ジョージ・ロイ・ヒルは、「ガープの世界」の映画化についてこう言っています。
「この原作を映画化するには、バーナード・ショーの『人は幸福な時に涙を流す、そして絶望しているときに心の底から笑う』という言葉がピッタリだと思った」

<死に向かい生きること>
 ジョン・アーヴィングの原作には、登場人物全員のその後、死に至るまでの人生がエピローグとして書かれています。実は、「ガープの世界」は、ガープとその家族たちがいかにしてこの世を去ったのか?その死に様を描いた作品なのです。
 最も長く生きたガープの娘、ジェニー・ガープの長い人生から、ほとんど人生を歩むことなくこの世を去ったガープの次男ウォルトの短い人生まで、とにかく全員に間違いなく平等に死が訪れること、そのことを表現することが、この小説の目的なのかと思えるほど、アーヴィングは登場人物を色々なパターンで殺してゆきます。その意味で、この作品はドラマチックで多様性に満ちた「死のカタログ」のように思えてきます。この小説、映画を「死」と「強姦」の暴力小説ととらえる人が多かったのも仕方ないのかもしれません。
 しかし、僕にとって、この映画はストーリー・テリングの面白さやキャラクター設定の異常さによってスピード・アップさせられた世界最速の読む人生体験に思えました。この映画のキーワードとなっているジェニー・フィールズの台詞「Life is a Real Adventure」はまさにそのすべてを言い表していると思います。実は、この台詞はジョン・アーヴィングの小説の中にはない映画のみの台詞ですが、その存在がこの映画を悲劇的な結末にも関わらず、明るく前向きなものへと方向付けをするキーワードになっています。
 「人は必ず死ぬ」そのことを理解して初めて人は生きることができる。このある意味単純な真実を、刺激的な事件の積み重ねによって感じさせる小説の巧みな仕掛けを映画版も見事に受け継いでいるのです。
「父親によれば、この世界では、われわれは元気に生きねばならないものであるということをジェニー・ガープは知っていた。かの有名な彼女の祖母、ジェニー・フィールズは、かつて人間を、外傷組、内臓組、自失組、冥土組と分けたことがある。だが、ガープによればこの世界では、われわれはすべて死に至る患者なのであるから」

 思えば、この映画を見て僕は「人の二倍生きること」「作家になること」「眼鏡の似合う素敵な女性と結婚すること」「子供の寝顔をうっとり眺める父親になること」など、数々の目標をもつことになりました。そして、その目標を忘れなかったおかげで、それらの目標の多くを実現することができました。
 たかが映画、たかが小説ですが、自分にとって大切な時期にこの映画、この小説と出会えたことに、今改めて感謝したいと思います。もしかすると、この文章を読んで「ガープの世界」に出会い大きな影響を受けることになる方もいらっしゃるかもしれません。改めて、僕からも「Life is a Real Adventure」「書(ウェブ)を捨てよ、街に出よう!」と言わせていただきます。
 最後にもうひとつ、小説版にある重要な文章を紹介したいと思います。それはジェニー・フィールズとガープの本を出版した編集者ジョン・ウルフと彼の会社の掃除婦兼読者モニターのジルシー・スローパーとの会話から
「するときみは次がどうなるか知りたくて本を読むわけだね?」
「ほかに本を読む理由なんて、ないのとちがうっけ?」

確かにそのとうりです!

「ガープの世界 The World According to Garp」 1982年公開
(監)(製)ジョージ・ロイ・ヒル
(製)ロバート・L・クロフォード
(原)ジョン・アーヴィング(原作は1978年発表)
(脚)スティーブ・テシック
(撮)ミロスラフ・オンドリチェク
(美)ヘンリー・バムステッド
(音)デヴィッド・シャイア
(出)ロビン・ウィリアムズ、メアリー・ベス・ハート、グレン・クローズ、ジョン・リズゴー(怪演!)、ヒューム・クローニン、ジェシカ・タンディ
(特別出演)ジョージ・ロイ・ヒル(墜落した飛行機のパイロット役)、ジョン・アーヴィング(レスリングのレフェリー役)
(追記) メアリー・べス・ハートが僕は大好きでした!彼女は俳優ウィリアム・ハートと結婚していましたが、この年に離婚。翌年には「タクシー・ドライバー」などの脚本家のポール・シュレーダーと結婚しています。なんとシュレーダー監督・脚本の映画「MISAHIMA」の撮影中に日本で出産しているそうです。
<追記>2014年8月
 この作品で出会ったロビン・ウィリアムスが2014年8月11日亡くなられました。(享年63歳)
 「グッドウィル・ハンティング」「レナードの朝」「グッドモーニング・ヴェトナム」・・・彼の出演作にはずれはありませんでした。以前から麻薬の使用など精神的に弱くて繊細な人物であることは知られていたので、自殺という結果は驚きではありませんでした。でも彼ほど周囲から愛されていた俳優も少なかったはずです。自殺という結末を止めることができなかったことが残念です。やはり彼は孤独な人間だったのでしょうか。優しくて繊細なるがゆえに生まれた素晴らしい演技は、ロバート・デニーロのそれとはまた異なるものでした。
 彼もまた空へと旅立って行きました。ご冥福をお祈りいたします。

