- ポール・ゴーギャン Paul Gauguin -

<20世紀を前に>
 19世紀の終わり、1897年に描かれたポール・ゴーギャンの大作「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処に行くのか」は、20世紀を前に人類のもつ根源的な疑問をいち早く提示した問題作です。彼がわずかながら覗き込んだ20世紀に、人類はその疑問に対する答えを見つけ出そうと物理学、哲学、芸術、歴史学など様々な分野の研究を行い、次々と新しい発見を積み重ねてゆくことになります。
 しかし、そうした研究によって得られた発見が人類を幸福に導いてくれたのでしょうか?
 かつて動物たちにとって楽園だったはずの地球は、20世紀というわずか100年の間に取り返しがつかないほど汚染されてしまいました。ゴーギャンの悲劇的な人生について知ると、彼は人類に先駆けて悲劇への道を歩んでしまったのではないか?そんな気がしてなりません。

<20世紀の始まりに>
「この大作は、仕上げる点では、はなはだ不完全である。準備も研究もなしに、一月でやってのけた。実は、私は死にたいと思っていたのだ。絶望の状態にあって、一気呵成に仕上げて、大急ぎで署名した。それから、かなりの量の砒素をのんだ。きっと分量が過ぎたに違いない。ひどく苦しんだが、死は来なかった」

 この文章をゴーギャン自身が書いたのは、1898年のことですが、それから5年後の1903年5月8日、彼は誰にも知られることなくこの世を去ってしまいました。(享年54歳でした)彼の家を訪れた人によって死体は発見されますが、それが自殺だったのか病死だったのかは不明のままです。ただし、彼が死を望んでいたことは確かなようです。
 妻子も仕事も故郷も捨てた彼にとって、その結末はある意味必然的な最後だったのかもしれません。しかし、文明を逃れ、ヨーロッパから遥かに離れた地上の楽園に移住し、画家として理想の環境を選んだとも思われがちなゴーギャンという画家についてのイメージからはかなりかけはなれているといえます。なぜそうなってしまったのでしょう?
 第一に、タヒチは彼が夢見たような原始生活が残る地上の楽園ではありませんでした。彼が島に住み着く前から、そこにはヨーロッパの船が商人や宣教師を運んでいて、そこはすでにヨーロッパナイズされつつありました。
 第二に、彼はタヒチの原住民たちを愛していたわけではなく、彼らとの生活を楽しんでいたわけでもありませんでした。
 第三に、異常なまでの自信家だった彼は、必ず自分は画家として成功し、別れた妻と子供を呼び寄せることも可能になると信じていましたが、実際には生活にも困るほどの貧しい生活が続いていました。盟友ゴッホの作品同様、彼の作品は本国フランスでほとんど評価されていませんでした。

<フランスを離れて>
 1902年、彼は数少ない友人のひとりダニエル・ド・モンクレーに手紙を書き、病気の治療と画商とのいざこざを片付けるために一度パリに帰ろうかと思っていると伝えています。しかし、その手紙に対し、モンクレーは帰国は止めた方がいいと返事を書いています。

「君が、オセアニアの果てから、投げつけてくるものは、誰にも真似の出来ぬ、見るものを狼狽させる作品だ。偉人の、平たくいえば世間の眼からは隠れた人間の断乎たる作品だ。君は戦えないから、戦いなぞ考えてもみない。君のいる処は、あんまり遠すぎる。君は還って来てはいけない。奴等が甘そうに噛んでいる骨を取り上げる事はない・・・・・。君は、何もかも免除された偉大なる死人の生を楽しむがいいのだ・・・。君は芸術史の中にもう入ってしまったんだ」

 モンクレーは、ゴーギャンの作品の価値を理解していたからこそ、彼がパリに戻って傷つくのが見るに忍びなかった、とうことなのでしょうか?
 確かに彼はパリを離れタヒチに渡った時点で「伝説の画家」になってしまったのであり、それが再びパリに生きて現れることは「伝説」の価値を下げるだけだったともいえるでしょう。結局ゴーギャンはその後もパリに戻ることなく、この手紙のやり取りの翌年にこの世を去ることになります。

<生い立ち>
 ポール・ゴーギャン Paul Gauguin は、1848年6月7日にパリに生まれました。彼の父親は共和派のジャーナリストだったため、革命後、政府からの弾圧を逃れて南米ペルーの首都リマへと移住しました。しかし、彼が1歳の時、父親がこの世を去ってしまい、家族は1855年フランスに帰国します。子供の頃から放浪癖があったのか、彼は9歳の時に早くも家出をし、行方不明になったことがあるそうです。その後、彼はオルレアンの神学校に通い始めますが、結局牧師になることはなく、17歳の頃、航海士として船に乗り、南米やインドを旅しました。その後、1868年から3年間、彼は志願兵として海軍に入隊し船に乗りました。
 除隊後、彼はパリに戻ると証券会社に就職。サラリーマンとなり、ポーランド人の女性を結婚し、5人の子供をもうけます。まだ当時、彼は絵を本格的には描き出してはいませんでしたが、1880年代に入ると趣味で始めていた絵画にはまり、本格的に画家として活動するようになります。
 仕事を捨て、家族も捨ててしまった彼の画家としての生き方は、ある意味芸術家の典型的なものともいえます。自信家で我がままで、家族をかえりみない最悪の夫。彼について友人のストリンドベルグはこう人物評価をしていました。

