ルーシーVS非米活動委員会

映画「愛すべき夫妻の秘密」

- ルシル・ボール&デジ・アーナズ&アーロン・ソーキン -
<アーロン・ソーキン>
 「シカゴ7裁判」で1960年代末最大の事件とも言える「シカゴ暴動」に関する裁判を描き高い評価を得たアーロン・ソーキン。彼が次の作品として選んだのは、1950年代前半、「赤狩り」の時代に起きたテレビ界の知られざる事件でした。
 1950年代アメリカ最大の人気番組だった「ルーシー・ショー」その主役だったルシル・ボールにかけられた「赤い疑惑」。一歩間違えば、番組の放送終了どころか、彼女が芸能界から追放される可能性もあった不安の中の1週間を再現した実録映画。それが「愛すべき夫妻の秘密」です。(この邦題じゃ、何の話なのかわけがわかりません。魅力的とも思えません)

<「アイ・ラブ・ルーシー」>
 アメリカのテレビ界だけでなくその後の世界中のテレビ番組に影響を与えることになった「アイ・ラブ・ルーシー」(後の「ルーシー・ショー」)。その番組の主人公ルーシーことルシル・ボール Lusille Ball は、この番組の放送開始時、すでに40歳になっていました。彼女は女優としては、美人でもなく演技派でもないB級映画専門の女優。もちろん人気女優と言えるほどではありませんでした。当然、彼女の人気で視聴率を稼げるとは思えず、この番組に対するCBSの期待もあまり高いものではありませんでした。
 しかし、この番組の企画には視聴者の心を捕まえるいくつもの秘密がいくつも隠されていました。それは偶然のものもあり、ルシル・ボールによって意図的に盛り込まれたものもありました。その重要なポイントの一つは、その人物設定にありました。
 毎回毎回、大失敗を繰り返しては視聴者をハラハラさせる主人公のルーシー。彼女はハリウッド女優を夢見るごく普通の主婦として描かれていました。見ためも普通で知性的にもごく普通の彼女の存在は、視聴者の多くにとって自分と同一視することが可能だったといえます。アメリカ中の主婦たちにとって、美人女優ではなかったルーシーは自分を重ねることが可能な存在だったのです。
 さらにここで彼女の夫役として選ばれたのが、彼女の本当の夫、キューバ移民のミュージシャン、デジ・アーナスでした。選ばれたとはいっても、実際には主役のルシル・ボールがゴリ押しをして出演させたのですが、それがこの番組にとって大きな意味をもつことになります。実際の夫婦関係は離婚寸前の状態だった二人ですが、テレビカメラの前では実に絶妙な夫婦関係を演じていました。オッチョコチョイで失敗ばかりの妻と彼女を優しく見守る寛大で話のわかる夫。それは当時のアメリカにおける理想の夫婦像として映り、視聴者の心をしっかりと掴み取ったのです。
 この後、実際に二人の間に子供が生まれることになると、彼女は周囲の反対を押し切ってお腹が大きい状態で出演を続け、いよいよ全米のお茶の間の話題をさらうことになりました。なんと彼女が出産する際の番組視聴率は68%に達していました。

 この番組が画期的だったのは、番組を撮影しているスタジオに観客を入れ、スタジオ・ライブ形式で収録を行ったことです。多くのアメリカのテレビ番組で本物かどうかわからない観客の笑い声が入っていますが、その元となったのがこの番組でした。そのためにデジは3台のカメラをスタジオにセットし、観客に様々な角度からの映像を見せる工夫も凝らします。
 さらにこの番組はテレビ業界の構造をも変えた画期的な存在でもありました。それはこの番組が製作の初めの段階から映画と同様のフィルム撮影にこだわり、そのフィルムを権利ビジネスとして海外に輸出する最初の番組となったからです。これにより、テレビ番組は放映時のスポンサー料だけでなく、再放送や海外放映での著作権料でも稼ぐことのできる複合ビジネスへと一歩進んだわけです。今でも「ルーシー・ショー」を配信なので見ることができるのはそのおかげです。
 1951年10月15日にから始まったこの番組は、着実に視聴率をのばし、文句なしに全米ナンバー1の人気番組となります。この番組のヒットのおかげもあり、1953年CBSテレビはついに赤字から脱し、黒字を出すようになりました。

