「インセプション The Inception」 2010年

- クリストファー・ノーラン Christopher Nolan -

<夢の世界を描く>
 夢の世界を描く映画は、今まで数多く作られてきました。もともと夢を形にするのが映画の役割だったのですから、それは当然かもしれません。「大列車強盗」も「月世界旅行」も、夢の世界をフィルムに焼き付けたものなのです。
 しかし、人が見る夢を共有したり、作り上げたり、改変したりする作品となるとそうはありません。それはたぶん、「夢のような」映像を作るのは簡単だし、「現実のような」映像を作るのも簡単ですが、「夢と現実の境界」を映像化することは、非常に困難なのです。
 夢を見ている人にとって、夢の世界はあくまで現実です。しかし、それを第三者として見る観客が体感できるかどうか?さらに、夢と現実の間の行き来を、それらしく体感させることは可能なのか?その成功、不成功は、いかにして「夢なのに現実のように思える世界」を作り上げるか、そこにかかっているといえるでしょう。それはまさに、この映画の中に登場する設計士(Architect)の仕事と同じかもしれません。

<設計士(脚本家)>
 設計の大元となる最初の仕事は、映画の場合なら「脚本家」の仕事でしょう。その最も重要な仕事を、この映画では監督のクリストファー・ノーラン自らが担当しています。彼にとってのオリジナル脚本の映画化はデビュー作の「フォロウィング Following」(1998年)以来、2回目でした。おまけに、彼はこの映画の構想を9年以上前から温めていたといいます。それだけに、この作品への思い入れは強かったはずです。
 いかにして、夢の世界に観客を導き入れ、なおかつ、複雑極まりない物語を理解させるか。そのために、映画には新人設計士としてアリアドネという女の子が登場、彼女が周りのチームメイトたちにいろいろな質問をぶつけることで、観客はインセプションのルールや物語の筋を理解することが可能になりました。「メメント Memento」(2000年)という複雑な構造をもつ映画を成功させている彼ならではの見事な手腕です。
 本来ルールなど存在しない夢の世界では、筋道のあるドラマを展開させることは不可能なはずです。しかし、それでは映画になりません。そこでこの映画ではいくつかのルールが設定され、それによってこの映画は「娯楽映画」として成立することが可能になりました。

<夢の世界のルール>
(1)「夢の世界は現実の世界より時間の進み方が速い」
 夢の中で見る「夢の世界」は、さらに時間の進み方が速まります。そのため、下層の夢を修正することで、上層の出来事を改変することが可能になります。これがこの映画の面白さを生んでいるともいえます。

(2)「夢の世界から抜け出す方法」
 夢の中で「死ぬ」か、外部からの刺激によって強引に目覚めさせられるかで、夢からの脱出が可能になる。この外部からの刺激を「キック」と呼び、この方法がこの映画の重要なポイントんあります。

(3)「夢の世界を記憶をもとに設計してはならない」
 記憶にもとずく夢は、現実との区別を失わせてしまい、目覚めることを忘れる可能性があるから。それ以上に怖いのは、夢の世界の懐かしさ、居心地の良さに自ら脱出することを拒否する場合もありえます。

(4)「複数の人間が夢を共有することができる」
 他人の夢に入るとそれを夢と認識するのは難しくなります。そこで夢を上手く作り上げ、その中でターゲットに接近し彼の記憶から目的の情報を抜き取るエクストラクション Extractionが可能になります。これが主人公コブたちの仕事ですが、この映画で彼らが行なうのは、逆にターゲットに情報を植え込むインセプション Inceptionです。

(5)「夢の中で死んでも目覚めないと魂は「虚無」リンボーLimboに落ちる」
 現実界で薬物などによって強引に眠らせられていると、夢の中で死んでも目覚めない。そうなると夢の主の意識は行き場を失い、永遠にさまよい続けることになる。ここでいう「虚無=リンボー」とは天国と地獄の間にある暗黒界のことで、異教徒らが死後に向かうとされている。(聖書による)
 ちなみに、ジミー・クリフで有名な名曲「Sitting in the Limbo」のリンボーとは、牢獄のことを表しています。

