人類に未来はあるのか?
「リスク社会」が向かえる世界の危機
<PART1>

「人類が永遠に続くのではないとしたら」

- 加藤典洋 Norihiro Katoh -
<人類に未来はあるのか?>
 あなたは人類に未来はあるとお思いですか?
 現在の人口増加のペースでは地球は人類を支えられないと思いませんか?
 原子力発電は安全な電力源となりうると思いますか?
 そんなこと考えるより、明日の仕事の方が心配なんですけど・・・そう言われそうですが。
 真面目にこのことを考えることも必要だと思うのですが、その問題にまともに向かう機会はほとんどないのが現実です。
 誰もがこの問題は見てみぬ振りをしている気がします。
 文芸評論家の加藤典洋氏が書いた「人類が永遠に続くのではないとしたら」は、その問題に真正面からぶつかった数少ない作品です。
 正直、ちょっと難しい部分もありますが、実に刺激的な内容で面白くてためになります。あなたが21世紀を生きるのに、どこかで参考になるはずです。
 というわけで、ここではその素晴らしい作品から「人類の危機」の原因とどうすれば危機を回避できるのかを学んでみようと思います。
 できるだけわかりやすくまとめてみようと思いますので、是非ご一読ください。そして、より深く知りたくなった方は、加藤典洋氏の「人類が永遠に続くのではないとしたら」を読んでみて下さい!

<3・11が教えてくれたこと>
 3・11東日本大震災の際に起きた福島原発の爆発事故は、チェルノブイリ原発で起きた事故が示した原子力発電所の危険性がまったく解決されていないことを示し、日本人にも他人事ではないことを強烈に示しました。しかし、もうひとつ重要なことを示していたと加藤氏は指摘しています。それは、事故後に「日本原子力保険プール」(損害保険会社が集まって設立)は、東京電力福島第一原発に対する損害保険の契約を更新しないと発表したことで明らかになりました。上限1200億円の賠償金が支払われるよう損害保険への加入が義務付けられているにも関わらず、損害保険会社があまりに膨大な金額、再び事故が起こる可能性を考えると継続不可能と判断したわけです。1000年に一度と判定された事故が起きてしまった今、また起きない可能性はないのですから・・・

 電力会社、政府が無責任(irresponsible)だということは、大きな問題だ。でも、ここに起こっているのが電力会社にも国にも責任をとれない規模のことだということのほうが、じつはもっと重大である。ここに新しく生まれている世界を無-責任(ir-reponsibility)の世界と呼ぼう。そこでは過失と責任という一対一対応の関係の関節が、はずれている。

 我々日本人だけでなく世界中の人々はチェルノブイリの事故以降、原子力発電所では安全管理が進み、技術レベルも向上することで大きな事故が起きることはなくなっていると安心していました。しかし、現実はなにも変わっていなかった。一度事故が起きれば、それを抑え込む技術は水をかけたり、コンクリートで埋めるぐらいのこと。革新的な技術など生まれていないし、汚染された放射性物質の処理方法もまったく生まれていません。その事実を、2011年の東日本大震災が我々の前に突き付けたといえます。

 私に限らず、大多数の現代人の心の底にあったのは、技術革新は新技術が発明されれば - 、何とかなるだろう、というほとんど無意識に近い、産業と科学技術への素朴な信仰であり、ゆるぎない信頼なのである。それが、1945年に原子爆弾が発明され、突如私たちの地平が揺るがされた、そのことの後遺症、トラウマでもあるのだ。そして、そのある意味では途方もなくあっけない、私たちの内なる玉手箱、あるいはパンドラの箱を、3・11の原発事故は、開いたのだ。

<災害の巨大化>
 技術革新が進まない時、同じ分野における災害はより大きくなることがわかっています。それはなぜでしょうか?
 技術革新が停滞し、新技術が現れないと、どうなるか。技術史家の星野芳郎によると・・・

「企業競争において生産性を競うさい、装置産業や輸送産業では、装置の大容量化や輸送機関の大型化高速化の方向をとらざるをえない」

 原子力発電所の規模も、第一号の東海発電所が16.6万キロワットだったのに対し、福島第一原発の6基は、46〜110万キロワットで、今後誕生する予定の大間原発138.3万キロワットとなっていて、巨大化傾向が止まっていません。当然、一度事故が起きれば事故の規模も大きくなるわけです。
 こうした事故の巨大化は原発だけに限らず、あるゆる分野の事故にも共通しています。

