アウトドア文化の原点となったお婆ちゃん |
<女性初のアパラチア・トレイル・スルーハイカー>
その本を表紙の綺麗なイラストにつられて手に取ると、こんな解説が書かれていました。
「女性初のアパラチア・トレイル・スルーハイカーは、67歳のおばあちゃんだった。
DV夫、11人の子ども、23人の孫と離れ、テントも寝袋も持たずに歩き通した女性の感動の物語」
「アパラチア・トレイル」?「スルーハイカー」?「女性初」?67歳?・・・
気になるワードだらけだったので読んでみると、なんとも奥深い冒険記でした。
アラスカを一人で旅した青年の死をかけた冒険を描いた「イン・トゥ・ザ・ワイルド」
アメリカ各地を旅しながら暮らす車上生活の人々を描いた「ノマドランド」
アメリカを走って横断し続けた伝説のランナーを描いた「フォレスト・ガンプ」
アメリカ人が大好きな究極のロード・ムービーたちに匹敵する壮大な、でもきわめて質素な冒険の記録です。
<アパラチア・トレイルとは>
時代は1950年代半ば。
彼女の挑戦は1954年に一度失敗し、翌1955年に再スタートしています。5月に歩き始めた彼女は、3000kmに及ぶ行程を144日かけて歩きました。
でも、そもそも「アパラチア・トレイル」とは何か?
名前のとおりアメリカ東部にあるアパラチア山脈に沿って整備された長いハイキングロードのことです。
南はアメリカ南部ジョージア州から始り、ノースカロライナ、ヴァージニア、コロンビア特別区、ペンシルヴェニア、ニュージャージー、ニューヨーク、マサチューセッツ、ヴァーモント、ニューハンプシャーそしてメイン州まで続いています。
この道を最初に歩き通したのは、1949年29歳の元兵士アール・V・シェイファーでした。彼の後、7年間で完歩(スルーハイク)を成し遂げたのは5人だけで、いずれも男性でした。彼女はそこに一人挑戦し始めたのです。
<挑戦のきっかけ>
エマ・ゲイトウッド Ema Gatewood がアパラチア・トレイルの存在を知ったのは、66歳の時、病院の待合室に置いてあった雑誌「ナショナル・ジオグラフィック」の記事ででした。その頃の彼女は、長年連れ添い11人の子供を産み、夫と別れた後、一人で子供たちを育て、23人の孫を持つまで育て上げたところでした。とはいっても、彼女の人生はそこまで平穏無事だったわけではありません。夫のDVに耐える日々が続き、殺されそうになるほどの暴力を振るわれたこともありました。そんな夫のもとで、彼女は休みなく働かなければなりませんでした。そんな逆境に次ぐ逆境で、登山やハイキングなどを楽しむ余裕などまったくなかったのです。
たとえ時間に余裕が出来たとは言え、彼女がなぜ、そんな高齢になってから旅に出ようと思い立ったのか?
彼女の存在を知った著者は、彼女の旅を丹念に調べ、それを再現することで彼女の心境に迫ろうと、その伝記を書き上げました。
<厳しい旅>
旅のはじまりは、危ういものでした。一度目の旅では途中で道に迷い、怪我をしてしまいあっという間に中止に追い込まれました。
1950年代のアメリカには、まだアウトドア文化は大衆レベルには広がっておらず、お金もなかった彼女は、テントも寝袋もなく、食料すらほとんどもたないで肩に担いだズタ袋と自作の木の杖だけが持ち物。靴もアウトドア用の頑丈なものではなく普通のスニーカーだったので、旅の途中に6回も履きつぶしています。彼女の当時の写真を見ると、「おばちゃんホーボー」にしか見えません。
そのうえ、当時そのコースは一応「トレッキング・ロード」として整備されていたとはいえ、途中で看板がなくなり、道に迷うこともしばしば。増水した川によって流されそうになったり、ガラガラヘビにかまれそうになったり、犬に襲われて怪我をしたりとトレッキングとは思えない危険で厳しい旅でもありました。
そもそも彼女のような高齢の女性が旅をすること自体が、地元の人々に理解されず、軒先でホームレスと思われるなど怪しまれて家にも入れてもらえないこともありました。実際、彼女はほとんどテントなしで屋外に寝泊りしています。彼女が旅の途中で死んでいても誰も気づかなかったでしょう。
<話題の人に>
それでも2回目の旅は順調に進み、途中で彼女の存在が地方紙などで取り上げられ始めます。フォレスト・ガンプのように「なぜあなたは旅をしているのですか?」と各地で質問を受けることになります。しだいに地元の新聞から全国紙へと扱いが広がり、ついにはアメリカ中に彼女の名前が知られる存在になります。彼女は全国紙をにぎわし、行く先々で大歓迎を受ける存在になって行きました。
1950年代はアメリカにとって、モータリゼーションの黄金期でしたが、彼女はそんな時代の流れに逆行するようにもう一度「歩く」ことの大切さをアメリカ人に認識させたと言えます。
