世界の勝利者になった人々は幸福を得られたのか?

「銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎」
Guns,Germs And Steel : The Fates of Human Societies

- ジャレド・ダイアモンド Jared Diamond -

<世界に衝撃を与えた社会科学の書>
 ここでご紹介するのは、20世紀の終わりに出版され、世界に大きな衝撃を与えた社会科学の書です。いったいどこが衝撃的なのか?例えば、「人種差別の根拠って何?」。2015年以降急激に右傾化し、人種差別が復活しつつある世界状況において、この問いの重要性はどんどん増しつつあります。
 いつものように僕なりの「超まとめ」をし、こだわりたい部分を選んでみました。
 目から鱗が落ちるような歴史物語です。
 残念なことに、この本も21世紀を生きる人類の世界観を変えることはできなかったようです。それどころか、トランプ大統領の誕生やヨーロッパでの右派勢力の台頭など、世界の民主主義は過去へと後退している気がします。もっともっとこの本は読まれるべきだと思います。この本は、上下2冊ですが、文庫本にもなっているので、じっくりと手に取って読んでほしいと思います。

<人種差別の根拠って何?>
 2017年のトランプ大統領によるイスラム教徒への差別に象徴されるように、21世紀の世界では急激に「民族主義」、「国益優先主義」が強まり、「人種差別」という死語が再び蘇りつつあります。もともと「人種差別」とは、奴隷制を正当化したり、民族浄化の口実とするために生み出されたシステムであることは、歴史的に示されています。そして、その根拠とされてきたのは、現代社会において経済的に繁栄している国の多くは、キリスト教白人国家であり、そのことはヨーロッパ系民族の優秀さを証明しているというものです。
 21世紀の今、経済的な勢いはアジアの国々へと移りつつあるようにも見えますが、それでも20世紀が始まる時点の世界の覇者は「ヨーロッパ系の白人種」でした。しかし、それは本当に「ヨーロッパ系白人種」が優秀だったからなのでしょうか?この究極の問いについて、様々な視点から光を当て、その答えを探求したのが、ジャレド・ダイアモンドです。

 現代の世界は、ヨーロッパ人がアメリカ大陸・オーストラリア大陸・アフリカ大陸の51%を征服し、アメリカ先住民、オーストラリア・アボリジニ、アフリカ人がヨーロッパの49%を征服しているという状態にあるわけではない。現状はあまりにも偏りすぎている。・・・
 われわれは、西暦1500年の時点の人類社会の差異を、生物学的に説明しようとすることは間違いであると確信している。しかし、正しい説明を知らされているわけではない。大半の人びとは、人類社会の歴史に見られる大きなパターンについて、詳細かつ説得力があり、納得できる説明を手にするまでは、相変わらず生物的差異に根拠を求める人種差別的な説明を信じつづけるかもしれない。私が本書を執筆する最大の理由はここにある。


 著者は、21世紀の現在に至るまでの歴史を振り返りながら、そこに人種の差異と地域状況の差異がどう関わっているかを調べます。
 まず最初に彼が注目したのは、人類史の始まりである遥かな過去「大躍進の時代」と呼ばれる時代です。
<大躍進の時代>
 人類の歴史は約5万年ほど前に大きく変化しはじめる。わたしが「大躍進」と呼ぶこの時になると、形状のそろった石器が東アフリカの遺跡から出土しはじめる。・・・約4万年前になると、ヨーロッパ南西部でも同じような変化が起こっている。・・・(クロマニヨン人の登場がこの頃)・・・
 10万年前から5万年前の「大躍進」の時期に、われわれの祖先に画期的な変化が起こっているわけだが、そこには二つの大きな未解決の謎がある。ひとつは、何が引き金となって起こったのか。もうひとつは、どこで起こったのか、である。
<引き金>
 人類が喉頭を使って発話を始めたこと。これにより、人類はその創造性を言語を使うことで発揮することが可能になり、それが脳の急激な発達を促すことにもなりました。
<場所>
 10万年前のアフリカから出土した人骨から現代人に近い脳が発達していたことが証明されたことから、アフリカ起源説が有力です。ただし、中国やインドネシアでも類似する化石が発見されており、複数地域で同時発生的に始まったという説もあります。
 ヨーロッパに関しては、もとの住人だったネアンデルタール人を言語能力を発達させていたクロマニヨン人が駆逐することで、急激な変化が起きたと考えられます。さらにアフリカ、ユーラシアに登場した「大躍進」人類が、この後、オーストラリア、ニューギニア、南北アメリカ大陸へと移動していったとも考えられています。

