アメリカの心の故郷を生んだフージア

「我が心のジョージア」、「スターダスト」

- ホーギー・カーマイケル Hoagy Carmichael -

<わが心のアメリカ>
 ホーギー・カーマイケルといえば、なんといっても「スターダスト Stardust」と「我が心のジョージア Georgia On My Mind」の2曲でしょう。この二つの歴史的スタンダード・ナンバーを生み出したことで、彼は20世紀ポップス史にその名を残しただけでなく、アメリカ人にとっての心の故郷を生み出したともいえるでしょう。「我が心のジョージア」は、ジョージア州の州歌になっただけでなくアメリカ南部全体の心の故郷的存在になりました。
 では、ホーギー・カーマイケルという人物はいかなる人物だったのでしょうか?

<ジャズとの出会い>
 ホーギー・カーマイケル Hoagy Carmichael は、本名をホーグランド・ハワード・カーマイケルといい、1899年11月22日あmうぇりか中西部インディアナ州ブルーミントンに生まれました。裕福な家庭に生まれた白人少年は、ラグタイム・ピアノの演奏者だった母親からピアノをごく自然に学びました。元々成績優秀だった彼は弁護士を目指して名門のインディアナ大学に入学します。ところが、そこで彼の運命を変える人物と出会うことになりました。
 大学で毎週末に行われていたパーティーにウォルバリンズというジャズ・バンドが登場、その演奏を見た彼はジャズの虜になります。そして、そのウォルバリンズの花形コルネット奏者ビックス・バイダーベックと彼は親しくなり、そのままバンドに参加してしまいます。そこで様々なことを学んだ彼は、その後、ルイ・アームストロングやトミー・ドーシーらのバンドでピアノ奏者として活躍。1930年代には自らのバンド、オールスターズを率いるようになります。

<作曲家として>
 バンド活動と並行して作曲も行うようになった彼は、1924年に「Washboard Blues」、1925年には「River Blues」を発表。そして1927年にあの名曲「スターダスト Stardust」を発表します。この曲は当初はミディアム・テンポのダンスナンバーとして演奏されていましたが、その後、スローなバラード・ナンバーとして有名になります。オリジナルの演奏は、アイシャム・ジョーンズ楽団によるもの。
 さらに1929年、ミッシェル・パリッシュによって歌詞がつけられ、それを1931年にビング・クロスビールイ・アームストロングが唄うと一気に大ヒット。スローなダンス・ナンバーとしても、恋人たちのための美しいバラード曲としても、なくてはならない名曲の仲間入りを果たすことになりました。その他で、この曲の演奏として有名なものとしては、ベニー・グッドマン、クリフォード・ブラウン、ウィントン・マルサリス、ベン・ウェブスター、ドナルド・バードなどによるものがあります。まあ、今後も増えるでしょうから無数にあるといっていいでしょう・・・。
 1930年に彼が作曲した「我が心のジョージア Georgia On My Mind」は、当初彼の姉妹だったジョージアのために作られたとも言われましたが、アメリカ南部を象徴するジョージア州をイメージした曲として少ずつ知られるようになります。(作詞はスチュアート・ゴレル Stuart Gorrell)最初に歌ったアーティストは、ミルドレッド・ベイリーです。
 そして1960年にはレイ・チャールズが歌い大ヒットさせます。ところが、黒人への差別が長く残っていたジョージア州でのライブを彼が拒否したことから、ジョージア州は彼を追放処分にしていたため、皮肉なことに地元ジョージアでこの曲は受け入れられませんでした。1979年になって、ついに州政府はレイの追放処分を取りやめ、その謝罪の意味もあり「我が心のジョージア」を州歌に指定しました。その後、この曲はジョージア州の州歌というよりもアメリカ南部の歌とも呼べる存在となり、もうひとつのアメリカ国歌ともいえる存在になってゆくことになります。
 なおこの曲の演奏として有名なものとしては、インストではチャールズ・ロイド、ステファン・グラッペリ、トゥーツ・シールマンらのバンドによるものがあります。
 その他の彼の代表曲としては、「ロッキン・チェアー Rockin' Chair」(1929年)、「レイジー・リヴァー Lazy River」(1930年)、「ニアネス・オブ・ユー Nearness of You」(1940年)「ひばり Skylark」(1942年)などがあります。

<ハリウッドへ>
 ヒット曲を連発し、経済的にもゆとりを得た彼はジャズ界から足を洗った彼はハリウッドに移住します。そして、小さな店でピアノひとつで弾き語りをしたり、映画音楽の作曲をしたり、俳優として映画やTVドラマなどに出演するなどしながら悠々自適なの生活を送って行きます。
 俳優としての仕事としては、ハンフリー・ボガートの代表作のひとつ「脱出 To Have And Have Not」(1944年)、アカデミー作品賞に輝いた名作「我等の生涯の最良の年 The Best Years of our Lives」(1946年)などは特に有名な作品です。そして、テレビ作品で有名なのは、彼がジョーンジー爺や役で出演していた大ヒット西部劇ドラマ「ララミー牧場」があります。
 映画音楽の作曲家として彼が残した彼の代表作としては、映画「サンクス・ザ・メモリー Thanks for the Memory」(1938年)の挿入曲「眠そうな二人 Two Sleepy People」、映画「ジョニー・エンジェル Johnny Angel」(1945年)の中の「6月のメンフィス Memphis In June」などが有名ですが、映画「Here Comes the Groom」(1951年)の主題歌「冷たき宵に In the Cool,Cool,Cool of the Evening」ではアカデミー主題歌賞を受賞しています。

「声を聴いてもわかるように、ホーギー・カーマイケルという人にはどこかしら「永遠のご隠居」みたいな雰囲気がある。」
村上春樹ポートレイト・イン・ジャズ」より

 ちなみに彼の出身地インディアナ州は、保守本流の州として有名で共和党が常に勝利をおさめていて、アメリカの中では田舎者の州という見方もされているようです。同じインディアナ州の出身地で同時代に活躍した作曲家として、1891年生まれのコール・ポーターの存在も忘れられません。同性愛者でニューヨーク、ヨーロッパを中心に忙しく活躍した都会派のポーターに対して、ハリウッドに住み着き西海岸で活動を続けたホーギー・カーマイケル。「フージア」とも呼ばれる呑気な田舎者気質のインディアナ州民を象徴する存在としても、彼はアメリカの心の故郷的存在だったのかもしれません。
 古き良きアメリカの心の故郷となったふたつの名曲を生んだホーギー・カーマイケルは、1981年12月27日、82歳で心不全でこの世を去りました。彼の名は、名曲と共に永遠に残ることになるでしょう。

<参考>
「ポートレイト・イン・ジャズ」
(著)村上春樹(絵)和田誠

「サントラ音盤大図鑑」
The Illustreted Guide To Original Sound Track Discs
(編集)岩橋順一郎

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