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「ゼロ・グラビティ Gravity」

- アルフォンソ・キュアロン Alfonso Cuaron -

<体験する映画>
 「映画」とは観客にもうひとつの人生を体験させてくれるヴァーチャルなシステムです。映画を見ることで我々は、ゾンビに襲われて逃げ回ったり、許されない恋に身を焦がしたり、伝説の財宝を巡って争ったりすることができます。
 かつてリュミエール兄弟が上映した世界初の映画は、駅のプラットフォームに機関車が入ってくる映像で、それを見た観客の多くは思わずその場から逃げだしてしまったといいます。最新の3D映画はそんな映像体験をよりリアルに体感させようと開発されましたが、そのことをすでに知っている観客はその技術だけで驚くことはないかもしれません。椅子が動くという4D映画だって慣れてしまえば同じことです。そう考えると3D映画が価値をもつには、観客に3Dであることを忘れさせる作品であることが求められはずです。そのためには、観客を映画の世界に引き込み、自分がそこにいるように思わせなければなりません。「ゼロ・グラビティ」は、その意味で3D映画の存在意義を初めて証明した映画として映画史にその名を残すでしょう。考えてみると「映像体験」としての映画は、そう多くありません。ほとんどの映画は芝居や漫画や小説を実写化した「ドラマの映像化」であり、観客はその作品をお金をかけた大仕掛けの芝居として見ているにすぎません。
 それでは「ゼロ・グラビティ」は、他の映画とはどこが違うのでしょうか?ここではそのポイントをあげてみたいと思います。

<音響体験映画>
 この映画がはじまって最初に「おお!」と思ったのは、オープニングすぐの「無音」の地球の映像です。そこから13分ほどワンカットで続くことになる事故の始まりの前に来るこの静かな瞬間は、観客に「宇宙とは無重力である以前に無音」であることを実感させます。あなたはこれから宇宙での体験をすることになる、そう観客は映像によって意識づけされるのです。
 それでも、ここから主役二人の会話とハンク・ウィリアムスのカントリーソングが聞こえてくることで、観客は一安心させられます。自分は今はまだ人類最先端の文明に守られていると感じられるからです。しかし、その後、すぐにスペース・デブリによる事故が起きるため、地球との交信は途絶え、カントリーも聞けなくなります。再び、観客は宇宙に放り出されます。では、もうそれで音楽は聞こえなくなるのでしょうか?もちろん、そうはなりません。彼女が生きている限り、その脳内や唇には音楽が存在し続けます。ただし、彼女が音楽どころではない危機的な状況に追い込まれた時、どんな「音」もしくは「音楽」が聞こえてくるのか?
 そんな宇宙空間での音楽を担当したのが、スティーブン・プライスです。「
ロード・オブ・ザ・リング」三部作の音楽編集など、音楽編集の分野から映画音楽に関わるようになりました。オリジナルの作曲家としてはまだキャリアは浅いのですが、もう一人音響デザイナーのグレー・フリーマントルとのコンビは「音響」としての優れた音楽を見事に生み出しました。それは観客に「音楽」として聴かせるのではなく、ドラマの背景として観客の心に直接驚かせることに成功しています。

<ワンカット映画>
 オープニングのノーカット13分の映像の後も、この映画はほとんどカットがなく、時計の進みそのままにドラマが進む構造になっています。こうした特殊な映画は意外に少なく、フレッド・ジンネマンの「真昼の決闘」(1952年)やシドニー・ルメットの
「十二人の怒れる男」(1957年)のような名作は、ドラマを観客の感じる事件軸に合わせることで、より深く感情移入させることに成功しました。
 キュアロン監督は同じようにこの映画でも、ドラマをドラマを途切れさせることなく進行させることで、観客を宇宙空間から日常へと戻らないようにし続けています。監督自らが編集を行うのもそのためでもあるのでしょう。バラバラに撮られた映像でも、それを上手く編集することで、まるで長回しで撮影したように見せることも可能なのです。