<ヨーロッパが有利に立った理由>
 現在明らかになっている人類の歴史によれば、ヨーロッパはけっして他の地域よりも早く「大躍進」が始まったわけではないようです。では、どうやってヨーロッパの住人は、世界を制覇するほどの力をもつに至ったのでしょうか?ここではそのきっかけとなった歴史のターニング・ポイントに注目します。
<ピサロによるインカ帝国征服>
 1532年11月16日、ペルーの高地、カハマルカにおいて、スペインの将軍ピサロは60人の騎兵と106人の歩兵だけで、皇帝アタクルパ率いる8万人の兵を有するインカ帝国に勝利しました。なぜ、そんな少数の兵で膨大な数の軍隊に勝てたのか?
 勝因は、ピサロ率いるスペイン兵は鉄剣、鉄製の甲冑、銃(12丁だけ)、馬を持っていたことでした。それに対してアタワルパは、そのすべてを持たず、石や青銅や木製の棍棒で戦うしかありませんでした。それに対し、スペイン軍は騎兵を使ってスピーディーに奇襲攻撃を行い、インカ帝国の兵士たちに救援を呼びに行く暇を与えませんでした。さらにピサロの到着前、すでにインカ帝国は分裂の危機にあったこともわかっています。その原因はスペイン人たちが持ち込んだ天然痘のウイルスでした。そのウイルスにより、多くの住民だけでなく前皇帝のワイナ・カパックなど多くの支配階級も死亡し、国全体が混乱していたのです。
 では、この時の圧倒的な軍事力の差は、いつどうやって生まれたのでしょうか?では、さらに過去にさかのぼってみましょう。
(1)農業が世界を変えた! 
<農業の誕生>
 人類の歴史における最も大きな転換点は、「農業の誕生」による「定住生活」の始まりにあったといわれます。それまでの人類は、狩りや採取によって食物を得るため、常に移動生活を必要としていました。しかし、メソポタミア文明などが誕生した中東の肥沃な三日月地帯は、当時気候的に恵まれていて農作物を繰り返し収穫が可能だったことから、多くの人がそこで定住し始めます。これが、新たな文明の誕生となり、農業の始まりとなりました。
<なぜメソポタミア?>
 なぜ、メソポタミアの肥沃三日月地帯で食料生産技術がいち早く誕生・発展したのでしょうか?(エジプト文明、インダス文明)
(1)地中海性気候に属し、穏やかで湿潤な冬と、長くて暑く乾いた夏。これらは穀類、豆類の生産に適していた。
(2)農産物として育成できるような野生種が、もともとこの地域に豊富に分布していた。(小麦、大麦、亜麻、エンドウ豆などの起源種)
(3)植物相において、「自殖性植物」の占める割合が高かく、品種改良しやすかった。
(4)地形的にバラエティーに富んでいたので様々な種類の原産種がそれぞれの地域に存在した。
(5)高低差、地域差があったため、収穫時期がバラバラになり、そのため収穫時期を変えることが可能になり、効率が良かった。
(6)家畜化可能な哺乳類が他の地域より種類が多かった。(作業に役立ち、食料にもなった)
(7)狩猟や採集で得られる食料がもともとこの地域には少なく、狩猟採集民族との競合が少なかった。

<狩猟採集から農業への転換>
 その要因はそれぞれの土地により異なり、複合的なものでした。
(1)1万3千年の間に入手可能な自然資源(特に動物資源)が徐々に減少し、狩猟採集生活に必要な動植物の確保がしだいに難しくなったこと。
(2)栽培可能な野生種が増えてきたことで作物の栽培がより有効になってきた。
(3)食料生産に必要な技術、つまり自然の実りを刈り入れ、加工し、貯蔵する技術がしだいに発達し、食料生産のノウハウとして蓄積されていったこと。
(4)人口密度の増加と食料生産の増加が、お互いに影響を与え合うことで、自己触媒的、急速に進行した。
 こうした要因を考察することで、メソポアミアの肥沃三日月地帯で食料生産が始まったのが紀元前8500年頃だったと推測できるようになりました。紀元前1万8500年頃には、狩猟可能な野生の哺乳類がまだたくさん生息していたようです。一方、野生の穀類はまだあまり豊富ではなく、野生の穀類を効果的に収集、加工、貯蔵する技術も発明されてはいませんでした。人口密度もまだ少なく、1エーカーあたりの産出カロリーを増加させなければならないほどではなかったので、狩猟採集生活のほうが食料生産生活より見返りが多かったのです。
 農業の発展により、文明が急速に発展するのは、食料としての農産品だけではありません。作物や家畜は、暖をとるための衣服や毛布になり、網や綱などの原材料になり、家畜の骨も様々な道具の材料になり、家畜自体も移動や運搬のための乗り物になります。こうした様々な使用法が見つかることで、文明は急激に発展することになります。
 さらにこの地域の作物は同じ大陸内にどんどん広がって行き、その延長線上にヨーロッパがありました。
<ユーラシア大陸での拡散理由>
 肥沃三日月地帯の作物が、そこから急速にユーラシア大陸全体に広まった理由は?
(1)日照時間の変化が少ない地域が多い(東西への移動だと日照時間があまり変わらないので、広がりやすい)
(2)分布する植物の種類や生態系が似ている
 東西に長いユーラシア大陸は、南北に長いアフリカや南北アメリカに比べると気象条件が似ているために拡散が容易だったといえます。農作物だけでなく家畜にとっても、東西の方が移動に向いていたはずです。さらには、農業社会の拡散は、作物だけでなく、文字や車輪、宗教、音楽など様々な文化の広がりにも有利だったはずです。