<あらすじ>
 仕事に生きたいが子供は欲しいと考えていた看護師のジェニー・フィールズ(グレン・クローズ)は、頭部に致命傷を受けた兵士、ガープ軍曹と性交渉を行い男の子を出産します。こうして誕生したT・S・ガープ(ロビン・ウィリアムス)は作家を目指す青年となりますが、意外なことに彼の母ジェニーが彼より先に作家デビューを果たします。彼女の処女作であり、唯一の作品となった自叙伝「性の容疑者」はフェミニズムのバイブルとして大ベスト・セラーとなったのです。
 ガープもまた小説「遅延」によって作家デビューを果たすものの「あのジェニー・フィールズの息子」という七光り的な売られ方に不満を感じざるをえませんでした。彼が作家としての今後に悩む中、彼の本の愛読者でもある妻ヘレン(メアリー・ベス・ハート)との間に二人の息子が誕生。マイ・ホーム・パパとして子供たちを愛するガープでしたが、そんな中でも夫婦はともに不倫に走ってしまいます。
 ヘレンが教え子の学生と付き合っていることを知ったガープは、ある晩彼女に今すぐ別れると不倫相手に電話するように言い残して子供と映画に出かけます。しかし、映画館から戻ってきた彼は、自宅前で悲劇的な事故を起こし次男を失ってしまいます。
 悲劇を背負うことになったガープ一家は、心に傷をもった人々の隠れ家となっていた母親の家でリハビリ生活を送ることになります。しかし、そこに住んでいたエレン・ジェイムズ党のメンバーと彼は常に対立しており、それが後に再び悲劇を起こすことにもなります。(エレン・ジェイムズ党とは、強姦された際、犯人に舌を切り取られてしまった悲劇の少女、エレン・ジェイムズという女の子に共感し自らも舌を切り落とした特殊な女性集団のこと)しかし、悲劇はそれだけではありませんでした。彼に訪れるその前に彼の身内に悲劇が訪れようとしていたのです。次々と訪れる悲劇に翻弄されるガープ家の人々の運命は?

ガープ「ここのパパもいなくなった」
ジェニー「人は皆 いつか死ぬのよ ママの両親も お前のパパも死んだわ いつか私もお前も死ぬのよ 死ぬ前にしっかり人生を生きるのよ 生きていくって すてきな冒険よ」

