天国への最後の日々と別れの言葉


「神々と男たち Des Hommes et de dieux」

- グザヴィエ・ボーヴォワ Xavier Beauvois -


<カンヌ国際映画祭グランプリですが>
 カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、フランス版アカデミー賞のセザール賞では「作品」「撮影」「助演男優(マイケル・ロンズデール)」を受賞。フランス国内では300万人の観客を動員した大ヒット作でもありましたが、日本ではほとんど知られていません。それは映画の内容が、カトリックの修道士がイスラムのテロリストによって誘拐され、殺害された重い実話だからでしょう。そうでなくとも、イスラム教、キリスト教、そしてテロに関して、理解も関心も薄い日本では、興行的に厳しすぎる内容だと思います。
 たぶん多くの人が、この映画のあらすじを聞いただけで、こう考えたのではないでしょうか?

 わざわざイスラム教の国(アルジェリア)に修道院を建て、イスラム教住人に囲まれた中で、修道士として活動する意味はあるのか?
 テロの動きが明らかになった時点、本国フランス政府から退避命令が出たのになぜ逃げなかったのか?
 逃げずに誘拐されるのは、周囲に迷惑をかけるだけの最悪の選択だったのではないか?
 そこまで修道士の仕事にこだわることは、イスラム教テロリストたちとその狂信性に差はないのではないか?

 正直、僕もそんなことを考えていました。(事件が起きた1996年当時)
 しかし、この映画を観て考え方がかなり変わり、多くのことを考えさせられました。
 たとえ、あなたが宗教に興味がなくても、「生きる」ことに何の悩みがなくても、この映画には心を打たれると思います。

<「天国の日々」の終わり>
 この映画は途中、多少眠くなる場面もあるかもしれません。特に前半部で描かれる修道院の日常生活は、のどかで平和で静かでテロ事件とは程遠い暮らしです。修道院とその周囲の風景もまた美しく、天国に近い場所に見えます。しかし、そんな平安に満ちた暮らしを生み出しているのは、彼ら修道士たちの活動によるものでもあります。
 イスラム教徒である住民たちにとって異端者である彼ら修道士たちが、その村に溶け込み、そこで必要とされているのかが、この映画にとって、最も重要な前提条件だということが後でわかるはずです。
 修道院は村人たちの心の拠り所であり、医療拠点として不可欠な存在であり、はちみつ生産など経済・農業の仲間として重要な存在でした。彼らを中心に維持されていたその村は、まるで「風の谷」のような場所だったといえます。だからこそ、もし彼らが村を去ることになれば、そこはまったく別の村になってしまうことは明らかだったのです。
 もちろん、それぞれの修道士には他にも戻りたくない理由もありました。
「帰るべき場所がない」とか「純粋に神に命を捧げているから」とか・・・一致したのは「ここで村を去れば、一生後悔する」という思いでした。
 協議の結果、全員一致で村に残ることを決めた後、彼らにとっての「最後の晩餐」となった夕食会での修道士たちの表情が忘れられません。覚悟したかのような真剣な笑顔、すべてを神に委ねた優しい笑顔、それぞれの神々しいまでの笑顔に感動させられました。
 この時、実際に彼らが聞いていたらしいチャイコフスキーの「白鳥の湖」のなんと美しいことか?この映画は「天国の日々」の終わりを描いた作品でもあります。

<ティビリヌ修道士殺害事件>
 この映画で描かれた事件は、アルジェリア内戦中の1996年、首都アルジェの南にある山岳地帯にあるティビリヌ修道院の修道士7名が人質として誘拐され、2か月後の5月21日に武装イスラム集団が殺害したことを発表。その後、遺体の一部(頭部)が発見されたことで悲劇的な終わりを迎えました。
 修道院がある場所は、北アフリカにあるアトラス山脈に近い山間の村で、冬には雪も降る地域です。四季があるので、農地としてオレンジやバラなどが育ち、アルジェリアの中でも比較的住みやすい土地といえます。事件が起きたのは、クリスマスの直後、12月26日から27日の夜中です。誘拐後、テロリスト・グループからは、人質を解放する代わりに逮捕されている仲間の解放を求めるという連絡があったとも言われますが、その交渉の詳細は明らかにされていません。
 幸い誘拐事件の際、修道士の中で2名が逃げることに成功したため、この事件発生までの詳細はわかっているようですが、そこから先はまさに「神のみぞ知る」です。

