培養されたヘンリエッタの永遠の人生

ノンフィクション
「不死細胞ヒーラ HeLa Cell - ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生 -」

- レベッカ・スカルート Reabecca Skloot -
<世界最強の細胞の持主>
 新型コロナ・ウィルスが地球全体を巻き込む危機をもたらす中、世界中の薬品会社や医療機関ではワクチンの開発が行われました。そうしたワクチン開発の現場で欠かせないのは、開発されたワクチンの効果を確認するためのウイルスを培養する細胞です。そうした使い方が始まったのは、1950年代で最初に使用された研究用細胞には、「HeLa細胞」という名前が付けられていました。しかし、その名前の由来を知る人はほとんどいませんでした。
 「HeLa」という名前が、ヘンリエッタ・ラックス Henrietta Lacks というある実在の人物の名前の略であることは、当時秘密にされていました。
 それはなぜだったのか?
 当時その「ヒーラ細胞」は、世界で唯一「永遠に生き続ける人間の細胞」であることが明らかになり、世界中の研究施設で使用されることになります。
 なぜ彼女の細胞が「世界最強の細胞」となりえたのか?
 それはまるで「バイオハザード」のアリスのような存在として、世界中に自分を拡散させることになりました。
 アメリカ南部に住むごく普通の黒人女性ヘンリエッタ・ラックスとはいかなる人物だったのか?
 誰もが気にしなかったそのことにスポットを当てて描かれたノンフィクション「不死細胞ヒーラ ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生」は、まるで近未来SF小説のようですが、実話なんです!

<ヘンリエッタ・ラックス>
 ヒーラ細胞の持主だったヘンリエッタ・ラックス Henrietta Lacks は、1920年8月1日ヴァージニア州ロアノークの貧しい農家に生まれました。母親のライザは、4年後に10人目の子供を生んだ後、命を落とし、子供たちはバラバラにされて親戚に預けられました。彼女は祖父のトミー・ラックスのもとで育つことになり、かつて奴隷たちが暮らしていた小屋で暮らしました。
 20歳で4つ年長のデイと結婚しますが、夫は家庭内暴力を繰り返します。それでも彼女は周囲には優しく面倒見の良い女性として親しまれていて、5人の子供を産み、夫の暴力に耐えながらなんとか子供たちを育てます。ところが、彼女は29歳の若さで子宮が癌に侵されていることがわかります。当初は癌に侵されている箇所の切除が上手くいったと思われましたが、その後急激に症状が悪化し、31歳でこの世を去ってしまいました。1951年10月4日のことです。
 しかし、彼女の死は、それから始まるもう一つの長い新たな人生の始りだったとも言えます。
 後に明らかになりますが、ヘンリエッタが癌になった原因は彼女がヒトパピローマ・ウイルスに感染したせいでした。その影響によって彼女のDNAにエラーが生じ、それが癌を発症させたようです。そして、その癌細胞が不死の能力を持つ突然変異の細胞になったと考えられました。したがって、ヘンリエッタが生まれた時から、自分の体内に不死細胞を抱え込んでいたわけではなかったと思われます。

<ヒーラ細胞>
 多くの医療機関や研究施設では、様々な手術を行った際、切除した患部を研究用に保存しています。それはそうして切除された器官や細胞から重要なデータが得られる可能性があるからです。ヘンリエッタが入院していたジョンズ・ホプキンス大学病院では、人体細胞の培養を研究していたことから、彼女の様々な部分の細胞が採取保存されていました。そして、その時に当時の研究室トップだったジョージ・ガイの指示により彼女の細胞を採取した担当者メアリー・クビチェクは、その時のことをはっきりと覚えていました。

「あの足指を見た時には・・・」。メアリ―はずっと後になって、私にこう語った。「卒倒しそうになった。”ああ、彼女は生きていた女性だったんだ”って感じたから。そしたら彼女がバスルームの椅子に座って、足指を塗っている姿が浮かんできたの。そのとき初めて、私が今までずっと処理して、世界中に送ってきた細胞は、ひとりの実在した女性から採ったものだったんだっていう実感がわいたわ。それまで、そんなふうに思ったことは一度もなかったの」

