
- H・G・ウェルズ Herbert George Wells -
<20世紀を象徴する作家>
20世紀が「ポップの世紀」だったというのは、ある意味歴史をポジティブにとらえた側面です。しかし、20世紀は、二つの世界大戦を含めた数々の戦争に彩られた「戦争の世紀」でもあり、そこで用いられた兵器を生み出した「科学の世紀」だったということもできます。そうした危険な状況は21世紀に入ってもなお続いています。20世紀に入った当初、人類のほとんどはそんな100年後のことなど、考えることもありませんでした。「人類の未来」を予測し、そのために行動するという発想は、当時はほとんどなかったのです。しかし、今や未来へ向けた行動なしに人類の未来がないということは、世界中の共通認識になりつつあります。(とはいっても、先進国以外の国々の多くはまだまだその認識はないかもしれませんが・・・)「エコロジー」「軍備縮小」「核廃絶」「食料・水問題」「エネルギー問題」「地球温暖化問題」「ウィルス対策」・・・・・etc.
こうした、地球規模のものの見方を世界中に広めた最大の貢献者は誰か?それはもしかするとイギリスが生んだSF作家であり歴史家のH・G・ウェルズかもしれません。
「タイムマシン」や「宇宙戦争」「透明人間」など、彼の作品は今でも映画化されているので、世界中の誰もが知っている小説家といえます。しかし、そのオリジナルにこめられた深い意味や忘れられてしまった他の多くの作品で描かれていた未来への提言について語られることは今ではめったにありません。僕自身、彼の最高傑作といわれる「モロー博士の島」を読むまでは、彼の作品がもつ文学作品としての質の高さやその意味するところの奥深かさを知らずにいました。
彼はその作品によって、地球は宇宙の中のちっぽけな惑星に過ぎないということを多くの人に教え、それがあっという間に破壊されてしまう可能性があることを理解させました。もちろん、その影響は、作品を通じて直接伝えられるだけではありませんでした。
彼がボルヘスやザミャーチン、ジョージ・オーウェル、ジョセフ・コットン、ヘンリー・ジェイムスらの作家たちに与えられた強い影響は、さらにその後の作家たちにも及び二次的、三次的に現代の我々にも及んでいます。(それは「宇宙戦争」を監督したスティーブン・スピルバーグを通してかもしれません)
さらに彼はチャップリンやオーソン・ウェルズ、バーナード・ショーらの小説家以外のアーティストたちにも大きな影響を与え、なおかつアメリカではルーズヴェルト大統領と国連の創設について意見交換したり、モスクワではスターリンやレーニンらと会談するなど、世界中を駆け回るオピニオン・リーダーでもありました。彼はフリーな立場で地球の未来について意見を語ることで、多くの政治家や宗教家らにも影響を与え続けたのです。
ノーベルが発明したダイナマイトが誕生した年にこの世に生まれ、自らの著作「解放された世界」で予見した原子爆弾が投下された翌年にこの世を去った20世紀を代表する作家・思想家H・G・ウェルズの偉業に今一度迫りたいと思います。
<H・G・ウェルズ>
H・G・ウェルズ Herbert George Wells は、1866年9月21日イングランドのケント州ブロムリーで生まれています。両親は陶磁器店を経営していましたが、商売は上手くゆかず、彼は初等教育を受けただけで服地商の店に見習い奉公に出されました。しかし、親と同じように彼もまた商売には向いていなかったようで、すぐに彼は店を首になってしまいました。それでも、彼は学業が優秀だったために特別に教育実習生として学校に通うチャンスを得ます。さらに、生徒が優秀な成績をとることで教師が報奨金を得られる制度があったことから、学校側は彼のために特別な授業を行ってくれたといいます。おかげで彼の成績はさらにアップし、ついに彼はロンドンの科学師範学校(現在のインペリアル・カレッジ)に奨学金を得て入学することができました。その学校で彼は後の彼の作品に大きな影響をもたらす教師と出会いました。「進化論の父」であるチャールズ・ダーウィンの愛弟子として有名なトマス・H・ハックリーです。「ダーウィンの番犬」とも呼ばれるほど、進化論の擁護に人生を捧げた人物から彼は直接「進化論」を学んだウェルズはそこから大きな影響を受けました。彼は、人類が地球上で長く生き延びてゆくためには、「種」としての「進化」が必要不可欠と考えるようになり、そのことを人々に知らしめるため生涯を捧げることになるのです。