「彼は何者か。このゴーギャンは、すすり泣く文化を嫌悪する未開人であり、造物主をねたんで、暇をみては、自らの小さな創造を行う一種の巨人であり、玩具をばらばらに分解し、別の玩具を作ったり、破り捨てたり、反抗したり、人並みに空を青いと見るよりも、寧ろ赤いと見たがる子供である」

 やれやれ、散々な評価です。そんな彼が精神的危機にあったゴッホとの共同生活を始めることになります。

<ゴッホとの共同生活>
 1888年10月、すでにサラリーマンを辞め、画家として活動するようになっていた彼は、南フランスに住んでいたゴッホとの共同生活を始めます。それは、ゴッホの弟テオからのすすめででした。ゴッホの精神状態を心配していたテオは、二人で生活することでお互いが助け合い良い効果がでるのではと考えたようです。
 しかし、あまりに個性が強い二人の共同生活は2ヶ月で破綻。ゴーギャンはゴッホのもとを去りますが、その時、彼はゴッホに殺されかけたとも言われています。もちろん、ゴッホにゴーギャンを殺すことなどできるわけはなく、その反動か、彼は自らの耳を切り落としてしまい、自ら進んで精神病院に入院することになります。(ただし、この時、ゴッホの耳を切り落としたのは、実はゴーギャンだったという説もあります。・・・)
 事件の後、ゴーギャンは苦しい時には、自分よりずっと不幸なゴッホのことを思えば耐えられると語っていたといいます。自信家でゴッホという弱き魂の持ち主を知っていた彼は、芸術のために精神を崩壊させるのではなく、自らの生活を崩壊させる道を選択したといえます。自分ならそうした苦しみにも耐えられると思ったのかもしれません。しかし、彼はその苦しみに結局はとらえられることになります。そのために、楽園であるはずの南の島々も、彼にとっては地獄にすら思えることになるのです。

<メルヴィルとゴーギャン>
 船乗りから証券マンへ、そして画家へ、その転進ぶりは、「白鯨」の著者ハーマン・メルヴィルを思い出させます。メルヴィルは、家が貧しかったこともあり、陸では小学校の教師として働き、自由を求めて、船乗りになるという生活を繰り返した後、作家となったことで知られています。
 船乗りとなった彼は、南太平洋のマルケサス諸島にあるヌクヒバ島でタイピー族とともに生活し、帰国後、その時の経験を本にまとめて発表し、作家としてデビューすることになります。それは1842年のことで、ヌクヒバ島はまだ文明とは縁遠い土地でした。
 そしてそれから60年が過ぎ、1901年ゴーギャンがその島に住むことになります。彼は文明化されすぎたタヒチ島に嫌気がさし、原始の香りが残るその土地に家を移したのでした。ただし、その島もまたすでにフランスの植民地となっていて、彼はその土地で住民紛争に巻き込まれることになります。かつてその島を楽園の島として描いたメルヴィルの処女作「タイピー」と、ゴーギャンがたどり着いた島はもうそこにはなかったのです。
 ゴーギャンは、実は20世紀に入る前から、はるか文明を離れていながら、植民地紛争、南北問題、そして環境保護の問題に直面していたともいえそうです。
ゴーギャンの最後の日々については「楽園への道」

<「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処に行くのか」>
 彼が、その人生の最後に描いた作品「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処に行くのか」。そこに彼は何を描きこんだのでしょう?
 人類とは単なる日常の積み重ねを続ける生物の一種であり、そこに意味など存在しない。
 人類には変化など必要ではなく、そのために悩む必要もまたない。
 そう言いたかったのでしょうか?
 20世紀に人類は物凄い勢いで文明を発展させることになります。そして、その変化のスピードに人間の心は追いつけなくなります。ゴッホはそんな心の崩壊の先駆けだったのかもしれません。そして、ゴーギャンはそんなゴッホの姿を見て、文明を捨てる覚悟をしたのかもしれません。彼は20世紀の到来自体を逃れようとしたのかもしれません。もちろん、それが解決策になるはずもなく、彼は悲劇的な最後を迎えることになりました。
 しかし、そんな彼の行動を我々21世紀に生きる人間が笑えるわけがありません。100年たって、我々はいまだに同じ問題を前にして立ち止まったままなのですから。

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