悲劇の国と希望の国に生きる人々


「愛するものたちへ、別れのとき Brother, I'm Dying」

- エドウィージ・ダンティカ Edwidge Danticat -

<悲劇の国ハイチ>
 アメリカで暮らすハイチからの移民たちと故郷のハイチで繰り返す悲劇に翻弄される人々を描いた小説「愛するものたちへ、別れのとき」を読みました。著者は、この小説の主人公と同じようにハイチからアメリカへと渡った女性。彼女の自伝的な内容になっていて、背景もほぼ事実に基づいて書かれています。この小説を読むと、アメリカにおける移民たちの現状と21世紀初めのハイチの歴史がある程度は理解できます。
 ただし、この小説の後も、2010年にはハイチ全域が破壊された大地震により、10万から20万人の命が失われ、2016年のハリケーン「イルマ」によっても1000人以上が命を落としています。そのおかげで、ハイチは未だに経済的などん底状態から抜け出せずにいます。そのためにハイチの国は、長い間、世界で最も貧しい国として見られてきましたが、それはハイチの人々が世界一不幸な人々であることと同義なのでしょうか?
 ハイチを愛した映画監督ジョナサン・デミは、生前、こんなふうに語っていました。
「多くの人はハイチを貧しく悲惨な国として見下し、そこに住む人々をも同じように見下している。でも、彼らはけっして不幸ではない」
 そのことは彼らが生み出す音楽や絵画、そしてこの小説を読めばわかると、僕も思います。
 ここでは小説「愛するものたちへ、別れのとき」を基にしながら、ハイチの現代史(1960年代以降)を勉強したいと思います。

<ハイチの現代史>
<デュヴァリエ政権の終焉>
 1957年に大統領に選挙で選ばれたフランソワ・デュヴァリエは、当選後、手のひらを返したように大衆の期待を裏切り、長きに渡る独裁政治を始めます。そのために私的な軍隊トントンマクートを設立。独裁に反対する勢力を残虐な暴力によって排除すると息子のジャン・クロード・デュヴァリエに跡を継がせ、親子二代で30年に渡ってハイチを支配し、富と権力を独占し続けました。そんな異常な独裁体制に対して始まった民主化運動の中で指導者として闘ったジャン・ベルトラン・アリスティド神父は、1990年12月の大統領選挙で見事に勝利をおさめました。

 1990年プロスペル・アブリル将軍が退陣し、同年12月の選挙を可能にした。そしてこの選挙で、デユヴァリエ父子に対する勇気ある説教によって莫大な数の支持者を集めていたジャン・ベルトラン・アリスティドという名前の若い神父が、67%の得票で勝利した。アリスティドは、1991年2月7日、伯父さんの68歳の誕生日に大統領に就任した。

 ところが、軍部と支配階級は自分たちの富と既得権益を守るためにアリスティド神父の民主的な改革に抵抗、1991年9月に軍事クーデターを起こします。そのため大統領は国外に逃げざるをえなくなりました。その間、混乱するハイチからは、アメリカへの移民が急増。アメリカは内戦の混乱を収めるために軍事介入を行いますが、内戦状態は続きます。
 2000年11月、再び大統領選挙が行われると、国外から戻ったアリスティドが勝利を収め、翌2001年に再び大統領の座につきます。ところが、順調に船出したはずのアリスティド政権でしたが、左派的な政策を打ち出しアメリカによる経済的支配からの脱却を目指す、改革に対し、今度はアメリカが自国の利益を守るため経済制裁を発動します。そのため、ハイチの経済はインフレによって崩壊。危機的状況の中、政府内の汚職事件が次々に発覚し政府への信頼が失われて行きました。
 混乱が続く中、ハイチ国内は反政府武装勢力と大統領派の武装勢力シメールによる衝突が多発、内戦の様相を呈し、またもアリスティドは国外へと逃げ出すことになりました。
 2004年、国連が介入することで、安定化のための取り組みが始まります。そして、2006年に国連の監視の下で行われた選挙で、アリスティドの後継者となったルネ・ガルシア・プレヴァルが大統領に当選。やっと政権が安定しそうになります。ところが、2010年1月12日、ハイチを歴史的な大地震が襲います。マグニチュード7.0の巨大地震によって首都のポルトープランスをはじめ、ハイチ全土が崩壊し20万人以上が命を落としました。
 2011年、混乱の中、次の大統領に選ばれたのは、コンパ(ハイチの代表的ポップ・ミュージック)の歌手として有名なミシェル・マテリ(スウィート・ミッキー)でした。実は、ハイチの歴史上、選挙で選ばれた大統領が任期を全うし、次の大統領が選挙によって平和裏に選ばれたのは、初めてのことでした。その意味では、ハイチは平和になりつつあると言えるかもしれません。

