「幻影の書 The Book of Illusions」

- ポール・オースター Paul Auster -

<幅広い活躍>
 この小説の作者ポール・オースターの作品「シティ・オブ・グラス」(1985年)や「鍵のかかった部屋」(1986年)など初期のものは、ニューヨークを舞台とする不思議な味わいの青春小説でした。ニューヨークらしい作品の多くが、そうであるようにアメリカ本国よりもヨーロッパや日本で高く評価される傾向にあり、カルトな作家としてちょっとしたブームを起こしました。確かにニューヨークの街にあふれるパワフルなアートに憧れる音楽好き、映画好きにとって、彼の作品は文句なしに魅力的でした。
 その後、1990年代に入ると彼の原作・脚本をもとに撮られたウェイン・ワン監督作「スモーク」(1995年)が話題となり、その続編「ブルー・イン・ザ・フェイス」(1995年)では自ら監督もつとめ、その成功をきっかけに映画界での活躍を開始。「ルル・オン・ザ・ブリッジ」(1998年)では再び脚本と監督を担当します。しかし、その後映画界での活動はなくなり、21世紀に入ってからは再び作家としての活動に専念しているようです。
 そして、そんな彼が2002年に発表したのが本作「幻影の書」です。

<新たな段階への到達>
 この小説はニューヨークを象徴するカリスマ作家だった彼を、彼の熱烈なファンだけではなくすべての読書好きを唸らせる本格的な小説家へと押し上げた重要作といえるかもしれません。著者自身が50代となったこともあり、主人公もまた彼と同世代となりました。そのために、物語は青春ドラマからより幅広い世代に訴える奥の深い人生ドラマへと成長したといえます。(もちろん、青春物語の価値が低いなどというわけではありません。あくまで、読者の層が広がったということを言いたいだけです)登場人物の波乱万丈の人生を描くことにより、より複雑で奥行きのある物語が誕生しました。この作品を彼の最高傑作という人がいるのもうなずけます。小説としての構造的仕掛け、登場人物の人間的な奥行き、ストーリー・テリングの巧みさなど、どれをとっても一級品といえる極上の小説に仕上がっているのですから。

<映画を描く小説>
 この小説は題材的には、1990年代に彼が深く関ってきた「映画」を扱っており、彼が映画監督・脚本家として活躍してきた仕事を自らの小説の中で集大成とし完成させたとみることもできます。異色の映画監督として誰よりも自由に作品作りができたはずの彼でもなお撮ることができなかった究極の映画。それをあらゆる束縛(経済的・技術的)から解放された文字によって表現し、完成してみせたともいえます。この小説は、「映画」という表現手段の素晴らしさを描いていると同時に、それを思い通りに撮ることの困難さも描いています。(経済的・技術的どちらからも)公開しない映画を撮るということで、へクターがそうした制約から自由になるというのもまた実に皮肉なことでした。だからこそ、そうしたすべてを含めた世界を制約なしに自らの想像力のおもむくままに描きたいなら、やはり小説という手法に勝るものはない。最後にはそこに至っているのです。
 それはこの小説の中で上映されるヘンリー・マン監督の作品「マーティン・フロストの内なる生」で描かれている「想像力の勝利」とも共通しています。人間のもつ想像力の力を最大限に引き出せる表現方法は、小説という「人の頭の中に世界を作り上げる」最も原始的な方法かもしれません。(いや、その点ではより原始的ともいえる音楽の方が上かもしれませんが・・・・・)
 確かなのは、より具体的なイメージを与える映画(視覚・聴覚)という手法は、与える情報がより多い分、人間のもつ想像力を制限することになるということです。さらに情報量が多い体感型の3Dバーチャル・ゲームの世界になると、もう人間に想像力を働かせる余地をほとんど残してくれません。
 かつて劇作家・演出家のつかこうへいは、「テレビは人間を馬鹿にする電波を発している」とさかんに言っていました。確かにそのことはテレビから発せられている電磁波が脳細胞に悪影響を与えていることから正しかったといえますが、それ以上にテレビは「想像力」という人類が獲得した特殊能力を自ら破壊しつつあるともいえます。(ディズニーランドが人間から想像力を奪っているのと同じように)

