ラップの元祖は誰だ?

「ヒップホップの誕生」
ドキュメンタリー「ヒップホップ・エヴォリューション」Vol.1
「ヒップホップの誕生」
 ネットフリックス制作のドキュメンタリー「ヒップホップ・エヴォリューション」は、ホスト役のShadKことシャドラック・カバンゴ(1982年ケニア生まれのカナダ人ラッパー)がヒップホップのレジェンドたちに直接会って、進化の歴史とその進化の歴史を振り返る歴史番組です。幸い、ヒップホップの歴史はまだ浅いので多くの証人たちがまだ存命でその多くは現役です。次々に登場するレジェンドたちのインタビューと彼らの過去の素晴らしいパフォーマンスの映像をみられるだけでも感動ものです。
 その第一回は、「ヒップホップの誕生」。ヒップホップ草創期の三大アーティスト、クール・ハーク、アフリカバンバータ、グランドマスターによる革命が取り上げられています。さらに興味深いのは、三人とは別に「ラップ」の生みの親についての調査があることです。その部分は、このサイトでは紹介していなかった新たな発見です。そこでこのページでは、このドキュメンタリー作品で見つけた新たな発見を中心にヒップホップの歴史を改めて振り返ろうと思います。
 「ヒップホップの歴史」については、このサイト内にすでに詳細なページがありますので、そちらと合わせて見てもらうとより深くその歴史を知ることができるはずです。

<ラップは誰が始めたのか?>
 「ラップの元祖は誰なのか?」
 そのルーツをたどると、黒人音楽の歴史そのものをたどることになるかもしれません。そもそもおしゃべり好きなアフロ・アメリカンの人々の会話には、自然にラップ的要素が見られます。とはいえ、言葉をリズムに乗せることでメッセージを伝える手法としてのラップのルーツには、彼らがまだ奴隷だった時代に唯一自由が与えられていた場所、教会での牧師の説教があったのは間違いないでしょう。映画「ブルース・ブラザース」の中でジェームス・ブラウンが演じた牧師はその典型です。実際、1950年代に黒人たちの間で最も聞かれていたレコードの中には、アレサ・フランクリンの父親C・L・フランクリンなどの有名な牧師の説教レコードがありました。(映画「リスペクト」でも見られます)
 さらにキャブ・キャロウェイのような黒人エンターテイメント芸人のショーや映画の影響もあるでしょう。彼らのおしゃべりは、独自の言語まで生み出す芸の一つであり、それを多くの黒人たちがマネて流行しています。しかし、リズムに乗せ、韻を踏んで、ストーリーやメッセージを語る本格的なラップの元祖は、そう古くはないようです。
 オールド・スタイル・ラッパー初期のスター、カーティス・ブロウは、そのルーツは当時ディスコで活躍していた人気DJ、DJハリウッド DJ Hollywood だと語っています。
 1979年代、セレブや着飾った若者たちであふれかえっていたニューヨークのディスコで大人気だったDJハリウッドは、フロアの観衆を盛り上げるため、独自の韻を踏んだMCを繰り出していました。ただし、そんな彼もまたある人物から、そのやり方を学んだとインタビューで語っています。
 それは、当時ニューヨークで大人気だったラジオDJフランキー・クロッカーでした。彼はラジオでの貴重なパフォーマンス映像で、こうしゃべっています。
「俺はラップの達人なのさ、アルミフォイルくらい頑丈だ。それにアメの包み紙(ラップ)くらい甘いぜ」
 アメリカのラジオDJのしゃべりは、ウルフマン・ジャックのように独特のパフォーマンスを売りに発展してきました。その延長で生まれた彼独特の韻を踏んだしゃべりのスタイルは、ニューヨークの多くの若者に影響を与え、優れたラッパーが誕生する下地を作りました。
 さらには、ニューヨークには、詩人たちによるポエトリー・リーディングの文化もありました。そうした詩人たちの中から、黒人アーティストのラスト・ポエッツやギル・スコット・ヘロンのようなラップに限りなく近い独自のスタイルも生まれていました。(パティ・スミスもポエトリー・リーディングのアーティストでした)
 もう一人、ラップの元祖的存在として挙げられているのが、ピグミート・マークハム Pigmeat Markham という人物。黒人のコメディアンとして活躍し、歌手・ダンサー・俳優として活躍しました。1904年4月18日ノースカロライナ州ダーラムで生まれて、ニューヨークに移住して活躍後、1981年12月13日に亡くなっています。代表曲として有名な「Here Comes The Judge」では、まさにラップそのもののパフォーマンスが披露されています。
 こうしたアーティストたちの影響を受けて誕生したのが、DJハリウッドのラップだったわけです。しかし、一般的にラップの元祖に彼の名前を挙げる人はいませんし、ヒップホップの歴史について書かれた本にも彼の名前は小さくあるくらいです。どうやらその理由は、彼がヒップホップ誕生の地ブロンクスではなく、アップタウンのセレブたちが通うディスコを活動の場にしていたからのようです。彼はあくまでもクラブDJであり、ヒップホップのDJではなかったのです。それでも、彼のDJプレイは多くの若者たちに影響を与えました。

