英国の伝統文化を愛し憎んだ寡作の人


「if もしも ....」、「八月の鯨 The Whales of August」

- リンゼイ・アンダーソン Lindsay Anderson-
<時を越えた名作>
 1970年代以来、40年ぶりに見ました。と言っても、デジタル・リマスター版のきれいな映像なので「ハリー・ポッター」シリーズの新作のようにも見えました。リアリズムに徹した栄光伝統の寄宿学校の映像は、そもそも今も昔も変わらないので、当然なのかもしれません。
 考えてみると、「ハリー・ポッター」もまた、英国伝統の寄宿学校を舞台にした学園紛争の映画でした。しかし、その戦いの相手は悪の魔法使いで、この映画とはまったく違います。そしてその違いは、二つの作品が作られた時代の違いを示しているとも言えます。
 「If もしも....」の戦いは英国の支配階級を敵にして行われますが、ハリーは「悪の魔法使い」という架空の存在と戦います。それは21世紀の今、若者たちの敵は具体的な存在として描けないからとも考えられます。現代は村上春樹の言葉でいう「システム」こそが敵であり、それを具体的な敵として描くことは困難なのです。
 そう考えると、この作品が世界的に公開された1969年という年は、若者たちにとって敵が明解な時代だったと言えます。彼らの敵は、教師であり、監督生であり、軍人でした。だからこそ、彼らは本気で革命を起こすことを考え、国によっては実際に革命が起きていたのです。
 この映画が公開される直前、1968年五月にパリでは「五月暴動」が起きています。それにより、学生たちはパリを占拠しただけでなくフランス全土を混乱に陥れ、カンヌ国際映画祭は、ジャン=リュック・ゴダールらによって中止に追い込まれることになりました。翌年、再開された同映画祭でパルムドールに選ばれたのがこの作品だったのは、ある意味必然だったのかもしれません。
 しかし、1960年代末という特殊な時代を見事に切り取ったこの作品ですが、久しぶりに見て、この映画の素晴らしさはそこではないと気づかされました。この作品が時を越えられたのは、もっと純粋に「自由を求める闘い」の本質を描いているからなのです。
 そのために、この作品はファンタジー映画のような手法を用いることで、現実社会から飛び立たせ、寓話的な世界を作り上げています。例えば、何度も画面がモノクロになったり、カラーになったりすること。何故、この場面はモノクロなのか?見ながらついつい考えてしまいます。
 監督自身は、インタビューで製作費を抑えるために教会のシーンのように色を再現するのが難しい場面をモノクロにしたと説明していますが、それだけの理由ではないでしょう。
 その他にも、盗んだバイクで訪れたカフェでの「タイガー・ファイト」と「突然の全裸への変化」も印象的です。ここはマルコム自身のアイデアだったようですが、相手の女優さんの魅力がないとお馬鹿なシーンにもなりかねなかった場面です。
 この「タイガー・ファイト」は、実は彼の出世作となった短編ドキュメンタリー映画「木曜日の子供たち」に同じように子供たちが虎の真似をするシーンがあります。それは聾唖者の子供たちが、童話「ちびくろサンボ」を自ら演じる場面にあります。その演技が実に迫力があっていいのです!(レンタルDVDに得点でついているので見て下さい!)
 主役のマルコム・マクドウェルも含めて、素人の若者たちを使った学園シーンがリアルだからこそ、こうしたファンタジーへの転換がより印象深くなっているのでしょう。マルコムが演じたミック・トラヴィスには脚本家がかつて学生時代に憧れていた実在の学生(ミック・メイソン)というモデルがいるそうです。アウトローだった彼は、問題を何度も起こした後、学校をドロップ・アウトしたとのこと。そんな学生時代の英雄をモデルに描かれたミック・トラヴィスは、この映画で永遠のヒーローとなり、彼に憧れた若者も続出することになります。その中の一人にアメリカのマーティン・スコセッシがいました。彼は自分の映画「タクシー・ドライヴァー」で主人公の名前に「トラヴィス」を用いることになります!
「if もしも ....」 1968年
(監)リンゼイ・アンダーソン Lindsay Anderson
(製)(脚)デヴィッド・シャーウィン
(撮)ミロスラフ・オンドリチェク
(「アマデウス」、「ラグタイム」などミロシュ・フォアマン作品、「ガープの世界」「スローターハウス5」などジョージ・ロイヒル作品など名作多数)
(助監)スティーヴン・フリアーズ(その後、監督として「マイ・ビューティフル・ランドレット」、「マダム・フローレンス」などを撮っています)
(出)マルコム・マクドウェル、デヴィッド・ウッド、アーサー・ロウ、リチャード・ワーウィック、ルパート・ウェブスター、クリスティ・ヌーマン、モナ・ウォッシュボーン
<あらすじ>
 英国で500年の歴史をもつパブリック・スクールで3年生になったミックは、常に監督生に対し反抗的な態度を取っていました。新学期が始まってもその態度が変わらないことから、ミックと仲間たちは、教師からの支持を得た監督生たちからムチ打ちの刑罰を与えられます。さらに彼らは地下室の片づけと清掃を命じられます。すると、その地下室で彼らはマシンガンや迫撃砲などの武器を見つけます。そして、学校の開校500年の記念式典が開催される日が訪れ、彼らは式典の終わりを屋根の上で待っていました。 