<農業の効率化(品種改良)>
 農業生産社会への移行は決して簡単なことではありませんでした。それぞれの地域で安定して食料を生産するためには、それぞれの地域に合った品種の改良が不可欠で、それには長い年月が必要でした。ただし、品種の改良は人間だけではなく古くから他の生物たちも行っていたことでした。
 たとえば、ドングリはリス、マンゴーはコウモリなど、特定の生物の食料となることで種をばらまいてもらうよう進化していましたが、そのために、作物はより甘くなったり、硬い殻を身につけたりしていました。それは、見方を変えると動物たちが品種を改良させたと考えることもできます。

 野生種と栽培種は、種子の苦みにおいても大きく異なる。野生種の多くは種子が苦く、味が悪い。有毒なものすらある。これは、動物に種子を食べられてしまわないためである。自然淘汰は、種子と果肉が味の面でそれぞれ正反対の性質を持つように作用してきた。植物は、動物に自分の遺伝子をまき散らしてもらうために果肉の部分を美味しくし、果肉に包まれた種子の部分は味を悪くしている。種子の味をよくしてしまったら。、動物に食べられてしまい種子が発芽するチャンスを失ってしまうからです。

 具体的に品種の改良に求められたことは、様々ありましたが、それらの結果はすぐには明らかにならないことばかりでした。例えば、鞘からはじけて出てしまわないエンドウ豆や穂先から落ちずに成長を続ける小麦や大麦は、育ててみなければ成功かどうかわかりません。それにより早く芽を出し、より多くの実を実らせる種子になるかどうかは、何世代も育てて初めてわかることです。それが単に突然変異ならば、品種改良したことにはならず、一世代で終わってしまうかもしれません。こうした作業は、長く丹念な管理があって初めて可能になることです。それが可能になるのは、気候が安定していて、より多く収穫できる暖かな気温の土地でなければなりません。

<幸福ではなかった農民たち>
 農業社会への移行は、けっして楽なものではなく、狩猟採集民の方が豊かで楽な生活をしていたようです。このことは、現在でも変わらないのかもしれません。
・・・世界の食料生産者の大部分は、貧しい農民や牧畜民によって占められているのだ。彼らは、かならずしも狩猟採集民より楽な生活を送っているわけではない。一日あたりの労働時間を調べてみると、貧しい農民や牧畜民のほうが狩猟採集民より少ないどころか、場合によってはより長い時間を働いているのだ。
 考古学の研究によれば、多くの地域において最初に農耕民になった人々は、狩猟採集民より身体サイズが小さかった。栄養状態もよくなかった。ひどい病気にもかかりやすく、平均寿命も短かった。これがみずからの手で食料を生産するものの運命だと知っていた知っていたら、最初に農耕民になった人々は、その道を選ばなかったかもしれない。
 

 世界を支配したのは農業化された社会でしたが、それが人々を幸福にしたのか?そう言い切れないのが、最も大きな問題点です。そして、このことは後に現れる工業化されたことで先進国となった国の労働者たちが置かれる状況とも共通しています。これこそ、歴史の皮肉です。
(2)家畜たちの貢献 
  しかし、農業システムが安定してくると、農村はより多くの人間を食べさせることが可能になり、その人口の多さはさらなる村の拡大を必要とし、しだいに狩猟採集民たちを駆逐し始めます。そして、その勝敗を決定づけることになったのが、「家畜」という最終兵器の存在でした。