<DJ&MCスタイルへ>
 DJハリウッドなど初期のDJは、自分でレコードをかけ、自分で観衆を盛り上げるMCをするオールラウンダー的存在でした。
 グランドマスターも当初は一人でDJプレイをしてパーティーで活躍していました。しかし、独自に開発した機材では2つのレコード・プレイヤーを使って切れ目なく曲を生み出すため、観衆を乗せるMCを繰り出す暇がなくなってきます。(そのそもMCは得意ではなかったようですが・・・)
 そこで彼は自分に代わって、観衆をノリノリにし躍らせる優れたMCを集めてグループを作りました。それが、ザ・フュリアス・ファイブです。メリー・メル、キッド・クレオール、COWBOY、ラヒーム、Mr.Nessと5人からなるMCによるラップは、パフォーマンスとしてのラップを大人気エンターテイメントへと成長させることになりました。

<参考>
「ヒップホップ・エヴォリューション」
Hip-Hop Evolution 2016年(N)
「ヒップホップの誕生」(第一回)
(監)(製)ダービー・ホイーラー(カナダ)
(製)スコット・マクファーディン、サム・ダン(製総)ネルソン・ジョージ、ラッセル・ピーターズ
(脚)(製)ロドリゴ・バシュナン(撮)マーティン・ホークス(編)スティーブ・テイラー、マーク・スタントン
(ホスト)シャドラック・カバンゴ 
(出)カーティス・ブロウ、グランドマスター、クール・ハーク、ファブ・5・フレディ、グランド・ウィザード・テオドール、ジョー・コンゾ
DJ・ハリウッド、クール・モー・ディー、ラッセル・シモンズ、ジャジー・ジェイ、ネルソン・ジョージ他

曲名  演奏  作曲・作詞  コメント 
「Stylin」  Shadrach Kabango
Saukrates 
Shadrach Kabango
Paul Muephy他 
 
「It's Bigger Than Hip Hop」 Dead Prez 
Feat. Tahin and Peoples's Army
Lavonue Alfor
Clayton A. Gavin他 
 
「Hard Times」  Baby Huey & The Babysitters  カーティス・メイフィールド
Curtis Mayfield 
 
「Bongo Rock」  インクレディブル・ボンゴ・バンド
Incredible Bongo Band 
Preston Epps
Arthur Egnoian 
 
「It's Just Begun」  The Jimmy Castor Bunch  James Castor
John Pruitt他 
 
「Apache」  Incredible Bongo Band  Jerry Lordan  
「Renegades of Funk」  アフリカ・バンバータ
Afrika Bambaataa
and The Soulsonic Force 
Robert Allen
Afrika Bambaataa他 
 
「Looking For The Perfect Beat」 Afrika Bambaataa
and The Soulsonic Force  
Robert Allen
Afrika Bambaataa他 
 
「Good Times」  シック
Chic 
Bernard Edwards
Nile Rogers 
 
「Mimmie The Moocher」  キャブ・キャロウェイ
Cab Calloway 
Cab Calloway
Clarence Gaskill他 
 
「Noah」  The Jubilaires     
「Here Comes The Judge」  ピグミート・マークハム
Pigmeat Markham 
Dick Alen, Bob Aster 
Dewey Markham他
 
「Superrappin No.2」  グランドマスター・フラッシュ
&ザ・フュリアス・ファイブ
Grandmaster Flash
& The Furious Five
Bobby Robinson  
「It's Nasty」  グランドマスター・フラッシュ
&ザ・フュリアス・ファイブ
Grandmaster Flash
& The Furious Five 
Jiggs Chase
Melvin Glover
Silvia Robinson
 

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