 メアリーはそれまでも細胞培養のスペシャリストとして様々な人体細胞を採取し、培養しようとしていましたが、一度も成功したことはありませんでした。ところが、ヘンリエッタから採取した細胞は、驚いたことに生き続け、勢いよく繁殖し続けたのです!当初は、彼女も周囲も信じられなかったのですが、それが事実とわかり、一気にその利用に向けた取り組みが始まります。最初に利用されたのは、当時、多くの人々を苦しめていたポリオの治療でした。

 ヘンリエッタがこの世を去ってから間もなく”ヒーラ細胞工場”を立ち上げる計画が持ち上がりました。毎週何兆個ものヒーラ細胞を生産するという膨大なプロジェクトです。その目的はただ一つ - ポリオ撲滅のためでした。
 当時、そうした細胞を使った実験には、人間ではなく猿の細胞が使われていました。しかし、動物愛護よりもコストの面で猿の細胞を多量に使用することは難しく、大量に培養できる「ヒーラ細胞」は理想的な素材となったのです。
 1952年4月、ジョンズ・ホプキンズ大学のジョージ・ガイとミネソタ大学のウィリアム・シューラーが、ヒーラ細胞をポリオ・ウィルスに感染させ始めると、他のどの細胞よりも感染しやすいことがわかりました。
 こうして、同じ地域にあった黒人専用の学校タスキギー学院に6人の黒人科学者を中心とした「ヒーラ細胞」製造工場が設立され、35人のスタッフにより、毎週試験管2万本のヒーラ細胞の生産が始まります。

<ヒーラ細胞感染の仕組み>
 ウイルスは、自らの遺伝物質の一部を生きている細胞に注入することによって増殖します。実質的に相手の細胞の遺伝子を再プログラム化して、細胞ではなく自分を複製させてしまうのです。ことウイルスの増殖に関しては - その他の多くのこともそうですが - ヒーラ細胞が悪性腫瘍であるという事実は、かえってプラスに働きました。なぜなら、ヒーラ細胞は正常細胞よりもずっと早く増殖し、したがって結果も早く手にできたからです。
 さらに「ヒーラ細胞」は冷凍保存が可能であることが明らかになります。(その後、ヒーダ細胞はロケットに乗り、宇宙空間にまで進出し無重力状態でも繁殖することが証明されます)
 ただし、細胞凍結は、ヒーラ細胞が組織培養分野にもたらした劇的な進歩のほんの一部にすぎませんでした。ヒーラ細胞が寄与した最大の恩恵のひとつは、培養分野における”標準化”を促したことだったと言えます。
 この後、いくつかの発見改善で、ヒーラ細胞の利用は劇的に進みだします。
(1)ヒーラ細胞の量産体制
(2)国立衛生研究所ハリー・イーグルによる標準化された培養液の開発。
(3)ジョージ・ガイらによる輸送に最適な毒性の少ないガラス容器と試験管の栓の開発。

 こうして、世界中の研究者は同じ器具を使って、同じ培地で成育する同じ細胞を使うことが可能になりました。さらにクローン細胞の登場で、より厳密に標準化が可能になります。なぜなら、ヒーラ細胞と言っても、同じ一つの細胞がもとになっているわけではないため、すべてが同一細胞とは限りません。しかし、それがクローン細胞なら完璧にそれらは同じ細胞であると言えるようになるからです。

