グーテンベルクの活版印刷革命


- ヨハネス・グーテンベルク Johannes Gensfleisch zur Laden zum Gutenberg-
<グーテンベルクと21世紀>
 「グーテンベルクの時代」という本を読んでみました。基本的にこのサイトは20世紀から21世紀のポップ文化の歴史を追いかけているので、15世紀に生きたグーテンベルクは遥かな過去、範囲外になります。まあそんなことは関係なく、単に面白そうだから、読んだのですが、意外なことに彼が生み出した活版印刷の技術の影響は、21世紀の現在にまで及んでいることがわかりました。
 では、どこで15世紀の技術が21世紀が結びついているのか?
 そこには単なる技術的な活版印刷の価値とは別に、思想的な部分にまで関わる深い理由がありました。
 ここでは、「グーテンベルクの時代」を教科書にして、活版印刷の技術が世界史に及ぼした影響について、改めて振り返ろうと思います。
 まずは、15世紀と21世紀が共通する「コミュニケーション革命」についてから始めます。

<4つのコミュニケーション革命>
 20世紀末から21世紀にかけての日本に生まれ育った戦後世代は、豊かで平和な時代しか知らずに生きてきました。ただし、その時代は人類史における重要な革命期にあたっているとも言われます。現在、我々は「インターネットによるコミュニケーション革命」の真っただ中を生きているのです。
 そして、この画期的なコミュニケーション革命の時代に先立つ、一つ前の革命にあたるのが「活版印刷による革命」だと言われています。ちなみに、人類史におけるコミュニケーション革命はこれまでに4回あり、それぞれ画期的なコミュニケーション関する発明から始まっています。
(1)「書く」という行為そのものの発明
(文字や象形文字の発明により、人類は「書く」ことによって「記録」や「伝達」の方法を獲得しました)
(2)アルファベットの発明
(共通の言語として利用できる文字の発明によって、地域だけでなく民族、国家、地球レベルで情報を伝え合うことが可能になりました)
(3)活版印刷術の発明
(印刷技術のおかげで誕生した「本」という情報媒体の登場は、支配階級だけでなく大衆の情報共有を可能にしました)
(4)インターネットの誕生
(コンピューターの発達から誕生した「インターネット」は世界規模で情報の共有を可能にし、国境、言語だけでなく時間の壁を越えることも可能にしました)
 私たちは、今4つ目の革命を体験しているわけです。

<活版印刷が残した遺産>
 インターネットの登場によって、活版印刷の技術は過去のものになるかもしれません。紙媒体の印刷物が将来的に市場から消えてしまう可能性もあるでしょう。しかし、そこから誕生した様々な遺産は、現在もなお重要な意味を持ち続けています。
 例えば、「印刷技術」が生み出した「本」の存在がなければ、専門家ではなく一般の大衆に向けた「小説」、「歴史書」、「新聞」、「雑誌」など様々なジャンルの作品群は生まれなかったかもしれません。なぜなら、こうした作品が世に出るには、誰もが読める言語で書かれ、誰もが購入できる価格で売られる「本」の存在が欠かせなかったはずだからです。大量の読者のための安価な印刷物を生み出す技術があったからこそ、それらの作品ジャンルが誕生したのです。そして、インターネットの登場により、それらの作品群は今後、紙がこの世から消えてもなお存在し続けるはずです。

 それともう一つ、「本」が今後生きて行くであろうインターネットの世界にとって欠かせない重要な機能である「検索」の機能もまた活版印刷の技術から生み出されたといえます。

 印刷の登場による最大の影響は、人間活動のほぼあらゆる側面と知識が突如として分類可能になったということだ。印刷所はつねに高度に組織化された場所でなければならず、あらゆるものについてあるべき場所が定まっているとともに、あらゆるものがその場所に、すなわち引き出し、アッパーケース、ロアーケース、および多数の箱などにおさまっていなければならない。本の内容についても同様だ。文章をページごとに再生して、ページ番号をつけることがいまや可能になったので、扉と索引の両方を通じて、内容をてっとりばやく読者に知らせることができる。・・・