彼は身体が弱かったこともあり、結局教師になることはあきらめ、科学雑誌「ネイチャー」や新聞などに記事を書くライターとして生きる道を選びます。科学の時代を迎えつつあったイギリスでは、科学についての知識を持つライターが求められていたのです。
「タイムマシン」(1895年)
1888年、彼は初の小説「時の航海者」を「サイエンス・スクールズ・ジャーナル」に寄稿します。残念ながら、その連載は途中で終わってしまいますが、それは彼自身がそのできに納得できなかったためでした。しかし、彼はその作品のアイデアは大いに気に入っていたため、その後再び書き始め、1895年にそれを完成させて発表します。それが彼の代表作となった歴史的なSF小説「タイムマシン」です。
「あらすじ」でも明らかなように、この小説には「進化」の概念がしっかりとストーリーに組み込まれています。さらに重要なのは、ここで示されている二つの種族の対比には、当時のヨーロッパで大きな勢力となりつつあった社会主義思想の影響が色濃く出ていることです。H・G・ウェルズ自身、社会主義思想に強い影響を受け、社会主義者の団体でるフェビアン協会に所属していました。
もうひとつ、彼の「時間」に対する考え方も、当時最新の知識に基づくものでした。
「空間の三つの次元のどれをとっても、時間とはなんの違いもない。ただ、われわれの意識が時間軸にそって動くだけのことだ」
「タイムマシン」より
この小説には、もうひとつ驚くべき場面があります。それは主人公が、遥かな未来3000万年後の未来をも訪れていることです。そこで彼は、生命の消えうせた終末の地球を我々に見せてくれます。
「・・・・・人間がたてるさなざまの音、羊のなき声・・・そうしたざわめきは、われわれの生活の背景をなしているものだが
- それらはすべて消え失せていた。暗さが増すにつれて舞い落ちる雪片は、いよいよしげく目の前でおどった。寒さもいよいよきびしくなった。・・・日食の真っ黒な本影がぼくのほうへ迫ってきた。次の瞬間には、青白い星が見えるばかりだった。ほかのものはすべて光を失った。空は完全に暗黒に変わった。この深い暗黒が、ぼくを恐怖におとしいれた。・・・・・めまいがひどくて、帰りの航行もおぼつかないのではないかと思えた。・・・」
この後、同じイギリスのSF作家オラフ・ステープルドンは、彼のこのビジョンをさらに推し進め、宇宙の終わりまで読者を連れてゆくことになりますが、それにしても19世紀末の時点でのこの本の提案は、聖書の中の予言者に匹敵するインパクトだったのではないでしょうか。
物語の中で、主人公は川で溺れかかっていたエロイ族の女性を助け、そのお礼に花をもらいます。彼はその花を現在に持ち帰り、それを未来に行って来た証拠として友人に渡します。そして、最後にその花を渡された友人が帰らぬタイムトラベラーのことを思いこう記して物語が終わります。
「彼は人類の進歩を悲観的に眺め、築き上げられてゆく文明を、いずれは必ず崩壊してその創造者たちを圧死させるにちがいない、愚かな唯積と見なしていた・・・しかし・・・わたしの心を慰めてくれるものは、あの二輪の不思議な白い花である。いまは枯れしなびてしまったが、その花はこう証明しちるのだ。たとえ人類の知力や体力が消え去っても、その心の中には、まだ感謝の気持ちと優しい愛情がいき続けている、と。」
H・G・ウェルズは、イギリス的なシニカルさに満ちた作品を書きましたが、この小説のラストのように最後には「救い」を用意する楽天的な面ももっていました。それが彼の作品が大衆に受けた最大の理由だったのかもしれません。
<あらすじ>
タイムマシンの開発に成功した主人公は、ある日西暦802701年の未来へと旅に出ます。するとそこは、自然にあふれた平和な世界になっていて、エロイ族と呼ばれると呼ばれる人類がのどかな生活をおくっていました。ところが、平和そうに見えても、無気力で知性に欠けたエロイ族は夜になると地下から現れるモーロック族によって連れ去られ彼らの食料になっていることがわかります。モーロックによってタイムマシンを奪われた主人公は、それを取り返すために彼らの住む地下へと降りてゆきます。すると、廃墟となった地下の街で、彼はモーロック族もまた人類であり、地下工場で働いていた労働者の末裔であることに気づきました。
