「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人 Herb & Dorothy 」

- ハーバート・ヴォーゲル、ドロシー・ヴォーゲル、佐々木芽生 -

<ハーブとドロシー>
 タイトルからすると、なんだか幼い兄妹を主人公にした妖精物語のようです。実際は、「ヴォーゲル・コレクション」と呼ばれる現代アートの膨大な量の作品を集めた老夫婦のドキュメンタリー映画です。そう聞くと、現代美術に興味のない人はひいてしまうかもしれません。でも、ちょっと待って下さい!
 この映画は、もしかすると「アートの世界」に実在する妖精の物語かもしれません。妖精の魅力的なキャラクターにあなたもきっとひきつけられるはずです。
 それにこの映画は、現代美術の魅力や見方を教えてくれるわかりやすい教育映画でもあります。それどころか、「芸術とは何か?」という究極の疑問にも答えてくれるかもしれません。
「世界に存在するすべてのものは、アート作品になりうる」このことを理解することができただけで、あなたの人生は明日からきっと違ったものになるはずです。世界中の人がもしそのことに気づけば、世界は大きく変わるはずです。なぜ、世界のすべてはアートになりうるのか?そのことを体現しているのが、「ハーブとドロシー」という妖精夫婦です。

<アートを見る>
 二人がアートを見る行為は、その作品の作者の意図に思いを寄せることです。もし、その作品がリンゴ一個を皿にのせただけのものだったとしても、あなたが作者がそこにのせた思いの深さに思い至ることができたとしたら、それは大きな感動をもたらす作品になりうることになります。作者が、そこにある物語を思い浮かばせることができればのことですが・・・。彼らがアート作品を見る行為にとって、「作品」は作者の意図を知るための入り口にすぎないのかもしれません。
 もちろん、作品が一目見て美しかったり、魅力的だったりしなければ、入り口として人をひきつけることはできません。しかし、映画にも登場するヒモ一本だけの作品だって可能なので、その可能性は無限ともいえます。
 だからこそ、彼らは作者の家やアトリエにまで押しかけ、彼らの作品をすべて見せてもらいます。それまでの作品がどう変わってきたのか、作品をどうやって作ったのか、そうした作者の制作過程や作風の変遷にまで迫ります。そんな人、いませんよ普通。気難しい人間ばかりのアーティストたちが、なぜそれを許すのか?そこには、彼らの魅力的なキャラクターが大きな意味をもっているのでしょう。しかし、憎めないキャラクターだけで彼らがそこまで作者の意図に迫れるはずはありません。そこには彼らが美術について昔から勉強をし続けてきたその豊富な知識と向上心がアーティストをうならせたからという理由もあります。さらに彼らはニューヨークで開催されている個展にことごとく顔を出し、常にアートの流行を把握しているのです。彼らの情報はニューヨーク・アート界の最新情報であり、ライバルたちの情報でもあるわけです。
 だからこそ、どのアーティストも、彼ら二人は例外だと言うのでしょう。

<アートを読む>
 コンセプチュアル・アートと呼ばれる前衛的な美術の世界では、「辞書の1ページ」や「言葉(単語)」、「音」、「色」、「ゴミ」、「1本のひも」・・・なんでも作品になりうるので、あとは見るものがそこに込められた「意図」や「思想」を読み取ることが求められることになります。
 作者の思想まで理解するなんて・・・楽しくなければできることではありませんが、作品を理解するための「自由」は、そこで初めて生まれることになります。そして、そこで初めてその作品は「創造的」な作品と呼ぶに値するものとなり、作者だけでなくそれを見た人もまた「創造的行為」に参加したことになります。
「この絵は美しい!」「見ていると癒される」・・・それもまた絵画の見方であり、価値の一つといえます。しかし、それだけで「創造的な作品」であるとはいえないのです。
 ところが、ハーブとドロシーは、さらにその先をゆきます。彼らは作家たちのアトリエを訪れると、その作品の製作過程を見るだけでなく、それに注文をつけたり、捨てられた作品の切れ端に価値を見出したりするのです。アーティストによっては、彼らの存在はウザくてしかたがなかったかもしれません。しかし、彼らはアートを見るだけでなく、それを読み、良い部分を見出し、それを生み出すための手助けまでしてしまうのでした。そこまでくると、その行為は「収集・コレクション」ではなく「創造・クリエイト」に近いといえそうです。
 よくアーティストは、芸術作品は単独では成立せず、見る人がいて初めて存在価値が生まれるといいます。しかしハーブとドロシーは、「見る人」を通り越し、作者の目線で「見る人」になってしまいます。

