「男と女 un homme et une femme」 1966年

- クロード・ルルーシュ Claude Lelouch、ピエール・バルーPierre Barouh -

<永遠の輝きを放つ作品>
 1960年代に生まれた作品でありながら、未だにその輝きを失わない数少ない作品の一つです。もちろん、この作品がもつ「永遠の輝き」には理由があります。その最大の理由は、この映画が人類にとっての不変のテーマ、「スピード、音楽、そして恋」についての見事なプロモーション・フィルムとなっているからなのです。
 今やMTVやコマーシャル・フィルム畑出身の映画監督は、映画界の主流を形成するほどになっていますが、この映画の監督クロード・ルルーシュは、そんなプロモーション・フィルム出身の映画監督の先駆けでした。初めは記録映画などを撮っていた彼は、フランスの自動車会社シムカ社のプロモーション作品"Elle Conduit"を制作し、世界各地の映画祭で数々の賞をとりました。彼独特のMTV感覚の映像はこうした中から生まれたようです。その後1968年に彼が監督したスポーツ記録映画の歴史的名作「白い恋人たち」もまたオリンピックのプロモーション映画だったと言えるでしょう。
 こうした普遍的なテーマをわかりやすい映像で描いたことで、「男と女」はフランス映画としては珍しくアメリカでもヒットしています。

<クロード・ルルーシュ>
 この映画の監督クロード・ルルーシュ Claude Lelouch は、1937年10月30日フランスの首都パリで生まれています。幼い頃からカメラいじりが好きで、15歳の時、のみの市でカメラを買った彼は16ミリの短編映画を撮り始め、一人で監督、プロデュース、撮影を行いはじめ、アメリカ、ソビエト、アルジェリアなどでドキュメンタリー映画の撮影を行い始めます。彼はある意味自己流で、映画の製作、監督、撮影などのノウハウをすべて身につけたともいえます。そして23歳にして「フィルム13」というプロダクションを設立。1960年初の長編映画「Le Propreden I'Homme」で映画界デビューを果たします。しかし、当初彼の映画はまったく受けず、デビューから5作目まで苦しい生活が続き、彼はその間コマーシャル・フィルムの制作でなんとか食べていました。そして、この頃の経験が彼の美しい映像を生む元になり、ドキュメンタリーとCM二つの要素が彼の映像の柱となりました。
 この時期に知り合った女優ジャニーヌ・マニャンを主演に、「彼女は運転する」「行きずりの二人」(1963年)、「女を引き裂く」(1964年)、「娘と鉄砲」(1964年)、「大いなる瞬間」(1965年)などを発表します。しかし、一部では評価を受けるもののヒットにはいたらず、彼の抱える借金は当時の金額で5千万円ぐらいにはなっていたといいます。(今なら5億円?)そんな状況の中、最後になるかもしれない作品として彼がカンヌ国際映画祭に持ち込んだのが、この作品「男と女」でした。

「・・・この世で第一の大衆的芸術だ。それを多くの監督は理解していない。すべての人が見られるような映画を作らなければいけないんだ。ぼくは今まで一度も映画を商業映画として作ったことがなかった。「男と女」が商業映画になったからといって、それはぼくの罪じゃない。実際にこの映画を、前の諸作品・・・などと同じように、自分の作品として撮っただけなのだ。それが結果として大衆に受けただけだ」

<スピードへのこだわり>
 この映画には、二つのヨーロッパを代表する自動車レースが登場します。一つはル・マン24時間耐久レース。ジャン・ルイ・トランティニャン演じる主人公は、レース用の車で試験走行をするのですが、そのフォードのプロト・タイプ車は、なんと本番で連勝を続けていたフェラーリを抑えて優勝してしまいました。トランティニャンは、まさにル・マンの優勝車に乗っていたことになるのです。それ以外でもル・マンのシーンには本物の実況が使用され、ドキュメンタリー・フィルムのような臨場感をもたらすことに成功しています。
 監督のレースへのこだわりは、これだけではありません。もうひとつのレース、モンテカルロ・ラリーのシーンでは、実際にトランティニャンが運転し、助手席に監督自らが乗り込みレース全行程に参加したというのです。
 当然レースのシーンはその時にルルーシュ監督自らがカメラを回して撮影したものを使用しているわけです。スピードを競うレースのもつ臨場感を撮すのに、これ以上の方法はないでしょう。

