伝説のカントリー・シンガー悲劇の生涯

映画「アイ・ソー・ザ・ライト I Saw The Light」

- ハンク・ウィリアムズ Hank Williams -
<伝説のカントリーシンガー>
 わずか6年間の音楽活動で11曲の全米ナンバー1を含む36曲のヒット曲を生み出し、1100万枚のレコードを売り上げたカントリー界最大のヒーロー、ハンク・ウィリアムズ。残念ながら日本での知名度は母国アメリカに遠く及びません。しかし、彼の影響を受けたアーティストは多く、彼こそロックン・ロールの元祖と呼ぶ人も多いようです。代表曲「Move It Over」は、1948年のヒット曲ですが、明らかにこの曲はビル・ヘイリーが大ヒットさせた元祖ロックン・ロールヒット「ロック・アラウンド・ザ・クロック」のもとになっていると思われます。彼が亡くなったのが1953年。その翌年にエルヴィス・プレスリーがデビューし、その翌年にビル・ヘイリーが「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を大ヒットさせることになります。その意味では、彼がもし若くしてこの世を去れなければ、ロックン・ロールの元祖として最初のヒット・メーカーとして、エルヴィスよりも活躍していた可能性だってあるのです。
 そんな人物の伝記映画が今まで作られなかったのはなぜか?映画を観れば一目瞭然でした。
 なぜなら、彼はヒーローと呼ぶには程遠い人間だったのです。ゲス不倫男で、アルコール依存症で、生意気で、ステージを平気でさぼるダメ人間だったのです。今でこそ、ダメ男でも映画の題材になりますが、昔は映画の主人公はヒーローでなければならなかったので、映画化されなかったのも当然です。少なくとも観客を感動させる作品にはなりそうもないと判断されたのでしょう。どちらにしても、遺族が脚本を見たら映画化を許可しなかった気がします。
 幸いにして、過去の有名人をその裏側まで描く作品が、当たり前となった今、彼のダメダメ半生の映画化が実現したのでしょう。(もう時効ですから、遺族からのダメ出しも何とかなったのでしょう)ではどこにこの映画の魅力があるのか?それはやはり、彼が生み出した音楽にあります。その点では、彼の音楽にまったく興味がない方には、この映画正直面白くないかもしれません。
 そんなわけで、主人公の人格を完全否定してしまいましたが、この作品では何故彼がそこまで人間的にダメになってしまったのか、その原因についても描かれています。そのことを知って彼の名曲「アイ・ソー・ザ・ライト I saw The Light」を聞くと、やはり心打たれるものがあります。

<トム・ヒドルストン>
 この作品の見どころがハンク・ウィリアムスの歌だとすれば、ハンク・ウィリアムスを演じただけでなく歌もすべて歌っている主演のトム・ヒドルストン Tom Hiddlestonは最大の功労者ということになるでしょう。マーベルの「アベンジャー・シリーズ」で悪役のロキを演じ、「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ」では吸血鬼、「ミッドナイト・イン・パリ」ではスコット・フィッツ・ジェラルドを演じただけに、彼は病弱で鬼気迫る人物を演じると実にぴたりとはまります。でも、この作品で彼はそれ以上に歌の上手さで新たな才能を見せてくれました。本物のハンク・ウィリアムスよりも上手い?!ただし、本物のハンクは、トムよりもいい男です。その笑顔は実に魅力的です。だからこそ、彼はどこに行ってもモテたのでしょう。
「なぜ、俺が愛した女にはみんな別の男との子供がいるんだろう」と嘆く場面があります。
「それはあなたが母親をひきつけるからよ」
マザコンだった彼は、母親に愛されただけでなく、年上の女にもずいぶんモテたのでしょう。カントリー歌手だからといって、マッチョな男とは限らないのです。