<偉大なる家畜たち>
 食用にすることのできる数少ない動植物を選んで育てれば、それらが1エーカーあたりの産出カロリーを劇的に高めることができます。そのことで農耕民は、土地を耕し家畜を育てることによって、1エーカーあたり、狩猟採集民のほぼ10倍から100倍の人口を養うことができるようになります。この数字もから明らかなように、食料を自分で生産できる人々は、当初から狩猟採集民よりも、兵士の数において軍事的に優位に立つことになりました。
 家畜は、肉や乳、肥料、革や骨、牙製品を人間に提供し、また鋤を引くことで食料の生産にも貢献します。そのため、家畜を有する社会は、そうでない社会よりもより多くの人口を養うことが可能になります。
 そんな家畜に関しても、どうやらユーラシア大陸は他の大陸より優位に立っていたようです。
 なぜシマウマは家畜にならなかったのか?そう考えたことのある人は珍しいかもしれませんが、馬とシマウマ、どっちが家畜になっても良かったはずです。
 陸生の大型草食動物148種のうち、20世紀までに家畜化されたのはわずか14種にすぎません。ヒトコブラクダ、フタコブラクダ、ラマ/アルパカ、ロバ、トナカイ、水牛、ヤク、バリ牛、ガヤル、そしてメジャーな5種である牛、羊、山羊、豚、馬です。このうち、ラマ/アルパカだけがユーラシア大陸以外(南アメリカ)の原産でした。でも、まぜ様々な大型生物が住むアフリカ大陸で家畜が生まれなかったのでしょうか?いくつかの理由を上げてみます。
(1)ユーラシアにはもともと大型哺乳類が多かった。(72/148種)
(2)それぞれの動物には家畜化されやすい種と困難な種があったことが重要です。
(A)肉食や偏食の動物は育てるのに効率が悪い。
(B)成長が早くなければ、出荷に時間がかかり効率が悪い。
(C)繁殖させやすい種でなければ、繁殖させにくく効率が悪い。
(D)気性が荒い危険な種は、育てにくく効率が悪い。
(E)パニックになりやすい種は、育てるのが難しいので効率が悪い。
(F)序列を認めず集団を形成できない種は、数多く育てるのが難しく効率が悪い。

 もうひとつ重要なのは、アフリカからスタートし、文明化しながら発展していった人類は、動物と共存する前に狩猟によって絶滅させる傾向があったようです。そのため、南北アメリカやオーストラリアなどの地域には家畜が生まれなかったと考えられます。
 家畜の存在は、農業以外の分野においても、後に大きな影響を及ぼすことになります。特に馬は兵士を乗せて運ぶ軍事兵器として、大きな威力を発揮し続けます。その歴史は20世紀に自動車や戦車が登場するまで、長く続くことになります。その他にも、牛を使った運搬装置は、そこから車輪を使った水車や機織り機、蒸気機関、発電機、自動車など現代文明の基礎を生み出すことにもなります。
(3)恐るべき病原菌による侵略 
 <病原菌という最終兵器>
 スペインでのピサロの戦闘において、最も強力な兵器として威力を発揮したのは「天然痘」の病原菌でした。(意図的にスペイン軍が持ち込んだのではなかったのですが・・・)

 病原菌は、コロンブスの1492年の航海にはじまるヨーロッパ人のアメリカ大陸征服において、もっともおぞましい歴史的役割を果たした。もちろん、残忍なスペインの征服者に殺されたアメリカ先住民の数ははかりしれない。しかし、スペイン側の持ち込んだ凶悪な病原菌の犠牲になったアメリカ先住民の数は、それによりはるかに多かった。なぜ、ヨーロッパ側の持ち込んだ病原菌の犠牲に、アメリカ側が一方的にならなければならなかったのだろう。・・・

 病原菌の歴史からもうひとつの人類史を見ることも可能です。

 外部から孤立した少人数の集団で見られる種類の病気は、間違いなく太古の昔から人類と共にあったと思われる。人類全体の人口がまだまだ少なく、人々が分散して少人数の集団として暮らしていた人類史の最初の何万年かに、すでにこれらの病気は人類と共に存在していた。こうした病気には、われわれにいちばん近い動物であるアフリカの類人猿も感染することがある。また、彼らが似たような病気を持っていることもある。これに対して集団感染症は、人類全体の人口が増加し、人々が密集して暮らすようになってから初めて見られる見られるようになったものである。こうした人口密集地は、人類史上、農業が始まったおよそ1万年ほど前に登場し、数千年前に都市生活がはじまるとともに加速度的にその数を増やしていった。

 病原菌の蔓延は歴史的に新しいと考えられています。多くの人口が農業の発展によって密集するようになったのが、ちょうどいい実験場となり繁殖場所になりました。しかし、病原菌にもっと素晴らしい繁殖場所を提供したのは、その後に登場した都市の環境でした。都市生活者は、農民よりさらに劣悪な衛生環境に密集して暮らしていたので最高の環境だったのです。
 驚いたことに病原菌は、人類がより文明化し、より都市化してゆくことで、生み出した進化した生命体だったのです。