<リンゼイ・アンダーソン>
 この映画の監督リンゼイ・アンダーソン Lindsay Anderson は、1923年4月17日に英国の植民地だったインドのバンガロールで生まれました。父親は厳格な陸軍の軍人で、彼は一人母国の名門寄宿学校に入れられ厳しい教育を受けさせられました。成績優秀だった彼は名門のオクスフォード大学を卒業し、第二次世界大戦中は軍で暗号作成の任務についていました。
 戦後、彼は映画好きの仲間だったカレル・ライスらと共に映画評論誌「Sequence」を創刊。映画評論家として、活動をスタートし、その後始まることになる「フリーシネマ運動」の中心人物となって行きます。(「ヌーヴェル・ヴァーグ」の英国版)
 1954年短編ドキュメンタリー映画「木曜日の子供たち」でアカデミー賞の短編ドキュメンタリー賞を受賞。世界的な評価を得て、商業映画を撮るチャンスを掴みます。  1963年、「孤独の報酬」で長編映画監督としてデビューし、「if もしも ....」を撮ることになります。

<反英国映画>
 当然ですが、この映画は公開後、英国の伝統的な教育制度を批判する「反英国映画」として批判にさらされることになります。撮影を行う時点でも、すでに問題視されていたため、撮影に使用される学校をどこにするのか、なかなか決まらなかったようです。結局、撮影場所は彼の母校グロースターシャ―大学のチェルトナム校となりました。街の中の撮影も同じグロースターシャ―で行われ、ドキュメンタリー・タッチの素晴らしい映像が生まれました。(街中で倒れる主人公に声をかけるおばさんも仕込みではなかったようです)
 この作品がカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、世界的に有名になったため、彼は「英国の恥」を世界に広めたとさらに批判されることになりました。しかし、彼と共にこの作品を製作した脚本家のデヴィッド・シャーウィンによれば、彼ほど英国を愛していた人物もいないとのこと。母国を離れインドで生まれた少年に英国は憧れの故郷でもあったのでしょう。そこは、現代英国の問題点を描き続けるケン・ローチ監督といっしょかもしれません。