彼女の存在がきっかけとなり、アパラチア・トレイルが注目され、再整備が行われただけでなく、「ウォーキング」「ハイキング」「トレッキング」の一大ブームを巻き起こすことになります。
有名になり、70代になってもなお、彼女は旅を続け、アパラチア・トレイルを3度完歩し、それ以外のアメリカ各地で彼女は旅をしています。
<なぜ旅をするのか?>
ごくごく普通のお婆ちゃんが、何の装備もなし、一人の協力者もなしで始めた挑戦。それは彼女が途中で事故にでも会い、命を落としていたら、誰にも知られることなく終わるはかない旅でした。そもそも彼女自身はそれで良かったのでしょう。
「この丘の向こうには何があるのだろうか?」というシンプルな好奇心のモチベーションによって彼女が歩き出した気持ちが僕には理解できる気がします。
前半生で人生の苦労を一生分味わった彼女にとって、野山を自由に歩けることの喜びは、何物にもかえられないものだったのです。
旅に出発する時の彼女の喜びが想像できる気がします。その時、彼女の年齢はまったく関係なかったのです。
<エマおばさんの人生>
エマおばさんこと、エマ・ゲイトウッドが生まれたのは、1887年10月。オハイオ州マーサーヴィルという田舎町の農家でした。父親はスコットランドから農地を求めて海を越えてきた移民。南北戦争では北軍の兵士として戦いましたが、戦場で片足を失い、その後はギャンブルとウイスキーにおぼれるようになってしまいました。
一家は貧しく農家の仕事だけでは暮らせず、、彼女も18歳と時、ハウスメイドとして働きに家を出ることになりました。その時に、彼女はその後夫となる人物P・C・ゲイトウッドと知り合います。ゲイトウッドのアタックに負けて、彼女はゲイトウッドと結婚しますが、ハネ―ムーンが終わるとすぐに夫はその正体を現し、彼女を支配し始めました。そして3か月後には、彼女に暴力を振るうようになります。そこから、彼女の苦難の人生が始まることになりました。
DV夫のもとで彼女は11人の子供を産み、育て、働き、夫からの暴力に耐え続けました。さすがに彼女もそんな夫の暴力に耐えかねて逆襲に出たこともありましたが、逆に警察によって彼女が逮捕されることにもなりました。当時のアメリカでは夫が妻に暴力をふるうことは大怪我さえさせなければ問題視されず、その逆には罰が与えられるという不条理が当たり前だったのです。
そんな厳しい人生を長く続けた後、彼女はついに自由を得て、長く自由な旅に出たのでした。
1973年6月4日、彼女は子供たちに看取られながら、静かにこの世を去りました。
彼女はある時、記者から何度となくされた質問「なぜあなたは挑戦を始めたのですか?」に対し、こう答えています。
「そうしたかったから Because I Wanted to」
彼女の活動によって、アメリカではトレッキングのブームが起き、それが現在につながるアメリカのアウトドア文化を生み出す原点となりました。コールマンも、ノースフェイスも、パタゴニアも彼女が始めた質素な旅を原点に世界中に広まったといえるかもしれません。
偉大なるグランマ・ゲイトウッドに改めて感謝です。
「グランマ・ゲイトウッドのロングトレイル」 2014年
Grandma Gatewood's Walk
(著)ベン・モンゴメリ Ben Montgomery
(訳)浜本マヤ
山と渓谷社
<アパラチア・トレイルを舞台にした映画>
「ロング・トレイル!」 A Walk in the Woods 2015年 (監)ケン・クワビス(アメリカ)
(製)チップ・デイヴィス、ロバート・レッドフォード(製総)ジェラマイア・サミュエルズ、ジェイク・エバーツ他
(原)ビル・ブライソン(脚)(製)ビル・ホルダーマン(撮)ジョン・ベイリー(美)ゲイ・バックリー(衣)リー・レバレット
(編)キャロル・リトルトン、ジェリー・ガーゼス(音)ネイサン・ラーソン、ロード・ヒューロン
(出)ロバート・レッドフォード、ニック・ノルティ、エマ・トンプソン、メアリー・スティーンバージェン<あらすじ>
アメリカ中東部アパラチア山脈の自然歩道「アパラチア・トレイル」に挑んだ二人の男性の物語。
40年ぶりに再会した幼馴染の高齢男性二人組が3500キロの長旅に挑みますが・・・
主人公ビル・ブライソンの体験を基にした作品が原作。「アパラチア・トレイル」はかつては忘れられた山道でしたが、67歳の女性エマ・ゲイトウッドが踏破。
彼女の偉業が多くの人にその存在を思い出させ、歩道の整備や観光化が進むことになりました。
そんなある意味アメリカの「お遍路さん」もしくは「お伊勢参り」のような存在です。
アメリカでは珍しい「歩きでのロード・ムービー」 です。
風景が実に美しいのでアウトドア・ファンには見ごたえのある作品だと思います。
「アパラチア・トレイル」を映像で旅できる貴重な作品。