彼は現代へと一度もどると、再び未来社会を改革するために武器などをもって未来へと出発しますが、再び戻ることはありませんでした。
「モロー博士の島」(1896年)
文学作品として最もすぐれ、今読んでも十分に読者を満足させられるH・G・ウェルズの最高傑作がこの小説です。しかし、発表当初この小説は不快感を与える作品であるとして厳しい評価を受けたと言います。
船が難破して見知らぬ島に漂着した主人公ブレンディック。彼はモローという人物が所有するその島で奇怪な生き物を目撃します。実はそれはモロー氏が動物たちに手術をほどこして生み出した人間との合体生物でした。見た目は獣でも人間的な思考力ももつ動物たちは、その島で独身の社会を作り上げ、そこでモロー氏は「神」の位置についていました。
この小説は「人間」と「獣」の中間に位置する生き物を創造することにより、「人間」とは何か?「文明」とは何か?「宗教」とは何か?など、様々な問題を読者に考えさせます。
「たしかにそれは、奇妙な矛盾である。どう説明したらよいか、わたしにはうまく言い表わせないのであるが、暗がりに妖しく目を光らせながら、本来の野獣の姿にもどってうずくまっている様子を見ると、かえってそこに、かれのうちの人間性について考えさせられるのであった。」
「モロー博士の島」より
この小説は、その後の「宇宙戦争」などに比べ「人間」についての描写に重きが置かれている分、文学作品として人間ドラマとして質が高いものになっています。しかし、この小説が本当に怖いのは実は島に住む「獣人間」たちではありません。
彼は最後になんとか島を抜け出すことに成功し、故郷のイギリスに戻ります。しかし、ひさしぶりに帰ったイギリスの街を歩きながら、彼は周りがまったく違って見えることに衝撃を受けます。
「道であう男も女も、これはけっして人間ではない。やはりこれも、あの島でみたと同様に、人間の魂をまねて作り上げた獣人の一人で、人間の外貌こそそなえてはいないが、徐々にまた未来の獣性にもどり、兇暴なけものの姿をあらわすときがくるのではなかろうか
- そういう奇妙な恐怖が、たえずわたしの心をおびやかし続けた。
われわれのうちにある獣性をこえるものは、日常の瑣事をすて、罪と悩みを去り、広大不変の宇宙の法則に身をゆだねるときのみ、はじめてその慰籍と希望とを見出しうるのであろう。わたしはそれにすべてをかける。」
「透明人間」(1897年)
この小説もまた何度も映画化されており、フランケンシュタインやドラキュラなどに匹敵する悪のヒーローの一人といえます。ただし、彼はあくまで怪物ではなく人間であり、科学者です。理性を失った科学者が自らの発明に飲み込まれ、「ダークサイド」に落ち込んでしまう。そして、ついにはそれを悪用してしまうという古くて新しい定番的ドラマといえます。「科学の時代」となる20世紀に原子爆弾の開発者たちを筆頭に多くの科学者たちが悩まされることになる問題はこの時すでに予見されていました。
「宇宙戦争」(1898年)
「宇宙戦争」は21世紀に入っても、原作に忠実に映画化されていますので、ストーリーは誰でも知っているかもしれません。(監督は、かつてのSFオタク少年スティーブン・スピルバーグ)この火星人による地球侵略戦争小説にも、ウェルズの思想はあらわれています。
SF小説の歴史書「十億年の宴」の著者ブライアン・オールディスは、この小説の優れている点を三つ挙げています。
(1) 物語の舞台を現代、それもイギリスのごく普通の田舎町にしたこと。これによって読者は火星人の侵略がいつ自分のまわりで起きても不思議のない出来事として身近に感じること になりました。
1938年にオーソン・ウェルズがこの小説をアメリカ向けに書き換えてラジオ・ドラマとして放送しました。第二次世界大戦前という危機的な時代だったこともあり、このラジオ・ドラマは 異常な反響を呼びます。全米の多くの地域で多くの人々が、その放送を実際のニュースと勘違いし、大パニックが起きたのです。それだけ「宇宙戦争」にはリアリティーがあったというこ とでもあります。
(2) 彼が重要視していた「進化論」的な考え方と微生物(ウィルス)による伝染病の蔓延についての学説が重要な役目を担っています。ラストに火星人が死滅してしまう原因が地球上に 存在していたウィルスだったというアイデアがなければ、この小説は大衆に「娯楽小説」として受け入れられなかったのではないでしょうか?
