韓国が生んだ天才ピアニスト、挑戦の日々

「沈黙のおと」

- H・J・リム H.J.Lim -
<「沈黙のおと」>
 まだ出版されていない本について書くのは初めてです。それも、ヨーロッパ在住のピアニスト、H・J・リムさんの自伝を日本語に翻訳した生原稿です。日本での出版を目指し、出版社を探しているらしいので、このページが少しでも役に立てばいいのですが・・・。(2017年5月)
 とはいえ、そもそもH・J・リムとは誰?という方もいらっしゃるでしょう。
 彼女は、ヨーロッパで活躍する今クラシック音楽界で話題の韓国人ピアニストです。彼女のピアニストとしての才能はラフマニノフやリストの難曲の演奏で証明され、動画投稿サイトによって世界中で見られています。しかし、彼女の活躍はそれだけではなく、ベートーベンが書いた30のソナタをすべて演奏する試みなど、その独自の挑戦についても話題になっています。
 ただし、クラシック音楽の専門知識どころか音楽の専門知識すらろくにない僕に彼女の才能について評価できるわけがありません。というわけで、ここでは彼女の自伝について、人間ドラマとして、音楽論として、文学として、読んでみた感想を書いてみようと思います。したがって、クラシック音楽に詳しくない方でもわかると思います。

<韓国からパリへ>
 韓国に生まれ育ったごく普通の少女が、なぜヨーロッパで活躍する話題のピアニストになったのか?前半は、彼女がピアノを始め、その才能を伸ばすためにヨーロッパへと渡るまでの生い立ちが語られます。
 彼女の父親は、韓国という経済的に厳しい弱肉強食の社会で経済的に成功した人物でした。そのおかげで、彼女はピアノという楽器と出会えただけでなく、演奏者となるための英才教育を受けることが出来、すぐにその才能を発揮し始めます。しかし、韓国にいてはピアニストとして世界的な成功を得ることは不可能でした。そのため父親から受け継いだ強い意志が、彼女をヨーロッパへと向かわせます。もちろん、強い意志と根性だけで成功できるほど、音楽界は甘くありません。しかし、幸いにして、彼女には母親と祖母から受け継いだ芸術的な才能があったのです。
 こうして、彼女はパリの国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)に入学するため、フランスへと渡ります。

<ヨーロッパにて>
 フランスに渡った彼女は、世界的な名門校コンセルヴァトワールへの入学を目指し、厳しい勉強に励みます。異国での音楽漬けの厳しい生活は、けっして楽ではなかったのですが、音楽に集中できる生活は彼女にとっては幸福な時間でもありました。しかし、そのために世話になったコンピエーニュ在住の叔母さんは、彼女の才能を殺すような行動に出ます。それはまるで、昭和の「赤いシリーズ」のようなドロドロした展開です。そうでなくとも、彼女にとってパリでの生活は、人種差別、移民問題、宗教の違いなど様々なトラブルとの闘いでもありました。彼女の苦労は、例えば、映画「扉をたたく人」や「シャンドライの恋」などの移民を主役にした音楽映画を思い出させます。しかし、こうした理不尽な苦労があったからこそ、彼女は誰よりも精神的に強い女性となったのです。
 思えば、女子フィギャー・スケートの浅田真央選手は、キム・ヨナ選手にオリンピックで勝てませんでしたが、それは環境的に厳しい韓国のスケート界がキム・ヨナ選手に誰よりも強い精神力を与えていたからかもしれません。そうした精神的な強さは、世界的に活躍する韓国人たちに共通する部分かもしれません。
 ここでちょっと気になったのは、世界的な成功に向けて戦い続ける彼女の力強い生き様に読者は感情移入しずらいのではないか?ということです。自信過剰とも思える強い人間に読者が引いてしまうか、反感を持ってしまうのが日本人の特徴だからです。もちろん、それは仕方のないことですが、それほど彼女の文章は自信に満ちているということです。
 ただし、後半はまったく違う方向に向かい、また違う印象を受けることになります。

