科学思想史の歴史的名著 

「科学思想の歴史 ガリレオからアインシュタインまで」
The Edge of Objectivity

- チャールズ・C・ギリスピー Chrles Coulston Gillispie -
<歴史的名著>
 この本を買ったのは神田神保町の古本屋街。当時、僕は科学雑誌の編集社に就職しようかと迷いながら、科学史の勉強をし始めていました。大学の授業ではなかったので、自学自習でやろうと思っていました。そんな中、この本を見つけて購入しました。(当時、この本は絶版になっていたと思います)
 「科学史」というジャンルは、この本が書かれた1960年当時、まだ学問として誕生したばかりで、この本はその最初の決定版として今でも名著と呼ばれ、復刻出版されています。タイトルは、「客観性の刃 科学思想の歴史(新版)」となり、改訂版として2011年に復刻しています。
 科学をある程度勉強している人でないと、少々難しい内容かもしれませんが、現在、科学関係の学校に通っている人なら十分読みこなせると思います。「科学」と「歴史」が好きな人にはお薦めの作品です。具体的な内容は、ガリレオから始まる近代科学の歴史の重要な革命をとりあげながら、その歴史と関わった人物を紹介しつつ、アインシュタインまでの進化の歴史を紹介するものです。
 現代の科学が、どんな歴史の後に現在の体系へ至ったのか?その進化の歴史を知ることで、「科学」という学問がまた違った見え方になるはずです。名著と呼ばれるだけに文章も素晴らしく、単なる歴史本だけではない文学の香りすら漂ってくるはずです。ここではそんな素晴らしい文章の中から、特に僕が気に入ったものをご紹介させていただきます。
<チャールズ・C・ギリスピー>
 チャールズ・C・ギリスピー Chrles Coulston Gillispie は、1918年8月6日アメリカ東部ペンシルバニア州のハリスバーグに生まれています。

<現代科学はギリシャ哲学の延長上にある>
 われわれ自身の世界では、科学はギリシャにおいてそうであった通りのあり方をしている。つまり意識と自然との間に介在する概念的思考である。いやそれ以上の何かでもある。
・・・・・
 ギリシャ科学はほとんど実験を知らなかったし、好奇心をこえてそれに働きかけるということは考えなかった。これに反して近代科学は非個性的であり、客観的である。・・・
・・・ルネサンスにおける近代科学の創造は、ギリシャ科学の再生でもあれば同時にまたその限界の突破でもあった。

<プラトンとアリストテレス>
 アリストテレスとちがってプラトンは科学をつくらなかった。ただかれは(科学に関して)人を鼓舞した。 - おそらくはアルキメデスを、そしてはるかに後世ではガリレオその人を。

<ギリシャ人にとっての宇宙とは?>
 自然の統一原理を探求するソクラテス前哲学者たちの研究では、ピュタゴラス学派の人々は、自然は数より成り数は実際に線・三角形・四角形・立方体、円からできていたのである。ちょうどそれは十九世紀の物理学者が世界は92種類の元素からできていると考えたようなものである。

「自然は自由である。尊大な人々によって統治をうけはしないし、神々の助ける宇宙を運行させる」
ルクレティウス

<レオナルド・ダ・ヴィンチは技術屋にすぎない>
 ・・・レオナルドの研究は、自然において幾何学的形状をみとめる精神の表現にはちがいない。しかしレオナルドの幾何学は分かりきったものであって、抽象的なものではなかった。
 レオナルドの精神は設計図と同じものであり、それと寸分たがわぬ機械装置をつくりあげることを目的としているエンジニアのそれであった。

<ルネサンスの科学>
 ルネサンスの科学はそのギリシャの原型のように、主として文化と哲学とからみちびかれていた。十七世紀以来その優位は逆転した。今日では文化や哲学は - とくに哲学は - 主として科学からみちびかれている。この思想はデカルト哲学以来変転した。

<ガリレオについて>
 しかし、ガリレオだけが何度もやりかけては失敗したのちにやっと数学上のテクニックと哲学的な主張の充満するこの腐った鍋から、物理学の基礎となるものを選び出す自然に対する判断力や直観や感覚を発展させたのである。