<この年の映画>
「ET」が史上最高興行収入
「トロン」が史上初のCG映画(一部)として公開

「愛と青春の旅だちA Officer and a Gentlemen」(監)テイラー・ハックフォード(音)ジャック・ニッチェ、バフィー・セント・メリー アカデミー歌曲賞
ジョー・コッカージェニファー・ウォーンズで大ヒット)(ルーゴセット・ジュニアがアカデミー助演男優賞)
「アナザウェイ」(監)(脚)カーロイ・マック(ヤドヴィガ・ヤンコフスカ=チェースラックがカンヌ映画祭主演女優賞受賞)
「ET」(監)スティーブン・スピルバーグ(出)ディー・ウォーレス、ヘンリー・トーマス(音)John Williams アカデミー作曲賞(スピルバーグのファンタジーSFの代表作)
ガンジーGandhi」(監)リチャード・アッテンボロー(音)ラヴィ・シャンカール、ジョージ・フェントン
(デヴィッド・リーンを思わせる超大作、アカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞ベン・キングスレー)
危険な年The Year of Living Dangerously」(監)ピーター・ウィアー(音)Maurice Jarre
(P.ウェアーの出世作、インドネシアが舞台リンダ・ハントが1983年アカデミー助演女優賞
「ことの次第」(監)ヴィム・ベンダース(出)イザベル・ヴェンガルテン(ヴェネチア映画祭金獅子賞
サン・ロレンツォの夜(監)(脚)タヴィアーニ兄弟(出)ロメロ・アントヌッティ、マルガリータ・ロサーノ(カンヌ映画祭グランプリ受賞)
「少林寺」(監)チャン・シン・イェン(脚)シー・ホウ、ルー・シャウ・チャン(出)リー・リンチェイ、フー・チェンチャン、ティン・ナン
「ソフィーの選択 Sophie's Choice」(監)アラン・J・パクラ(音)Marvin Hamlisch(大人の恋と人生の物語、メリル・ストリープがアカデミー主演女優賞
「デスト・ラップ/死の罠 Death Trap」(監)シドニー・ルメット(原)アイラ・レヴィン(出)マイケル・ケイン、クリストファー・リーヴ、ダイアン・キャノン
「トッツィーTootsie」(監)シドニー・ポラック(脚)ラリー・ゲルバート(音)Dave Grusin(ダスティン・ホフマンの女装もの、ジェシカ・ラングがアカデミー助演女優賞
「トロン」(監)スティーブン・リズバーガー(世界初のCG採用の長編映画)
「ビデオドローム」(監)(脚)デヴィッド・クローネンバーグ(特メイク)リック・バイカー(出)ジェームス・ウッズ
「ファニーとアレクサンデル」(監)(脚)イングマル・ベルイマン(撮)スヴェン・ニクヴェスト(出)グン・ヴォールグレーン、エヴァ・フレーリング
「ビクター/ビクトリアVictor/Victoria」(監)ブレイク・エドワーズ(音)Henry Mancini  アカデミー編曲賞
「評決 The Verdict」(監)シドニー・ルメット(脚)デヴィッド・マメット(原)バリー・リード(出)ポール・ニューマン、シャーロット・ランプリング
ヒューマン・ハイウェイ(監)(出)ニール・ヤング、ディーン・ストックウェル(出)デニス・ホッパー、ラス・タンブリン
「Pink Floyd-The Wall」(監)アラン・パーカー(脚)ロジャー・ウォーターズ(ピンク・フロイドのアルバム「ザ・ウォール」を名匠が映画化)
「フィツカラルド」(監)(脚)ヴェルナー・ヘルツォーク(撮)トーマス・マウホ(主)クラウス・キンスキー(カンヌ映画祭監督賞受賞)
ブレード・ランナー Blade Runner」(監)リドリー・スコット(SF映画の流れを変えた歴史的傑作)
「ミッシング」(監)コスタ・ガブラスカンヌ映画祭パルムドール受賞、ジャック・レモンも同映画祭主演男優賞受賞、チリでのクーデターの裏側の真実に迫った社会派ドラマサスペンスとしも素晴らしい傑作!)
「遊星からの物体X」(監)ジョン・カーペンター(原)ジョン・W・キャンベル・Jr(脚)ビル・ランカスター(撮)ディーン・カンディ(出)カート・ラッセル、A・ウォルフォード・ブリムリー
Yol」(監)ユルマズ・ギュネイ(映画史に残る傑作、トルコ版ロードムービー、カンヌ映画祭パルムドール、国際批評家連盟賞受賞)
「Let's Spend The Night Together」(監)ハル・アシュビー(ローリング・ストーンズのライブ映像、エンターテイメントを見事にとらえた作品)
「ワン・フロム・ザ・ハートOne from the Heart」(監)フランシス・F・コッポラ(音)トム・ウェイツ (コッポラ監督のミュージカル)