 ここからは小説のあらすじに沿って、ハイチの現代史とアメリカへの移民について考えたいと思います。
<あらすじ>
 主人公の少女(著者)は、ハイチで弟と二人生まれ育ちました。経済的にアメリカの植民地となりカリブ1の貧しい国と言われていたハイチでは、子供たちを食べさせ、教育を受けさせることができない。そう考えた彼女の父親は、親戚が住むアメリカへの移住を決意します。先ずはそのための資金を集めることと、生きるための仕事を見つけるため、父親だけがニューヨークへと旅立ちます。その後、母親もまた父親のもとに向かい、二人の子供たちはハイチの首都ポルトープランスで教会の牧師として暮らす伯父に預けられました。
 父親はニューヨークで仕事を転々とした後、個人タクシーの仕事を始め、やっと家族全員を呼び寄せることが可能になりました。

 空港の駐車場で、私は震えた。春だった。 - これは、これから私が慣れていかなければならない季節という概念が、最初に見せた現象だった - けれども、肌を刺すような冷気があった。後になって私は、父がその日職場をクビになっていたことを知った。彼は、勤めていたニュージャージーのハンドバッグ工場で、社長に、子供たちを出迎えるために早退してもいいかとお伺いを立てたのだが、社長はダメだと答えたのだった。それでも父が退社しようとすると、工場を出て行くときにクビだと告げられたのだった。空港までのドライブの間に父は、もう二度とだれかに雇われて働くことはしないと決心した。

 彼女はハイチに残してきたもう一人の父親ともいえる伯父のことを忘れられませんが、彼は牧師として故国ハイチの人々のために働き続けます。しかし、彼の周囲では次々と悲劇が起こり、彼自身も喉頭がんにより声を失うことになります。そして、大切な妻も、彼より先にこの世を去ってしまいます。

 牧師だった伯父の妻の葬式での説教より
「死は、私たちが生まれた瞬間からそこへ向けて旅立つ旅なのです」と伯父は言った。「私たちが母親の子宮から出るとすぐに、砂時計がひっくり返され、砂が、違う方向に落ち始めるのです。ありがたいことに、私たちは喜びに目をくらまされるあまりに、そのことは気づきません。そうでなければ、誕生のときにも泣くことでしょう。でも、人が死んだときに私たちに強く促している通りに、もう一つの別の形の誕生として見たならば、私たちは泣くのではなく、子どもが生まれたときに喜ぶように、喜ぶでしょう」

 伯父と同じくキリストに伝えるアリスティド神父が大統領に当選し、改革を進めようとしますが、アメリカは彼の政策を妨害。軍部がクーデターを起こし、国内は内戦状態となりました。教会を武装勢力によって破壊され、命を狙われることになった伯父さんは、愛する故国を去り、アメリカへと向かうことになります。
 ところが、入国の際、彼はちょっとした誤解によって不法入国者と見なされ、不法移民の拘留施設クロームへと移送されてしまいます。80歳を過ぎた高齢者で喉頭がんによって声を失っている彼はそんな留置場の環境に耐えられずに倒れてしまいます。

 私は、クロームに勾留される最低年齢制限の十八歳よりもずっと若く見える男たちを見た。数人は十四歳に、あるいは十二歳にさえ見えた。彼らが出生証明書も他の書類も持たないで来るのなら、十八歳未満でないとどうしてはっきり分るのですか、と私は代表団の弁護士の一人に訊いた。弁護士は、彼らの年齢は歯を調べて決められると答えた。私は、その価値と健康と健康状態を決めるために口がこじあけられていた奴隷の競売台を思い出させる、このつらくて身を切られるような話から逃れることができなかった。・・・
 私は、ある年配の、おそらく私の父と同年齢くらい思える男性と向かい合って座った。彼が言った。「もし拳銃をもっていたら、それで自分を撃っていたね。私は犯罪者じゃない。牢獄には慣れていないんだ」
 囚人であることの恥が、大きくのしかかっていた。それは、大抵の勾留者たちにとって振り払うことのできない恥辱だった。