「私はこの映画をシネマ・ヴァエリテの手法で撮ったが、例えば主人公のレイサーに扮するジャン=ルイ・トランティニャンは、本当のパイロット(レーサー)に指導してもらって訓練した。そして実際にモンテカルロ・ラリーに出場することができ、私がその車に同乗してカメラをまわしたのだ。私はういつも、真実に近づこうと努力を払っている」

<ボサ・ノヴァ讃歌>
 この映画のテーマ曲「男と女のテーマ」によって、作曲家のフランシス・レイは一躍世界的な映画音楽作家の仲間入りを果たしました。しかし、この映画の音楽が素晴らしいのには、もうひとりピエール・バルー、彼が大きな貢献を果たしていることを忘れるわけにはゆきません。
 特に、ブラジル音楽が好きな人なら、この映画の挿入歌「ボサ・ノヴァ・サラヴァ(ボサ・ノヴァ万歳!)」を一度は聴いたことがあるのではないでしょうか。この歌は、ブラジル音楽界の巨匠バーデン・パウエルとヴィニシウス・ジ・モライスのコンビに歌い手でもあるピエール・バルーが加わって作られました。ボサ・ノヴァのヒーロー、ヒロインの名前が次々に登場する歌詞だけでも、ボサ・ノヴァ好きには答えられない楽しさです。この映画は、当時世界中で大ブームとなっていたボサ・ノヴァという新しい音楽のプロモーション・フィルムでもあったわけです。
 ヒロインの死んだ夫役を演じたピエール・バルーの存在感がまた実に魅力的です。明るくて、歌の上手い素敵な男は、主人公より絶対に魅力的です!ヒロイン(アムーク・エーメ)が亡き夫への思いを断ち切れないのもうなずけます。(なんとこの映画の完成後、二人は本当に結婚してします!)

<ピエール・バルー>
 ピエール・バルーPierre Barouh は、1934年2月19日パリ郊外に生まれています。しかし、両親はイスタンブールから移住してきたユダヤ人で、彼自身もパリに留まることなく14歳で家を出るとギターを手に世界各地を放浪するようになります。1959年にポルトガルのリスボンでブラジル音楽と出会い、その後バーデン・パウエルらのミュージシャンたちとの親交からボサ・ノヴァをフランスに紹介する役目を果たすことになりました。
 ピエール・バルーは、この映画の後も作曲家、歌い手として活躍を続けています。1980年代以降日本でも活躍するようになり、何度もコンサートを行ない日本におけるフレンチ・ポップ、ボサ・ノヴァ・ブームの火付け役ともなりました。そのうえ、なんと彼は日本の女性と結婚しています。かつて、ブラジルが大好きだった彼も今ではすっかり日本がお気に入りのようです。
<追悼>
 2016年12月28日、ピエール・バルーはこの世を去りました。ご冥福をお祈りします。

<これぞ美しき人>
 もちろん、この映画最大の売りは、「大人の愛の物語」にあります。話しの内容はある意味、よくある「バツイチ恋愛もの」なのですが、それを美しい映像で語ることによって、実に見事なラブ・ストーリーに仕上げています。
 この映画はどこを切っても美しいシーンのオン・パレードなのですが、そこに映し出されている二人の主人公の魅力なしには、そうはならなかったでしょう。寡黙で影のある男を演じさせたらフランス一の俳優、ジャン・ルイ・トランティニャンは、まさにはまり役です。
 しかし、ヒロインを演じるアヌーク・エーメの美しさの魅力は群をぬいています。彼女はこの映画でゴールデン・グローブの主演女優賞も受賞しており、その魅力が単なる美貌だけでないことも証明しています。この映画を最近改めて見て思ったのですが、
「瞳の美しい女性は数多いが、瞳を閉じても美しい女性は、そうはいない」
まさにアヌーク・エーメこそ、そんな女優のひとりです!