<なぜ秘密にしたか?>
 こうしてヒーラ細胞の利用が可能になる中、そのもとになる細胞の持主ヘンリエッタの存在が明らかになると、その家族に迷惑がかかったり、それを明らかにした病院側が責任を問われかねない。そう考えたジョージ・ガイは、細胞の身元を知ろうとするジャーナリストを煙に巻くため、あえて本名ではない偽名を広めることを考えたようです。雑誌コリアーズの記者は、その持ち主の名前をヘレン・レインとして記事を書き発表。いつしか、ヘレン・レインという名前がヒーラ細胞の持ち主として認知され、本来の持主ヘンリエッタの家族ですら、その事実を知ることなく時がたつことになったのでした。
 ただし、そうしたことが可能になったのは、当時はそれらの医学的な研究に対する法的規制がほとんどなかったせいでもあり、それがトラブルを招くようになって行くことになるのでした。

<ヒーラ細胞による人体実験>
 1954年、ウイルス学者のチェスター・サザムは、オハイオ州立の刑務所で志願者を募集。65名の受刑者たちに強力な癌細胞でもあるヒーラ細胞を注入します。彼らの多くは癌細胞に打ち勝ちましたが、一部には癌を発症し、切除を必要とする例もあったようです。彼はその後、癌患者にも注入実験を行い、数百人が人体実験に利用され、ほとんどは自分が癌細胞を注射されたことを知りませんでした。
 1963年、サザムとその協力者エマニュエル・サンデルは、人体実験を被験者の許可を得ずに行ったとして訴訟を起こされます。有罪は明らかでしたが、医師たちの多くは自分たちも同様の実験を行ったいたこともあり、二人に対する医学会からの批判は少なく、その処分は謹慎処分が1年間課せられただけに終わりました。この問題を厳しく追及すると、人体の細胞を用いた医学会の研究全体が大幅に遅れると考えられたとも言われます。人体細胞の使用において、提供した患者への保障や権利を金額換算することにでもなれば、訴訟が頻発するだけでなく高額の細胞使用料が発生し、研究がストップするかもしれないと考えられたのです。

 インフォームド・コンセントという言葉が使われるようになったのは、1957年頃と言われ、それまでは医師は患者に対し、病状に関する情報を開示する義務は存在しませんでした。したがって、ジョンズ・ホプキンス大学には、ヒーラ細胞の使用について、法的な責任はなかったことになります。

<最強すぎるヒーラ細胞>
 ヒーラ細胞の繁殖力、運びやすさはその存在を世界中に広げることになりますが、それが大きな事件を起こす事態も起きます。
 スタンリー・ガートラーは、世界中で使われている培養細胞18種類を調べ、それが共通する遺伝子マーカーを持つことに気付きました。そして、それがアフリカ系アメリカ人女性のものであることを確認。その持ち主が、一人の黒人女性だったことを知ることになりました。この事実は世界中の研究者に衝撃を与えることになりました。
 なぜなら、世界各地の研究者たちは、それぞれ異なる細胞を用いて、研究を行っていたつもりが、どれもヒーラ細胞だったことが明らかになったからです。あまりに強力なヒーラ細胞の繁殖力は、世界中の研究施設に及び、だれもがそこから逃れれらなくなっていたのです。

<ジョンズ・ホプキンズ大学病院>
 「ヒーラ細胞」を発見したジョンズ・ホプキンズ大学病院は、地域の中心的病院であるだけでなく、貧困者を無償で治療する重要な存在です。その病院が貧しかったヘンリエッタを治療しなければ「ヒーラ細胞」の発見もなかったのです。この病院の誕生は、アメリカらしい歴史があります。
 メリーランド州ボルチモアにあるジョンズ・ホプキンズ大学病院の創設者、ジョンズ・ホプキンスは地元メリーランドのタバコ農園主の家に生まれました。進歩的だった彼の父親は、奴隷解放宣言が発布される60年も前に自分の農園の奴隷たちを解放。その息子の彼もまた優れた実業家として活躍し、銀行家、事業主として巨万の富を築きました。独身だったこともあり、彼はその莫大な遺産の中から700万ドルを医学研究のための大学とその附属病院設立のために残し、手紙によって病院運営の方向性を示しました。