<グランド・オール・オープリー>
 ミュージシャンとしての彼にとって、最大の目標は「グランド・オール・オープリー」に出演することでした。なぜ、そこまで彼はその目標にこだわったのでしょう。
 そもそも「グランド・オール・オープリー」とは何なのでしょうか?
 「グランド・オール・オープリー」は、カントリー音楽の聖地ナッシュビルからラジオを通して生中継で全米に放送される大人気番組です。今の日本で言うなら、タモリさんが司会しているミュージック・ステーション、もしくはNHKの「紅白歌合戦」みたいな感じでしょうか。
 その始まりは1925年と非常に古く、ナッシュビルのラジオ局WSMが「WSMバーン・ダンス・ショウ」としてオンエアされていました。それが会場になっていた「グランド・オール・オープリー」の名前をそのまま番組名として全米に放送されるようになると、カントリー音楽のブームに乗って全米ナンバー1の人気音楽ライブ番組となりました。
 当然、他の街でも同じようなカントリー音楽のライブ番組が次々に作られるようになり、ハンクも先ずは彼の地元に近いルイジアナで放送されていた「ルイジアナ・ヘイライド」に出演することで、スター街道を駆け上がり始めることになりました。
 ちなみに「グランド・オール・オープリー」は、その後、会場をより広い屋外の会場へと会場を移し、アメリカを代表する音楽イベントとして21世紀まで続くことになります。こうして、全米のカントリー歌手は、「グランド・オール・オープリー」のステージに上がることを目標に全米各地からナッシュビルを目指すようになるのです。
 そんなナッシュビルを目指す人々とそこに集まる観衆、それぞれのドラマを同時進行で描き、一本の映画にまとめたのが、ロバート・アルトマン監督の最高傑作とも言われる映画「ナッシュビル」です。集団ドラマの完成形であり最高傑作と呼ばれた映画「ナッシュビル」のラスト、登場人物全員が集まり、大事件が起きることになったのが「グランド・オール・オープリー」の会場でした。

<ハンク・ウィリアムズ>
 ハンク・ウィリアムズ Hank Williams は、本名をハイラム・キング・ウィリアムズ Hiram King Williamsといい、1923年9月17日にアメリカ南部アラバマ州ジョージアナで生まれています。父親のイロンゾは鉄道会社に勤めていて、アラバマ州の各地を移動する生活が続きました。しかし、その父親が身体をこわし、8年間に及ぶ入院生活となります。その上、彼もまた子供の頃、潜在性脊椎二分症という不治の病に冒されていました。そのため彼は生涯背中の痛みと付き合わされることになり、その痛みから逃れるため、痛み止めの薬やアルコールに依存することになるのです。
 そんな彼の希望のない生活に救いをもたらしたのが、音楽との出会いでした。ある日、彼は通りでブルースを歌っていた黒人シンガー、ルーファス”ティーニトット”ペインの演奏を聞き、衝撃を受けます。彼はその後、食事を提供する代わりに、彼からギターを習い、自ら歌を歌い始めます。ハンクは、ルーファスこそが唯一最高の音楽教師だったと後に語っています。彼もまたエルヴィス同様、黒人シンガーから直接ブルースの指導を受けた白人シンガーだったのです。
 1937年、彼はモンゴメリーにあったラジオ局で15分の番組をまかされます。そこで演奏するチャンスを得た彼は、仲間を集めてバックバンドとなるザ・ドリフティング・カウボーイズを結成。ところが、活躍する間もなく第二次世界大戦が本格化し、バック・バンドのメンバーも徴兵され、戦場へと向かってゆきます。ハンクは病気のおかげで徴兵を逃れることができましたが、戦場に行けない罪悪感と背中の痛みにより、酒に溺れるようになり、ついには番組を降ろされることになります。
 精神的にも肉体的にもボロボロになっていた彼を救ったのは、今度は音楽ではなく、カントリー歌手を目指していたオードリーとの出会いと結婚でした。そして、同じ頃、いよいよ彼は歌手としての活躍を開始します。スターリング・レコードと契約後、彼は「Never Again」、「Honky Tonkin」などを次々にヒットさせ始めます。
 1948年には元祖ロックン・ロール「Move It Over」を大ヒットさせ、いよいよ彼は「ルイジアナ・ヘイライド」への出演オファーを受けます。翌年には、名曲「Lovesick Blues」を大ヒットさせ、ついに「グランド・オール・オープリー」のステージに上がることになりました。
 しかし、この間も彼は長く続くコンサート・ツアーの疲労から背中の痛みが悪化。アルコール依存だけでなく、モルヒネなどの薬物にも依存することになり、その副作用によって急激に心臓が弱って行きました。当時は飛行機による移動がやっと可能になってきた時代で、まだほとんどが自動車による移動でその疲労が彼の体力を失わせることになったのです。
 1952年の年末も彼は休みをもらえずにテネシー州ノックスビルからオハイオ州カントンへと移動するため、飛行機に乗る予定でした。ところが、天候が大荒れで雪混じりの暴風のため、彼は急遽運転手を雇って自動車での長距離移動をしなければならなくなります。その移動中、彼の体調は急激に悪化し、車内で急性心不全に見舞われ、ついにこの世を去りました。(1953年1月1日没)