 二人の愛する父親との別れの時は迫り、彼女は二人との思い出を振り返りながら、二人の故郷であるハイチとそこに住む人々への熱い思いをつのらせます。
 ハイチの経済破綻と政治の混沌を生み出した原因であるはずのアメリカに不法移民として犯罪者同然に扱われた伯父の口惜しさを思うと著者ならずとも怒りを覚えます。トランプ大統領の誕生により、アメリカは不法移民への対応をより厳しくし、国内在住の不法移民や二世の摘発、追放する動きが強まっています。経済的破綻、政治的破綻、自然災害による破綻と、ますます混沌が深まるハイチですが、それでもなお国を愛し、明るくゴージャスなヘイシャン・ミュージックを生み出し、そして、この小説のような素晴らしい作品を生み出すハイチという国。僕が大好きな映画監督のジョナサン・デミはこの国を愛し、記録映画など様々な作品を生み出しました。彼は、ハイチを「悲劇の国」だとはまったく思ていなかったようです。
 本当は、カリブ海に浮かぶ天国のような国に違いありません。

 伯父さんは、ニューヨーク市クイーンズの墓地に埋葬された。彼の墓はさえぎるもののない道路の脇にあり、サイプラス・ヒルズの通りとその上に架かっている地下鉄の線路を見下ろしていた。生きている間伯父さんは自分の家にしがみつき、絶対に追い出されまいと決心していた。伯父さんはベレアに留まり続けた。それは部分的には、ベレアが彼がよく知っている土地だからだった。けれど、伯父さんはまた、そこでよいことをしたいと望んでもいた。でも今は、ついに、死んで亡命することになった。伯父さんは、一度だって彼を歓迎しなかった国の土の一部になるだろう。このことが何よりも父をしつこく苦しめた。
「兄さんはここにいるべきじゃない」と父は、その夜眠りに落ちる少し前に、涙を浮かべ息を切らし心かき乱されて言った。
「もしも私たちの国が機会を与えられて他の国と同じようになることを許されたなら、そうしたら、私たちのうちだれ一人としてここで生き、ここで死にたいとは思わないだろう」


<父なる神と死の天使>
 主人公の伯母さんが教えてくれた死を遠ざけるためのお話より。

 父なる神さまと死の天使が、ポルトープランスのようなとても人口が密集した都市にあるベレアのような地域を、一緒に散歩していました。・・・
「私は人間を創り、おまえは彼らを取り去る」と父なる神は言った。「だから、人間はおまえより私が好きなのだ」
「あなたはそう思っているのですか?」と死の天使は訊いた。
 驚いた天使はあきれた顔をして、神さまに、それではこの辺で誰かに水を一杯もらってみるといいと言いました。
 さっそくある家のドアをたたき、神さまが水をいただけませんか?と言ったところ、彼女は「嫌だね」と言い放ちました。
 神さまは自分は神さまなのだと説明すると、彼女は「私が今水をやる相手がいるとすれば、それは死の天使だけだね」と答えました。「どうしてかというと」と女は言った。
「死の天使はえこひいきしないからさ、あの人は私らみんなを連れ去る。足が不自由でも丈夫でも、若くても年寄りでも、金持ちでも貧乏でも、醜くってもきれいでも。ところが、あんたは、ある人たちには平和を与えるが、私らみたいな人間はベレアのような戦闘地帯に置く。ある人たちには腹いっぱい食べるのに十分な食料を与えるのに、他では飢えている人たちがいる。一部の人たちには力を与えて、他の人たちには身を守るものを何も与えない。ある人たちを健康にし、他の人たちを病気にする。ある人たちには十分な水を与えるのに、私たちにはほとんどくれない」
 恥ずかしさに頭を垂れて、父なる神は女のもとを去っていった。そして女は、死の天使が彼女のドアに来ると、家の中にあった水を全部与えた。・・・
「死の天使は、それから先とっても長い間、再びその女の人のところには来ませんでした」


「愛するものたちへ、別れのとき Brother, I'm Dying」 2007年
(著)エドウィージ・ダンティカ Edwidge Danticat
(訳)佐川愛子
作品社

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