「市内およびその周辺に居住する窮乏した病人で、外科、内科的治療を必要とし、他の患者に害を及ぼすことなく当病院に受け入れることができる者、および、市内および州内の貧困者で何らかの障害を被ったあらゆる人種の者は、その性別、年齢、肌の色を問わず、当病院に無償で受け入れるものとする」
 こうした病院の伝統的運営方針は今も引き継がれ、それが彼女の治療と細胞の採取へと結びついたと言えます。その意味では、ジョンズ・ホプキンスの存在がヒーラ細胞を発見させたと言えるわけです。

<ヒーラ細胞の秘密暴露>
 1976年3月25日、それまで明らかにされていなかったヒーラ細胞の持主の正体が、マイケル・ロジャーズという記者によって雑誌「ローリングストーン」内で発表されます。それまで親族ですら知らなかった「ヘンリエッタ・ラックス」の名前が初めて世に知られることになりました。
 このスクープにより、他のマスコミも動き出し、様々な雑誌、テレビが彼女の親族への取材を開始することになりました。この記事が発表されたのと同じ年、医学界では新たな問題が起きようとしていました。

<ジョン・ムーア事件>
 1976年、カリフォルニア大学LA校の癌研究者デイヴィッド・ゴールドは、ジョン・ムーアという患者から有毛細胞性白血病を発症していた脾臓を摘出しました。そしてその手術後も、彼はムーアから、骨髄と血液、精液の採取を続けました。
 1983年、ムーアは同意書への署名を、毎度求められることに疑問を持ち始めます。
「私は、私から入手した血液または骨髄あるいはその両方により開発される可能性のある、いかなる細胞株や他の潜在的な製品に関して、私あるいは私の相続人が所有するすべての権利を自発的にカリフォルニア大学に譲渡することに同意(します OR しません)」
 ムーアは同じような同意書を何度も書かされたことを弁護士に相談。そこで自分の細胞にMo細胞という名がつけられ研究材料になっていることを知ります。
 後に明らかになりますが、ゴールドはムーアの細胞とその細胞が生み出したタンパク質について特許を申請。さらにあるバイオテクノロジー企業と契約し、350万ドル相当の株券と財政援助を受けていました。Mo細胞株の市場価格は30億ドルと見積もられるまでになります。
 そこでムーアは、自分にもMo細胞から得られる収益を受け取る権利があると主張し、訴訟を起こします。これが、自らの細胞や臓器に関わる財産権を主張した最初の訴訟と言われています。しかし、この裁判もまた世界中の科学者にとっては大問題でした。もし、細胞や組織の持ち主が皆権利を主張し始めたら、医学研究の多くが大混乱することになり、研究の多くにストップがかかるかもしれないと考えられたのです。
 7年がかりの裁判は最高裁にまで持ち込まれることになりましたが、最終的にはムーア側が敗訴することになりました。
「ひとたび組織が体を離れた後は、同意の有無にかかわらず、その組織に対する患者の権利も消失する」
 患者への告知がなされていなかったことへの事実は認められたものの、基本的に医学界側の勝訴と言える結果となりました。この結果は医学の進歩には大きな一歩となりますが、後にさらなる問題を生み出すことになります。

<莫大な利益の行方>
 「ムーア裁判」の結果は、医学界にとっては幸いな内容でした。しかし、そのために医学界の進歩は一般大衆にとっては不利な状況を生み出す方向へと向かわせることになりました。そこから生み出される莫大な利益を医学界は大衆に還元することはなさそうだからです。

 2005年の時点で、アメリカ政府は、既知のヒト遺伝子のうち、およそ20%に該当する遺伝子の使用について特許権を交付している。この20%は、アルツハイマーの遺伝子をはじめ、ぜんそく、結腸癌、そして周知のように乳癌の遺伝子が含まれている。つまり、特許権を持つ製薬会社や科学者や大学は、こういった遺伝子についてどのような研究をするか、そして、その結果得られた治療法や診断検査にどれだけの金額を課すかについて支配権を握ることができるのだ。そして実際に、取得している特許権を仮借なく行使するところもある。