<もうひとつの真実>
 映画では描かれていなかったのですが、当時、彼の到着を待っていたコンサート会場の観客たちは、彼の死を知らされてもそのことを信じず、「また遅刻のいい訳か!」と笑いの声があがったとか。そこまで彼の遅刻、さぼりは有名だったのです。
 さらに映画で描かれていないこととして、彼がもうひとつのアーティスト名を持って活動していた事実があります。その名は「ルーク・ザ・ドリフター」で、その名前で彼は熱心なクリスチャンとしての音楽活動を行っていたといいます。
 当時の黒人ブルースマンやR&Bアーティストたちの多くがゴスペル出身で、世俗的な活躍の後、ゴスペル界へと転身する場合があったように、普段の世俗的な欲にまみれた生活から離れようとする例は数多くありました。(アル・グリーンリトル・リチャードは特に有名です)彼らはもうひとつ「聖」の面での活躍をすることで人生のバランスをとろうと考えていたのでしょう。
 ハンクは、本名を隠しながら変名で聖書の朗読を音楽に乗せて行うなど宗教音楽の世界でも活動していたということです。そう考えてみると、彼のカントリー・ゴスペルの名曲「アイ・ソー・ザ・ライト」はまったく違った聞え方になりそうです。

「アイ・ソー・ザ・ライト I Saw The Light」 2015年
(監)(製)(脚)マーク・エイブラハム Marc Abraham
(製)ブレット・ラトナー、アーロン・L・ギルバート
(製総)パティ・ロング、ジェイソン・クロースほか
(原)コリン・エスコット、ジョージ・メリット、ウィリアム・マキュウェン
(撮)ダンテ・スピノッティ
(PD)メリディス・ボズウェル
(編)アラン・ハイム
(音)アーロン・ジグマン(音監)カーター・リトル
(出)トム・ヒドルストン、エリザベス・オルセン、チェリー・ジョーンズ、ブラッドリー・ウィットフォード、マディ・ハッソン

Cold Cold Heart 1951年  Hank Williams Tom Hiddlston
& The Saddle Spring Boys
ビルボード・カントリーチャート1位
Even Though You Let Me Go     Elizabeth Olsen  
I Can't Get You Off Of My Mind  1948年  Hank Williams  Tom Hiddlston & S.S.B.  
Honky Tonkin'  1948年 Hank Williams  Tom Hiddlston & S.S.B.  ビルボード・カントリーチャート1位 
The Blues Come Around  1948年 Hank Williams  Tom Hiddlston & Elizabeth Olsen & S.S.B.   
Tennessee Waltz   Pee Wee King  Jo Stafford   
Field Hand Man      The Delmore Brothers  
Pan American  1947年  Hank Williams  Tom Hiddlston & Elizabeth Olsen & S.S.B.   
Move It On Over  1947年 Hank Williams    ビルボード・カントリーチャート4位 
Right On Wrong      Bob Wills   
Lovesick Blues  1949年 Criff Friend
Little Mills
Tom Hiddlston & S.S.B. ビルボード・カントリーチャート1位
A Pair of Broken Hearts      Spade Codley   
Santa Baby      Eartha Kitt   
Men With Broken Hearts  1951年 Hank Williams  Tom Hiddlston & S.S.B.   
It Is Thy Servant's Prayer,Amen      The Sallie Martin Singers   
Home In San Antone      The Saddle Spring Boys   
Hey Good Lookin  1951年 Hank Williams  Tom Hiddlston & S.S.B.  ビルボード・カントリーチャート1位 
That's What's Knockin' Me Out      Jimmy Liggins   
(Where Are You) Now That I Need You     Doris Day with The Mellomen   
Why Don't You Love Me 1951年  Hank Williams  Tom Hiddlston & S.S.B.  ビルボード・カントリーチャート1位 
Jack of Diamonds    Trad.  The Saddle Spring Boys   
Anytime      Eddy Arnold   
Your Cheatin' Heart  1953年 Hank Williams  Tom Hiddlston & S.S.B.   ビルボード・カントリーチャート1位 
I Saw The Light  1948年 Hank Williams  Rodney Crowell ほか ラストに仲間や観衆が合唱 
I'm So Lonsome I Could Cry  1949年 Hank Williams  Tom Hiddlston, Rodney Crowell & S.S.B.  My Buckets Got I Hole In ItのB面 
Jambalaya  1952年 Hank Williams  Tom Hiddlston & S.S.B.    ビルボード・カントリーチャート1位 

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