 さらに印刷所は、様々な技術や知識、人材、企業などを生み出すことにもなり、世界のあらゆる情報が集積する場所にもなって行きます。

・・・ヨーロッパの印刷所は商業および学問の変化にとって一大勢力となる。印刷所の親方は社会的な勢力として台頭し、金融、著者、校正者、原材料納入業者、パンチ作り職人、活字鋳造者、プレス工、および販売業者を調整しながら、より鮮明な扉とよりよい索引、さらに完璧な校正を約束しつつ、たがいに競争する。また、印刷所は印刷職人の親方という学長が率いるミニ大学ともなり、さまざまな言語をはなす学者を惹きつけ、情報を収集し、普及させたのである。

 こうした技術的変化とは別に、活版印刷が直接的に世界を変えたことを歴史は示しています。

<ルネサンスと活版印刷>
 活版印刷の技術をグーテンベルクが生み出したのは、ドイツ北部のマインツの街と言われています。(岡崎や武藤が活躍したあのマインツですね)しかし、その後、印刷の技術がヨーロッパ各地に広がる中で、最も印刷工場が繁栄することになったのはイタリア北部のヴェネチアでした。当時のヴェネツィアは、海運業を中心に莫大な富を蓄えた最強の都市国家で、14世紀に始まったルネサンス(文芸復興)の震源地となった芸術と文化の都でもありました。
 1453年にトルコ軍がコンスタンティノープルを占領したことで、その街に住んでいた多くの学者が船に乗り、ヨーロッパ側の窓口でもあったヴェネツィアに逃げ込みました。その中には古代ギリシャの学問・芸術についての研究者も多かったようです。そして、繁栄のピークにあったヴェネツィアには、150台以上の印刷機があり、そこはヨーロッパ最大の印刷所でもありました。こうしてギリシャ研究の中心地からヴェネチアに持ち込まれた様々な古代ギリシャの知識や研究書が印刷物となって出版されることになります。古代ギリシャの優れた文化を再評価するルネサンスがヨーロッパ各地で一大ブームとなる背景には、間違いなく印刷された書物の存在があったのです。
 それだけではありません。活版印刷の技術が生み出した歴史的な書である「グーテンベルクの聖書」(1455年頃)にも、ルネサンスの影響が色濃く残されていて、それがその書物を単なる印刷物とは違うレベルにしているというのです。どうやら「グーテンベルクの聖書」はただ単に古いだけの印刷物ではなかったようです。そこには、文字の美しさ、行の間隔や余白のバランス、装丁など細部にわたり、ルネサンスで再評価されたギリシャ的な美意識が貫かれているらしいのです。

 このヨーロッパで最初の印刷による本である聖書・・・が、あまりに崇高な美しさと専門的技術を体現していたため、そののちの世代は現在にいたるまで質の面でこれを凌駕することはおろか、比肩することすらほとんどできていないのは依然として驚きである。植字の規則正しさ、均一な刻印とシルクのような黒さ、レイアウトの調和、およびその他の多くの面で、現代の状況下ではほとんど望めないような威容を誇っている。このような業績は、傑作に対する熱烈な意志にうながされ、その衝動や情熱を仲間の働き手に伝達する能力をそなえた人物の存在しか考えることはできない。
アルベルト・カプル

 グーテンベルク聖書は技術とルネサンス美術のユニークな融合である。もし印刷が15世紀のイタリアで発祥したのであれば、説明は容易だろう。そのような革命的な装置がレオナルドの創意、ミケランジェロの芸術性、それにブルネレスキの技術的手腕の国土から発祥しているのであれば、それほど自然なことはないだろう。ところが、印刷術がアルプスの北側で生まれて、その後に南側のより豊かで野心的な文化と融合したということは、非常に異例なことである。

