「イルストラード Ilustrado」

- ミゲル・シフーコ Miguel Syjuco -

<フィリピン発の名作>
 2007年にアジア版のブッカー賞として設立された「マン・アジアン文学賞」を受賞した小説であること。そして、僕が読んだことがなかったフィリピンの文学作品ということで、取上げてみました。正直、こうしたことでもないと、なかなか読むことはなかったと思います。だからこそ、このサイトで取上げるわけですが・・・。
 今や村上春樹が「世界文学」として世界中で読まれているように、優れた文学作品の中には国境を越えるグローバルな視野をもつ作品が数多く生まれるようになってきました。この作品も、そうした世界基準の作品といえるかもしれません。(ただし、フィリピンの歴史を少々勉強する必要がありますが・・・)
 この小説の主人公自身が作家志望の青年で、彼に対しその師匠ともいえる作家が「世界文学を書く作家を目指せ」と熱く語っています。この部分は、フィリピンの作家たちに向けた言葉であると同時にブッカー賞の対象となる国(英語圏)の作家すべてに向けられた言葉のようでなかなかに熱いです。ちょっと長いのですが、気合が伝わってくる文章です。

 フィリピン人であることは単なる偶然に過ぎないとみなされるような、国際的な作家になれ。「変人」というレッテルとうまく付き合っていく街を学ぶのだよ。いずれにせよ、フィリピンというこの真の故郷こそ、君と読者との間をつなぐ文学の沃土となるだろう。実際、誰がわざわざ遠く離れた名もなき熱帯の異国の苦悩の話など読みたいと思う?人は皆、自分のことだけで手一杯だ。不安とは、人間的状態それ自体のことを指すのではなく、我々の現状と達成不可能な希望との間の煉獄状態のことだ。だから、オブセッションの臨海点を越えたところに存在する自分は信じるものについて書くことが一番大事なのだ。とりあえずは、ディアスポラ、つまり最もフィリピン系らしいグレート・フィリピーノ・フロアショーがその代表演目となるだろう。それはそれでいい。
 だが、よく聞け。我々フィリピン人は、懸命に様々なものを思い出そうとしてきた。それでは、そのうち見事に忘れてしまったものは何だ?
 そのことを考え抜け、そしてそれについて書け。安全圏内であぐらをかくのはもう終わりにすることだ。むしろ、自分の苦手な分野の真横に正々堂々と立ち、これこそ我々フィリピン人だ!この問題に自分は取り組む!と宣言するのだ。真の意味で正直になる方途を考えろ。そうすれば、君の書くものはやがて暦を越え、国境も越える。ゲーテはそういうものをこそ『世界文学』と呼んだのだ。彼は言った、『国民文学というものは、今日ではあまり意味をなさない。我々は今、世界文学の時代に入りつつあるのだから』。彼はまた、その時計の針を回すのも戻すのも我々の手にかかっている、とも言った。どのくらい前の話だ?ああ、さらにもうひと回りしたオーデン氏の言葉も聞いておくがよい - 『名も無き深い谷で作られるチーズのような存在になりたまえ。地方色に溢れていながらどこでも愛される、そんなチーズのようなものに』


 ここまで熱く語られれば、読みたくなってしまいます。ということで、先ずはこの小説のあらすじを見てみましょう。

<あらすじ>
 主人公はニューヨークに住むフィリピン人青年ミゲル。彼は裕福な家庭に育ちましたが、貧しい国で財を成した家族の生き方に疑問を感じていて、一人ニューヨークで文学を学んでいました。ところが、彼の恩師であり、作家志望の彼にとっての目標でもある同じニューヨーク在住のフィリピン人作家、クリスピン・サルバドールが突然水死体で発見されてしまいます。
 母国フィリピンの政治や文学界を批判し続けていた彼は、その集大成ともいえる大作小説「燃える橋」を執筆中でした。その内容の衝撃性から、保守勢力の一部から命を狙われていたともい言われる彼は、暗殺されたのか?それとも、入魂の作品が失敗作だったために、自ら死を選んだのか?ミゲルはその謎を解くため、クリスピンの元から消えてしまった謎の作品「燃える橋」の原稿を探し始めます。
 その後、原稿はクリスピンが死の直前にフィリピン在住の娘ドゥルセのもとに送られたらしいことがわかります。しかし、彼女は遥か昔にクリスピンの元を去っており、その居場所は不明でした。そのため、ミゲルは自らフィリピンに帰国し、彼女の居場所をつきとめる決意を固めます。
 久しぶりに故郷の街でもあるマニラに戻った彼は、そこで昔の遊び仲間と会ったり、クリスピンの関係者とコンタクトをとりながら、娘ドルゥセの居場所を突き止めます。そんな中、彼は母親がクリスピンの大ファンという女の子セイディと出会い恋に落ちます。(実はクリスピンには、昔セイディという彼女がいました・・・)
 ミゲルは、セイディとともに反政府デモの混乱に巻き込まれ、そこから脱出した後、台風によって増水した道路で立ち往生することになります。水没の危機に陥る彼の目の前を車や人が流されて行くのを目にします。ついに、彼は流されている子供たちを助けようと死を覚悟して車を離れます。
 彼は。子供たちを救えるのか?その場を無事に逃れ、クリスピンの娘のもとにたどり着くことはできるのか?
 しかし、物語はまったく予想外の展開に向かいます。