(6)「夢か現実かを判別するには「トーテム」が有効」
 手触りや質量を身体で感じられ認識できるモノを携帯し、その感触の違いによって夢と現実の違いを判別する。絶対にマネすることができないアナログ的なモノであることが重要であり、他人に知られてもいけません。(偽造される可能性があるため)
 手作りの品物にこだわるのは、悪夢の世界を描き続けたSF作家フィリップ・K・ディック作品との共通性を感じさせます。
「ディックの主人公は必ず直接手で何かを作り出すような人たちであって、大量生産に携わるような工業労働者ではない・・・・・」
ダルコ・スーヴィン(SF評論家)
 さらにディックの以下の言葉は、まさにこの映画にピッタリです。

「偽造という主題は、わたしを魅惑してやまない。どんなものでも偽造は可能だ、とわたしは信じている。・・・いったん贋の観念を受け入れる心のドアを開いたら最後、きみの自己はまったく別種の現実のなかへずるずるはまりこんでいく。それは帰り道のない旅だ。そして、たぶん、健康的な旅でもあるだろう・・・もし、きみがさほどそのことを真剣にとらなければ。」
P・K・ディック
 実に不気味な言葉です。

<設計士(特殊効果)>
 脚本家(設計士)の描いた世界を実際に映像化する役目、特に特殊効果は、映画にとって昔から非常に重要な存在でした。かつては、この分野がネックになって、「夢の創造」には限界が存在していました。しかし、多くの映像作家たちが、それぞれの作品において様々な挑戦を続けたことで、その技術はある意味すべてが可能なところまで達したといえます。その中心的技術、CG(コンピューター・グラフィックス)なしに今や映画は作れない時代になったともいえます。しかし、この映画の監督クリストファー・ノーランは、そのCGの使用を最小限に抑えることで知られています。この映画も例外ではなく、意外なほどCGは使われていません。
 例えば、街の中を列車が走る場面、これはCGではなく実際に街の中にレールをひき、本物の列車を走らせたのだそうです!それに、無重力状態になったホテルの場面。これには30メートルもの巨大な回転するセットが作られ、その中でワイヤーアクションによって撮影が行なわれました。ちなみに、この場面で思い出されるのは、やはりあの歴史的名作「2001年宇宙の旅」でしょう。ノーラン監督にとって、「2001年宇宙の旅」はバイブルともいえる作品であり、映像技術の革新を自ら進め、それによって歴史的傑作を生み出し続けたスタンリー・キューブリックは、憧れの監督だったようです。
 彼の「リアル」へのこだわりは、デジタル・カメラではなくフィルム・カメラを使い続けていることにも表れています。「光と影」が生み出す微妙な映像世界を創造するためには、デジタルではなくアナログにこだわって当然かもしれません。

<リアルにこだわる舞台設定>
 この映画の「リアル」へのこだわりは、物語の舞台と撮影場所にも表れています。東京、イギリス、パリ、タンジール(モロッコ)、ロサンゼルス、カルガリー(カナダ)。それぞれの街で実際に撮影が行なわれており、多くの場面はロケによって撮影されています。(雪山の場面はカルガリー近郊の山中、モンバサでの追跡シーンはタンジールの街中におけるゲリラ撮影)そう考えると、俳優の選び方もまた、意識的に多国籍になっているようです。
 日本からは渡辺謙、フランスからはマリオン・コティアール、イギリスからはトム・ハーディ、マイケル・ケイン、ピート・ポスルスウェイト、カナダからはエレン・ペイジ、アイルランドからはキリアン・マーフィー、イスラム系からはディリープ・ラオ(ユスフ)、あえて映画の舞台にあわせるかのように多国籍な俳優たちを選んでいます。