(3) 彼はイギリスという国の文化や社会全般についての批評を物語を通して行なっています。
人類の武力に比べ、圧倒的に高度な武器を持つ火星人になすすべもなく征服されてしまうという物語の展開には、ウェルズ自身の帝国主義国イギリスについての考えがこめられ、 そこで彼はこういっていると前述のブライアン・オールディスは記しています。
「・・・・・ウェルズは要するに、仲間である英国人に対して、こういっているからである。『見たまえ、これが未開人であることがどういうことか、そこへマキシム銃を持った 西欧人が文明 化させるためにのりこんできたときどう感じるかということなんだよ!』と」
ただし、「宇宙戦争」にはこの後、彼の作品がおちいることになる一つの欠点が表れています。それは、この小説の中に読者が感情移入できるヒーロー的な人物が描かれていないことです。
「『宇宙戦争』に人間は出てこない。あるのは科白(セリフ)だけである」
ブライアン・オールディス
この欠点は、スピルバーグによる映画版でも共通しており、その後の彼の作品において「人間」が消えてゆき「社会」や「思想」を描くことが目的になってゆく前兆だったことがわかります。
<ウェルズの作品について>
これらウェルズの初期作品について、ラテン・アメリカを代表する作家J・L・ボルヘスは、こう書いています。
「私見によれば、ウェルズの初期小説の卓越性には、もっと深い源がある。これらの小説は、巧妙な物語を語っているだけではない。それらの物語は、人間の運命に本来備わったある過程を、象徴したものになっている。まぶたが光を遮らないため、まるで目をひらいたのと同じ状態で眠らなければならない悩める透明人間は、われわれの孤独と恐怖である。夜中にうずくまって服従の教義を唱える怪物たちの集会は、バチカンでありラサである。歳月に耐える作品は、常に限りない柔軟な多義性を備えている。それは読者自身の顔を映す鏡であり、また、世界地図でもある。」
<その後のウェルズ>
1900年の時点で彼はまだ34歳でしたから、この後も彼は数多くの小説を発表しています。しかし、第一次世界大戦以後、彼は小説家ではなく科学啓蒙家として世界平和のために活動するようになってゆきます。そして、それ以後の作品の多くは、その後、人々の記憶から消えてゆくことになります。もっとも広く読まれているのは、彼が第一次世界大戦の後に発表した歴史書「世界史大系」かもしれません。(オラフ・ステープルドンはこの本を参考にして大作SF「最後にして最初の人類」を書いたと言われています)
彼は20世紀に入る前にそのアイデアのすべて、才能のすべてを使い果たしてしまったのでしょうか?どうやらそうではなさそうです。彼はそれまで彼が書いていた小説のスタイルである「科学ロマンス」を自ら捨て、異なるスタイルへと移行したと考えるべきなのです。
そうした彼の心境の変化は、二つの世界大戦によってより深く暗いものになったようです。彼が自らの著書「世界史概観」に書き加えた二つの前書きは、そんな彼の心境の変化をはっきりと表していました。
先ずは、1922年に発行された版から。
「・・・吾々はやっと人類の偉大さの最初の黎明期に達したばかりである。・・・やがて人類は吾々の大胆きわまる空想以上のものを実現するであろうといふと、人類は統一と平和を達成するであろうということ、人類は吾々の知っているどの宮殿や庭園よりもずっと立派な世界に住み、営々とますます広範囲の冒険や業績を続けてゆくだろうといふこと-
かうしたことを吾々は疑いひ得ようか?・・・」
それに対して、1944年版にはこう書かれていました。