<アートを収集する>
 芸術作品の価値は、現代では、その作品のオークション価格に現われると考える人がほとんどでしょう。しかし、ハーブとドロシーは、コレクションを一切販売しません。したがって、彼らの所有する作品に金銭的価値は存在しません。ということは、彼らに購入された作品たちは、その瞬間からその価値を失うということになるのでしょうか?いや、その瞬間からそれらの作品たちは資本主義社会が生み出した経済構造から自由になったと考えるべきなのです?
 実は、僕も今まで買った本やレコードは一度も売ったことがないので、彼らの気持ちはよくわかるつもりです。そう考えると、この映画はすべてのコレクターと呼ばれる人々に捧げられた作品ともいえそうです。「切手」、「ガンプラ」、「ミニカー」、「古書」、「アーティスト・グッズ」・・・あなたは何を集めていますか?そんなコレクターの究極のライフ・スタイルとして、彼らの人生から学ぶことは多いはずです。
 さらにいうなら、多くのコレクターが家の中で孤独な戦いを強いられているのに対し、ハーブとドロシーは長く夫婦二人三脚でコレクションを行ってきました。そう考えると、この映画は世界一幸福な夫婦のドキュメンタリーと見ることもできそうです。仲良くニューヨークの雑踏を手をつないで歩く姿は、見ているとなんだか涙が出てきてしまいます。彼らはまるでアートの森を歩く妖精夫婦です。

<アートの妖精物語>
 ある貧しい無名作家の個展、その会場の片隅に夫婦の妖精が現われました。作家と話を始めた二人は、彼の事が気に入り、いつの間にか彼の家にまで押しかけます。そして、彼の家に住み着くと、部屋の中をかき回し、すべての作品を床に並べてしまいます。すると作家は、過去の自分の作品を久しぶりに見て、自分が何をやりたかったのかを思い出します。そして、それをきっかけに次々と新たな作品を生み出し始めます。ちょうど同じ頃、過去の彼の作品が注目を集め始めます。そして、彼の作品には値段がつけられ始め、いつの間にか彼は巨匠の仲間入りを果たしてしまいます。
 そして彼はある日、妖精を見かけたことを思い出します。そして、アトリエから自分の初期の作品が数点消えていることにも気がつきます。
「そうか!これが妖精の分け前ってやつなのか」
 彼はそう納得しました。

 そんな妖精物語の主人公がハーブ&ドロシーだったのです。ちなみに、妖精ハーブは気に入った作品を見つけると、その前にあたふたと駆け寄ります。そして、彼は体を90度に傾けて、何かをぶつぶつとつぶやきながら見つめ続けます。
 それに対して、妖精ドロシーは愛する夫であるハーブの後を追い、彼の横に真っ直ぐ立つとぶ厚いレンズのメガネを通して静かに見つめます。

<アート・コレクションの行方>
 元々自分たちが死んだらコレクションを美術館に寄贈するつもりだった二人は、部屋にコレクションを置ききれなくなっていたことと美術館からの依頼があったことから、生前贈与を決意します。送る先を国立のナショナル・ギャラリーにしたのは、そこなら作品を転売せず永久保存してくれることと二人が生涯公務員として働いていたからでした。
 二人のアパートからコレクションを運び出す作業は見ものです。その量は運送業者の見積もりを遥かに上回り、ナショナル・ギャラリーの収容可能な量をも遥かに上回ってしまいます。二人のアパートは、まるで四次元ポケットのように膨大な作品を見事に収めていたのでした。
 この映画の続編では、そうして収めきれなかったコレクションを全米各地の美術館50箇所に50点づつ配るという一大プロジェクト(50×50プロジェクト)が描かれることになります。

<すべてのコレクターへ>
 考えてみると、このサイトもまた20世紀アートのコレクションです。もちろん、作品そのものは収めていませんが、その作品が収まるべき「歴史の棚」を作り、そこに表紙と解説を収める作業を進めています。今まで知らなかった素晴しい作品やアーティストに出会うたびに、その情報を探したり、どこに収めるか悩むのは、楽しい作業です。このサイトもヴォーゲル・コレクションなにみ、入り口のわりに中身が膨大な量になりつつあります。最近では、自分でも作った覚えのないページを見つけたり、よくこんな難しいこと書けたなあと感心するページを見つけびっくりしたりしています。
 それにしても、夫婦で同じ趣味のコレクターになるとは、なんと幸福なことでしょう。でも、それが上手くゆくのは奇跡に近いことだと思います。そう思いませんか?こだわればこだわるほど、趣味の違いは性格の不一致に至り夫婦の関係も壊れるのではないかと思います。
 ハーブとドロシーは、やっぱり人間ではなく妖精なのかもしれません。

「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」 2008年
(監)(製)佐々木芽生
(撮)アクセル・ボーマン
(編)バーナディン・コーリッシュ
(音)デヴィッド・マズリン
(出)ハーバート・ヴォーゲル Herbert Vogel、ドロシー・ヴォーゲル Dorothy Vogel、クリスト

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