<1969年という年>
 「1969年」という年は世界中で反体制派学生による過激な活動が展開された年でしたが、ネイティヴ・アメリカンやアフロ・アメリカンなどの少数派民族や同性愛者などの差別されてきた人々、ウッドストック・コンサートに参加したフラワーチルドレンと呼ばれた若者たち・・・・様々な種類の人々が声を上げた転換期でもありました。
<海外では>
アポロ11号の月面着陸成功
全米各地でヴェトナム反戦行動(ピース・ナウ)開催され、11月15日のワシントン集会に25万人参加
米軍がヴェトナムからの撤退開始(7月)
ネイティブ・アメリカンによるアルカトラス島占拠事件発生(11月)
ブラック・パンサーによるシカゴ警察襲撃事件発生、イリノイ州代表フレッド・ハンプトン射殺(12月)
チャールズ・マンソンによるシャロン・テート殺害事件発生し、5人が惨殺される(8月9日)
NYのゲイ・バー「ストーン・ウォール」でゲイによる暴動が勃発(70年代に始まるゲイ革命のきっかけとなる)
ビアフラ(東ナイジェリア)内戦の死者が200万人と発表される
ウッドストック・コンサート開催、40万人を動員する(8月15~17日)
イギリス、ワイト島フェスティバル開催
オルタモントでのストーンズのコンサートで、黒人青年が惨殺される(オルタモントの悲劇)
イージー・ライダー」(監)デニス・ホッパー(ニューシネマの最高傑作誕生)
明日に向かって撃て」「アリスのレストラン」公開(ニューシネマ・ブーム到来)
「Z」(監)コスタ・ガブラス(ギリシャが生んだポリティカル・サスペンス・ドラマの名作)
「ワイルド・バンチ」(監)サム・ペキンパー(映画史に残るバイオレンス映画の傑作)
「エル・トポ」(監)アレハンドロ・ホドロフスキー(伝説のカルト・ムービー。ぶっ飛んでます!)
英国で「空飛ぶ、モンティ・パイソン」放送開始!

<日本では>
1月19日 東大安田講堂事件(機動隊8500人が学生を排除、逮捕者691名重軽傷者76名)
 2月 8日 日本大学文理学部のバリケードが機動隊に排除される
 2月28日 ベ平連による新宿西口地下広場にフォークゲリラ登場、討論と歌の場へと拡大
 3月 1日 京都府警2300人が京大の要請なしに構内に出動し学生160人が負傷
 3月12日 潜行中だった全共闘議長・秋田明大逮捕
 4月 7日 連続射殺事件(4名射殺)の容疑者 永山則夫逮捕
 4月27日 沖縄デーに向け破防法発動、警視庁が中核派の本多書記長を逮捕
 4月28日 沖縄デー、反日共系学生や労働者による銀座・有楽町の道路占拠など
        国電・新幹線もストップし、965人逮捕
        代々木公園では13万人による沖縄返還のための集会開催
 5月13日 「三島由紀夫と東大全共闘」の討論会開催
 5月26日 東名高速道路、全面開通(東京から西宮)
 6月     新宿西口地下広場のフォーク集会を機動隊が強制排除(逮捕者64名)
 7月 9日 早稲田大学全学部がストに突入
 7月19日 新宿西口広場を機動隊2000人が逆選挙しフォーク集会を阻止
 8月22日 長沼ナイキ基地訴訟で札幌地裁は基地建設停止を求める長沼町民の訴えを支持       
 9月 6日 全国全共闘結成大会(日比谷で1万5千人が参加)会場付近で山本義隆東大全共闘議長逮捕
 9月21日 京都大学のバリケードが機動隊に排除される
 9月     成田で新東京国際空港建設開始
10月10日 べ平連、全国共闘・反戦青年委ほか左翼系400団体が安保粉砕を掲げた初の統一行動
10月21日 国際反戦デーに各地でデモ隊と機動隊が衝突
11月 5日 大菩薩峠で軍事訓練中の赤軍派53名が逮捕される(そのうち30%は高校生だった)
11月16~17日佐藤首相の訪米阻止闘争(逮捕者2093人)
11月21日 佐藤・ニクソン会談で沖縄の返還が発表される