<不明な真実>
 ネット上には、事件に関し様々な説が書かれています。実はアルジェリアの軍隊がヘリコプターでテロリストを攻撃した際、誤って修道士たちも殺してしまったとか、誘拐自体にアルジェリア軍が関与していたらしいなど。修道士たちの遺体が頭部しか発見されていないのは、遺体を見られると困る理由があったからとも言われています。(銃創があるから?)
 テロリスト・グループは、殺害の発表時、7名の喉を切って殺害したと発表しており、首を切断したとは発表していませんでした。
 この映画は、詳細まで事実に基づいて描かれているようですが、誘拐後についての詳細や殺害についてはほとんど描いていません。と言っても、そこから先の不明な部分は、この映画にとってそれほど重要ではないと僕は思います。
 9人の修道士たちが「最後の晩餐」で笑顔で語り合う瞬間、そこにはこの映画が最も描きたかった「平安」「天国」「至福」「友情」「信頼」「愛」などがそろっています。それは一瞬の輝きですが、「永遠」の輝きを発しています。この瞬間さえあれば、ここから先の命は彼らにとってオマケのようなものなのだった。そう思いたいのです。

<最後の言葉>
 この映画の最後に、この映画の監督であり、脚本、台詞も書いたグザヴィエ・ボーヴォワによる主人公クリスチャンによる言葉が加えられています。それはもちろん彼の想像なのでしょうが、実に感動的で素晴らしかったので、書き出してみました。それはまさに「声に出して読みたくなる」言葉です。
 世界中で起きているテロ事件に向けて、主人公のこの祈りの言葉が届くことを祈ります。

 いつの日か 今日かもしれないが
 私が外国人を狙うテロの犠牲になる日が来たら記憶に留めてほしい
 私の共同体 教会 家族に
 私の命は神とこの国に与えられたことを
 すべての命の師キリストもこの残酷な死を体験された
 そしてその死は無関心のまま忘れ去られた -
 多くの暴力的な死と同じだ
 私は十分に生きて知っている
 悪の共犯者たちが - 世界で優勢に立ち私を襲うだろうことを
 そのような死は望まない
 私の愛する人たちが私を殺した者として告発されることを喜ばない
 私はこの国の人に注がれる軽蔑を知っている
 イスラム教が一部の信徒により損なわれている事も
 アルジェリアとイスラム教は私にとって -
 むしろ肉体と魂だ
 私の素朴な理想主義者と呼ぶ人々に言おう
 私は切実な好奇心からついに解放されるのだと
 神がお望みなら -
 私の視線を父に重ね
 父のイスラムの子らを父と共に見詰められる
 全ての生に対し”ありがとう”と言おう
 あなたがたへ
 昨日と今日の友へ
 最後の瞬間の友である君へ
 何の自覚もない君へ
 ”ありがとう”の言葉を君に捧げたい
 そして”さようなら”と君に言いたい
 願わくば君と再会できますよう
 天国で幸せな盗賊として
 私たち二人の父である神がお望みなら
 アーメン
 インシャラ―


「神々と男たち Des Hommes et de dieux」 2010年
(監)(脚)(台)グザヴィエ・ボーヴォワ Xavier Beauvois
(製)(脚)エチエンヌ・コマール
(製)パスカル・コシュトゥ
(撮)カロリーヌ・シャンプティエ
(出)ランベール・ウィルソン(クリスチャン)、マイケル・ロンズデール(リュック)、オリヴィエ・ラブルダン(クリストフ)、ジャック・エルラン(アメデ)、フィリップ・ロダンバッシェ(セレスタン)

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