<病原菌を生み出した生物>
 人間だけがかかる集団感染症は、人類全体の人口が増加し、集団生活をするようになって出現しましたが、そのもととなる病原菌はどこから来たのでしょうか?当然、その候補となるのは、人間以外の動物です。鳥インフルエンザや豚インフルエンザ、エキノコックス、狂犬病など、動物が感染し、それが人間に感染することが原因と考えられます。ただし、すべての動物がこうした感染症にかかるわけではありません。この種の病気にかかるのは、病原菌が広がっても絶滅することのないそれなりの規模の集団を有している動物となり、牛や豚、鳥などの群れを成す生物は最適と考えられるのです。ということは、人間の傍に常にいる家畜たちこそ、その最大の危険生物ということになるわけです。
<動物から人間への感染の段階>
(1)ときおり動物や家畜から人間は感染するだけの段階。
(2)病原菌が変異したために、感染した人間が人間にうつすことが可能になった段階。
(3)動物から人間へ、さらに人間同士での感染が始まるが、収束せずに拡散し始めた段階。
(4)動物は関係なく、人間だけで発症・感染が広がる段階。

 いち早く都市化が進んだヨーロッパでは、人々が天然痘などの感染症にいち早く感染。多くの人が犠牲になる中で、少しづつ免疫を獲得していったと考えられます。しかし、新大陸の人々にはその免疫はなく、ヨーロッパ人の進出は恐るべき病原菌テロ攻撃と同様の効果を発揮することになりました。

 1520年、ヨーロッパ人が連れて行った一人の奴隷がメキシコ(アステカ帝国)に天然痘をもたらしました。免疫をもたない土地で、あっという間に天然痘は蔓延し2000万人いたと言われるアステカの人口は、1618年には160万人にまで激減していたといいます。
 アステカの皇帝クイトラワクも病死し、アステカの兵士は戦意を失ったため、600人の兵士と共に上陸したコルテスは首都に攻め込んだうえ無事に生還することができました。
 コロンブスが、1492年にハイチ、ドミニカがあるイスパニョーラ島に上陸した時、800万人いた先住民は1535年にはゼロになりました。さらに、その頃、北アメリカには2000万人の先住民がいたと言われますが、それも100万人にまで減少しますが、その死因のほとんどは戦争ではなく病気によるものでした。
 1875年、オーストラリア訪問から戻ったフィジーの酋長が持ち込んだ麻疹は、フィジー島の1/4の人々を殺すことになりました。
 ハワイ諸島では、梅毒、淋病、結核、インフルエンザ、腸チフスなどにより、1779年には50万人だった人口が1853年には8万4千人にまで激減したといいます。
 ところが、こうした病原菌の感染の流れは、ヨーロッパ(ユーラシア大陸)から新大陸への流ればかりで、その逆はほとんどありません。それはなぜなのか?
 ユーラシア大陸を起源とする集団感染症の病原菌は、群居性の動物が家畜化された時に、それらの動物が持っていた病原菌が変化して誕生したものでした。ユーラシア大陸には群居性の動物が何種類も生息していましたが、南北アメリカにはたった5種類しかいませんでした。(七面鳥、ラマ/アルパカ、テンジクネズミ、バリケン、犬)いずれも群れは小さく、その乳を飲むことはなく、屋内で飼うこともないことから、病原菌の発生源にはなりにくかったはずです。ここでもまた、ユーラシア大陸は有利だったわけです。
(4)情報戦争の始まり
<情報・文字という新兵器>
 侵略者ピサロに勝利をもたらした重要な兵器として、「情報(文字)」の存在がありました。ピサロは、自分たちが侵略しようとしている土地について、事前に多くの「情報」を事前に入手していて、どうやれば勝てるのかが分かっていたのでした。
 その情報は、それまでに南米各地を訪れていた冒険家や宣教師たちが書き記した手紙や記録や旅行記などから得られたものです。そえに対し、インカ帝国の人々は「文字」をもたなかったため、情報を伝えたり、共有したりすることができませんでした。「文字」を用いた「情報戦略」もまたヨーロッパが他の地域をリードできた要因となりました。

 人類はこれまでいろいろなものを登場させてきたが、文字はその最後の段階になって登場した。それはなぜだろうか。この疑問に対する答えは、初期の文字の使い道や使用者層がきわめて限定されていたという事実のなかに隠されている。シュメール、メキシコ、中国、エジプトといった、独自に文字を作り出したと思われる社会も、クレタ、イラン、トルコ、インダス渓谷、マヤ地方のように、文字を早いうちに取り入れた社会も、複雑で集権化された社会であり、階層的な分化の進んだ社会であった。