<新たな挑戦の始まり>
 コンセルヴァトワールに合格した彼女は、偉大な教師アンリ・バルダらの教えを受けながら、世界的な名門校を首席で卒業します。そこまで来ると、彼女の成功は確約されたも同然でした。彼女には様々なオファーが来ます。ところが、自らの努力で得た安定した地位に彼女が満足することはありませんでした。彼女は自分が演奏する曲を自由に選べる地位を獲得しますが、観客が求めるお決まりの曲を演奏するのではなく誰もやっていない境地に向かい始めます。

 私はドビュッシーのプレリュード全曲 と、バッハの「平均律」を構成している24曲、ショパンの作品全曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲全曲、ブラームスのピアノ曲、そし てそれ以外の20あまりのピアノ協奏曲の勉強を始めた。演奏会の提案が入ってくるたびに、私は新しい曲でプログラムを組んで、ピア ノ・レパートリーに重要なすべての作品を征服しようとする目的から、リサイタルの回数を増やした。それは私が私自身に負荷した挑 戦だった。このように強度の高い修練の期間中、私は演奏会のために、または演奏会のミーティングのために外に出るだけで、ほぼ完 全な隠遁生活をした。 !  そしてついに私は、ベートーベンが作曲した30曲のソナタを、8日の間8回のリサイタルを通して聴衆たちに紹介するという、新し い冒険に突入することになる。

 彼女はただ彼らの作品を楽譜通りに正確に演奏するのではなく、彼らが楽譜に込めたすべての意図を理解しようと、図書館や資料館に通いながら、彼らの人生と精神にまで迫ろうとし始めます。彼女は、当時彼らがどんな思いを自らの曲に込めたのかを知ることで、音符一つ一つの意味を知ろうと考えたのです。
 彼女はバッハが生きた時代にタイムスリップし、彼と共に行動し、曲作りの苦悩だけでなく家族との葛藤や宗教や政治との関りにまで迫ろり、バッハになり切ろうとしたのです。(この部分を映画のように再現出来たら、どんなに素晴らしい映画になるでしょう!)
 そうやって生み出された彼女の演奏が、それまでの常識とは異なるものになり、時には誰よりも早いテンポのベートーベンのソナタになったりするのはある意味必然でした。しかし、そうした彼女独自の演奏は音楽界では評価を二分することなります。(このサイトの読者なら、そんな彼女の挑戦に拍手だと思いますが・・・)

 私はこの生きたリズムだけを追求している。私がショパンを演奏しようとするときは、まずテンポを決めておいてその中に音楽を入 れるのではなく、音楽が私たちにどんなメッセージを伝えてくるか、その曲が噴出している感情はどんなものか、先に感じてから演奏 する。そうするのであれば、そこから出てきた情熱が、そのまま自然にその曲のテンポになる。

 どこまでも作曲者その人の当時の思いにこだわり、その人物に憑依するように演奏する彼女の試みは、映画の世界で一流の俳優たちが、演じる人物のすべてを学び、その人物になり切るのと一緒です。そのために彼女がどんな調査を行い、どんな練習をしているのか?そのあたりはクラシック音楽のファンじゃなくても十分にスリリングで興味津々で読めるはずです。(この部分をもっと書いてほしかった!)

