- ジプシー・キングス Gipsy Kings -

<CMソングの王様>
 ジプシー・キングスと言えば、1990年代から2000年代にかけての日本におけるCMソングの王様でした。タバコならLARK、自動車ならマツダのセンティア、化粧品なら資生堂、ビールならキリンの端麗生、ついでに時代劇ならテレビ・ドラマの「鬼平犯科帳」のエンディング・テーマ「インスピレイション」と、次々に登場してきて、どれもが見る者に大きなインパクトを与えました。(特に私は「鬼平犯科帳」のファンで、中でもあの美しいエンディングの映像と音楽の素晴らしさは未だに忘れられません。先日新シリーズが始まったので、ついに録画しました。わずか数分の間に日本の美が見事に凝縮された映像に彼らのセンチメンタルな音楽があんなにはまるとは!)
 「ほんの数十秒で見る人に強烈なインパクトを与えることができる音楽」これこそCMに最適な音楽であるなら、彼らジプシー・キングスの音楽ほどぴったりの存在はないかもしれません。フラメンコ風の独特のスタイルに編曲された覚えやすいメロディーやスタンダード・ナンバーの数々。それは聴く者に強烈なインパクトを与え、一度聴いたら忘れられない印象を与えます。実際、我が家の長男も小学校一年生の時、「ヴォーラーレ、ウォーウォー・・・イツモ・キミートイルー」と一部勝手に日本語の歌詞をつけながら歌っていたものだ。(スペイン語は日本語に発音が近いため、彼らの歌はやけに日本語に聞こえる部分が多い)

<ジプシーの音楽一家>
 フランスやイタリアなどヨーロッパの南部を中心に生活する流浪の民、ジプシー。ジプシー・キングスの中心メンバー、レイエス兄弟の父、ホセ・レイエスはジプシーが生んだフラメンコ・ギターの名手マニタス・デ・プラタのグループでヴォーカリストを勤める人物でした。さらに、同じくバンドの中心となっているバリアルド一族は、そのマニタス・デ・プラタの甥にあたる連中でした。

<ジプシーと音楽>
 旅から旅の生活を長年続けているジプシーの人々にとって、音楽は生活の一部となっています。ですから旅芸人として、音楽や芸能で生活費を稼ぐ人々がいるのも当然です。こうしてホセ・レイエスの息子たちも兄弟同士、いとこ同士で集まり音楽活動を始めました。とはいっても、多くのジプシーのバンドがそうであるように、彼らはけっしてプロとして世界を制覇しようなどとは思っていなかったはずです。
 ストリート・パフォーマンスやお祭りの出し物、それに結婚式などお祝い事やパーティーでの演奏などによって、ささやかな日銭を稼ぐ毎日、それが彼らにとってごく普通の毎日でした。多くのジプシーのミュージシャンたちは、そんな生活を一生続け、それが当たり前と思っていたはずです。
 ところが、彼らジプシー・キングスは、そうはならなかったのです。彼らの運命はひょんなことから大きく変わって行きました。

<運命の出会い>
 ある夜、偶然彼らの演奏を聴いた一人の年老いた老人が、素晴らしい彼らの演奏に感動し、涙を流しました。その時、彼らが演奏した曲は、究極のスタンダード・ナンバー「マイ・ウェイ」だったようです。その後しばらくして、その老人はこの世を去ったのですが、彼はジプシー・キングスの素晴らしさを多くの人に教えました。そして、その老人こそあの喜劇王チャーリー・チャップリンだったのです。
 この逸話はフランス中で話題になりましたが、さらに彼らには強力な宣伝係が現れます。それはかつて一世を風靡したフランスを代表するアイドル女優、B.B.ことブリジッド・バルドーでした。彼女はやはり偶然見たジプシー・キングスのファンとなり、自らのビデオ作品に彼らを出演させるなど、その知名度アップに大きく貢献しました。
 こうして、少しずつその名を知られるようになってきたジプシー・キングスに目をつけたのが、クロード・マルティネスというやり手のプロデューサーでした。彼はすぐにこのバンドに惚れ込み、彼らの持ち味を活かしつつ、よりポップでワールド・ワイドなスタイルを確立するよう指導し始めました。そして生まれたのが、彼ら独自の複合型フラメンコ・サウンドだったわけです。