第1回全日本フォーク・ジャンボリー開催
第1回日本ロック・フェスティバル開催(ニューミュージック・マガジン主催)
第1回中津川フォーク・ジャンボリー開催
文化放送「GS人気投票」
1位タイガース2位テンプターズ3位オックス4位スパイダース5位ワイルド・ワンズ
新宿西口フォーク・ゲリラの活動始まる(泉谷しげるなどが登場)
5月には警察の規制開始(5月)それでも5月24日3000人、5月31日に4000人が参加
亀渕昭信「オールナイトニッポン」放送開始
NTV「巨泉・前武のゲバゲバ90分」(10月7日)
状況劇場(赤テント)が新宿中央公園で「腰巻お仙・振袖火事の巻」を無許可で上演。
機動隊に囲まれる中で演じきった後、唐十郎、四谷シモンらが逮捕される(1月3日)
渋谷に寺山修司主催の「天井桟敷館」誕生し、「時代はサーカスの象に乗って」公演

「1969年、日本の学生達の多くは、既成の左翼思想に背を向けていた。
社会主義国家の中国では、自己破壊的な文化大革命が続行中だったし、前年にチェコのプラハを戦車で制圧しなければならなかったソ連も、同盟国である東欧諸国に離反の機運を生んでいた。・・・
 第二次世界大戦以後の基本となっていたソ連対アメリカの冷戦構造はそのままだったが、しかし世界はもう冷戦以後の「地域紛争の時代」へと突入し始めていた。・・・」

「1969年に、『思想』はその役割を終えた。『思想』は『豊かさ』を作り、その豊かさの中で『思想』は不必要になった。
1970年から始まるのは、『思想』を必要としない『大衆の時代』なのである」

橋本治著「二十世紀」より 

 1969年という「若い世界」を描いたリンゼイ・アンダーソンは、寡作の作家としても有名です。その後、4年に1本ほどしか作品を撮らず、1980年代にはその名前は忘れられかけていました。そんな中、彼が再び光を放った作品が、まったく異なる世界「老いの世界」を描いた「八月の鯨」でした。
 この作品を見ると、リンゼイ・アンダーソン監督は伝統的な英国文化が生んだ世界観を誰よりも愛し、大切にしていた人物だったことがわかります。(舞台はアメリカではありますが)

「八月の鯨 The Whales of August」 1987年
(監)リンゼイ・アンダーソン
(製)キャロリン・ファイファー、マイク・カプラン
(製総)シェエップ・ゴードン
(脚)(原)デヴィッド・ベリー
(撮)マイク・ファッシュ
(編)ニコラス・ガスター
(音)アラン・プライス
(出)リリアン・ギッシュ、ベティ・デイヴィス、ビンセント・プライス、アン・サザーン、ハリー・ケリーJr.、メアリ―・スティーンバージェン
<あらすじ>
 アメリカ東海岸の島の別荘で夏を過ごす二人の姉妹は、長年そこで夏を過ごしてきました。姉のリビーは白内障により視力が失われていて、妹のサラがその世話を焼いていました。かつては仲が良かった姉妹でしたが、視力を失った姉の口の悪さは、修理人のジョシュアや近所に住むロシア貴族のマラノフに向けられただけでなく介護をしている妹にまで向けられていました。そのため、サラは心の中でリビーとの別居を考えていました。
 そんなある日、彼女たちの家に別の家の女性と同居していたマラノフがやって来ます。彼はその日に釣り上げた魚を持って現れ、挨拶に寄ったのでした。ところ、リビーは彼が二人のもとを訪れたのは、あわよくば、この家に住まわせてもらおうという魂胆からであると見抜いていました。リビーはサラに見捨てられることを恐れていました。その夜、サラが夕食に招待したことからマラノフが二人のもとを訪れます。 
 姉妹の友人でおせっかい好きのティシャの言葉が印象的です。
「人生の半分はトラブルで、残りの半分はそのトラブルを乗り越えるためにある」
 妹のサラにとっては、家の修理、姉の世話、食事の準備などに時間を費やされ、趣味の絵画を描く暇もありません。まさにトラブル処理の日々です。そんな日常を切り取っただけのドラマにもかかわらず多くの人の心に残る作品なのはなぜか?
 先ずはその島の風景の美しさが印象的です。入江の美しさ。海の輝き。空の青さ。素晴らしい背景を得たことで、この作品の半分は完成したと言えるかもしれません。(映画だからこそ可能なのは、この映像美の部分です)そして、あとの残り半分は、主人公姉妹に二人の名女優を抜擢できたことです。
 当時79歳だったサラ役のベティ・デイヴィスは、ハリウッドを代表する演技は女優。1936年「青春の抗議」、1938年「黒蘭の女」で二度アカデミー主演女優賞を受賞しています。そして、彼女の姉役のリリアン・ギッシュは、伝説的なハリウッドの巨匠D・H・グリフィスの作品でヒロインを演じてスターとなった女優で当時93歳。若かりし頃は、まだアカデミー賞自体が生まれていなかったため、主演女優賞には縁がなかったものの、1970年アカデミー名誉賞を受賞しています。伝説的女優による演技合戦を実現したことで、この作品の成功は約束されていたと言えます。