 音楽は魂の表現である。その表現を、テクニック、あるいはスピードのコントロール下に置いてはならない。というか、不可能だろ う。そんなことは。まず音楽と私の魂が1つにならなければならない。次にその状態を表現するためのテクニックを備えなければなら ない。そのためのテクニックを絶えず練習していると、目を瞑っていても弾けるようになる。ほんとに。寝起きでピアノに向かってもミス なく弾ける。そういう境地に至る。ほんとに。私は自由になり、そう自由になり、表現の限界がなくなる。

私は夜中までドアをあけているシャンゼリゼの書店でも癒された。本を全部飲み込むように読んで、車庫の私のベッドには本が積み 重ねられていて。作曲家たちの手紙を読んで、ショパンをもっと愛そうとしなかったジョルジョ・サンドを私は一生懸命に呪った。少女だった私が火のような情熱を捧げたリスト。リストの愛人だったマリー・ダグと、2人が交わした毒舌を聞いても軽蔑も非難もしな かったショパン。ショパンに対する尊敬はさらに高くなっていった。

 音楽と共に生きる人生は戦いの連続かもしれませんが、喜びにも満ちているはず。そして、そんな生き方を続ける人生を歩み続けてきたからこそ、その自信と技術が彼女を支え、ベートーベンにもショパンにもラベルにもなり切れるのです。
 ただし、すべての演奏者がオリジナルの作曲者になり切る必要はありません。そうでなければ、それぞれも音楽にはオリジナル版しか要らないことになるし、新しい解釈の演奏もまた音楽の発展に必要なはずです。でも、時代が過ぎ去るほど、オリジナルの音楽の真髄は失われてゆくのも確かです。誰かが、その原点を指し示すことで、さらに新たな音楽が生み出される可能性を生み出すはずです。(これはクラシック音楽だけでなく、今後はジャズやロック、フォーク、ブルースにもいえることになってくるはずです)
 もちろんまだまだ若い彼女ですから、今後このオリジナルに迫るプロジェクトからさらなる新プロジェクトへときっと向かう展開もあるはずです。今後の彼女の活躍に期待します。

<生きることと演奏すること>
 この自伝の特徴ともいえるのは、彼女の生活の描写と音楽論や宗教論が混然一体となっているところです。

 まるで親しい友達の話をするみたいにして、教授はバッハについて語ったが、ある意味で、それは真実だった。モーツァルトとは夕食を共にする仲だ、と聞いても私はたぶん信じたろう。ラヴェルの和声変化を追跡する過程は、なぜラヴェルが天才であるのかの、数学的な証明だった。感覚的で曖昧な言葉を何1つ使うことなく、教授はラヴェルの天才性を説明してみせた。 教授は音楽の骨格や体系だけでなく、音楽が証明する神秘的な対象についても、論理的な言葉で語ることができた。音楽は教授に見事に馴染んでいるあの古い服のようで、魔法を習おうとして焦っている私たち魔法使いの弟子に、強烈にその秘密を伝授してくれた。 実は私はその伝説の教授の最後の七面鳥の1人であって、私がルーアンの国立音楽院を卒業したその年に、マドモワゼルは亡くなっ た。神話の時代は、終わったのである。

 クラシック音楽に疎い人には、彼女のこうした文章はちょっと読みずらいと感じられそうです。そして、なかなか話が進まずイライラするかもしれません。
 しかし、彼女の生活は常に音楽と共にあり、食事をしていても、洗濯をしていても、いつも頭の中には音楽が流れているのです。そんな生活の中で書かれた文章となれば、頻繁に音楽家の名前が出てきたリ、音楽論になってしまうのも当然なのです。例えば、もし、アインシュタインが自伝を書いていたとしたら、毎日の暮らしの描写の中に頻繁に数式や図形のイメージが登場したに違いないのです。(それが本として成り立つかどうかは別として・・・)そんなことを思った僕は、その後、彼女の演奏を聴きながら文章を読むことにしました。できるだけ、彼女の音楽を感じながら読もうと思ったのです。

<追記>
 そうそう、なぜ、リムさんの日本では未出版の自伝を僕が読んだのかというと・・・。
 彼女のフランス語で書かれた自伝を日本語に翻訳をした彼女の友人がこのサイトの読者だったことから、読んでみて下さいと送ってくれたのです。
 現在、日本語版を出版してくれる出版社を探しているとのことですから、もし出版関係の方でご興味のある方はご一報下さい!

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