 ここまでの<あらすじ>は、この小説のメイン・ストリートであって、実はいくつものサブ・ストーリーがあります。
(1) ミゲルが執筆中のクリスピンの伝記からの抜粋
(2) クリスピンが発表した過去の様々な作品からの抜粋
(3) ミゲルが書いた兄弟へのメール
(4) 雑誌に発表されたクリスピンのインタビュー
(5) ニューヨークでミゲルが付き合っていた恋人との別れまでのエピソード
(6) フィリピンのお間抜けな金持ちカップルの笑い話とその二人から生まれた少年が大統領になるまでの笑えないエピソード
(7) クリスピンの盟友マルセル・アベラネーダのブログからの抜粋

 こうした様々なスタイルの文章や証言などを、著者はメイン・ストーリーの間に挟みこみながら、読者に飽きさせずに話を運んでゆきます。しかし、そこに織り込まれるフィリピンの歴史についての知識がないとわかりにくい部分もあります。そのうえ、時代と場所がバラバラに描かれているので、混乱しやすいともいえます。僕自身、150ページぐらいまでは、かなり「?」が続きました。ということで、この際、僕も知らないことばかりだったフィリピンの歴史について学んでおこうと思います。

<フィリピン近代史>
 フィリピンだけでなく日本以外のアジアの国々の近代史は、欧米列強国による植民地としての歴史だということもできます。フィリピンの場合、その植民地としての歴史が始まったのは、今から500年近い昔のことです。1565年ごろにヒスパニア(スペイン)海軍によって、フィリピンが征服された後、20世紀後半まで長い長い植民地として支配される屈辱的な歴史が続くことになります。

<1577年>
 初代フィリピン総督が着任し、フィリピン最大の都市マニラがこの時、建設されました。東南アジア唯数の大都市であり、政治的にも経済的にも混沌とした状態が続くフィリピンという国の象徴ともいえる都市マニラはここから長い歴史をスタートさせ、巨大化と混乱が進むことになります。

 マニラはゆりかごであり、記憶であり、墓場です。メッカであり、教会であり、売春宿です。ショッピングモールであり、小便器であり、ディスコでもあります。譬え話ではない、本当のことです。
クリスピンのインタビューより

<1577年>
 ヒスパニア(スペイン)の軍隊は、マニラのあるルソン島全域を征服。フィリピン全体をその支配下におきました。
<1785年>
 ヒスパニア王立フィリピン会社が設立され、フィリピンを植民地として「経済的」に利用するための仕組みが準備されます。
<1810年>
 フィリピン人の代表がヒスパニアの議会に出席。政治的にもフィリピンは植民地としてヒスパニアの一部として組み込まれるようになります。
 その結果として、1813年にはフィリピン植民地憲法が成立。フィリピンは正式にヒスパニアの属国となりました。
<1887年>
 フィリピンの英雄ホセ・リサールの処女作「ノリ・メ・タンヘレ - われに触るな」が発表されます。文学によって、ヒスパニアによる植民地支配に反旗をひるがえしたホセ・リサールは、1892年自らフィリピン連盟を結成し、独立運動を開始します。そして、1894年、ヒスパニアに対する独立運動は反乱へと発展。翌年、ヒスパニアの軍隊によって反乱は鎮圧され、1896年、その指導者ホセ・リサールは処刑されてしまいました。

<ホセ・リサール>
 フィリピン独立運動の英雄、ホセ・リサールは、フィリピンの文学界においても大きな存在です。彼が発表した解放のための文学は、その後現在に至るまでフィリピンの作家たちに影響を与え続けてきたといいます。この小説の著者ミゲル・シフーコもまた例外ではなく、彼はそこからさらに一歩踏み出すことに挑戦するためにこの作品を書き始めたのです。