<シルバー映画の傑作たち>
東京物語(1953年)小津安二郎監督作品
 息子、娘を訪ねて旅をする老夫婦の旅。高齢者によるロード・ムービーとして最初で最高の傑作!
「ハリーとトント」(1974年)ポール・マザースキー監督作品
 住かを追い出された高齢男性が子供たちのもとを訪ね、旅をする物語。主演のアート・カーニーがアカデミー主演男優賞を受賞した名作
 意外なことに映画公開時、アート・カーニーはまだ56歳だった!
「楢山節孝」(1983年)今村昌平監督作品
 カンヌ国際映画祭グランプリ受賞の名作。高齢者を山奥へと捨てに行くという古い日本の風習を描いた家族のドラマ。
「午後の遺言状」(1995年)新藤兼人監督作品
 当時70歳だった主演の乙羽信子は末期がんの診断を受けていて、その状態で老名女優を演じていました。
「ストレート・ストーリー」(1999年)デヴィッド・リンチ監督作品
 カナダの名優リチャード・ファーンズワース主演で、こちらはケンカ別れした兄を尋ねるため、時速8キロのトラクターに乗って旅に出た老人の物語
 映画の公開時、79歳だったファーンズワースは癌に冒されていて2000年に自殺することになります。
「終着駅 トルストイ最後の旅」(2009年)マイケル・ホフマン監督作品
 トルストイがこの世を去ることになった最後の旅。主演のクリストファー・プラマーは公開当時80歳。
愛、アムール(2012年)ミヒャエル・ヘネケ監督作品
 85歳の老女優エマニュエル・リヴァを介護する70歳のジャン=ルイ・トランティニャン、そのリアルな愛の形を描いた傑作
「ネブラスカ 二つの心をつなぐ旅」(2013年)アレクサンダー・ペイン監督作品
 ブルース・ダーンがカンヌ国際映画祭男優賞に輝いた名作。怪しい宝くじの賞金を獲りに旅に出た老人とその息子のロード・ムービー
「ペコロスの母に会いに行く」(2013年)森崎東監督作品
 認知症の母親とその介護を続けるバツイチの息子の日常を描いた実録ドラマ。主演の赤木春恵は公開当時89歳!
「手紙は憶えている」 (2015年)アトム・エゴヤン監督作品
 認知症の殺し屋が主人公のサスペンス映画。アウシュヴィッツの生き残りがナチの残党を探して復讐を果たそうと旅にでます。
 ただし手がかりは友人が書いてくれた手紙だけ・・・毎朝彼は記憶を失くしていて、その手紙だけが頼りです。
わたしはダニエル・ブレイク(2016年)ケン・ローチ監督作品
 経済格差の広がりと弱者の切り捨てに抗議する老人の闘い。ケン・ローチだからこその名作です!
ベロニカとの記憶(2017年)リテーシュ・バトラ監督作品
 68歳のジム・ブロードベント主演のジュリアン・バーンズ原作の映画化。高齢者の記憶と現実の一致と不一致の真実とは?
運び屋(2018年)クリント・イーストウッド監督作品
 イーストウッドは映画公開時、88歳だがメイキングではもっと若く見えます。90代の麻薬の運び屋の実録ドラマ。 

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