戦争に消された人工知能「チューリング・マシン」


映画「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密 The Imitation Game」

- アラン・チューリング Alan Mathison Turing -
<アラン・チューリング悲劇の物語>
 この映画の主人公アラン・チューリング Alan Turingの悲劇の物語は、理系でコンピューターに関わり、その歴史に興味のある人なら結構知っている人は多いかもしれません。僕自身も、このサイトの中でコンピューターの歴史について調べたりもしているので、アラン・チューリングにはかなり興味を持っていました。「映画にしたら、面白いだろうなあ」とも思っていたので、映画化されたとしり興味津々でした。
20世紀を制御したコンピューター開発物語&アラン・チューリング 

 ドイツ軍の難攻不落といわれた暗号機エニグマを解読し、コンピューターの原理の基礎を築き、同性愛者として迫害され、謎の死を遂げた伝説の数学者。これだけでも十分面白い映画になるはずです。ただし、それ以上に僕を驚かせてくれる何かがあるだろうか?それだけが心配でした。
 で、結論的には、この作品は予想を裏切らない素晴らしい出来栄えでした!
(注)「エニグマ」とはギリシャ語で「謎」のことです。
<コンピューターの原点>
 コンピューター開発の主な舞台はアメリカでしたが、アラン・チューリングは英国で一人その基礎を研究を進める孤高の天才科学者でした。彼は1936年から37年にかけてコンピューター開発の基礎となる「チューリング・マシン」の理論を発表します。(この時、彼はまだ24歳という若さでした)残念ながら、その時点で彼の理論を実現できる技術はまだなかったため、それは理論上だけのものでしたが、その機械は数値データを読み取り、それを自らの言語に変換して計算処理を行うという現在のコンピューターに近いアイデアに基ずくものでした。ここで用いられる言語こそ「コンピューター言語」というまったく新しい概念で、これが後のすべてのコンピューター開発の基礎となります。もし、時代が平和なら、彼の研究はさらに進んでいたかもしれません。しかし、時代は第二次世界大戦に向かっていました。そのため戦争に転用できる研究意外は困難で、まだ何の役に立つかもわからない「人工知能」を進めるには早過ぎました。
 ところが、彼に予想外のチャンスが巡ってきます。それはドイツ軍が誇る暗号機を解読するための研究に参加することでた。膨大な情報を電気的に処理・分析することで、暗号解読のスピードを大幅に短縮しようという研究でした。そこでなら、自分の研究を進め、利用できるのではないか?彼はそう考えて、研究に参加します。ところが、その選択が彼の人生を加速させただけでなく、その人生を大幅に縮めることになるのでした。

<リアリズムに徹した映画>
 この映画の魅力のひとつは、ストーリーが史実に忠実で、主人公の人間性を変に美化したり、悲劇性を強調し過ぎてもいないことに好感が持てることです。それが可能になったのは、脚本を書いたグレアム・ムーアが、もともと個人的にアラン・チューリングの大ファンであり、研究者だったからかもしれません。なるほど、愛する英雄の伝記を自らの手で脚本化したのですから、チューリング愛にあふれた入魂の作品になるのは当然です。彼は、映画化にあたり、奇をてらう演出を求めず、あえて時間軸も歴史に合わせて順番に進めています。もちろん、衣装や音楽、背景となる街の様子などは、1940年ごろの雰囲気を見事に再現。同じ時代を舞台にしたテレビのスペシャル・ドラマ「刑事フォイル」同様、変わらないイギリスの街並みが大いに雰囲気づくりに貢献しています。

<意外な事実>
僕も知らなかったこと
(1)同性愛者だったアラン・チューリングに婚約者がいたこと。
 キーラ・ナイトレイ演じるその婚約者は、チューリングが同性愛者であることを知っていたそうです。それでも結婚するつもりだったのは、離婚を経験し、男性への不信を抱いていた彼女にとって、友情に近い本物の愛情の成せる技だったのでしょう。
 同性愛者と知っていての結婚は、同性愛者であることを隠すための偽装として、昔はわりと多かったようです。(日本の芸能界などでも噂はいろいろありました)同じように友情から結婚した例としては、同時代のアメリカの作曲家コール・ポーターとリンダ・トーマスの関係が思い出されます。女性にとっては、同性愛者であっても、信じ合える関係ならばパートナーとして認め合えると考えての結婚だった二人の関係に、もしかすると近かったのかもしれません。
(2)エニグマの解読結果をそのまま利用しなかったこと。
 大変な苦労により、ついに解読に成功したドイツ軍の暗号を彼らはそのまま利用しませんでした。それはなぜか?もし、暗号解読の結果に基づいて、ドイツ軍の攻撃の裏をかいたらどうなるか?当然、ドイツ軍は暗号が解読されたことを察知し、暗号機の設定を変えるか、暗号機を根本的に変えるかしてしまったでしょう。そうなれば、またゼロから暗号解読に挑むことになり、再び多くの犠牲者を出すことになる。
 そこで彼らは、暗号解読の結果は必要最小限の利用(統計学的に許さる範囲)にとどめ、作戦の優先度を決めて利用することにしたのです。例えば、「ノルマンディー上陸作戦」のような重要な作戦では、エニグマからの情報が利用されることになりました。
 しかし、どの作戦でエニグマの解読結果を利用するかを判断する仕事は、誰を殺して、誰を生かすかを決める神のごとき恐れ覆い任務となります。その重責は彼らの心を蝕んで行きました。それは21世紀の中東における紛争で、無人機で攻撃を行う米軍の兵士たちの多くが心の病に苦しんでいることに似ているかもしれません。(戦闘で死んだ生死よりも帰還してから自殺した兵士の数の方が多いとも言われます)
(3)研究者たちが秘密厳守のためにその後の人生における自由を失ったこと。
 エニグマ解読の効果もあって戦争に勝利したイギリス軍ですが、戦後、暗号解読に関わった関係者たちは、作戦の内容だけでなく、作戦の存在そのものも秘密にし続けることを求められました。戦後すぐに冷戦状態が始まり、いつソ連との第三次世界大戦が始まるかわからない時期だっただけに、彼らへのプレッシャーは重くのしかかりました。当然、それまで作戦で行った研究を表立って発表することもできないのですから、研究者としては最悪の状況だったといえます。