 物体における第一性質と第二性質とを区別したことが、ガリレオび生涯の業績の縮図である。かれは第一性質を、数量的記述において、本質的なものとして定義した。 - すなわち長さ・広さ・重さ・形がそれである。第二性質 - 色・味・臭・感触 - は、物に属する本質というよりも、むしろわれわれの知覚様式である。その相違は主観と客観である。

 ガリレオの落体の法則で革命的なものは何であったかを、人は確信をもっていうことができる。それはかれが時間を純粋な物理現象の抽象的なパラメーターとして扱ったことであった。そのためかれはギリシャ人のできなかったこと、すなわち運動を数量化することができた。・・・

 ガリレオが力学だけに活動を制限していたならば、人間の創造的活動の歴史における偉大な悲劇的人物の一人となるようなことにならなかったであろう。だがかれは単なる専門家ではなく、冷い数学者でもなかった。ガリレオは人文主義者であり、魅力と文学的優雅をそなえた人であった。かれは文明の恩恵にも遺憾なく浴していた。かれはいみじくもいった。葡萄酒は光と湿気の結びついたものであると。・・・
「自然の書物は数字でしるされる」と、彼は『黄金計量者』で宣言した。

<ベーコンは実験科学の元祖>
 ベーコンの実験の強調が、科学のスタイルを形成したことのほうが大事である。それは非常に力強く影響したので、<実験科学>と<近代科学>とは実際には同義語となった。また実験の役割ほど十七世紀後期の科学を、ルネサンスの科学やギリシャの科学と明瞭に異なるものにしているものはない。

<デカルトの業績>
(1)デカルト幾何学とは空間的諸関係にあてはめた代数学である。・・・代数学と幾何学との統合は、便宜以上にはるかに大きな意義のあるものであった。
(2)無限はデカルトにとっては恐怖ではなかった。デカルトの方が勇敢であったというより、むしろ無関心であったのだ。自らの思考が明晰で単純でさえあれば、人を無限の宇宙に放り出すことに良心のとがめは感じなかった。結局ガリレオは地球のことが気にかかっていたのだ。
(3)デカルトは慣性の原理を二つの前提から導きだした。すなわち直線の均質性と神の不変性とから。世界の運動は、一定量であるということに、それは表現されている。・・・
 この慣性の概念はまったく抽象的なものであるから、物理現象よりも自らの思考のほうに大きな確信をもつことのできるものだけが、定式化できたのであろう。

<ニュートン作「プリンキピア」の衝撃>
 「プリンキピア」は手に負えぬ書物である。これと比較されるほどの影響をあたえた著述で、これほど読まれなかった書物があったであろうか。ニュートンの達成の意味するところを汲みとり、古典物理学の位置を想定するためには、科学者仲間でも四十年の議論が必要だった。その後は「プリンキピア}は読む必要も感じられなかった。それが存在するというだけで十分であった。

<科学はまだ実用のためではなかった>
 明らかに十八世紀では理論科学が産業に提供するものはほとんどなかった。適用されたものは科学的方法であった。

<ラボアジェについて>
 オッカムの刃をふるって、ラボアジェはフロギストンを化学の核心から、その意識から切り取った。そして化学革命は、ラボアジェの燃焼概念を、あらゆる化学反応に拡張したところにあった。
 この行為が化学を、一個の近代科学となしたのである。

「私は自分の思想が一度に採用されるようになるとは期待していない。人間の精神は、ある一定の物の見方をするように折目がついてしまうものである。生涯の大半をある見地から観察したものは、新しい思想に達するのは、非常に困難である。したがって私が発表した見解を、確信するも破壊するも時の経過による。・・・」
ラボアジェ

<アインシュタインのジレンマ>
 アインシュタインがどこかでのべているが、科学の概念が単純化され、ますます美しくなるにつれて、それを表現する数字はそれに対応して、ますます難解なものになっている。

「物理学とは、実在が観察されるのとは別個に、思索によって実在を概念的に把握する試みである」
アインシュタイン自叙伝より

「科学思想の歴史 ガリレオからアインシュタインまで」 1960年
The Edge of Objectivity
新装版「客観性の刃 科学思想の歴史」(2011年)
(著)チャールズ・C・ギリスピー Chrles Coulston Gillispie
(訳)島尾永康
みすず書房

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