<発禁レコードの調査依頼>
先日、某週刊誌「S・P」のライターの方からメールがあり、「発売禁止」についての特集をやりたいのでレコードやCDについての情報提供を依頼されました。(よくこのサイトを読んで下さっているとのことで、それだけでも感激でした)できれば協力したかったのですが、音楽業界の人間でない僕には発禁の裏事情はちょっとわからないし、ある意味重い問題なので、いいかげんなことは書きたくなかったので、ご協力は遠慮させてもらいました。
ちょうどそんなやり取りがあった後、僕は本屋で「放送禁止歌」という本を見つけました。もっと早くこの本を見つけたら、協力依頼に答えられたかも?と思いました。しかし、読み終わった後、改めて、いいかげんなことを書かなくて良かったと思いました。この問題はやっぱり重いです。でももとはと言えば「ロック」というのは、この「重い問題」に挑む音楽だったのです。
改めて、かつてロックやフォークが熱かった時代のことを思い出して、自分自身も久しぶりに熱くなりました。幸いなことに、この本はけっこう売れたようですし、この本とこの本に書かれているドキュメンタリー番組の影響もあり、かつて放送で聴けなくなっていた「イムジン河」(フォーク・クルセダーズ)がリバイバル・ヒットしたり、NHKで「ヨイトマケの唄」が歌われました。(本家の美輪さんだけでなく、桑田佳祐も歌ったとか)今後も、この本がより多くの人に読まれて、放送の世界が多少とも変わることを願います。(その後、この本は文庫化もされているそうですので、是非一読をお薦めします!)
<「放送禁止歌」>
解放出版社から発売されたドキュメント本「放送禁止歌」は、フジテレビ系列で以前真夜中に放送されたドキュメンタリー番組「放送禁止歌」の制作過程とその反響をまとめたルポ・ルタージュがその中心になっています。そこに、さらに日本とアメリカの検閲問題を比較するため、作者、森達也とデーブ・スペクター氏によって行われた対談、それと放送禁止問題では過去に数多くの事件を引き起こしてきた「部落問題」についてのルポが加えられることで、より奥深い内容になっています。
<1960年生まれの思い出>
僕は1960年の3月18日生まれ。当然、全共闘世代ではありませんし、この本の作者、森達也さん(1956年生まれ)よりも若い世代に属しています。それでも、この本に登場する放送禁止歌のいくつかを僕はラジオで聞いた記憶があります。それは遙か昔、中学生か高校生の頃のことですが、中には未だに強烈な印象を残している曲もあります。当時はラジオの深夜放送が一大ブームだったこともあり、そこから次々に新しい曲が聞こえてきました。
例えば、岡林信康の「手紙」、「チューリップのアップリケ」は、北海道に生まれ部落問題など何も知らなかった僕にとって、大きな衝撃でした。僕の住んでいる小樽の街にも以前「部落」と呼ばれる地域があったという話を聞いたことがあります。(人の移動が激しく、血縁のつながりが日本一薄いと言われる地域のため、それはいつしか消えてしまったそうですが・・・)
高校時代、同級生の満君が、「手紙」の歌い出しを兼ねて、よくからかわれていましたが、それはけっして彼をいじめるためではありませんでした。それだけ、「手紙」という曲はポピュラーな曲であり、自然に多くの人が歌うことのできる曲だったということだったのです。しかし、そんな曲がまさか放送禁止曲として扱われるようになっていたとは、・・・。僕は全然知りませんでした。
<放送禁止歌とは?>
ところで、あなたは以下の曲のうち何曲聞いたことがありますか?
岡林信康「手紙」、「チューリップのアップリケ」(1968年)、高田渡「自衛隊に入ろう」(1968年)、三上寛「夢は夜ひらく」(1971年)、泉谷しげる「黒いカバン」、「戦争小唄」(1971年)、頭脳警察「世界革命戦争宣言」、「赤軍兵士の歌」(1971年)、フォーク・クルセダーズ「イムジン河」(1967年)、ジャックス「からっぽの世界」(1968年)、美輪明宏「ヨイトマケの唄」(1965年)、つぼいノリオ「金太の大冒険」、高倉健「網走番外地」(1965年)、黒沢年男「時には娼婦のように」(タイトルが問題ありとされました)、原由子「I Love Youはひとりごと」、おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」、なぎら健壱「悲惨な戦い」(1973年)、憂歌団「おそうじオバチャン」、山平和彦「放送禁止歌」(1971年)、ピンク・レディ「SOS」(1976年)、赤い鳥「竹田の子守歌」「五木の子守歌」、忌野清志郎「ラブ・ミー・テンダー」(1988年)「君が代」(1999年)、ブランキー・ジェット・シティー「悪いひとたち」、すべてが放送禁止というわけではなく、レコード会社の発売自粛のような場合もありますが、どれもラジオでかかりにくくなってしまった曲です。(ブランキーの「悪いひとたち」をFMノース・ウェーブで初めて聞いたときは驚きました。我が北海道のノース・ウェーブは良い放送局です!)