<人類史における被害総額の大きい事故ワースト10>
 1位 チェルノブイリ原発事故(1986年 20兆円)
 2位 コロンビア号空中分解事故(2003年 1兆3000億円)
 3位 プレスティージ号重油流出事故(2002年 1兆200億円)
 4位 チャレンジャー号爆発事故(1986年 5500億円)
 5位 パイパー・アルファ海洋油田炎上事故(1988年 3400億円)
 6位 エクソン・バルディーズ号原油流出事故(1989年 2500億円)
 7位 B−2スピリット爆撃機墜落事故(2008年 1400億円)
 8位 メトロリンク列車事故(2008年 500億円)
 9位 ドイツのタンクローリー車事故(2004年 358億円)
10位 タイタニック号沈没事故(1912年 150億円)
 ただし、現在だと1位には福島原発の事故がランクインするはずです。チェルノブイリ原発の事故は1基の事故で20兆円ですから、福島の4基は単純に考えてもその4倍になるはずです。

<リスク社会>
 上記のリストで明らかなように、1980年代以降、巨大な事故が多発するようになり、その多くが産業と一体化しています。(発電所、石油採掘・運搬、交通事故)その意味で、現代の企業は「リスク管理」を最重要課題としなければ、企業としてやって行けなくなっています。一度大きな事故を起こせば、それで企業が倒産する可能性が高いのですから。
 ポール・ヴィリリオはそんな現代社会における「事故」の文明史的意味について、自らが企画した「起こるもの展」において、こう書いています。

・・・今日、この地平を一変させるものはできごととしての事故である。最初、それはできごととしての革命であった。フランス革命、産業革命、交通革命、ロシア革命がそうだ。次にそれはできごととしての戦争であった。二度の世界大戦、その後の核抑止による冷戦がそうだ。しかし第三のそれは、できごととしての事故である。チェルノブイリ原発事故や、今後ありうべき遺伝子操作にともなう事故がそうであり、巨大過酷事故がいまやこの地球に住むわれわれの生を脅かしている。

 ウルリッヒ・ベックは、現代社会は産業を成立させるため「リスク」を必要とする社会であるとして「リスク社会」という評論を発表しています。(1986年)現在の企業が生み出す製品には、「リスク」が関わり、そのため「リスク」回避のための保険費用が上乗せされることになります。しかし、そのことは「リスク」が表面化しなければ明らかにならないことがほとんどです。

・・・産業が作り出す「富」は製品として、産業社会に出回る。それは手に触れ、目に見ることがことができる。一方、産業が産業事故とか公害とか食品汚染などの問題を通じて人々に作用を及ぼすようになってはじめて、目に見えるものとなるが、しかし、目に見えるものとなってもなお、手にとらえられない。不確定なままである。・・・

<リスク社会までの道のり>
 では現在の「リスク社会」へと至る道のりはどうなっていたのでしょうか?
 ここでは、人類が発展させてきた様々な産業における歴史を振り返ってみます。なぜなら、その歴史の中に人類が抱える未来への根本的な問題点が見えてくるからです。
 先ずは、産業革命後に生まれた初期の巨大企業、フォードが作り上げた大量生産を基本とする産業体制が現代の産業体制へと進化するところから見てみましょう。それは近代的な資本主義社会の中心的存在であるアメリカが世界をリードする基礎ともなった時代でした。

 資本主義は人々が広範に「貧困」の絆から解放される、はじめての可能性を開いた。外から見れば、人々は消費を通じても搾取されているのだが、だからといって、それが人々の「よろこび」であることに変わりはない。見田は、われわれはその二重性の前に立ちどまらなければならない、という。
 彼が「ゆたかな社会」=情報化/消費社会にふれて明らかにするもう一つの点は、それが「生産から消費へ」の軸足の転換と見えてじつは生産の原理の貫徹の姿にほかならないということである。
 そこで取り上げられるのは、20年代の米国のフォードとGMの販売戦略である。
・・・

