「大いなる幻影 LA GRANDE ILLUSION 」

1937年

- ジャン・ルノワール Jean Renoir -

<第一次世界大戦>
 この映画は、戦争映画というよりも脱獄映画という方があっているのかもしれません。しかし、時代が第二次世界大戦ではなく第一次世界大戦中だったということで、同じ脱獄ものの映画「大脱走」とはまったく異なる雰囲気の作品になっています。第一次世界大戦は1918年に終戦を迎えますが、その時すでに次なる世界大戦の火種は燻り始めており、それから21年後の1939年第二次世界大戦が勃発することになります。しかし、20年の時を隔てた2つの世界大戦にはいくつもの大きく異なる点があります。例えば、戦争で用いられた兵器の違いは、戦争のやり方自体を大きく変えていました。第一次世界大戦の時点でも、すでに戦車、飛行機、毒ガスなどの新型兵器は登場していましたが、レーダーや原子爆弾、潜水艦、爆撃機の登場により兵士たちがガチンコで殺し合うという「決闘」の延長としての戦争は完全に過去のものとなったのが第二次世界大戦だったといえるでしょう。戦争の目的そのものも大きく異なるものとなっていました。第一次世界大戦の時代、戦争のほとんどは領土の分捕り合戦でした。そのため、戦闘に参加する兵士の多くは領土を獲得することで利益を得ることになる支配階級の人々と彼らにお金で雇われた兵隊たちでした。
 それに対して、第二次世界大戦は、名目上はファシズムという民族主義思想と資本主義もしくは民主主義思想というある種の思想を信じる者同士による「思想戦争」だったといえます。そのため、それぞれの思想を信じる者は、階層や身分に関係なく戦闘に参加することになります。こうした違いがあるために「大いなる幻想」は、それ以後の戦争映画とは明らかに異なるのどかで、平和な雰囲気の作品になっているのです。
 橋本治は「二十世紀」の中でこう書いています。
「十九世紀的原則は、戦争というものに『ルール』を設定して、戦争を美しく正しいものにもする。しかし、二十世紀というのは、『戦争という野蛮な行為にそんなモラルを持ち込むことの方がムチャだ』という発想が一般的になってくる時代なのだ。・・・」
「かつて戦争というものは、明確なルールをもつ”外交手段のひとつ”だった。だから、第一次世界大戦までの戦争は、『外交交渉が決裂したら正々堂々と戦争だ』という形で起こった。・・・」
 どうやら第一次世界大戦までは、まだ「戦争に関して、して良いことと悪いことのルール」がかろうじて残っていたようです。だからこそ、「大いなる幻想」を抱くことも可能だったのです。

<ジャン・ルノワール>
 「大いなる幻想」の監督は、1894年9月15日にパリのモンマルトルで生まれています。あの有名な画家オーギュスト・ルノワールの次男として生まれた彼は第一次世界大戦に従軍し、重傷を負いました。そのため彼は足が生涯不自由となりましたが、この治療中に映画と出会い、それ以後映画に熱中するようになりました。
 一時は陶芸家を目指していましたが、イバン・モジューヒン監督の「火花する恋」(1923年)やチャップリンの作品などを見て感動し、本格的に映画監督になる決意をしました。この時、彼はすでに29歳でしたから、かなり遅いスタートだったといえるかもしれません。
 普通なら映画業界入りした後、何年間にわたって下積みをし助監督を勤めた初めて監督をすることができるのですが、彼の場合はかなり恵まれていました。ひとつには彼には父親が描いた数多くの絵画があったことです。彼はそれらの絵画を売ることで映画を撮るための資金を準備することができたのです。
 それともうひとつ、彼にはやはり父親から受け継がれた美的センスが備わっていたことが重要でした。特に有名なのは、彼が絵画的な画面構成にこだわり画面内の奥にまでピントが合うディープ・フォーカスの技術をいち早く活用していたことです。一枚の絵画のように画面内のすべての登場人物や物にピントを合わせるこの技術は、その後オーソン・ウェルズの「市民ケーン」(1941年)いよって完成の域に高められることになります。こうした、恵まれた条件のおかげで彼は映画界ですぐに頭角を表わすことができたのです。
 こうして、彼は1925年「水の娘」で早くも映画監督としてのデビューを果たします。サイレント時代の作品「女優ナナ」(1926年)は早くも傑作と高く評価されますが、興行的には失敗作となりました。そのうえ、彼はその才能と自信ゆえに撮影現場で脚本を書き換えることが多く、映画の製作たちからもしだいに敬遠されるようになります。
 そんな彼が復活するきっかけとなったのは、季節労働者たちの生活をおさめたドキュメンタリー・タッチの映画「トニ」(1934年)でした。この映画で彼が用いた徹底したリアリズム演出は、多くの映画人に影響を与えることになり、イタリアで数年後に誕生することになるネオリアリズモの先駆的作品と言われることになります。