<映画で描かれた1週間>
 この映画で描かれた1950年代はアメリカ経済の黄金期であると同時に米ソ冷戦の中、「赤狩り」旋風が吹き荒れた時代でもありました。共産主義者は全員がソ連に協力する裏切者とみなされ、その見せしめに左派の知識人が多い芸能界への圧力が強まっていました。
 祖父が労働運動に関わっていたことから、ルシル・ボールは共産主義に偏見はなく有権者登録の際、支持政党の欄で共産党をチェックしていました。そして、それが非米活動委員会から疑われるきっかけになりました。彼女が大スターだったこともあり、非米活動委員会は彼女への調査を開始。彼女は非公開の審問会に呼び出され、共産党員かどうか?共産党に協力していないかを問いただされました。それに対し、彼女は現在は共産党の支持者ではないし、もちろん党員でもなく協力もしていないと証言しました。これで彼女の無実は証明されたはずでしたが、マスコミの一部がこの情報を知り、記事にしてしまいます。当時の社会状況では、たとえ本人が無実だと記者会見を開いても、聴聞会に呼び出された時点で「ルシル・ボールは共産主義者かもしれない」というだけで業界から締め出される可能性がありました。
 映画ではこの記事が出て、その事実をスポンサーやスタッフが知ってから、次の週の放送に向けた収録までの1週間が再現されます。

<危機とその結果>
 同じ頃、彼女は他にも問題を抱えていました。それは彼女が第二子を妊娠していることが明らかになったことでした。1951年、番組がスタートする前に彼女は長女を出産していましたが、今回は出演している状態での妊娠です。そのまま子供を産むまでをドラマにしてうことは可能なのか?そのことが認められるかが問題でした。当時のアメリカでは、お腹が大きな女性を出演させることは、「妊娠」=「セックス」をイメージさせるとしてタブー視されていたのです。当然、CBS側もスポンサー(フィリップモリス)も、彼女が妊娠したことは隠して出演させるべきと考えました。結局、この問題は夫のデジ・アーナスが提案した宗教指導者たちの意見調査により解決します。出産まで演じることへのお墨付きを受けられた彼女は、第二子となる長男を番組内で育てることになり、視聴者はその展開に大盛り上がりとなりました。
 さらにもう一つの問題は、夫のデジ・アーナスによる不倫疑惑が暴露されたことでした。こちらはこの時のより大きな危機を前に棚上げとなります。しかし、この時すでに二人の間は離婚が避けられない状況になっており、事件の後、二人は結局離婚することになります。
 最大の危機だった赤狩りへの対応は、デジがその問題の張本人に直接交渉するという驚きの手段を用います。そして、その決定的な場面を生放送の番組の中で公開します。これこそ、テレビという大衆先導装置を逆手に取った見事な作戦でした。テレビ界最大のアイドルを生み出したのは、ルシル・ボールの特異なキャラクターに加え、その夫デジの貢献が大だったことが証明されたのです。ただし、このラストの謎の救いの神の存在は、僕には少々納得できないものでした。だって、最大の悪役のはずの人物が救いの手を伸べるのでは本末転倒もはなはだしいじゃないですか?

「愛すべき夫妻の秘密 Being The Ricardos」  2021年
(監)(脚)アーロン・ソーキン(アメリカ)
(製)トッド・ブラック、スティーブ・ティッシュ、ジェーソン・ンブルメンソール
(撮)ジェフ・クローネンウェス
(編)アラン・ボームガーテン
(音)ダニエル・ペンバートン
(出)ニコール・キッドマン(ルシル・ボール)、ハビエル・バルデム(デジ・アーナズ)
J・K・シモンズ、ニナ・アリアンダ、アリア・ショウカット、トニー・ヘイル、クラーク・グレッグ 
ゴールデングローブ主演女優賞(ニコール・キッドマン)

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