 「文字」の発明もまた多くの謎につつまれていますが、現在まで残っている「文字」のルーツはごくわずかで、ほとんどはいくつかのルーツにつながっています。

 エジプト、中国、そしてイースター島の例を除いて、歴史上、文字は、シュメール文字かマヤ文明から派生的に改良されたか、これらの文字の使用に刺激され考察されたものと思われる。文字を発明した社会がほんのわずかしか存在しないという事実は、すでに指摘したように、文字をシステムをゼロから編み出すことのむずかしさを示唆している。また、シュメール文字やマヤ文字の発明が、それらと参考にしたり借用したりするかたちで別のシステムを派生させることを可能にしたため、独自に発明する必要性が先取りされてしまったとも推測される。

 歴史上、文字を早い時期に手に入れた社会は、文字の曖昧性を減少させる試みを何ひとつしていない。その使い道や使用者層が限定されていたことについても何もしていない。それはなぜなのだろう。この疑問こそ、文字の読み書きに対する古代人と現代人の考え方のちがいを示すものである。初期の頃、文字は用途が制限がされていたので、曖昧性を減少させる方向に積極的に向かう必要もなかった。・・・(要するに記録に必要な「数字」のような存在だった)
 古代の文字は、人類学者クロ―ド・レヴィ=ストロースが指摘しているように、「他の人間を隷属化させるために」おもに使われていた。文字の読み書きが専門ではない、いわゆる一般の人々が文字を使いはじめたのは、後世になって文字が単純化されるとともに表現力が豊かになってからのことである。
(5)発明を活かす社会とは?
  文字の文化は世界の何か所かで生み出されましたが、それが大衆レベルにまで広がったのはヨーロッパが最初でした。その理由には、活版印刷の発明とそれによって広められた聖書の存在がありました。マルチン・ルターによって行われた宗教改革は、聖書の内容だけでなく「文字の文化」をも大衆レベルにまで広めることになりました。では、ヨーロッパはなぜそうした発明を受け入れることができたのでしょうか?やはり、ヨーロッパ人は知能レベルが高かったのでしょうか?
 科学技術を受け入れやすい社会について、いくつかの条件があると考えられています。(どこまで正しいかは、微妙なものもありますが・・・
(1)社会の平均寿命が長い方が、新たな情報が受け入られやすい。
(2)労働力が不足している社会、賃金の高い社会は、労働力不足を補うため技術革新が進む。
(3)特許法などが発達し、発明家が報われる社会の方が良い。個人主義社会の方がより有効。
(4)技術開発への投資が報われる方がよい。技術訓練の充実も必要。失敗を恐れずに挑める社会風潮も必要。
(5)科学技術的な考え方が社会基盤としてある高い驚異レベルの社会。
(6)異なる考え方、アイデアを否定しない寛容な社会であり、科学を否定する宗教が力をもたない社会。
(7)戦争による技術革新(残念ですが・・・)
(8)中央集権的な体制が、長い目で科学の振興を支える社会
(9)「温暖化問題」などの具体的な目標がある社会。
(10)技術革新に必要な資源を有する社会。

 発明は、内容が難しいものほど、伝搬によって広がる。なぜなら、独自にゼロから発明するよりも、談判してくる速度の方が早いからです。したがって、そうした伝搬してきた発明を有効に活用、もしくは受け入れやすい社会は、有利に立ったと考えられます。

 人類の科学技術史は、こうした大陸ごとの面積や、人口や、伝搬の容易さや、食料生産の開始タイミングのちがいが、技術自体の自己触媒作用によって時間の経過とともに増幅された結果である。そして、この自己触媒作用によって、スタート時点におけるユーラシア大陸の「一歩のリード」が、1492年のとてつもないリードにつながっている。 - ユーラシアの人々がこういうリードを手にできたのは、彼らが他の大陸の人々よりも知的に恵まれていたからではなく、地理的に恵まれていたからである。

<発明とはなんぞや?>
 ここで改めて「発明とはなんぞや?」について考えてみます。発明王エジソンは天才だったから成功したのか?それとも人一倍努力したから成功したのか?
 エジソンは蓄音機を発明した際、その使い道として考えていたのは、意外なものでした。
(1)遺書の録音
(2)盲人用の本の朗読の録音用
(3)時報メッセージの録音用
(4)英語の綴りの録音機材
 彼は口述録音・再生装置として売り始めましたが、それをジュークボックスに作り変えて販売する業者が登場。エジソンは自分の発明の品位を下げるとして、その使い方に文句を言ったそうです。(やられた!と思ったのかもしれませんが・・・)彼が蓄音機の用途として、音楽の録音と再生を認めたのは、発明後、20年ぐらい後になったとのことです。