  医療問題に詳しい弁護士ローリー・アンドリューは、上記のような問題点について、こう語っています。
「ほんとうに皮肉なことです。ムーアの一件を手掛けた法廷が憂慮したのは、自らの体の組織の所有権を個人に与えると、科学の研究が停滞してしまうのではないかということでした。というのは、よりよい報酬を得るために、人々が組織の提供を差し控えるようになるのではないかと考えたからです。けれども、ムーアの一件に関する判決は裏目に出てしまいました。組織の商業的価値を、患者ではなく、研究者たちの手に握らせるだけに終わってしまったのです」
 ムーアの判決は商業化を防ぐ役目を果たさず、むしろ患者を蚊帳の外に置き、科学者たちに一層大がかりに組織を商品化する結果になったというわけです。
「研究者は起業家になりました。そのおかげで、経済は潤い、研究を行う動機が生まれたのは事実です。けれども、同時に問題ももたらしたのです。秘密主義や、誰の何を所有するかといった論争などをね」
 組織に置けるドナーの権利を主張する活動家は、人々の細胞組織や器官から生まれる可能性のある金銭的利益についてすべて開示することは、絶対に必要だと主張する。
「患者が利益の一部を得られるようにしようとしているわけではありません」とローリー・アンドリュースは言う。
「そうではなくて、人々が自らの意志を示すことができるようにするためなのです」。クレイトンも原則この考え方を支持する立場だ。
「この件の根本的な問題は金銭ではありません。組織を提供した人々を無視するという考え方が問題なのです。・・」

<ヘンリエッタの魂>
 この作品の魅力は、科学的な事実の記録だけではなく、ヒーラ細胞の持主ヘンリエッタとその残された家族にスポットを当て、彼らの人間性を浮かび上がらせていることにもあります。ヒーラ細胞は、単なる研究素材ではなく一人の人間の存在証明でもあることを、そのことで思い起こすことができます。それは「人間ドラマ」としても魅力的な作品なのです。
 著者がヘンリエッタの娘の親族ゲアリーと対話する部分は特に印象的です。

「ヒーラ?」。私はゲアリーに訊いた。
「ヒーラ細胞は、ヘンリエッタの霊の体だって言うの?」
笑みを浮かべて、彼は頷いた。
 この瞬間 - これらの聖書の数節を読んだあと - 私は完全に理解した。ラックス家の一部の人々がなぜ、ヘンリエッタが神に選ばれ、不死のものになったと心の底から信じているのかを。もしも聖書を一字一句真実としてとらえるならば、ヘンリエッタの細胞が不死の命を得たことは、完璧に筋が通っている。そう、もちろん、あの細胞は、ヘンリエッタの細胞の死後も増殖を続けて永遠に生き続けるはずなのだ。もちろん、それは空中を浮遊し病を治癒する道を拓き、宇宙にも発射されるはずなのだ。なざなら、天使とはそういったものなのだから。聖書がそう言っているのだから。


 こうした会話を生み出したのは、著者がいかにヘンリエッタの親族の信頼を得ていたのかの証明でもあります。ニューヨークから来たインテリの白人女性が貧困層の黒人女性ヘンリエッタの娘デボラのマスコミに対する不信感を取り除くまでの闘いの日々もまたこの作品の読みどころです。
 周囲への不信感から取材を受けること自体を拒否していたデボラと行動を共にし、彼女の心を開かせた彼女は、ヘンリエッタを記念する式典で彼女がスピーチをするところまで彼女を変えました。それは彼女に母に対する誇りを取り戻させることにもなり、彼女の生き方を変えることにもなりました。
 この作品最大の魅力はそんな人間ドラマとしての側面にこそあるのかもしれません。著者の人間力こそがこの作品の原動力だったと言えます。


「不死細胞ヒーラ HeLa Cell - ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生 -」 2010年
The Immortal Life of Henrietta Lacks
(著)レベッカ・スカルート Reabecca Skloot
(訳)中里京子
講談社

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