・・・この国はあまりにも過去にとらわれ過ぎている。現在の問題に頭を悩ませているように見える時ですら、その実は少しずつ過去の問題に引きずられてしまっているのだ。英語を必死で覚えようとしている田舎者のようだ。分かるか?何かを言おうとする前に、頭の中で、授業で覚えたことを必死で繰り返しているのだ。・・・それが問題なのだ。一冊の本を我々は書いた。そしてそれを何度も何度も焼き直し、製本し直してきた。
 あの戦争の語り直し、持つ者と持たざる者との間の闘争、エドサ人民革命、その他いろいろ。
・・・我々の行ってきたことは、過去の様々な挫折の回顧展のようなものだった。忘れてしまうんだ!全てはもう終わったこと、過ぎたこと。当たり前の話しだと思うか?ふん!この国の表象のされ方を変えなければならない。フィリピン人作家の扱うべきテーマとは、どのようなものだ?

この文章の中に書かれている「一冊の本」とは、ホセ・リサールの処女作であり代表作でもある「ノリ・メ・タンヘレ - われに触るな」(1887年)のことのようです。

<1898年>
 再び独立運動が活発化し、アギナルドによる独立宣言が発表されます。独立運動を後押しするアメリカはスペインとの戦争に突入。米西戦争が始まりますが、すでに当時その力を失いつつあったスペインはアメリカに破れ、フィリピンを手放しました。
 しかし、アメリカはそのままフィリピンに居座り、パリ条約によってフィリピンを自国の領土としてしまいました。この時、初代フィリピン長官となったタフトは、表立ってはフィリピンを民主的に支配する仕組みを整えてゆきます。その結果、1907年にはフィリピン議会が設立され、1916年には自治法が成立します。そうした過程をへて、1935年アメリカ議会はフィリピン独立法を承認。フィリピン連邦政府が成立しました。しかし、ここで太平洋戦争が勃発し、フィリピンは日本軍によって占領されることになります。
<1942年>
 日本軍はマニラを占領し、フィリピンの植民地支配を開始します。それに対して、フィリピン統一抗日人民軍(フク団)が結成されます。
 フク団の名前の元は、フクバラハップ= タガログ語の「フクボン・バヤン・ラバン・サ・ハポン」(Hukbo ng Bayan Laban sa mga Hapon)、つまり抗日人民軍の略です。
<1945年>
 アメリカ軍がマニラを解放し、フィリピンはついに独立を勝ち得ることになりました。しかし、1948年にキリノ初代大統領就任後、フィリピン国内は再び混乱し始めます。アメリカ寄りの政権に対し、フク団が反対制運動を展開。1950年には暴動へと発展します。
<1960年>
 この後長く続くことになるマルコス政権が誕生。
<1972年>
 右派のマルコス政権に対し、左翼によるテロ事件が頻発。それに対し、政府は戒厳令を発令します。
 この時代の左翼活動にクリスピンは大きく関わっていました。武力闘争の中で彼は人を殺したというエピソードも書かれています。500年近い植民地支配のもとで苦しみ続けたフィリピンの国民にとって、武力による独立運動は当然のことだったのかもしれません。しかし、独立後もフィリピンはアメリカによって植民地同様の扱いを受け、それに対する反政府活動は「共産主義革命」という方法しかなかった。それが現実だったといえます。

・・・いいですか、あるイデオロギーが死んだからといって、そのイデオロギーの価値それ自体がゼロになったというわけではありません。当時私が共産主義こそ唯一の道であると考えた理由は、それこそが私の国において唯一可能な革命思想であったからです。私は、もはや共産主義がうまくいくとは思っていません。人類は結局、そこまで高貴ではない。それでも私は、革命だけがこの国の現状を変えうる力であると思っています。それはもっと、人々の心に直接根差したものを通しての革命であるべきです。

 しかし、左翼革命による体制の変革は、ほとんどの場合、失敗に終わり、その後国内はクーデターや内乱など、混乱状態におちいる。アジアでもアフリカでも南米でも、ほとんどがそうした混乱の歴史へとつながっています。
 宗教まで含めて、古い体制が残る国において、政府のシステムを変えることは、本質的な国民の意識変革には結びつかなかったのです。

・・・ジジは、この国には革命が必要だと言った。もちろん彼女はそう言うだろうさ、フランス人なのだからね。だが、この国では『革命』とは単なる『父殺し』を意味するものではない。そのことを見極めるのには、この私でさえずいぶん長くかかったものだ。それは『神殺し』でなければならない。つまるところ、我々の贖罪は、それよりもずっと崇高なものでなければならないのだ。