 フォード社は社長の理念により生み出された大量生産方式を用いることで自動車の低価格化に成功。それによりGMなどの他社を圧倒し、自動車産業のトップ企業とまります。しかし、後を追うGM(ジェネラル・モータース)は異なる販売戦略を用いて逆転に成功します。それは、「実用性ではなくデザイン性の追及」、「広告戦略による購買層の開拓」、「クレジット販売による販売力拡充」など、フォードとは異なるまったく新しい販売戦略でした。当時はアメリカの経済状況が続いていたことから、社会全体における所得の急激な上昇があり、それがGMにとって追い風となります。GMは、一気に自動車業界のトップに迫り、フォードの大ヒット商品であるT−型は売れ行きを落とし、世界恐慌を前にした1927年に早くも生産中止に追い込まれてしまいます。
 GMは、製品の「性能」や「価格」ではなく、製品に「情報」を組み込むことによって、消費者の購買意欲をかき立て、フォード社を打ち負かしたのです。

 産業資本は以後、自分で自分に必要なものを用立てて(この場合消費)自分だけでやっていくことのできる自立的システム=自己準拠系を確立する。もう一つ長い視野から見れば、需要(消費)をも自ら”生産”することで、第一の壁を超えるのである。

 要するに、大衆に「必要」を感じさせることで、それまでには求められていなかった製品を売るという新しい販売戦略を開拓したわけです。

<技術革新の必要性>
 次は、もうひとつ別の側面を見てみます。それは販売戦略として大衆に幻想を抱かせる方法とは別に、生産側が利益を生み出すために必要とされる「技術革新」の問題を考えます。
 なぜ産業界に「技術革新」は必要なのか?
 これは実は産業界の根本にかかわる重要なことです。
 実に当たり前のことですが、労働者が働いた賃金で商品を購入する行為で利益を得るにはどうすればよいのでしょうか?
 労働者が買い物で得をして、企業も売ったことで得をする。両方が得をする「ウィン・ウィン」の状態が生まれるのはなぜでしょう?
 これって、よく考えると不思議ではないですか?
 労働者は働いた賃金で買い物をするわけですが、労働者に賃金を払ってもなお、利益を生み出すにはどうすれば良いのでしょう?
 労働者の賃金を安くする?
 でも労働者の賃金を安くし過ぎては、購買につながりません。だからといって労働者の賃金を上げ過ぎては、利益がでません。そこは微妙なところです。
 そこには、もっと単純に利益を生み出す方法があります。
 それは、「時間差」を利用する方法です。
 そこには、労働者が製品を生み出した時間とそれを購入するまでの時間とのタイムラグ(時間差)が関わってきます。「時間差」とその間に行われるこそが「利潤」を生み出すのです。

 ではなぜその時間差から、利潤が生まれるのか、産業資本は「技術革新や新商品開発」によってたえず生産効率の向上に努めている。製品は必ず、作った時点よりは後の時点に購買されるが、その購買の時点には作った時点より技術が進んでいて、生産ラインではもっと効率的に、つまり安価にこれを作ることができるようになっている。資本制システムはこの時間差を利用し、「労働者に支払われた労働力の価値以上の価値」を製品に実現することで、相対的剰余価値の可能性を生み出している。このシステムを稼働させ、日々の時間差を作り出すため、労働者=消費者という「人間的自然は、つねに備給されなければならず、「技術革新」もまた無限に進行しなければならないのである。

 生産の効率化、スピードアップ、設備の巨大化などもそのために必要となるわけです。ただし、これまでは技術革新が遅れても、それを補う資本主義体制下のシステムがありました。それは市場の拡大です。植民地が消えても、第三世界の国民を大量消費者へと昇格させることで、これまでは市場を拡大し続けることが可能でした。しかし、中国、インドが先進国に近づきつつある21世紀には、これ以上新たな大量消費の誕生を期待できなくなりそうです。

 第一に、中国やインドの産業発展は大規模であるために、資源の払底、自然環境の破壊に帰結する。第二に、中国とインドには世界の農業人口の過半数が存在した。それがなくなることは、新たなプロレタリア=消費者をもたらす源泉がなくなるということだ。以上二つの事態は、グローバルな資本の自己増殖を不可能とする。