<複合型フラメンコ・サウンド?>
 イントロのギターがドゥービー・ブラザース調かと思えば、それが情熱的なフラメンコ調に変わり、始まった歌の節回しはと言えば、まるでシェブ・ハレドのライのようで、そのメロディーはヨーロッパ調の超スタンダード・ナンバーだったりするわけです。この世界市場を視野に入れたスタイルは、彼らがソニー・レコードと契約して発売した彼ら自身3枚目のアルバム「ジプシー・キングス」(1987年)でいよいよ本格的に展開されました。このアルバムは、先行して発売されていたシングル「ジョビ・ジョバ」と「バンボレオ」のヒットに続き、世界中で大ヒットを記録しました。

<ワールド・ミュージック時代>
 時はまさにワールド・ミュージックの時代を向かえようとしており、彼らにとっては素晴らしい追い風が吹いていました。まして、フランスはそのワールド・ミュージック・ブームの発信地であっただけに、彼らは実に恵まれた条件の下で活躍を開始することができたと言えるでしょう。
 その後発売されたアルバム「モザイク」「エステ・ムンド」「ラブ&リベルテ」も、それぞれ世界中でヒットし、彼らはまさにワールド・ミュージック・ブームが生んだシンデレラ・ボーイとなったのです。

<ファミリーとしてのバンド>
 ニコラ・レイエス(ヴォーカル)、トニーノ・バリアルド(リード・ギター)、カヌート・レイエス(ギター&バック・ヴォーカル)、バウル・レイエス(ギター&バック・ヴォーカル)、パコ・バリアルド(ギター)、ディエゴ・バリアルド(ギター)、二つの血筋からなるメンバーは、どんなにバンドがビッグな存在になっても、ほとんど不動のまま活動を続けています。たとえ、もしいつかこのバンドの人気が落ちたとしても、彼らは変わらぬメンバーでいつも通りの音楽を演奏し続けていることでしょう。なぜなら、家族の血を重んじるジプシーの二つの家系によって結成されたこのバンドは、プロの音楽集団であると同時に、ひとつの家族なのですから。

<残されたジプシーの記憶>
 こうして、彼らの活躍で「ジプシー」という流浪の民の音楽が、永遠に記憶に残るものになりました。(有名なジプシー系のギタリスト、ジャンゴ・ラインハルト以来か?)島国根性の塊の日本人には、ジプシーとして生きることの厳しさなどとうてい理解できないのでしょうが、そんな過酷な人生を生きるジプシーにとって、彼らはまさに「王様」的存在となったのです。

「ジプシーとは?」
 コーカサス人種に属する黒髪、黒眼が特徴の民族。ルーマニア、ハンガリーなど東欧圏を中心に小集団で生活している。馬の飼育、売買や金属加工による工芸品。アクロバットや音楽などの大道芸などを仕事としながらヨーロッパ各地を放浪。南北アメリカやオーストラリアに移住したグループもいる。
 「ジプシー」よいう呼び名の由来は、「エジプト人(エジプシャン)」からきているが、最近では「ロマ」と呼ばれています。言語学的な研究によって、その起源はインド北西部の一部族から発したと言われるようになっています。

<締めのお言葉>
「放浪者というのは、常に容疑者なんだ。地に根を下ろして生活している人間たちから見れば、自分の守るべき家庭を脅かす脅威なんだ。連中は黒い馬に乗ってやって来て、彼らの女房や娘をさらって、ものにしてしまう男たちなんだ・・・」
ウォーレン・オーツ「荒野より」

ジャンル別索引へ   アーティスト名索引へ   トップページへ