<「トニ」から「大いなる幻想」へ>
 「トニ」はもうひとつ彼に「大いなる幻想」を撮るアイデアを与えてくれました。彼は「トニ」の撮影をフランスのベール湖周辺で行っている際、頭上を飛ぶ近くの基地の飛行機の騒音があまりにうるさかったため、基地の司令官に談判にゆきました。すると、その基地の司令官の顔を見てびっくり。その人物は、かつて彼が軍隊に所属し飛行機乗りとして敵陣地の航空写真を撮る任務についていた際、その護衛をするために飛んでいた戦闘機のパイロットだったのです。パンサールという名のそのパイロットは、その後多くの活躍をし、今や司令官にまで出世していたのでした。久しぶりに再開した二人は、懐かしい昔の思い出やその後の出来事を報告しあいましたが、パンサールの話す戦争時代の思い出があまりに面白かったため、彼はその映画化を思きます。
 戦闘機乗りとして活躍していた彼は、何度も危険な目に会いましたが、敵機に撃墜されドイツ軍の捕虜になったこともありました。収容所に入れられた彼は、そこでも脱走作戦を計画し、なんと7回も脱走したというのです。第二次世界大戦のドイツ軍なら、すぐに彼は銃殺されていたかもしれません。その点でも、当時はまだ捕虜に対する対応も紳士的だったのでしょう。こうして彼は以前から考えていた、英雄ではなくごく普通の人々によるリアルな戦争映画を撮るきっかけを得たのでした。彼はこの映画を撮ったことについてこう語っていました。
「・・・このストーリーを映画にしようという気持ちになった理由のひとつは、戦争というテーマを扱った大多数の作品の手法を見て、ひどくいらだったからだった。考えてみていただきたい!戦争、ヒロイズム、勇敢な行動、兵士たち、ドイル野郎、塹壕といったやりきれない決まりきった表現を使用したモチーフの数々を・・・「西部戦線異状なし」をべつとすれば、本物らしい戦闘員の描写を見せてくれる映画にはお目にかかったことがなかった」

<「大いなる幻想」>
 ジャン・ルノワールが考えたのは、「大脱走」のような脱走アクション映画ではなく「脱走」に参加する様々なタイプの兵士たちの間に生まれる人間関係を描いたドラマだったのです。
 捕虜収容所の指揮官ラウフェンシュタイン(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)はドイツ人で貴族階級の出身でした。
 捕虜となったフランス人のボアルデュー(ピエール・フレネー)もまた貴族階級出身の大尉。
 同僚のフランス人マレシャル(ジャン・ギャバン)は労働者階級出身の機械工。
 その他、俳優、教師、イギリス人兵士、など、いろいろな宗教、職業、人種、階級の人々が脱走計画に関わり、その計画を実行するためにお互いを理解し合うようになってゆきます。
 こうした立場の異なる人々が理解し合うことこそが世界から戦争をなくすことのできる唯一の方法であり、それは不可能ではない。これこそがルノワールが考えた「大いなる幻影」だったのです。
 この映画の中では、第一次世界大戦までは存在していたといわれる騎士道精神や他人に対する奉仕の心が、今ではありえないようなエピソードとして描かれています。
 映画のラストで自らが犠牲なることで仲間たちを脱走させたボエルデューや脱走してきたフランス兵に食べ物を与えるドイツ人の農婦などのエピソードは、まるでおとぎ話の世界の出来事のようですが、一昔前までは確かにあったことなのです。だからこそ、ルノワールは「大いなる幻想」をけっして幻想では終らせないという信念を持ちえたのかもしれません。
 彼はこの映画を撮る資金を集めるために三年の歳月をかけました。時代は世界恐慌のまっただ中。ヒットするかどうかもわからない反戦映画がヒットする保障はありませんでした。その上、フランス政府はいつ再び戦争が始まるかもしれないという状況で反戦映画ともいえるこの作品が公開されることを嫌いました。それでも20ッ箇所近い修正の後に公開にこぎつけられたのは、やはりフランスという国が自由と民主主義を重んじる国家だったからこそでしょう。こうして、無事に公開されると、彼の信念は観客にも伝わり、世界的なヒットとなります。その後は世界映画史に残る傑作として歴代ベスト10の常連作品のひとつになります。
 しかし、それだけの傑作反戦映画をもってしても、第二次世界大戦の勃発を阻止することはできませんでした。