<フランシス・レイ>
 あまりに有名なこの映画のテーマ曲をつくった映画音楽界の大御所フランシス・レイ Francis Lai もまた監督のルルーシュ同様、この映画まではほとんど無名に近い存在でした。
 彼は1932年4月26日、南仏のニース近郊に生まれています。初めはアコーディオン奏者としてマルセイユのキャバレーなどで演奏していましたが、その後知人の薦めでパリに進出。そこで知り合った詩人ベルナール・ディメとともにシャンソンを作り始めると、彼らの曲はイブ・モンタンやジュリエット・グレコなどに取り上げられます。さらにシャンソン界の大御所エディット・ピアフが彼の曲を気に入り、晩年のわずかな期間ではありましたが、彼らは彼女の曲を担当することになりました。
 ピアフの死後、彼は当時シンガー・ソングライターとして活躍していたピエール・バルーと出会いコンビを組みます。そしてこの頃、二人はクロード・ルルーシュと出会いあの「男と女」の名曲の数々が生まれることになったわけです。
 したがって、クロード・ルルーシュにとって「男と女」が長編デビュー作だったのと同様、フランシス・レイにとっても「男と女」は事実上映画デビュー作だったのです。
 その他のフランシス・レイ作品としては、「白い恋人たち」(1968年)、「さらば夏の日」(1970年)、「ある愛の詩」(1970年)(アカデミー作曲賞受賞)
「危険なめぐり逢い」(1975年)、「ビリティス」(1977年)、「愛と哀しみのボレロ」(1981年)
やっぱり「男と女」がベストでしょうか?

<斬新な映画手法>
 そんな若いスタッフだったからこそできたこの作品独自の手法があります。それはこの映画の場合、先にフランシス・レイが音楽を作り、それにルルーシュがフィルムを編集して合わせるという珍しい手法がとられていたのです。だからこそ、この映画には現在のMTVに見られるような映像と音楽の一体感が存在するわけなのです。
 新人ばかりが集まって作られたからこそ、こうした時代を越える作品が生まれたのでしょう。
 少ないスタッフで短い時間で撮影を行うというのも、お金がなかった彼ならではのスタイルでした。

「この映画を私は3週間で撮った。しかも6人ぐらいのスタッフでだ。私はいつも、できるだけ早く映画を撮ることに努めている。どんなに遅くても四週間以内で撮る。実は私は一本の映画を一日で撮ってしまいたい。だがそのためには技術的な完成が必要だ。それはまだ秘密である」
「白い恋人たち」(1968年)
 彼のセンスはそのまま、168年のオリンピックのドキュメンタリー映画「白い恋人たち」にも生かされます。フランソワ・ライシェンバッハと共同で撮ったこの作品では9万7千mのフィルムが回され、120時間に及ぶ録音テープが収録されました。
「ルルーシュと私は、お互いに自分のスタイルを使った。だが最終的な責任をとたのは、彼のほうだ。スポーツはわれわれの主要な目的ではなく、競技にまつわる事件や出来事が問題だった。もちろん、われわれは競技を撮ったが、われわれのやり方でである。人間の感動を撮るということはすばらしい」
フランソワ・ライシェンバッハ

「ずっと前から、ぼくは、オリンピック競技の映画を撮りたいと考えていた。特に冬季オリンピックは、危険であるという魅惑的な特殊性を持っている。われわれの興味を呼び起こし驚かせることを見つめる。アメリカ人ペギー・フレイミングのスケートの美しさ、ボブスレーを運転する者の全的狂気、キリーの言葉にいいつくせない自信 - この映画はノーマルな映画ではないだろうが、競技期間中のわれわれの精神状態に従って撮った、単純にして熱狂的なイメージの総体である」
クロード・ルルーシュ 