「怪異談 生きている小平次」(監)中川信夫(製)磯田啓二、佐々木史朗(原)鈴木泉三郎(出)藤間文彦、宮下順子
蒲田行進曲(監)深作欣二(原)(脚)つかこうへい(製)角川春樹(出)風間杜夫、松坂慶子、平田満
「鬼龍院花子の生涯」(監)五社英雄(原)宮尾登美子(脚)高田宏治(出)仲代達矢、夏目雅子、岩下志麻(マニラ映画祭主演男優賞
「疑惑」(監)(製)野村芳太郎(原)(脚)松本清張(撮)川又昴(出)岩下志麻、桃井かおり、柄本明
「さらば愛しき大地」(監)(製)(脚)柳町光男(製)池田哲也、池田道彦(出)根津甚八、秋吉久美子、山口美也子
「TATOO[刺青]あり」(監)高橋伴明(製)佐々木史朗(脚)西岡琢也(音)宇崎竜童(出)宇崎竜童、関根恵子
「転校生」(監)大林宣彦(製)佐々木史朗(原)山中恒(脚)剣持宣(撮)阪本善尚(音)林昌平(出)小林聡美、尾見としのり
「遠野物語」(監)(製)村野鐡太郎(原)柳田國男(脚)高山由紀子(撮)吉岡康弘(出)原陽子、隆大介、仲代達也(サレルノ国際映画祭グランプリ
「日本国 古屋敷村」(監)小川紳介(製)伏屋博雄(撮)田村正毅(音)関一郎)(ドキュメンタリー映画)(ベルリン映画祭国際批評家賞
「未完の対局」(監)佐藤純弥、段吉順(脚)神波忠男ほか(出)三国連太郎、松坂慶子(モスクワ映画祭グランプリ
「水のないプール」(監)(製)若松孝二(脚)内田栄一(撮)袴一喜(音)大野克夫(出)内田裕也、中村れい子、MIE
「誘拐報道」(監)伊藤俊也(原)読売新聞大阪支社社会部(脚)松田寛夫(出)萩原健一、小柳ルミ子、秋吉久美子、伊藤四朗(モントリオール映画祭審査員特別賞

第5回中国映画祭が日本で開催 中国映画の評価が高まる

イングリッド・バーグマン(俳優)死去(67歳)
グレース・ケリー(俳優)死去(52歳)
ヘンリー・フォンダ(俳優)死去(77歳)
ビック・モロー(俳優)撮影中の事故死(50歳)

江利チエミ(歌手、俳優)死去(45歳)
衣笠貞之助(監督)死去(86歳)
岸田森(俳優)死去(43歳)
佐分利信(俳優)死去(73歳)
志村喬(俳優)死去(76歳)

<この年の出来事>

国連海洋法会議、海洋法条約採択
国連環境特別会議、ナイロビ宣言採択
国際捕鯨委員会総会、全面捕鯨禁止を可決
アメリカ、西ドイツなどで、反核運動が本格化する
第8回主要先進国首脳会議(ヴェルサイユ・サミット)開催
<アメリカ>
米ソ戦略兵器削減交渉(SALT)開始
<ヨーロッパ>

英国、アルゼンチン間で、フォークランド紛争勃発
ソビエト連邦、ブレジネフ書記長死去
<アフリカ・中東>
イスラエル軍、西ベイルートに突入
PLOメンバー15000人アラブ各国へ撤退
<アジア>
カンボジア3派の連合政府成立
<日本>
中曽根内閣成立
東北、上越新幹線開通
教科書の歴史記述について中国、韓国から批判
ホテル・ニュージャパン火災
日航機が東京湾に墜落

<芸術、文化、商品関連>
「シンドラーズ・リスト」トマス・キニーリー著(ブッカー賞受賞)
「金持ちになったウサギ」ジョン・アップダイク著(全米図書賞)(ピューリツァー賞受賞)
ガルシア・マルケス、「百年の孤独」でノーベル文学賞受賞
近未来SF映画の傑作「ブレード・ランナー」(原作はP.K.ディック)公開
村上春樹、代表作のひとつ「羊をめぐる冒険」発表
<音楽関連(海外)>
イーグルスドゥービー・ブラザース解散
カリフォルニアのローズ・ボールで反核コンサート開催
ザ・ジャム解散、ポール・ウェラーはスタイル・カウンシル結成へ
アーラープの登場でバングラ・ビートの時代が始まる
テレサ・テンの「何日君再来」のヒットに対し、中国が批判
<音楽関連(国内)>
オフ・コース、アリス、ツイストが相次いで解散。「ニューミュージック」はすでに「ニュー」ではなくなっていた。(ニューミュージック時代の終焉)歌謡曲の世界にもニューミュージック系のミュージシャンが作詞、作曲などで関わるようになっていました。(松田聖子の「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」「小麦色のマーメイド」は呉多軽穂(ユーミン)、「風立ちぬ」は大滝詠一、「野バラのエチュード」「白いパラソル」は財津和夫、それぞれの作品)
デジタル・オーディオ・ディスク(CD)発売開始(日本が世界初)
サンプリング・キーボード、「イーミュレーター」発売 
<この年の音楽についてはここから!>

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