 いよいよ人類は大きな「技術革新」なくして発展はあり得ない時代に入ったといえるのです。

<産業革命の歴史と「自由」>
 では世界史において「技術革新」は、どうやって推し進められてきたのでしょうか?
 その歴史を振り返るとき、「技術革新」を推し進める駆動要因として大きな役割を果たしたのが、「情報公開」と「自由」の存在でした。

 ・・・18世紀から19世紀にかけての産業と社会構造の変動を、新しい技術の原理の展開による19世紀後段から第一次世界大戦にかけての第二次産業革命、ついで20世紀中葉の、やはり新しい原理の登場に促された第三次の産業革命が続いている。
(具体的には、「原子力」、「宇宙航空科学」、「コンピューター」、「遺伝子工学」、「分子生物学」など)

 第三次の産業革命の第一次、第二次産業革命との最大の違いは、原子力エネルギーの解放という最上級の技術革新を原動力としたわりに、著しく民生への波及力に乏しかったことである。・・・
 星野によれば、その理由ははっきりしている。それらは、ともに軍備拡張競争下で、極端な秘密主義のもとに管理され、また、消費者の手からも離された隔離技術だったからである。

 オープンにされない「科学技術」は、閉鎖された社会環境の中で少人数の頭脳によってのみ、管理・革新されることになるため、限られた範囲の発想しか生み出せず、その発展は自ずと困難になります。
 技術革新の歴史を振り返ると、その一例として挙げられるものとして、第二次世界大戦におけるレーダーの開発があります。その開発の現場については、BSで放送された「刑事フォイル」の中でレーダー開発現場を見せてくれる回がありました。パイロットだけでなく多くのスタッフが参加し、様々な条件・環境を設定しながら、その精度を高める努力がされていました。それは、閉鎖された空間で計算上で研究できるものではありませんでした。
 
 なぜドイツはレーダー防空の管理に失敗し、連合軍はそれに成功したのだろうか。この問題を解くカギは、オペレーションズ・リサーチの遂行のため一つの重要な条件にかかっている。それは、当時のスタッフとしての科学者たちは、軍隊の階級のない市民として活動することが必要であった、というまったく新しい防空機構を運営するには、スタッフたちが戦場で縦横無尽に活動できることが必要であったし、そのためには、軍人と軍人であるとを問わず、あらゆる部局と直接に通信する自由が必要であり、一兵士とも将軍とも対等の立場で接触し強力することが必要であった。

 そう考えると、20世紀の科学技術において、「情報公開」の持つ意味は大きかったことがわかります。
 僕が大学4年の時に所属していた研究室の教授は太平洋戦争中、レーダーの開発をしていました。それはもう終戦間で、近秘密のうちに少人数で研究を細々と行っていただけでした。当然、当事者たちは予算も少なすぎて開発が間に合わないことは明らかで、近いうちに降伏するという情報もあり、完全にやる気をなくしていたそうです。
 そして、若手研究者だった彼は大学の屋上に設置された機銃について、戦闘機から攻撃されないよう、後ろから当たらないよう機銃攻撃をしていたとか・・・。

<時代の転換点となった1960年代末>
 1945年に世界大戦が終わると、世界にはとりあえず平和が訪れます。そして戦争中に生み出された技術革新をもとにした様々な産業が勝者となったアメリカを中心に発展し、大きな利益を生み出してゆきます。戦時中に生み出された「原子力」「ロケット技術」「レーダー」「特殊繊維」など、様々な分野の情報は、その多くを米ソが独占。それが1950年代の経済発展と二国間の冷戦の原因となります。
 しかし、好景気の中、世界の社会状況は大きな転換点を迎えることになります。1960年代末に頂点を迎えた様々な分野における革新は、政治・経済・文化全体を変える大きなインパクトをもっていました。そして、その時代は現在から振り返ると、また異なる意味で大きな転換点だったことが明らかになりつつあるという指摘があります。
 それはその時をもって、人類の人口の増加率はピークを迎えていたというものです。ではそれはいったい何を意味しているのでしょうか?