 ワット、エジソン、ライト兄弟、モース、そしてウィットニーの功績を否定するものではない。彼らは、先駆者の残したものを大幅に改良し、商業的成功を可能にしている。彼らのはたらきがなかったら、ちがった形のものが発明されていたかもしれない。しかし、あの時、あの場所で、あの人が生まれていなかったら、人類史が大きく変わっていたというような天才発明家は、これまで存在したことがない。功績が認められている有名な発明家とは、必要な技術を社会がちょうど受け入れられるようになったときに、既存の技術を改良して提供できた人であり、有能な先駆者と有能な後継者に恵まれた人なのである。そして、ファイストスの円盤の記号の母型を完成させた人間の悲劇とは、社会がまだそれを大規模に活用できない時代に、それを作り出してしまった悲劇なのである。

<受容されやすい発明とそうでない発明>
(1)既存の技術と比べて経済性が優れているかどうか?どんなに優れたアイデアも経済性が伴わなければ採用されないのです。
(2)ステータスとしての価値がある方が絶対に有利です。(経済的価値は不足していても、ブランドとしての価値があることでヒット商品になることは十分にあり得ます)
(3)既存のモノとの互換性があると有利。(広く使用されている何かを利用・改良する方が受け入れられやすい)パソコンの・キーボードの文字の並びはその好例といえます。
(4)そのアイデアを受け入れるメリットが見分けやすい方が断然有利。

 技術は、非凡な天才がいたおかげで突如出現するものではなく、累積的に進歩し完成するものである。また、技術は、必要に応じて発明されるのではなく、発明された後に用途が見いだされることが多い。
 発明とは、それが登場すべき時と場所を選ばなければ、消える運命にあり、発明者の才能も努力も報われないものなのです。
<まとめ>
・・・人口の増加が、以下で説明する理由によって、より複雑な社会を生み出したのと同時に、より複雑な社会の誕生が、より集約的な食料生産を可能にし、人口を増加させたからである。複雑で集権化された社会は、灌漑施設などの公共建造物を構築できることを特徴とする。遠方の社会と交易をおこない、よりよい農具を作るための金属材料を輸入したりすることもできる。労働がさまざまに分化しているので、家畜を専門に育てる人々を農民の穀物で養い、彼らが育てた家畜を使役動物として農民にあてがうような配慮もできる。集権化された社会では、こうしたことが相乗的に作用し、集約的な食料生産が助長され、歴史的に見れば、人口の増加につながっていったのである。
 さらに三つのことが可能になった。
(1)農閑期に農民の労働力を使って、公的建造物を作ることが可能となり、征服のための戦争も可能になった。
(2)余剰食料を使い、労働の分化、社会階層の形成が可能にんまった。(エリート階級、そして芸術家の誕生)
(3)定住生活が始まったことで、技術工芸などが発展。医療、教育などを受けることで、国民は管理下におかれるようになった。

 このように、食料生産と社会間の競合が大本の原因となって、詳細において少しずつ異なるものの、いずれも人口密度の高さと定住生活が関与する原因結果の連鎖がはじまる。そして、その過程を通じて、疫病をひき起こすような病原体が現れ、文字が発明され、さまざまな技術革新が起こり、集権化された政治組織が登場したことが要因となって、征服という行為が可能となった。しかし、この連鎖のもともとの原因や、征服を可能にした要因は大陸ごとに異なる経過をたどって出現している。・・・