<偽造師(俳優)>
 設計士が作り上げた夢の世界の登場人物になりすまし、ターゲットとなる人物を騙す「偽造師 Forger」。もちろん、映画の中ならそれは俳優たちの仕事です。優れた俳優(偽造師)は、たとえ彼がカリスマ的な大スターだったとしても、映画の撮影が始まると、すぐにそのカリスマ性は消え、彼は物語の登場人物に変身してしまいます。その点では、この映画の俳優たちは主人公のディカプリオを筆頭に実に良い仕事をしています。
 特に気になった俳優といえば、クールな参謀役アーサーを演じたジョセフ・ゴードン・レヴィット Joseph Gordon-Levitt 。同じノーラン監督の作品「バットマン・ビギンズ」への出演で気に入られ、さらに大きな役を与えられた日本を代表するスター、渡辺謙。彼が演じるサイトーの役は初めから渡辺謙のために書かれたそうです。トム・べレンジャー、マイケル・ケイン、ピート・ポスルスウェイトなど、ベテラン俳優たちの偽造師ぶりもまたさすがです。
 そして、もうひとりマリオン・コティヤール Marion Cotillardoの妖しい魅力は、いよいよ映画界を代表する存在感をもってきました。「キック」のきっかけに用いられる印象的なシャンソンを歌っているのは、マリオン・コティヤールがアカデミー主演女優賞を獲得した映画の主人公エディット・ピアフです。

<もとネタは「ドリームマシン」?>
 この映画は監督の手になるオリジナル脚本とのことです。しかし、一冊もとネタかもしれない小説があります。1979年に発表されているSF小説「ドリームマシン」です。それはどんなあらすじかというと・・・・・。

「ドリームマシン」のあらすじ
 ある研究者が「ドリームマシン」という夢を共有する機械を開発しました。それを30数人の人間が同時に使用することで、夢の中に共同の社会を作り上げ実験を行なっていました。その夢の中の仮想社会では、様々な実験が行なわれ、そこから得られる結果を持ち帰ることで未来社会にとって有効な情報を持ち帰るプロジェクトが行なわれていました。ところが、メンバーの一人がその夢の世界から戻らず、そこから事件が始まります。

「きみもほかの人たちと同じなんだぞ、ジューリア。きみはこの中で寝ていて、投射しているんだ、そしてきみはそこに立って、投射されているんだ」
「ドリームマシン」クリストファー・プリースト

 この小説の原作者はイギリスのSF作家クリストファー・プリースト。70年代に登場しSF界のニューリーダーとして注目された作家の代表作です。SFが大好きなノーラン監督はイギリス出身ですから、きっと読んでいたはずです。実は、この作家は後にSF以外のジャンルにも進出、手品師の瞬間移動を題材にした小説「奇術師」を発表。なんとそれを映画化したのが、ノーラン監督のヒット作「プレステージ The Prestige」(2006年)なのです。こうなったら、同じプリースト作品で第二次世界大戦を舞台にしたパラレル・ワールド小説「双生児 The Separation」も、いつか映画化してほしいものです。

<調合師(音楽)>
 夢を複数の人間が同時に体験するために必要な「眠り」を準備する仕事「調合師 The Chemist」の役目も忘れてはいけません。この映画における音楽担当のハンス・ジマーの仕事は、時に観客を夢の中にどっぷりとひたらせ、時にそこから一気に目覚めさせる調合師的なものです。音楽なのか効果音なのかわからない緊張感を高める背景音楽は、単なる映画音楽ではなく特殊効果の役割を果たしているともいえます。「音楽」として観客に聞かせるのではなく、観客に音楽であることを意識させない「映画音楽」の基本に忠実な音作りにこだわることで、エディット・ピアフの歌声はより魅力的に聞こえてくるのです。

<あらすじ(物語の階層構造について)>
<チームの目的>
 大企業のトップ、サイトーはライバル会社のトップ、フィッシャーが瀕死の状態にあることを知ります。その後継者となる息子に会社を崩壊させるよう意識を植え付ける(インセプション)ることで市場を支配することができる。
 そのために集められたのがコブのチームでした。コブは妻を自殺に追い込んだ罪でアメリカに帰国できず、子供たちにも会えずにいました。サイトーは彼の罪を消し去ることを条件にチーム結成を依頼したのです。

<現実世界>
 サイトーが航空会社ごと買収した飛行機の機内。ここでチーム全員とターゲットが眠りにつきます。ここから全員でフィッシャーの夢に参加します。
<第一階層>(この階層で待機したのはユスフ)
 