 1960年代の後半期は、見田宗介の発見した人口増加率のピークアウト(頂点を記して後は漸減に転じる転換点)の時点でもある。見田は、世界人口それ自体は、現在に至るまで激増の趨勢を変えていないが、これを人口の増加率で見ると第三世界の国々を含め、1965−1969年をピークに、段階を踏んで減少に転じていることに気づいている。

 私たちの観点からすれば、1970年前後に生じた人口の増加率の鈍化という現象は、原因を特定されない事実、外部からの「入力」である。しかしこの時期がまた人類史的に見て未曽有の近代の成長の最終的な絶頂期でもあるという、もう一つの事実=外部からの「入力」は、この二つの間に、サイバネティック的なフィードバック作用が働いている可能性を示唆している。

 この成長への懐疑は、成長のさなか、そのただなかから、内在的にやってくる。それは、「もう、これくらいでいいだろう、やめようか」という。このことが、ジョブズらの自由の気風が、資源の危機が叫ばれはじめる1972年にではなく、爆発的成長がピークを迎えた1968年からやってきていることの意味だ。つめり、1968年の成長の極点が同時に転換の起点となったこと - ピークアウトであったこと - の意味である。

 人類は、もしかするとこの時期すでにその文明が下り坂へ向かうことを選択していたのかもしれません?

<新たな時代の産業革新>
 1960年代末に起きた時代の大きな変化はコンピューターを武器とした次なる「産業革新」を生み出します。それは「自由」が生み出した新たな発想をいもとにした発明でした。

 情報を禁圧するような社会、消費を禁圧するような社会に、われわれは魅力を感じない。<自由>をその根本の理念としないような社会に、われわれは魅力を感じない。けれどもそれならば、情報化/消費社会のシステムの原理からして不可避であるかのようにみえるこれらの不幸と限界(環境の限界/資源の限界。南の貧困/北の貧困)をどのような仕方でのりこえることができるだろうか。

 たぶん私たちは星野芳郎にならってそれを、第四次の産業革命と呼んでよいかもしれない。けれども、もしそう呼ぶなら、この第四次の産業革命の特色は、第二次産業革命までの大資源・大廃棄が、小資源・小廃棄へと変わったこととして語られるだけでは不十分である。モノ中心の消費化社会からコト中心の情報化社会への重心の移動がみられるというだけでも不十分だろう。コンピューター単体の一方向発信型の情報化からコンピューターを群生するサンゴのように見立てた双方向性の情報化社会への転成も、大きな要因をなしているが、それをいってもまだ、不十分だと思われる。・・・
(1970年代には「カシオ計算機」や「ソニーのウォークマン」がブレイク。1980年代に入るとアメリカのシリコンバレーが活況をていするようになりました)
 
 ウォークマンの場合、それを生んでいるのは、機能(便利さ)の切り捨てであり、それを可能にしているのは、「楽しさ」が「便利さ」よりも人を動かすはずだという価値観、興味、関心の転換である。いわば「必要」を捨ててまでも「楽しさ」をとるともいうべき、生きる姿勢の転換がないと、こういうことは起こらない。
 しかし、これに呼応するものがなければ、この価値観の転換は、実を結ばない。これに呼応する市場の反応 - 受容体の「脳」の変容 - が生まれてはじめて、これが新しい変化に結びつく。

(「ウォークマン」はもともと飛行機の中で音楽を良い音で聴くために開発された製品でした。当初は小型のテープレコーダーとして設計されましたが、「聴く」ことに特化するために「録音ボタン」を無くされました。そして、この選択により、この製品を世界的なブレイクを果たすことになりました)

そう考えれば、原子力技術、宇宙開発技術が、第二次世界大戦、米ソ冷戦の間は、科学技術の花型の座にありながら、なぜさほど民生波及の効果をもたなかったか、また、なぜ冷戦が終わるとすぐに別種の技術革新に花型の座を奪われてしまうのか、その理由もおのずとはっきりする。これらは戦争がなければ、少なくともあのように早い時期、あのような衝撃的な形では登場しなかったはずだ。
(それは「風の谷のナウシカ」の巨神兵だった)

<21世紀の産業革新>
 20世紀末、コンピューターの発展はインターネットを生み出すことになります。その基礎を作ったのは、1960年代末の文化のもとで育ったスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツでした。
 そして21世紀に入ると、さらにそこからネットの世界は新たな文化を生み出すことになります。その中心は、ネット世界で育った新たな世代の若者たちでした。