 もしかすると、イタリアのルネサンスとドイツの印刷技術の出会いこそが、活版印刷普及の最大の原因だったのかもしれません。

<グーテンベルクの仕事>
 グーテンベルクとはいかなる人物なのかは、肖像画もなく詳細な生い立ちもわかっていません。それでも、彼がどうやって活版印刷を実現したのかは、おおよそわかってきたようです。彼は科学者ではなく、発明家でもありませんでしたが、様々な技術をまとめ上げるプロデューサーであり、資金を調達する資本家であり、それで利益を上げる経営者だったようです。
 当時、すでに存在していた印刷の技術、インク、紙、プレス機(葡萄を絞るための機械だった)などの技術とそれを使いこなす技術者を集めると同時に、それらを動かすための巨額の資本金をかき集めることで、彼は活版印刷を世界で初めて実現したのでした。
<活版印刷とは?>
(1)凸型のカウンターパンチ(父型)と呼ばれる金属型(銅など)の部品をノミで削り出して文字型を作ります。
(2)カウンターパンチを金属板にあて、ハンマーで打ち付けることで凹型(母型)の文字型を作ります。これは「マーテル mater(母)」(ラテン語)を語源とした言葉「マトリックス matrix(母型)」と呼ばれます。
(3)「マトリックス」を底にして、枠組みで囲むことで活字のもとになる柱状の空間を作り、そこに金属を流し込みます。
(4)柱状空間を作った枠をはずすと、先端に文字型(裏返し)がある柱状物(活字)が残ります。
(5)出来上がった文字型(活字)を並べることで活版(印刷の原板)を組み上げます。
(6)活版にインクをつけ、紙や皮をのせてプレス機にかけて圧縮し、インクを写し取ります。

<なぜイスラム圏で生まれなかったのか?>
 15世紀、ヨーロッパの文明は決して世界の最先端をいっていたわけではありませんでした。当時、世界を技術力、軍事力でリードしていたのは、イスラム圏の国々、とくにトルコでした。そして、トルコには活版印刷を可能にする技術力も経済力も、そして印刷するための書物(コーラン)も存在していました。なのになぜ、活版印刷はトルコではなく、ドイツで誕生したのでしょうか?
 それには、イスラム教という厳格な宗教が「権威」もしくは「宗教指導者」を守ろうとする古い体質が影響を及ぼしていたと考えられます。

 イスラム教徒にとって、ロビンソンの指摘によれば、印刷術は「知識を信頼できるものにしていると思われていたもの、それに権威を与えていたものを攻撃した」のである。もはや権威をもって伝達ができなくなり、お金も入ってこないし、すべての権威が失われて、神に傷がつく、というわけだ。
 グーテンベルクの発明が、大きな障壁に直面したのも不思議ではない。


 それに「コーラン」という聖典のもつ特殊な性質もまた、それを書物化することを良しとしなかったと考えられます。

 イスラム教徒にとって、コーランは神の言葉である。・・・さらに、「コーラン」とは「吟誦」という意味だ。その神威は学んで、声に出して言うことによって実現される。・・・コーランを教える学校では、教師は生徒に書き取りをさせるが、その目的はつねに口頭による文章を記憶から記憶に移転することにある。本は二義的なものでしかない。イスラエルの詩文によれば、「本は死ぬが、記憶は生きつづける」。・・・つまり、「生徒とは、過去から継承されたイスラム教の学習という偉大な伝統の一環をなしている、その世代における被信託者なのである」

 世界を変える発明は、どうやら変えられては困る文明(宗教)にとっては許容できない存在だったようです。では、なぜキリスト教の社会であるヨーロッパでは可能になったのでしょうか?イスラム教と同じようにキリスト教の宗教指導者も自分たちの権威を危うくしかねない「神の言葉」である聖書の量産にストップをかけた可能性はありました。グーテンベルクもそのことを恐れていたようで、聖書の印刷には慎重で、先ずはそれ以外の印刷物から活版印刷の実用を始めています。
 彼が最初に印刷したのは、学生たちが必要としていたラテン語の文法書「ドナトゥス Donatus」(著者はアエリウス・ドナトゥス)で、それは28ページと厚みも試作品にぴったりでした。その次には、ギリシャやローマの予言的な民話を集めた書物「シビルの信託」を印刷。そして、その量産能力を買われて、キリスト教の指導者から受けた仕事があの悪名高き「免罪符」の印刷でした。キリスト教の指導者たちの多くは、イスラム教の指導者たちと異なり、私利私欲のために宗教を利用することを恐れず実行したのです。そんな中、グーテンベルクは「聖書」の印刷にいよいよ狙いをつけ始め、キリスト教指導者たちの欲ボケのおかげで、運よく「聖書」を印刷するチャンスをつかもうとしていました。ところが、彼が住むマインツの街で起きた内戦により、彼は資産も技術者もノウハウも運も出資者も失ってしまいます。そして、活版冊の技術は、彼の弟子たちに受け継がれることになりました。