<リアリズム映画(一部)>
 宇宙からの中継映像などで宇宙船や人口衛星の内部を我々は、それなりに知っています。それだけに、映画の中に登場する船内映像や主人公の宇宙服、それに地球や月などの映像はリアルでなければなりません。この作品に登場するISS(国際宇宙ステーション)やソユーズ(ロシアの有人宇宙船)や天宮(中国の宇宙ステーション)、神舟(中国の有人宇宙船)などは、徹底したリアリズムによって作られています。(天宮の中には卓球のラケットが浮かんでいました)僕的にちょっと気になったのは、一度脱いだ宇宙服を着るのが早すぎたことですが、まあそのくらいは良しとしましょう。それよりも、この映画にとってもっとも重要なのは、「無重力」の再現です。
 映画「2001年宇宙の旅」における無重力の表現はペンが浮かぶ場面など様々で、そこまでのこだわりはその後の映画にもないといえます。あの作品が傑作と言われる理由のひとつには、そうした「無重力」表現の素晴らしさがあったといえます。ただし、この作品の場合、「無重力」は全編に及ぶので、そのための技術開発は映画の成功を左右する問題でした。映画の製作は、その技術の完成を待ってされて始まったそうです。
 ティム・ウェバーをトップとする視覚効果チームの仕事こそ、この映画の主役といってもいいでしょう。彼は「アバター」(2009年)、「かいじゅうたちのいるところ」(2009年)、「ダークナイト」(2008年)などにも参加しています。ここでは複数のワイヤーを身体に装着し、それを人形のように操ることで無重力状態が再現されています。当初は、飛行機を用いて無重力状態をつくり、そこで撮影するという案もあったようですが、あまりにも時間が短すぎるためボツになったようです。
 もうひとつ印象深いのは、主人公の周りに見える宇宙船や地球の映像、それにヘルメットに映し出されるそれらの映像、さらにはそうした映像に当たる光の変化が実にリアルなことに驚かされます。たぶん、時間の進行に合わせて地球の風景も変化しているのだと思います。主人公ライアンが命綱を失い宇宙空間を回転しながら飛んでゆく場面、カメラが彼女の目線になって、観客は一気に彼女の体と入れ替わります。このシーンこそ、この映画最大の見せ場といえるかもしれません。
(注) ただし、ラスト近く主人公が地球の大気圏に突入する場面は、到底リアリズムとはいえません。そうでもしないと、主人公は死ぬしかなかったのでしょう。そんなわけで、この映画のリアリズムはラストについては、「ザ・ハリウッド映画」と考えるべきでしょう。

<説明のない映画>
 かつてスタンリー・キューブリックは「2001年宇宙の旅」において、用意していた多くの説明のためのナレーションをカットしてしまいました。そのために、映画は当時、近い困難な映画として様々な解釈を生み、大きな話題となりました。それが現在もなお高い評価を受け続ける伝説的映画誕生の最大の理由だったともいえます。もちろん、ただ難解なだけでは観客はついてこなかったし、それでもなお観客をひきつける映像の説得力があったことも重要だったのですが・・・。それでも、もし、あの映画に「モノリスは人類を次なる段階へと進化させるための装置である」とか、「モノリスはワープの入り口として、ボーマンを自分たちの星へと移動させる役目を果たす」などの説明が加えられていたら、観客はあの映画を優れたSF映画の傑作として楽しんだでしょうが、それをボーマンの立場になって体験することにはならなかったでしょう。それは一度見れば十分に理解できる作品のひとつにすぎなかったでしょう。
 「ゼロ・グラビティ」においてもまた、同じように説明ははぶかれています。オープニングの13分にあった地球との交信内容とその後、生き残ったマット(ジョージ・クルーニー)が彼女に伝えた地球へ帰還するための方法。それだけが、観客たちに与えられた事前情報で、そこから先は観客自らの判断が求められることになります。それはまるで、最初に与えられた推進力だけで慣性の法則を頼りに宇宙空間を移動する主人公の旅と同じことのようにも思えます。途中で再登場するマットの存在は、彼の意思(霊魂)が宇宙空間を消えることなく動き続けていることの証だったともいえます。
 この映画における「無重力」は、フワフワと浮かぶイメージではなく、慣性の力によってすべての物が危険な衝突物となりうる「危険な力」と考えるべきかもしれません。「無重力」との闘いは「慣性力」との闘いでもあるわけです。
 主演のサンドラ・ブロックは、1994年「スピード」で一躍脚光を浴びた女優です。思えば、「スピード」は一定のスピードでバスを走らせ続けなければ、爆発が起きるという設定になっていました。これもまた加速度のないある意味「無重力」に近い世界での闘いでした。ナイスな配役です。

<説明する映像>
 説明を排除した映画だからこそ、この映画には映像により様々な説明が行われていて、そこがこの映画の面白さになっています。映画ファンなら思わずニヤリとするようなSF映画へのオマージュも多く、楽しめるはずです。ここでは、その中のいくつかを書き出しておきます。
<「アポロ13」>
 この映画のオープニングで主人公はNASAとの交信を行っています。その話し相手の管制官の声の主は、エド・ハリスなのだそうです。エド・ハリスといえば、リアリズム・宇宙映画の傑作「アポロ13」で地上で救出作戦の指揮をとっていた俳優です。彼の声が聞こえてきた時点ですでに映画は不吉な状態にあったわけです。

<「エイリアン」>
 主人公のライアンが宇宙服の酸素がなくなり、ギリギリでロシア船にたどり着き、そこで宇宙服を脱ぐ場面。この時の彼女の下着姿は本物の宇宙飛行士のものとは違います。(本当はオムツをつけています)これはデザイン的にも「エイリアン」のリプリー(シガニー・ウィーバー)の衣装とそっくりです。これはまさに、「エイリアン」でたった一人生き残った女性宇宙飛行士へのオマージュでしょう。

