村上春樹の小説論


「みみずくは黄昏に飛びたつ」より

- 村上春樹、川上未映子 -

 作家、川上未映子による村上春樹へのインタビュー集から、気になった部分を書き出してみました。
 文学論、文章論、文体論、物語論、「騎士団長殺し」論・・・・・など。
 村上文学の秘密が明かされています。思えば、村上春樹ほど自らの作品の秘密を正直にバラしてしまう作家も珍しい気がします。それもテレビなどのインタビューでこれ見よがしに語るのではなく、こうしたしっかりとしたインタビューアー相手にしっかりと語っています。そのため、読むほうもしっかり読めるわけです。
 本物のファンで、自らも素晴らしい作家である川上未映子だからこそ、ここまで深く突っ込めて、それに村上春樹が答えることになったわけです。読者も、心して読まないといけません。もし、あなたがもし作家を目指しているなら、大いに参考になることでしょう。(本当に作家を目指す人は、もう勝手に書きたいように書いているのかもしれませんが・・・)

<リアリズムによるフィクション>
 思いもよらないことが起こって、思いもよらない人が、思いもよらないかたちで死んでいく。僕が一番言いたいのはそういうことなんじゃないかな。本当のリアリティっていうのは、リアリティを超えたものなんです。事実をリアルに書いただけでは、本当のリアリティにはならない。もう一段差し込みのあるリアリティにしなくちゃいけない。それがフィクションです。

・・・僕の文章というのは、基本的にリアリズムなんです。でも、物語は基本的に非リアリズムです。だから、そういう分離が最初から前提としてどんとあります。リアリズムの文体をしっかりと使って、非リアルな物語を展開したいというのが僕の狙いだから。何度も繰り返すようだけど、「ノルウェイの森」という作品で、僕は最初から最後まで、リアリズム文体でリアリズムの話を書くという個人的実験をやったわけです。

 例えば僕は、「この世界が神秘的で幻想的な世界だ」とはとくに思っていません。・・・僕とはあまり関係のないことだと思って生きています。とても散文的というか、非スピリチュアルな世界観です。でも、僕にとっての物語をどこまでもリアリスティックに描いていこうとすると、結果的にそういう非整合的な世界を描くことになってしまいます。わけのわからないものがどんどん登場してきます。それが、「世界を神秘的、幻想的と考える」ことと「世界を神秘的、幻想的に描いてしまう」ことは別の話だという発言の意味です。・・・
 その乖離というか、落差みたいなものの中に、自分の影が存在しているんじゃないかと僕は思っています。だからこそ、乖離というものは僕にとっては大事な意味をもちます。

<自我より深い地下の意識へ>
 うん、自我レベル、地上意識レベルのボイスの呼応というのはだいたいにおいて浅いものです。でも一旦地下に潜って、また出てきたものっていうのは、一見同じように見えても、倍音の深さが違うんです。一回無意識の層をくぐらせて出てきたマテリアルは、前とは違うものになっている。それに比べて、くぐらせないで、そのまま文章にしたものは驚きが浅いわけ。だから僕が物語、物語と言っているのは、要するにマテリアルをくぐらせる作業なんです。・・・

<読みやすくて奥深い物語>
・・・できるだけわかりやすい言葉で、できるだけわかりにくいことを話そうと。スルメみたいに何度も何度も噛めるような物語を作ろうと。一回で「ああ、こういうものか」と咀しゃくしちゃえるものじゃなくて、何度も何度も噛み直せて、噛み直すたびに味がちょっとずつ違ってくるような物語を書きたいと。でも、それを支えている文章自体はどこまでも読みやすく、素直なものを使いたいと。それが僕の小説スタイルの基本です。

<単純な悪と複雑な善>
(川)たしかに、単体でみるとあまり続かないような「悪」って、常にありますよね。常にあって、なくならない。
(村)うん、人は基本的に心のどこかでそういうものを求めているから。というのも、善なるものというのは多くの場合、理解したり噛み砕いたりするのに時間がかかるし、面倒で退屈な場合が多いんです。でも、「悪しき物語」というのはおおむね単純化されているし、人の心の表面的な層に直接的に訴えかけてきます。ロジックがはしょられているから、話が早くて、受け入れやすい。だから、汚い言葉を使ったヘイトスピーチのほうが、筋の通った立派なスピーチより素早く耳に入ってきます。

<文章こそ物語の命>
 そう、文章。僕にとっては文章がすべてなんです。物語の仕掛けとか登場人物とか構造とか、小説にはもちろんいろいろ要素はありますけど、結局のところ最後は文章に帰結します。文章が変れば、新しくなれば、あるいは進化していけば、たとえ同じことを何度繰り返し書こうが、それは新しい物語になります。文章さえ変わり続けていけば、作家は何も恐れることはない。