<小説家ポール・オースター>
 やっぱり小説じゃなきゃだめだ。そう考えて映画の世界から戻ってきたのかどうかはわかりません。どちらにしても、彼のおかげで素晴らしい映画を一本、僕の頭の中で見せてもらいました。そして、その素晴らしい映画を見る男を主人公とするもう一本の映画も・・・・・。いや待てよ。そう考えると、そんな素晴らしい本を書いたポール・オースターについて書く僕もまた別の映画の主人公かもしれません。・・・・
 「あとがき」によると「マーティン・フロストの内なる生」は、その後、より長い脚本が著者自身によって書かれ、それを自ら監督して実際に映画化されたと書かれています。ところが、この映画一般公開はされていないようです。これって架空の映画ではないのか?なんてことを思ったりもします。「あとがき」もまた作品の一部だったりして・・・・・。
 もしかすると、「ポール・オースター」という作家もまた架空の作家だったりして・・・・・。
 どこまでも暴走してしまうこうした妄想ほど楽しいものはありません。

「想像」ほど楽しいものはありません。それに比べて世の「テーマパーク」のなんとくだらないことか!
くたばれ!デイズニーランド!

<あらすじ>
 飛行機事故で最愛の妻と子を失った大学教授デイヴィッド・ジンマーは、傷心の日々を過ごしていました。そんなある日、テレビでサイレント映画時代のコメディアン、ヘクター・マンの作品の一部を見た彼はヘクターのギャグに久々に笑うことができ心を救われます。そのことで、ヘクター・マンというコメディアンに興味をもった彼は彼について調べ始めます。そのコメディアンは、ごくわずかの作品しか残さず、ある日突然ハリウッドから消えてしまったという謎に満ちた人物でした。こうして、彼はつい最近になって発見されたというヘクターの過去の作品を見る旅に出かけます。そして、すべての作品を見た彼はそれをもとに彼の映画についての評論集「ヘクター・マンの音なき世界」を発表。その間に彼はやっと悲劇から抜け出しかけていました。
 そんなある日、彼のもとに謎の手紙が送られてきます。驚くべきことに、その手紙には行方不明になって60年以上たったはずのヘクター・マンが生きており、あなたと会いたがっていて、是非訪ねてきて欲しいと書かれていました。いたずらと思った彼は、その手紙を無視しますが、彼のもとに今度は謎の女性アルマが現れ、時間がないので是非一緒に来て欲しいとピストルで脅迫を行ないます。アルマの言葉をやっと信じた彼は彼女と共にヘクターが住むというニューメキシコへと向かいます。そして、その旅の途中、彼はアルマから伝説の男ヘクターが長い間行方不明になっていた理由とその間の波乱に満ちた人生について聞かされます。
 いったいなぜ彼はハリウッドから姿を消さなければならなかったのか?そして、今になってなぜ彼はその存在を明らかにしようとしているのか?数々の謎が明かされ、デイヴィッドはヘクターが撮った未公開の新作を見ることになります。しかし、その喜びもつかの間、予想しなかった悲劇が彼を襲うことになります。

「幻影の書 The Book of Illusions」 2002年
(著)ポール・オースター Paul Auster
(訳)柴田元幸
新潮社

「僕が最初にポール・オースターの小説を読んだときに感じたのは、それとだいたい同じ感覚だった。つまり身体のバランスの治癒のためにバッハのインヴェンションを弾いているときに抱いたのと同じ種類の心持ちを、僕はオースターの本の中に見出したのである。そしてその印象は彼の作品を何冊も読むごとにますます強くなっていった。それはある場合には、読書というよりはむしろリハビリテーションに似ているようにさえ思えた。」
村上春樹「バッハとオースターの効用」

その他の作品
「闇のなかの男」  「ブルックリン・フォーリーズ」 「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」 

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