<「
2001年宇宙の旅」>
 上記の場面で宇宙服を脱いだライアンが宇宙船の窓を背景に胎児のように丸くなった時の絵。これは「2001年宇宙の旅」のラスト・シーンそのものです。肉体を必要としない新たな人類へと進化したボーマンが地球を背景に「スター・チャイルド」(超人類)として地球のそばに現れたあのラストの名場面です。この場面は、主人公がその後、人間的に成長し新たな人間になって地球に立つことを暗示しているともいえます。

<「人類進化の歴史」>
 上記の場面で表現された新人類の誕生は、ラストでライアンが地上にたどり着き、そこで立ち上がる場面ではそれとは異なる人類誕生の進化が表現されています。
 地球に生命が最初に誕生したのは誕生したばかりの陸地と海の境目。浅瀬の海に何種類かの化学物質が集まり、生命の源となる物質(原始スープ)が誕生。それが偶然できた泡状の隔壁のようなものに囲まれたことで「細胞」(単細胞)が生まれました。さらにそれがいくつか集まり、なおかつそれが複製可能になった時、ついに生命の原型が生まれました。(遺伝子の誕生)その延長線上に植物が現れ、生命は地上に進出します。その後、脊椎同物の進化系として魚が誕生。それが両生類、爬虫類へと進化ながらついに生命は陸上へと進出。人類は、その地上で二足歩行を始め、地上を支配する存在へと進化することになります。
 着陸船という隔壁に守られたライアンは、まさにそんな細胞の誕生であり、彼女がそこから脱出し、海面へ、さらに浜辺でゆっくりと立ち上がる場面は、カメラが這いつくばるように下から撮っています。これも、生命がゆっくりと進化してゆく流れを表現したアングルです。ストーリー的には、大気圏に突入し海に降りた時点で、ヘリコプターや船が来て彼女を救いだせばそれでよいはずです。しかし、この映画は彼女にあえて最後まで一人で戦わせているわけです。

<「
惑星ソラリス」>
 ライアンが死を覚悟したところに突然マックスが現れる場面。まさかそれって出来過ぎでしょ?と思ったら、ちゃんとそれには理由がありました。
 マックスを演じているジョージ・クルーニーといえば、彼が盟友スティーブン・ソダーバーグと作った「ソラリス」をご存じでしょうか?「ソラリス」は、アンドレイ・タルコフスキーが撮った「惑星ソラリス」(1972年)のリメイクで、人間の意識化に侵入し、それを実体化する能力を持つ惑星の海を描いたSF映画です。そこで自分たちの深層心理を見せられ壊滅に追い込まれる探査衛星の乗員を彼は演じていました。彼のそばに突如別れた妻が現れ、彼の心を追いつめてゆく場面があります。これもまた実によくできた配役です。

<人間ドラマとしての映像>
 特殊効果に集中してしまいがちなこの映画ですが、この映画のテーマは主人公ライアンの人間的成長を宇宙における危機を背景に描くことです。マットとの会話とあとは彼女の独り言や一方通行の語りしかない中で、主人公の人間性を浮き上がらせたこの映画の脚本も高く評価できます。
 わずか90分の映画の中で、危機脱出のドラマと並行して彼女の生い立ち、苦悩、そして再生までを描きだしたのですから、大したものです。あらゆるジャンルにおける優れた作品はそこで表現されている具体的なテーマだけではなく、そこからダブル・ミーニング、トリプル・ミーニング的に広がりをもって見えてくる、より普遍的なテーマを感じさせるものです。この映画は3Dを用いたエンターテイメント作品であると同時に、一人の女性の人間的な再生を描いた人間ドラマを人類誕生の歴史になぞらえて表現したわけです。
 「2001年宇宙の旅」が挑んだ人類誕生から超人類までの進化のドラマとは異なり、この映画は過去の人類誕生から現在の人類へ、そして一人の女性の再生へというのがテーマをわずか90分に描き込んだのですから大したものです。アルフォンソ・キュアロン監督の次の作品にも期待したと思います。

「ゼロ・グラビティ Gravity」 2013年
(監)(脚)(製)(編)アルフォンソ・キュアロン Alfonso Cuaron
(アカデミー監督賞)
(製)デイビッド・ヘイマン David Heyman
(製総)クリス・デ・ファリア Chris De Faria、ニッキ・ペニー Nikki Penny、スティーブン・ジョーンズ Steven Jones
(脚)ホナス・キュアロン Jonas Cuaron
(撮)エマニュエル・ルベツキ Emmanuel Lubezki
(アカデミー撮影賞)
(美)アンディ・ニコルソン Andy Nicholson
(編)マーク・サンガー Mark Sanger
(アカデミー編集賞)
(視効)ティム・ウェッバー Tim Webber
(アカデミー視覚効果賞)
(音編)グレン・フリーマントル Glenn Freemantle(アカデミー音響編集賞)
(衣)ジャニー・ティマイム Jany Temime
(音)スティーブン・プライス Steven Price
(アカデミー作曲賞)
(出)サンドラ・ブロック Sandra Bullock、ジョージ・クルーニー George Clooney


祝!アカデミー賞7部門受賞(アカデミー録音賞も受賞)

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