<宗教改革という追い風>
 「聖書」の印刷が実現しただけでなく、それが大量生産されるきっかけとなったのは、旧態然としたキリスト教を改革しようと立ち上がったマルチン・ルターを中心とする宗教改革の動きでした。当初、聖書はあまりに高価だったため、ドイツ中で大量に出版されたのはルターの宗教改革に関する著作でしたが、それまで「神の言葉」でもある「聖書」を独占してきた教会指導者たちは窮地に追い込まれることになります。1563年ジョン・フォックスは「殉教者の書」の中でこう記しています。

「主は有頂天の敵を鎮圧すべく、剣や矢ではなく、印刷すること、書くこと、および読むことで、教会のための仕事をはじめた。・・・教皇は知識と印刷術を廃止しなければならない。さもなくば、印刷術が最終的には彼を廃位に追い込むことになろう」

 さらにそこで重要な意味を持ったのは、活版印刷の技術がヨーロッパ各地に広がったことで、様々な国家、民族のための聖書が生み出され始めたことです。イタリア、バチカンの教皇をトップとして組み上げられていたヨーロッパのキリスト教を柱とする社会構造が崩れ始め、それぞれの国で独自のキリスト教社会構造が育ち始めることになります。それまでは一部の宗教者しか読めない「ラテン語の聖書」が基本だったものが、あらゆる言語の聖書が生まれることで神の前の平等が実現し始めました。そして、それがバチカンを中心としたキリスト教世界の終焉をもたらすことになるのでした。

・・・ルターは「ドイツ国家」に向かってドイツ語で話しかけている。彼の訴えは外国支配にあきた人々に対するものだった。彼の力強い言葉は文化的な民族主義の礎となり、政治的にも劇的で持続性のあるインパクトをもたらした。ただし、国民国家の創設という論理的な結論にいたるには、さらに四世紀を要することになる。しかし、ドイツで解き放たれた潮流 - プレス機、言語、ナショナリズム - は、ヨーロッパのどこにでもあてはまる。

 「宗教改革」をきっかけにヨーロッパはまっぷたつに分かれてしまいます。それは、「聖書」を拠り所とするプロテスタントの国々と教皇を頂点とする組織を拠り所とするカトリックの国々です。そして、グーテンベルクが生み出した活版印刷の技術は、プロテスタント側にとっての重要な武器として機能することで、ヨーロッパ各地に広がることになりました。
 それに対して、カトリック側は現在でも世界中で行われている「検閲」により対抗を試みます。そしてプロテスタント関連の書物を中心に発禁書物のリストを作りますが、結局、効果はありませんでした。

・・・プロテスタント教徒の脱退後、引き締めのために召集されたトレントの宗教会議(1545年~1563年)は、あの呪うべき発明のせいで現存している本については、中央集権的なリストを作成する。印刷術という神聖な発明のおかげで、そのリストは1559年に初めて発行されて以降、年々長くなるとともに、その悪評も年々高まった。
 実際には、それはまったく悪意に欠けていた。というのは、「禁書目録」は、なにが新しくて興味深いかを宣言してくれているので、プロテスタント系の出版社にとってはいい宣伝になったのである。発禁は実際にはまったく効果がなかった。


 思えば、「禁書目録」に基づく検閲もまた21世紀の今、インターネットの世界で相変わらず行われています。
 こうやってみてくると、グーテンベルクが量産可能な「本」というコミュニケーション・ツールを生み出して以降、紙による出版物である「本」が消えたとしても、そのコンテンツはディスプレイ画面に表示されるデジタルな出版物へと変化しることで永遠に生き残るのではないかと思えてきます。

 グーテンベルクの発明は知的ゲノム、すなわち世代を超えて継承できる知識の基礎という可能性を創造したのである。ヒトゲノムはそれ自身では不変のままわれわれ人間のなかに表現される。あらゆる新しい世代はその知識の川を利用したり、追加したりすることができる。たとえ最後のプレス機が停止したり、紙がなくなったりしても、である。


<参考>
「グーテンベルクの時代 印刷術が変えた世界 The Gutenberg Revolution」
 2002年
(著)ジョン・マン John Man
(訳)田村勝省
原書房

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