<1973年>
 新憲法が公布され、大統領制から議員内閣制への移行が行われますが、反政府勢力の動きは収まらず、1974年にはホロ島でイスラム教徒による反乱が起きますが、1976年、世界的な左翼テロ活動の中心組織「モロ解放戦線」と政府の間で平和協定が締結されました。
<1981年>
 1978年に首相に就任したマルコスにより、1972年から続いていた戒厳令がついに解除されます。
<1983年>
 野党第一党の指導者だったベニグノ・アキノ氏が暗殺される。政府による陰謀説が疑われたことから、反体制運動が活発化し、政権が危機的状況となりました。
<1986年>
 アキノ氏の夫人を中心とする野党が選挙で勝利をおさめ、夫人が大統領に就任。翌年にはフィリピン憲法が発布されますが、軍を中心とする右派による反乱が起きるなど、混乱が続きました。
<1991年>
 ピナツボ火山が噴火し、国内だけでなくアジア全体が混乱。さらにレイテ島が巨大台風により壊滅的な被害を受けました。

<クリスピン・サルバドール>
 この小説に登場する作家クリスピン・サルバドールは、家族も含めフィリピン中を敵にまわすほど、フィリピンの過去を追及、批判する作品を発表し続けました。彼にとっての文学は解放のための文学として、ホセ・リサールの作品に匹敵するものでなければなりませんでした。

・・・「文学は」と彼は強い調子で言った。
「倫理的な跳躍です。ある種の重大な道徳的判断です。絶え間ない失敗の連続に耐えるための訓練です。文学には、恨みごとや不平不満を並べたて続ける義務がある。この世界は、まさにそのような情念で溢れかえっているからです。正直に言わせてもらいたい。なぜなら、ここにいるのは皆仲間なのだから。諸君、私に対して諸君が腹を立てているのは、全て私が作家として失敗したからである。だが私が失敗したのは、単に、諸君が恐れて足を踏み入れようとしなかったところに私があえて足を踏み入れたからに過ぎない」

(マニラで行われた文学賞授賞式におけるクリスピンの挨拶より)

 ところが、彼はフィリピン中を批判した後、国外へと脱出。ニューヨークを拠点に執筆活動を続けるようになります。なぜ彼は母国を捨てたのか?その理由もまたミゲルが知りたいことのひとつでした。(この小説の著者であるミゲルもまたマニラ生まれでありながら、海外で執筆を行っています)

 クリスピンはしばしば自分の亡命状況を英雄的なものとして語ったが、そのたびに僕はなんだか不思議な気持ちになった。彼がマニラに帰らない本当の理由は何なのか?そのことを直接聞いてみたことがある。すると彼は、海外で暮らすほうが実際問題としてはるかに困難だからだ、と言った。
 国際的は作家になるためには並はずれた集中力が必要だ、と。だが、その時の彼の声にはどこか気持ちのぶれのようなものが感じられた。何か言いたくないことがある、という感じだった。世界中のどの場所とも違う強力な磁場を持つこのマニラという都市で暮らすには性格が丸くなり過ぎた、というようなことが実情だったとしたら?この都市では必要性が全てを支配する。その中では善と悪の境界は曖昧になり、いつ起こるとも知れない暴力の匂いが湿気と一緒に背中にはりついてくる。西洋世界とは完全に異なった世界観のもと、無秩序が無数の映画やテレビ番組の網の目を通過するうちに独自の秩序を形作り、新聞の特集記事やパネル・ディスカッション、辛うじて辻褄だけは合うようにリンクの施されたネット上の解説などを通し、人々の共通理解の中に組み込まれていく。・・・


 ミゲルは師でもあるクリスピンに対し、文学によって世界を変えることを目指したいと宣言しますが、それに対して彼は意外な答えを返します。そして、この答えの意味は最後に明らかになります。

「だからこそ、文学が必要なんです。世界をコントロールできる。創造し、また改訂することができる。もっとよいものを求めて<作り直し>をすることができるんです。もしダメでも、自分ひとりが責任を取ればいい」
「最後の部分は必ずしも正しくはない」
「しかし。もしも成功すれば、それで世界を変えることだってできる」
・・・・・・・
「世界を変えるというのも」と彼は言った、「もしもそうできるのならば、それはそれで良いことだろう。だが、子供を持つというのは、世界に対する一つの大いなる肯定の身ぶりではないだろうか?」
「へえ、なんだか妙に感傷的ですね。少なくとも僕の趣味ではありませんね」