<その後のルノワール>
 第二次世界大戦が始まるとルノワールは先ずはイタリアへと渡りました。なんと彼はイタリアの首相ムッソリーニに招かれたのです。映画好きでも知られたムッソリーニは、なぜか反戦映画であるはずの「大いなる幻影」が気に入っていて、ルノワールが映画化を企画していたプッチーニの「トスカ」をイタリアで撮影させようと考えたのでした。しかし、撮影が始まる前にドイツ軍がパリを占領。故国の危機にドイツの同盟国であるイタリアで映画を撮れるわけもなく、急遽アメリカへと渡ります。彼は大西洋を渡る船「シボニー号」である飛行機乗りと相部屋になりました。それがあの「星の王子様」の作者サン=テグジュペリでした。(後に彼は、サン=テグジュペリの名著「人間の土地」を映画化しようとしますが、結局映画会社につぶされてしまいます)
 こうして彼はアメリカに渡り、かつて憧れの場所だったハリウッドで映画製作を行うようになります。しかし、ヨーロッパでの映画作りとハリウッドのシステムはあまりに違いました。自分ですべてを仕切りたい彼のやり方は、ハリウッドでは許されなかったのです。
 その上、1950年代になるとアメリカでは赤狩り旋風が吹き荒れることになります。貧しい労働者にスポット当てたドキュメンタリー・タッチの名作「トニ」以来、常に労働者や一般大衆の立場に立った映画作りをしていた彼はチャップリンオーソン・ウェルズらとともに赤狩りの対象となりました。
 こうして、彼は自由の国アメリカでも映画を撮れなくなってゆきました。
 思い通りに作品を撮れなくなった彼は、再びヨーロッパに戻り「フレンチ・カン・カン」(1954年)など何本かの作品を撮りましたが、かつてのように評価されることもなく、失意のままハリウッドに戻り、1979年忘れられた存在のままこの世を去りました。作品を撮れず失意のどん底にいた彼の心を支えたのは、彼の作品を見て映画の道に進んだフランスの巨匠フランソワ・トリュフォーだったといいます。
 「大いなる幻影」は「幻影」にすぎなかったのでしょうか?考えてみると、この映画はジョン・レノンの「イマジン」を先取りする作品だったのかもしれません。国境もなく、身分の違いもなく、宗教の違いもない平和な世界を描く試みを、「しょせんは絵空事」と笑うのは簡単なことです。
 しかし、ジョン・レノンの「イマジン」の世界はけっして彼だけのものではありませんでした。チャップリンの「独裁者」におけるラストの演説やキング牧師の有名な演説「アイ・ハブ・ア・ドリーム・・・・」、そしてジャン・ルノワールのこの作品。それぞれの作品にこめられた思いは共通しています。それを「幻影」と考えるか、「現実」と考えるか、そこが問題なのです。
「大いなる幻影」、「イマジン」同様非常に奥の深いタイトルです。

<追記> 彼は世界各地で映画を撮る中で様々な助監督と仕事をしました。その中には、ジャック・ベッケル、ルキノ・ヴィスコンティ、ロバート・アルドリッチ、ジャック・リヴェットらがいました。