 スティーブ・ジョブズ(アップル)、ビル・ゲイツ(マイクロソフト)、マーク・ザッカーバーグ(フェイスブック)、さらにリーナス・トーバルズ(リナックス)、またジュリアン・アサンジュ(ウィキリークス)。これらが広くとらえたばあいのこの通信情報革命の担い手たちのうち、ほんの数名の名だ。こうした名前を思い浮かべ、原子力産業、宇宙技術の担い手たちの機構、さらにIBMといったコンピューターの巨大産業を並べてみるだけで、その答えが見えてくる。転換のカギは、国家大の秘密主義、権威主義の対極にある、若い起業家たちの非エスタブリッシュな、自由で新しいセンスにある。その快楽志向、ある意味でだらしなさにも通じる自由闊達な関係と組織、さらにいえば、反骨心も批判精神ももちあわせた、人間同士のネットワークの新しい質、フィードバックを可能にするもの、ストックの対極に位置するフロー、そう「笑い」の淵源はそこにある。

・・・次にはこの問いが、彼らの作った技術によって育てられた次の世代から生まれてくるだろう。自然史的な過程としての一つの突端から、彼らは生まれるのだが、彼らの生み出す技術が、こんどは彼らよりも新しい人間を生み出すのである。

 「生産」は次第に、工場ではなく、私たちの頭のなかでおこなわれはじめている。経済学者が大昔から用いてきた言葉の意味が変わりつつあるのだ。コンピューター画面上のツイッターの書き込みそのものは、取るに足らない文字の集まりにしか見えないかもしれないが、その本当の価値は私たちの脳内にある。私たちは、・・・オンラインサービスを用いて、脳内に複雑な物語とイメージを形づくる。・・・
 新しい”容易に収穫できる果実”は、売り上げを生み出せる産業には、存在せず、私たちの頭の中とラップトップパソコンの載せる膝の上にあるのだ。
・・・
タイラー・コーエン著「大停滞」(2011年)より

 ここからわかるのは、コンピューター技術をもとに「自由な気風」によって通信情報技術を起こした第一次世代が、その実現したインターネット革命によって、彼らとは異質な子どもたちを生み出すことになったということである。そのポイントを、ストック(ためこみ)からフロー(流通)といっておくことができる。その観点に立つとき、リナックスの開放とウィキリークスの暴露が一つのものであることが誰の目にもわかる。

 新たな世代の活躍は、コンピューターに関わる分野だけではありませんでした。それは異なる科学の分野についても共通していました。

 まったく別の領域である遺伝子操作、再生医療など、医学の先端における技術革新についても、似たことがいえる。遺伝子再生医療で現在、ips細胞の作製という達成業績をもつ日本は、先頭グループに位置しているが、その研究を支える予算規模は、競争相手の米国の十数分の一ないし数十分の一といわれている。・・・
 そこでもインターネットの第二世代と似ていると思われるのは、米国の遺伝子医療の開発が従来通りの利潤追求型を示しているのに対し、日本の開発がそれへのオルタナティブの選択肢の確保をめざしていると推進者によて語られていることである。
・・・

 ここに働いている変容には一つの特色がある。それは、このことがオペレーション・リサーチでも、マーケティング・リサーチでも、予測できないことがらに属しているということだ。「大きなもの」から「小さなもの」へ、大量資源・大量廃棄から小資源・小廃棄へ、「必要」から「愉しみ」へというくらいまでなら、そうした社会学的な方法、システム工学的な分析で捕捉できるだろうが、ここに起こっているのは、もう少し深い、ないし、大きすぎる変容であるため、こうしたやり方ではもう、捉えられない。

 ここまで、人類の歴史を振り返りながら、未来の危機について考えてきましたが、次のページでは、それに対し我々人類はどうするべきなのか?どう変わるべきなのか?について考えてみたいと思います。
PART 2
人はパンのみにて生きるにあらず、自由こそ生きる意味なり

<参考>
「人類が永遠に続くのではないとしたら」
 2014年
(著)加藤典洋
新潮社

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