<どんでん返しのミステリー>
 歴史小説でもありながら、この小説のラストには大どんでん返しが控えていて、見事なミステリー小説にもなっています。そのどんでん返しは、少しずつ明らかにされていて、読者は少しずつそこに気がつくはずです。

 真理には三つある。まず、知ることができるもの。それから、知ることのできないもの。三つ目は作家のみが感知することのできる真理であり、前の二つのどちらでもない。
クリスピン・サルバドールのエッセイ「磔刑」より
 真実とは何か?小説とは何か?そんなことを考えさせてくれる見事な仕掛けは、読者を驚かせるだけでなく感動させてくれます。

 始まりと終わりとが出会うこのような場所に立つ時、人は、まさに完全なものとして今自分の目の前に出現したものを、そしてそれを価値あるものにしている全ての些細な事柄のそれぞれを、ただ茫然と見つめ続ける他はない - 最後に訪れるエピファニー、痛みからの解放、過去の悔恨を慰めてくれる言葉、机の前の座り慣れた椅子、インクを詰めたタイプライター、時間の流れの中で味わいをいや増す思い出、通りを隔てた向こう側の住人の様子が見える窓、深い経験を経たことによる自信、誰も犠牲にすることなく得られる満足感、広げた新聞、愛のエントロピー、ラジオのチューニングキーの回転、自分をすでに男としては見ていないことがはっきりと分かる若い女への熱っぽいまなざし、似合いのカップル、自分勝手な赦しの秘跡、グリニッジ・ヴィレッジの精神の躍動、高級なボルサリーノの手触り、・・・
 生まれ育った家の庭で助走をつけて思い切り飛んだ瞬間、抑えきれない想像力のほとばしり、昼寝からふと目覚めた時の光の中を舞っているのが見える埃の粒子、シャンプーの豊かな香り、自分の名前が誰かの歌の中に聞こえる瞬間、今後の人生において大きな意味を持ってくることがはっきりと分かるいくつかの表情、温かみ、初めの言葉が見つかる瞬間、最後の言葉がまだ見つからない時にふと見える忘却の淵。


 この小説は、こうしたミステリー仕立ての構造を持ちながら、基本的にはアイデンティティーを見出せずに模索を続ける主人公が、調査の旅の途中で、しだいに大人になり、新しい時代の作家へと成長してゆくという青春冒険小説でもあります。主人公の名前が、著者のミゲル・シフーコと同じであることは、ある意味自伝的小説という意味合いも含んでいるということなのでしょう。

<多層構造の面白さ>
 この小説の面白さは、その構造の多層性、多重性にもあります。
この小説を書いているのは誰なのか?シフーコ?クリスピン?それとも別の誰か?
様々なクリスピンの著作からの引用にも、実は意味があり、それが主人公ミゲルの人生と大きな関わりがあることが明らかになってきます。

・・・僕は参考資料文献とともに部屋に閉じこもり、クリスピンの回想録やノート、雑文の寄せ集めの中からなんとかして彼の娘の痕跡を探そうとした。具体的なものは何も見つからなかったが、突然、彼の著作のひとつひとつのうちにそれまで全く見えなかった意味が見えてきた - そこに登場するヒロイックな主人公たちは全てある種の償いのあらわれであり、あらゆる喪失劇はそれぞれがメタファーなのであって、父あるいは子について少しでも言及される時があれば、それぞれ必ずページ上に書かれている以上のことを意味していた。

 まるでジグソー・パズルのピースのように、様々な文章が組み合わさり、ラストには、ひとつの巨大な物語になる。これこそ、小説家なら一度は書いてみたい総合小説の見本のような作品だと思うのですが。

 少年は成長し、やがて大人になる。一人の若い男 - そう書くだけで、人生が約束してくれるあらゆる希望が脳裏をよぎる。巡る四つの季節をタイプライターの前で過ごし、へとへとになりながらついに作品を書き終えた時、彼の存在は、既に私の存在と不可分なまでに結び付いていた。フィクションのいくつもの可能性と深く結び付いた、この可能性についてのフィクションの中に、私は私自身の生きられなかった人生を織りこむことになったのだ。
 だから、それは結局、私にとってまさに故郷への帰還をも意味していた。久しぶりに故郷で過ごす日が近づいて来るのを感じながら、私はこれらの最後の言葉を書きつけた。



「イルストラード Ilustrado」 2008年
(著)ミゲル・シフーコ Miguel Syjuco
(訳)中野学而
白水社

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