 何よりも文章が大事です。僕らは文章を通して世界を見るんだから。その精度を少しでも上げることは、一種の倫理のようなものです。でもこの前の回にも言ったように、文章というのはあくまでツールです。それ自体が最終目的ではない。

 すごく美しい文章を書こうとして文章に凝る人はいると思うけど、僕は文章というのはあくまでツールだと考えているから、そのツールをどこまでうまく有効に使えるかということにすごい興味があります。もちろんそれを使ってこしらえたものは、ただのクラフト=工芸品ではなくて、なんというのかな、息遣いとか心臓の鼓動とか血液の流れとか、そういうものと同じようなものなんだ。そういうところまで立体的に温かく表現できるものではなくてはならない。でもそこで用いられている言葉自体はただのシンプルな道具なんだ。ハンマーとスパナみたいな。僕の書くものが海外でもわりと読まれているのは、そのツール性みたいなものがけっこう大きいんじゃないかな。

<読者を眠らせない二つのコツ>
(1)会話にひねりを加える
「おまえ、俺の話、ちゃんと聞いてんのか」
「俺はつんぼじゃねえや」

ゴーリキーの「どん底」より
(2)粋な比喩を使うこと
「私にとって眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい」
レイモンド・チャンドラー

<読者を満足させるための文章>
 前にも言ったように、小説を書くというのは一種の信用取引だから、一回失われた信用を取り戻すのはとても難しい。時間をかけて、「この人の書くものなら、お金を払って買って読んでみよう」という信用を築いていかなくてはならないし、その信用を維持していかなくてはならない。そのためには文章を丁寧に磨くことが大事になります。

<文体こそ物語の真髄>
 英語で「Style is an index of the mind」って言葉があるんですが、これは「文体は心の窓である」って訳されています。indexというのは「指標」のことですね。こういう言い回しがあるぐらいだから、少なくとも英米では、スタイル(文体)というのはずいぶん大きな意味を持っています。

「騎士団長殺し」について
(村)僕の感覚からいくと、「私」というのは、どちらかといえば観察する人なんです。「僕」という人間は、たとえば『羊をめぐる冒険』のときが典型的なんだけど、いろんな周囲の強い力に導かれたり、振り回されたりすることになる。でも今回の小説の「私」は、確かに導かれたり振り回されたりはするんだけど、もう少し、何というかな・・・・・。
(川)冷静な。
(村)観察をして、なんとか自分の立場を維持しよう、保持しようとする意志がしっかりある。だから、『羊をめぐる冒険』における一人称の「僕」よりは、もう少し社会性を持っているというか、そのへんがちょっと違うと思う。

<批評について>
(村)・・・だから、僕は書評とか映画評ってやらないようにしています。なぜかというと、自分が本当に好きなものについてしか書きたくないから。
(川)では、好き嫌いではなく、あくまで評価の低いものに対しての言及は必要だと思いますか?
(村)思う、もちろん。でも、そこにはたとえばユーモアの感覚が必要です。赦しの感覚というか、うまくすっといなしてすれ違えるだけの余裕がなくてはいけない。肩がどすんとぶつかっちゃうようじゃだめです。

<システムに潜む悪>
 もっとはっきり言えば、国家とか社会とか制度とか、そういうソリッドなシステムが避けがたく醸成し、抽出していく「悪」。もちろんすべてのシステムが「悪」だとか、システムの抽出するものがすべて「悪」だとか、そんなことを言っているわけじゃないですよ。そこには善なるものももちろんたくさんありますよ。しかしすべてのものに影があるように、どのような国家にも社会にも「悪」がつきまといます。それは教育システムにも潜んでいるし、宗教システムの中にも潜んでいます。・・・・・

<物語の価値とは?>
(川)開かれた物語。
(村)そういう物語の「善性」の根拠は何かというと、要するに歴史の重みなんです。もう何万年も前から人が洞窟の中で語り継いできた物語・神話、そういうものが僕らの中にいまだに継続してあるわけです。それが善き物語の土壌であり、基盤であり、健全な重みになっている。僕らは、それを信頼し信用しなくちゃいけない。それは長い長い時間を耐えうる強さと重みを持った物語です。それは遥か昔の洞窟の中にまでしっかりとつながっています。

…人類の歴史のなかで、物語の系譜が途切れたことはありません。僕の知る限り、ただの一度もない。だから、フランソワ・トリュフォー監督の「華氏451」だっけ。レイ・ブラッドベリが原作の。どれだけ本を焼いても、作家を埋めて殺しても、書物を読む人を残らず刑務所に送っても、教育システムを潰して子供に字を教えなくても、人は森の奥にこもって物語を語り継ぐんです。それが善き物語でさえあれば。

「みみずくは黄昏に飛びたつ」 2017年
(語)村上春樹
(訊)川上未映子
新潮社

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