<ヨーロッパ諸国による地域ごとの征服成功の原因>
<対南北アメリカ>
・・・南北アメリカ大陸にやってきたヨーロッパ人が、当時のアメリカ先住民に対して有利な立場にたてたのは、彼らがつぎの3点において恵まれていたからである。 - ユーラシア大陸では南北アメリカ大陸に比べて定住生活がずっと早くから始まっていた。家畜化や栽培化可能な野生動植物がずっと多様で、食料生産をより効果的に行うことができた。地理的障壁や生態的障害が少なく、発明や技術がさまざまな地域に伝播しやすかった。
 そして、南北アメリカ大陸では、不思議なことにある種の発明や技術が不在であった。これもまた、ヨーロッパ人がアメリカ先住民に対して有利な立場に立てた究極の要因のひとつである。南アメリカ大陸のアンデス社会は、車輪や文字を発明した中央アメリカの社会と同じくらい長い歴史を有するにもかかわらず、車輪や文字を発明していない。(家畜、農業、記録、戦争・・・)
<対アフリカ>
 結論を述べると、ヨーロッパ人がアフリカ大陸を植民地化できたのは、白人の人種主義者が考えるように、ヨーロッパ人とアフリカ人に人種的な差があったからではない。それは地理的偶然と生態的偶然のたまものにすぎない - しいていえば、それは、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の広さのちがい、東西に長い南北に長いかのちがい、そして栽培化や家畜化可能な野生祖先種の分布状況の違いによるのである。
(広さ)→人口、チャンスの数、集約力
(東西、南北)→農作物、文化、家畜の伝播力
<対中東(肥沃三日月地帯)>
 つまり、不運なことに、肥沃三日月地帯や地中海地方東部は環境的に脆弱だったのである。(乾燥化に対応できなかった)そして、これらの地域に繁栄した人々は、自分たちの環境基盤を破壊し、自分で自分の首を絞めてしまったのである。(過去には、こうして多くの文明が自ら崩壊していったことが明らかになっています。同じジャレド・ダイアモンドの「文明崩壊」をご参照ください!)
<対中国>
・・・ヨーロッパと中国はきわだった対照を見せている。中国の宮廷が禁じたのは海外への大航海だけではなかった。たとえば、水力紡績機の開発も禁じて、14世紀にはじまりかけた産業革命を後退させている。・・・政治的な統一の悪しき影響は、1960年代から70年代にかけての文化大革命においても噴出している。

 つまり、政治や技術の分野において、中国が自分たちよりも遅れていたヨーロッパにリードを奪われてしまった理由を理解することは、すなわち、中国の長期にわたる統一とヨーロッパの長期にわたる不統一の理由を理解することになる。そしてその答えは、・・・・・地図が示唆している。ヨーロッパの海岸線は激しく入り組んでいる。ギリシャ、イタリア、イベリア、デンマーク、ノルウェー/スウェーデンといった五つの半島が海岸線から突出していて、その先に島々が点在している。これらの地域の人々はそれぞれ独自の言語を話し、独自の民族を形成し、独自の政府を戴いている。中国の海岸線はあまり入り組んでおらず、なめらかである。

 コロンブスは3人の君主に断られ、4番目に仕えた大君主によって願いがかなえられたのである。もしもヨーロッパ全土が最初の3人の君主のうちの一人によって統一支配されていたら、ヨーロッパ人によるアメリカの植民地化はなかったかもしれない。

<幸福な社会とは?>
 ヨーロッパが中国のように統一されずに独自の文化をもつ国々が競い合うことで発展してきたことも重要なことだったようです。現在のEUのような「ゆるーい統一」は理想的な形なのかもしれません。中国のような統一国家もダメだし、ソ連のように分裂してしまうのもダメだということです。もちろんトランプのアメリカのようにやり出したらもう先はないでしょう。
 こうして見て見ると「社会」の理想的な形も見えてくるようです。それはもしかすると「幸福な社会」とはどんな社会なのか?という問題にまで関わることかもしれません。
 こうして見えてきた理想的な社会を目指してきたのがヨーロッパ文明だったわけであり、EUはその一つの形だったともいえます。しかし、21世紀の今、その理想が崩れつつあります。それはたまたま今、ボタンを掛け違えてしまったから、上手く行かなくなったのか?それとも、根本的な考え方に誤りがあるのか?イスラム原理主義への回帰や民族主義の台頭は、その反動にすぎない一時的なものなのか?それとも、人類は再び混沌からやり直すことになるのか?
 これからしばらく世界は悩まざるを得ないのかもしれません・・・答えはやはり風の中なのでしょうか?

<参考>
「銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎」 1997年
Guns,Germs And Steel : The Fates of Human Societies
(著)ジャレド・ダイアモンド Jared Diamond
(訳)倉骨彰
草思社文庫

ジャレド・ダイアモンドの他の作品
文明崩壊」 滅亡と存続の命運を分けるもの

<参考>
<社会の分類>
(1)小規模血縁集団(5~80人)
血縁者、親戚関係からなる大家族で、現存するのはニューギニア、アマゾンの奥地のみ。
移動生活する狩猟採集民で、ほぼ平等な関係にある。(ゴリラ、チンパンジー、ボノボも同様の集団をつくる)
(2)部族社会(数百人)
定住している場合が多いが、家畜と共に移動する部族もいる。ニューギニア高地に現存する。
平等に近い社会だが、会議を行う合議制集団だが政治システムは存在しない物々交換経済社会。
(3)首長社会(数千~数万人)
15世紀以降消えた大型集団で、首長が問題の解決にあたる社会。
首長のために建築家、服飾家、政治家、兵士、占い師などの専門職が登場した。

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