<放送禁止になる理由>
それぞれの曲が問題にされた点は、いくつかの理由に分類することができます。
(1)性的な問題(セックスや性器などを連想させる曲名、歌詞)
(2)差別的な問題(貧困、部落、障害者、人種、宗教、職業、性などについいての差別)
(3)政治的な問題(反体制的な歌詞、曲名、他国への政治的干渉、社会的秩序の混乱を招く内容など)
例えば、岡林信康の「手紙」はこの中の「差別問題」に分類されることになります。
「被差別部落出身の女性が、差別による周りからの圧力により部落外の男性との恋愛をあきらめ、その悲しみをこめた手紙を恋人に書き送る」そんな内容の歌は、明らかに「部落差別」を思い起こさせるとして、放送自粛の対象になったのです。(ただし、それを糾弾する立場のはずである部落解放同盟では、この歌をまったく非難してはいません。それどころか、岡林を招待してコンサートを行っているほどです)
<消えた放送禁止歌>
その後「手紙」や「チューリップのアップリケ」が描く暗い世界は、1970年代に入ると「神田川」などに代表される「四畳半フォーク」へと引き継がれて行きます。さらにそれは荒井由美の「紙ヒコーキ」や「ベルベット・イースター」につながり、いつしか「ニュー・ミュージック」という「経済的にも社会的にも何の不自由のない若者たちの心象風景を描く音楽」へと変わって行きました。そして、その頃には社会の変化以上に若者たちのライフ・スタイルも大きく変わっていました。当然、「手紙」のような重い内容をもつ曲を聞きたいと思う人はいなくなり、必然的にラジオから聞こえてくることはなくなったのだ。僕はそう思っていました。
実は、それは日本民間放送連盟という団体がガイドラインとして選んだ「要注意歌謡曲」のリストをもとに各放送局が「自主規制」をした結果でした。それも、1983年以後はそのガイドライン作りは行われていないため、その判断は完全に各放送局の番組担当者に任されています。ところが、そうした経緯を放送関係者はほとんど理解していないため、結局「過去に放送禁止になっているという」既成事実だけを重視し、怪しげな曲はかけないことが放送界の常識になっていたのでした。
なんというバカげた話し。自主規制大好き国家日本らしいと言えばそれまでですが、・・・。
<最近の傾向>
発売当初はまったく問題になっていなかった曲が、時代の移り変わりにより、いつしか放送されなくなったり、誰かからクレームがつく可能性がある曲は初めから放送リストに載せない。そんな傾向が強まっているようです。そのため、逆にクレームがつかないと思われる対象については、とことんいじめまくる、これが今のマスコミ界の常識です。(お笑い芸人やアイドル系女子アナなどは、そのためにいるのかもしれません)もちろん、そうした傾向は発信側にだけ責任があるのではありません。我々受けてが、あらかじめ毒気のないものを選んでいる傾向にあるのも確かなのですから。
「他人を傷つけないように生きなさい!」1970年代以降の「優しさの時代」、親たちは子供たちにそう言い続けてきました。子供たちがその言葉に素直に従ったことで、子供たちの心からはどんどん「毒気」が消えて行きました。しかし、それは表面的に消えただけのことであり、「毒」は心の奥で静かに発現する機会を待っているのです。それは、最近繰り返される少年たちの驚くべき犯罪を見ればあきらかでしょう。こうした、子供たちによる事件の低年齢化は、英才教育の低年齢化と比例しているかもしれません。物心つくと同時に「毒」を抑え込まれた子供たちは、そのはけ口を何に求めれば良いのか?その答えを、ネットの中に探し求めるようになって事態はさらに悪化しているように思えます。
<放送禁止歌>
かつて、「放送禁止歌」は、心の奥底に潜む邪悪な思い(単にエッチな考えもありですが)や隠された現実を少しだけ世に放ち、人々にそれを警告したり心の準備を求めたりしていたように思います。
子供たちは、耳から少しずつ現実を知り、バランスをとりながら現実との折り合いをつけていたように思います。目や肉体でその現実を知るのは、その後のことでした。それに比べ、邪悪な毒を垂れ流すネットでは、心の準備もなにもありません。
かつては、ロックという音楽は正面切って毒を垂れ流す存在でした。しかし、その毒はアーテイストの人格によって、フィルターをかけられ、単なる毒であっても権力に対する毒だったり、戦争を続ける政府に対する毒だったりもしたのです・・・。
最後に、ビリー・ホリデイが黒人奴隷がリンチされ木にぶら下げられている様子をダイレクトに歌い、アメリカ中に衝撃を与えた名曲「奇妙な果実」について書かれた文章をひとつ。
「・・・僕は自分が生きている世界がどんなものなのかについて、ちゃんとした考え方を身につけようと、そのレコードを何度も何度もかけた。僕は今でもこのレコードをしょっちゅうかけているよ。
このレコードは、世界には無知な人々がいるということを僕が理解するように手助けし、彼らの無知に同情するようにさせているんだ」
モーガン・カンセオ(「奇妙な果実」を初めて聴いた時の思い出)
<参考>(追記2011年12月)
「手紙」 作詞・作曲 岡林信康
私の好きなみつるさんは、おじいさんからお店をもらい
二人一緒に暮らすんだと、うれしそうに話してたけど
私と一緒になるのだったら
お店を譲らないと言われたの
私は彼の幸せのために、身を引こうと思ってます
二人一緒になれないのなら、死のうとまで彼は言った
だから全てをあげたこと
くやんではいない 別れても
くやんではいない 別れても
もしも差別がなかったら、好きな人とお店がもてた
好きな人とお店がもてた
部落に生まれたそのことの、どこが悪い なにがちがう
暗い手紙になりました
だけど私は書きたかった
だけど私は書きたかった
「竹田の子守唄」 京都地方の民謡
守りもいやがる ぼんからさきにゃ
雪もちらつくし 子も泣くし
盆が来たとて 何うれしかろ
かたびらはなし 帯はなし
この子のように泣く 守りおばいじる
守りも一日 やせるやら
はよも行きたや この在所こえて
向こうに見えるは 親の家
向こうに見えるは 親の家
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