「・・・人間精神はなおも活動的ではあるが、それは終末と死とを追求し策を練っているのである。筆者は・・・この世界を、回復力のない疲れきったものと見る。・・・・・人間は険しい道を登るか下るかしなければならない。そして、下っていって退場することに賛成しているもののほうが多いように見えるのだ」
この違いは歴然です。
こうして彼は人類を「進化」させるため、人類に未来をもたらすために、その知名度と知識を生かす人生を歩むようになってゆきました。第一次世界大戦後、彼は国際連盟の設立のために奔走したり、世界人権宣言の起草準備をするために世界各地を駆け回ったり、小説家ではなく人類を導く教師としての人生を歩むことになります。彼は国家主権を廃した世界国家を設立することを究極の目標としていました。まさに国境のない世界です。そのための機能をもってこそ、国際連合にも意味があると考えていました。さらに現在の日本国憲法のもとになった思想、特に憲法第九条にも、彼の人権思想は大きな影響を与えたとされています。
「人間の歴史は時とともにますます、教育と破滅との競争になってきている」
H・G・ウェルズ
彼は「SF小説」という名のタイムマシンに乗って人類の破滅というビジョンを見てしまったがゆえに、「小説」という手法によって、それを描くだけではそれを防げないと考えるようになったのでしょう。その意味で、彼の作品は、「科学と人間のドラマ」ではなく、「未来への提言集」になっていったのです。そして、そうした変化によって、自分の小説が中途半端なものになっていったことを彼自身もわかっていたようです。
「私の著作の多くは、いいかげんで、生煮えで、穴だらけで、その大部分が書きとばしたあとろくに更訂もせず、中にはまるでお粥で育った尼さんみたいにうすっぺらなものもある。・・・・・」
(ただし、この言葉はそのまま僕のサイトにもあてはまるように思います。頭が痛い指摘です)
こうして、「ひとりシンクタンク」となった彼は、その後、歴史に残るような著作を生み出すことはありませんでした。しかし、彼は人類全体の教育者として地球規模で未来を見つめる視点を我々に残してくれたのです。SFにおける重要なテーマ「人類の進化」については、「2001年宇宙の旅」だけでなく多くの作品が挑んでいます。しかし、自らその進化を推し進めるための教育者(モノリス)になり、具体的に大きな貢献を果たそうとした作家は彼だけかもしれません。
彼が行なった政治的な努力がどれだけ効果をあげたのか?残念ながら、その評価は未知数です。しかし、彼が自ら「生煮え」と呼んだSF小説の数々は間違いなくその後の人類に影響を与え続けています。僕が強い影響を受けたアメリカの作家カート・ヴォネガットから全世界のSF作家へ向けられたメッセージを記して終わりたいと思います。
「わたしはくそったれなきみらが大好きだ。わたしはもうきみらの書く本しか読まない。無限の時間と拒絶、決して亡びることのない神秘、これから十億年ほどの宇宙の旅が天国行きになるか地獄行きになるかをわれわれがいま決定しつつあるという事実、そうしたことに心をすりへらすほどおっちょこちょい連中は、きみらだけだからだ」
カート・ヴォネガット著「ローズウォーターさん あなたに神のお恵みを」
<参考資料>
「SF - その歴史とヴィジョン」R・スコールズ&E・ラブキン共著/TBSブリタニカ
「十億年の宴 SF - その起源と発達」ブライアン・オールディス
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