<その後への影響>
 彼がこの映画を撮った頃、この映画はまさに斬新かつ新鮮な驚きに満ちていました。しかし、この映画の影響から生まれた類似の映画は多く、それが映画に悪い影響を与えたと考えることも可能かもしれません。もちろんそれは彼の責任ではないのですが、当時もそうした影響を懸念する声はあったようです。
 以下は、映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」の記事です。
「監督という職業の恥辱、そら彼だ。何もかもが小利口に計算されている。そして感性の卑俗さ、きまり文句の羅列、偽りのヌーヴェル・ヴァーグのケバケバしい塗りたくり・・・・ルルーシュは世間的には成功したが、映画を10年間遅らせたことは確かだ」

「男と女 un homme et une femme」 1966年
(監・製・撮・脚本)クロード・ルルーシュ Claude Lelouch
(共同脚本)ピエール・ウイッテルヘーベン Pierre Uytterhoeven
(照明)パトリス・プージェ Patrice Pouget、ジャン・コロン Jean Collomb
(音楽)フランシス・レイ Francis Lai
(作詞・歌・出)ピエール・バルー Pierre Barouh
(歌)ニコール・クロアジール Nicole Croislle
(出)アヌーク・エーメ Anouk Aimee、ジャンルイ・トランティニャン Jean-Louis Trintignant
1966年カンヌ映画祭グランプリ、国際カソリック事務局賞
1966年アカデミー賞外国語映画賞、オリジナル脚本賞
1966年ゴールデン・グローブ賞 外国語映画賞、主演女優賞 
<あらすじ>
 映画のスタントマンだった夫(ピエール・バルー)を事故で亡くしたアンヌ(アヌーク・エーメ)は、娘の寄宿学校への送り迎えでカーレーサーのジャン(ジャン・ルイ・トランティニャン)と出会いお互いに好意を持つようになりました。
 しかし、ジャンはかつてルマン24時間耐久レースで瀕死を重症をおった際、妻がそのショックで自殺するという経験をしており、そのショックからぬけられずにいました。ジャンがモンテカルロ・ラリーに出場した際、アンヌもまた同じような強烈な不安感に襲われてしまい、二人の関係に危機が訪れます。ジャンはアンヌの愛をもう一度つかむため、彼女の元へ車を飛ばします。二人の愛の行先は・・・。

ホテルのレストランでの会話
ギャルソン「ほかにご注文は?」
ジャン「いや」
アンヌ「何か注文しないと悪いみたい」
ジャン「喜ばせよう ギャルソン!」
ギャルソンに向かって「部屋を注文する」

<この年の映画>
「大酔侠」の大ヒットで武侠映画のブームが始まる(香港)(監督はキン・フー、日本の時代劇、京劇、剣術アクションを融合させたアクション映画)

「アルジェの戦い」(監)ジッロ・ポンテコルヴォ(出)ブラヒム・ハギアグ(ヴェネチア映画祭金獅子賞)〈1965年公開)
「アルフィーAlfie」 (監)ルイス・ギルバート(音)Burt Bacharach (出)マイケル・ケイン
動く標的 The Moving Target」(監)ジャック・スマイト(音)Johnny Mandel (ポール・ニューマン主演のハードボイルドものの傑作)
「ウラジミール・レーニンの想いで」(監)セルゲイ・ユトケーヴェッチ(カンヌ映画祭監督賞
男と女Un Homme et une Femme」(監)クロード・ルルーシュ(音)フランシス・レイ
(ボサノヴァへの愛に満ちた傑作、ピエール・バルー出演、カンヌ映画祭パルムドール
華氏451(監)(脚)フランソワ・トリュフォー(原)レイ・ブラッドベリ「華氏451度」(出)オスカー・ウェルナー、ジュリー・クリスティー
「恋人よ帰れ!わが胸に The Fortune Cookie」(監)ビリー・ワイルダー(ウォルター・マッソーがアカデミー助演男優賞受賞)
「テキサスの五人の仲間 A Big Hand for the Little Lady」(監)フィルダー・クック(音)David Raksin (出)ヘンリー・フォンダ(最高の大ドンデン返しでした)
「テルレスの青春」(監)(脚)フォルカー・シュレンドルフ(原)ロベルト・ムージル(出)マチュー・カリエール、マリアン・ザイドウスキ
「バージニア・ウルフなんかこわくない Who's Afraid of Virginia Woolf?」(監)マイク・ニコルズ
(エリザベス・テーラー、サンディ・デニスがアカデミー主演女優賞、助演女優賞受賞)
「ハワイ」(監)ジョージ・ロイ・ヒル(脚)ダルトン・トランボ(出)マックス・フォン・シドー、ジュリー・アンドリュース
「蜜がいっぱい」(監)ピエトロ・ジェルミ(カンヌ映画祭パルムドール受賞)
「モア More」(監)バーベット・シュローダー(音)ピンク・フロイド
「野生のエルザBorn Free」(音)John Barry アカデミー作曲、編曲賞(007シリーズで知られるジョン・バリーの出世作)
「欲望 Blow-Up」(監)ミケランジェロ・アントニオーニ(音)ハービー・ハンコック
(出)ザ・ヤードバーズ(ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック)(1967年カンヌ映画祭パルムドール
「わが命つきるとも A Man for All Seasons」(監)フレッド・ジンネマンアカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞受賞(ポール・スコフィールド))