「大いなる幻影 LA GRANDE ILLUSION」 1937年公開
(監)(脚)ジャン・ルノワール
(脚)シャルル・スパーク
(撮)クロード・ルノワール、クリスチャン・マトラ
(音)ジョセフ・コスマ
(出)ジャン・ギャバン、ピエール、フレネー、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、マルセロ・ダリオ

<あらすじ>
 1916年頃、あるフランス軍の戦闘機がドイツ軍によって撃墜されました。乗っていたのは空軍中尉マレシャル(ジャン・ギャバン)と大尉ボアルデュー(ピエール・フレネー)の二人で、彼らはドイツ軍将校ラウフェンシュタイン(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)が所長を勤める収容所の大部屋で彼らは同じように捕虜になったいろいろな人々と出会います。貴族階級の将校、銀行家の息子、俳優、測量技師、教師、それにイギリス人兵士など様々な人々は協力して脱走を企てることになりました。彼らが選んだ作戦はトンネルによる脱出でしたが、せっかくの作戦は突然の移動命令によって失敗してしまいます。しかし、その後、要塞内の牢に閉じ込められていたマレシャルとローゼンタール(マルセル・ダリオ)は、上官のボアルデューが自ら犠牲となることになって脱走に成功します。

<この年の映画>
「大いなる幻影」(監)ジャン・ルノワール(出)ジャン・ギャバン、エリッヒ・フォン・シュトロハイム(ヴェネチア映画祭芸術映画賞
「オーケストラの少女」〈監)ヘンリー・コスター(製)ジョージ・パスターナク〈出)ディアナ・ダーヴィン、アドルフ・マンジュー
「シカゴ」(監)ヘンリー・キング(出)アリス・フェイ、タイロン・パワー、アリス・ブラディ(アカデミー助演女優賞
「ステラ・ダラス」〈監)キング・ヴィダー〈脚)サラ・Y・メイソン〈出)バーバラ・スタンウィック、ジョン・ボールズ
「暗黒街の弾痕」(監)フリッツ・ラング(原)(脚)ジーン・タウン、グラハム・ベイカー(出)シルヴィア・シドニー、ヘンリー・フォンダ
「最後の一兵まで」〈監)〈脚)カール・リッター〈脚)マチュアス・ウィーマン〈出)マチュアス・ウィーマン、ヘインリッヒ・ゲオルク
「女だけの都」(監)ジャック・フェデー(原)(脚)シャルル・スパーク(出)フランソワ・ロゼ、アンドレ・アルレム
「我等の仲間」(監)ジュリアン・デュビビエ(原)(脚)シャルル・スパーク(出)ジャン・ギャバン、シャルル・バネル
「椿姫」(監)ジョージ・キューカー(原)アレクサンドラ・デュマ・フィス〈出)グレタ・ガルボ、ロバート・テイラー、ライオネル・バリモア
「どん底」(監)ジャン・ルノワール(原)ゴーリキー(出)ジャン・ギャバン、ルイ・ジューヴェ
「孔雀夫人」(監)ウィリアム・ワイラー(原)シンクレア・ルイス(出)ウォルター・ヒューストン、ルース・チャタートン
「新婚道中記」(監)レオ・マッケリー(出)アイリーン・ダン、ケイリー・グラント(アカデミー監督賞
「ゾラの生涯」(監)ウィリアム・ディターレ(出)ポール・ムニ、ジョゼフ・シルドクラウト(アカデミー作品賞、助演男優賞
「大地」(監)シドニー・フランクリン(原)パール・バック(出)ポール・ムニ、ルイーゼ・ライナー(アカデミー主演女優賞
「舞踏会の手帖」(監)ジュリアン・デュビビエ(出)マリー・ベル、フランソワーズ・ロジェー(ヴェネチア映画祭最優秀外国映画賞
「我は海の子」(監)ヴィクター・フレミング(出)スペンサー・トレイシー(アカデミー主演男優賞
「白雪姫」ディズニー初の長編アニメ

「限りなき前進」(監)内田吐夢(原)小津安二郎(出)小杉勇、滝花久子
「風の中の子供」(監)(脚)清水宏(原)坪田譲治(出)川村惣吉、吉川満子
人情紙風船(監)山中貞雄(原)(脚)三村伸太郎(出)中村翫右衛門、河原崎長十郎

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