<同性愛という秘密>
 もともとアスペルガー症候群だった可能性もあり、精神的に不安定だった彼は、研究に関する秘密厳守というプレッシャーを抱えただけでなく自らが同性愛者であるという秘密をも抱えていました。それだけでも彼が精神的に追い込まれるのは当然だと思います。
 キリスト教において同性愛は聖書で禁じられているということで、当時イギリスでは同性愛者であることがわかると警察に逮捕されるだけでなく、薬物(ホルモン注射)による治療が義務付けられていました。同性愛であることは、犯罪であり病気であると判断されていたのです。
 不運なことに、彼の愛人の友だちによる空き巣事件がきっかけで、彼が同性愛者であることが判明してしまいます。彼は逮捕・拘留されるのを逃れるため、薬物による治療を受けることを選択します。そのおかげで刑務所入りは逃れたものの、彼の社会的な地位はほとんど失われてしまいました。彼が人生を賭けてきた人工知能の研究も、大学から追放されては不可能になります。
 実は、彼は一時期アメリカに渡って、超名門大学プリンストンで「コンピューターの父」と呼ばれるジョン・フォン・ノイマンと共に研究を行っていました。チューリングは、「人工知能」に関する研究でノイマンに大きな影響を与え、プリンストンでの研究継続を求められていました。もし、彼がそのままアメリカで「人工知能」の開発を続けていたら、その後に始まるエニグマの解読はできたのか? もし、それが遅れていたらノルマンディー上陸作戦は可能だったのか?それ以前にイギリスはドイツ軍の空爆に敗北を喫していたのではないか?様々な「もしも」が考えられます。
 1954年、彼はまだ42歳という若さで自ら死を選び、青酸カリを塗ったリンゴをかじり、この世を去りました。この時に残されたかじりかけの林檎は、この映画では映し出されませんでしたが、それが後にアップル・コンピューターのロゴ・デザインのもとになったという伝説もあります。その真偽はいかに?

<ベネディクト・カンバ―バッチ>
 アカデミー主演男優賞にもノミネートされた主演のベネディクト・カンバーバッチの演技抜きにこの映画の成功はなかったでしょう。日本ではシャーロック・ホームズの現代版でホームズを演じて有名になりましたが、彼ほどチューリングにはまる俳優もいないでしょう。(ちなみに彼は結婚して子供もいるので同性愛ではないようです)
 英国王室の血筋につながる名門家庭に育った典型的な英国俳優だからこその雰囲気は、真面目すぎる天才でありながら、狂気を秘めた役どころにぴったりです。そのことは、これまで彼が演じてきた特異な役柄からも明らかです。
「シャーロック・ホームズ」(テレビ)、「ホーキング博士」(テレビ)、「フランケンシュタイン博士」(舞台)、「ジュリアン・アサンジ」(映画)そして「アラン・チューリング」・・・実に、カリスマ的でどれも天才という言葉ぴったりですが、危険な顔も持ち合わせた存在です。こうなったら、彼には今後、アインシュタインを演じてほしいものです。

「アラン・チューリングは、コンピューターに明示的なプログラミングを与えることなしに、進化に似た過程によって学習させることができると考えていた。彼はそれを”知能を持つ機械”と呼んでいたが、当時の科学者たちの反応は概して冷ややかなものだった。・・・」
松井孝典「宇宙誌」より

「イミテーション・ゲーム / エニグマと天才数学者の秘密 The Imitation Game」 2014年
(監)モルテン・ティルドゥム(ノルウェーの監督ですが、デビュー作「ヘッドハンター」の大ヒットで、ハリウッドに呼ばれての第二作がこの作品。大物になりそうですね)
(原)アンドリュー・ホッジュス
(脚)グレアム・ムーア
(撮)オスカル・ファウラ
(衣)サミー・シェルドン・ディファー
(編)ウィリアム・ゴールデンバーグ
(音)アレクサンドル・デスプラ
(出)ベネディクト・カンバ―バッチ、キーラ・ナイトレイ、マシュー・グード、ロニー・キニア、チャールズ・ダンス、マーク・ストロング、アレン・リーチ

現代映画史と代表作へ   21世紀名画劇場へ   トップページへ