「”エロ事師たちより”より人類学入門」〈監)〈脚)今村昌平(原)野坂昭如(出)小沢昭一、坂本スミ子、ミヤコ蝶々
「紀ノ川」〈監)中村登(原)有吉佐和子〈脚)久坂栄二郎〈出)司葉子、田村高広、岩下志麻
「けんかえれじい」(監)鈴木清順(出)高橋秀樹
「白い巨塔」〈監)山本薩夫〈原)山崎豊子〈脚)橋本忍(製)永田雅一(出)田宮二郎、小沢栄太郎、東野英治郎(モスクワ映画祭銀賞
「湖の琴」〈監)田坂具隆(原)水上勉(脚)鈴木尚之〈出)佐久間良子、中村賀津雄、山岡久乃
「他人の顔」〈監)勅使河原宏〈原)〈脚)安部公房(音)武満徹〈出)仲代達也、平幹二郎
「白昼の通り魔」〈監)大島渚(脚)田村孟(出)川口小枝、佐藤慶、小山明子

「グリーン・ホーネット」(TVシリーズ)(音)Billy May (ブルース・リー出演)
「タイム・トンネル」(音)John Williams (歴史を勉強させてくれたSFテレビ・シリーズ)
「スパイ大作戦」(TVシリーズ) (音)Laro Schifrin (ご存じミッション・インポッシブル)
「バットマン」(TVシリーズ) (音)Nelson Riddle     

<1966年の出来事>

アジア開発銀行創立
宇宙天体平和利用条約採決
<アメリカ>
黒人解放運動の過激化
ストークリー・カーマイケルらにより、ブラック・パンサー党設立
キング牧師に次ぐ黒人解放運動の指導者ジェームス・メレディスが狙撃される
フラワームーブメントの盛り上がり
サンフランシスコに数千人のヒッピーが集合し、「ラブ・イン」開催
<ヨーロッパ>
フランスがムルロア環礁で核実験実施
<アフリカ>
アフリカ各地(ナイジェリア、ガーナ、ブルンジなど)でクーデター発生、混乱の時代へ
<アジア>
中国で文化大革命始まる
<日本>
日本の政界における「黒い霧事件」発覚
禅の世界的導師、鈴木大拙氏死去

<芸術、文化、商品関連>
「ダイナ」 ジョージ・シーガル
「緑の家」バルガス=リョサ著(ペルー)
フィルモア「トリップ・フェスティバル」開催
レニー・ブルース、ドラッグの過剰摂取で死亡
ウォルト・ディズニー死去(65歳)
「ウルトラQ」「ウルトラマン」「宇宙家族ロビンソン」「サンダーバード」放映開始
テレビ・シリーズ「宇宙大作戦 スター・トレック」「タイム・トンネル」放映開始

<この年の音楽について>

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