ロサンゼルス市内にてフィッシャーと彼の右腕的人物ブラウニングを誘拐し、フィッシャーに父親の遺言についての情報を植え付ける(インセプション)。しかし、作戦中に敵からの攻撃を受け、カーチェイスとなり、ついには橋から車ごと転落してしまいます。フィッシャーは潜在意識の中で敵の攻撃に対抗する訓練を受けていたのかもしれないことが明らかになります。しかし、敵は本当にそれだけなのか?
<第二階層>(この階層で待機したのはアーサー)
 ホテルにて。フィッシャーに近づいたコブは、ここが夢の中であることを明かし自分は護衛だと信じ込ませます。そして、ホテルの部屋で父親の遺言を知るためと騙してフィッシャーを眠らせ、次の段階の夢へと進みます。
<第三階層>(この階層で待機したのはイームス)
 父親のいる部屋を目指して病院を守る部隊と闘いながら侵入を試みます。やっとフィッシャーが病院内に侵入するものの、なんとコブの妻モルが現れフィッシャーを射殺してしまいます。しかたなく、コブはフィッシャーを救うため、モルの待つさらなる階層へと降りて行きます。
<第四階層>(この階層で待機したのはコブ)
 かつてモルとともに作り上げた記憶をもとにした夢の世界で彼は自殺したはずのモルと再会します。そこに閉じ困られていた記憶の中の妻が及ぼす危険を思い知った彼は、彼女の存在が贋物であることをやっと認め、その呪縛から逃れます。しかし、そのサイトーもまた死んでしまい、自らのリンボーに閉じ込められてしまったため、彼は彼を救い出すため、彼のいるリンボー(サイトーの夢の中)へと向かいます。彼はサイトーを救い、チームと自らを危機から救い出すことができるのか?

<夢と現実の境界線>
 人間は夢を現実化するために文明を発展させてきたといえるかもしれません。しかし、「夢と現実の融合」という夢となると、その実現はまだ先のことに思えます。でも、もしそれが可能になってしまったら・・・・・それは人間にとって幸福なことなのでしょうか?いや、もしかすると、それはもうすでに実現し始めているかもしれません。
 この文章を読んでいるあなたがいる世界は本当に現実だと言い切れますか?手元にトーテムがあれば、是非お確かめ下さい!

「・・・・・よくって、キティ、夢をみたのは、わたしか、赤の王様か、どちらかに違いないのよ。むろん、赤の王様はわたしの夢の一部分だったわ・・・だけど、わたしだって、赤の王様の夢の一部分だったのよ。夢を見たのは王様のほうかしら、キティ?・・・・・」
「鏡の国のアリス」ルイス・キャロル

「フロイトとカール・マルクスによれば、幻想とは現実と責任感からの逃避とされる。マスローによれば、幻想とは意を決した人間が現実を支配する際の手段である」
「至高体験」コリン・ウィルソン

 朝、目が覚めたとき、夢の中で再会した人々との思い出がよみがえり、懐かしさに胸が熱くなったことがありませんか?今の夢の続きが見たい!そう思ったことはありませんか?そう思ったことのあるあなたは、コブと同じ運命におちいる可能性が高いのでしょう。たぶん、そこから戻るためには、トーテムではなく現実世界に残してきた最愛の誰かの存在が不可欠なのかもしれません。

 この映画を見たのは、その日の最後の上映でした。そのため、終わったのは12時ごろ、わが家では「映画はエンドロールを終わりまで見る」が、家訓となっているため、映画館の入っているショッピングセンター地下の巨大駐車場には一台も車がいませんでした。当然人影もなく、あるのは置き忘れられたショッピングカートだけ。それは、ちょっとした悪夢の世界のようでした。一人だったら、けっこう怖かったかもしれません。
 幸い、いっしょにいった高校生の長男が、喜んで携帯で写真を取り出したので、夢の世界と混同せずにすみました。俺はトーテムか!と子供につっこまれそうですが・・・。

「インセプション Inception」 2010年
(監)(脚)クロストファー・ノーラン Christopher Nolan
(製)エマ・トーマス Emma Thomas
(製総)トーマス・タル Thomas Tull 、クリス・ブリンガム Chris Brigham
(撮)ウォーリー・フィスター Wally Pfister
(美)ガイ・ヘンドリックス・ディアス Guy Hendrix Dyas
(編)リー・スミス Lee Smith
(音)ハンス・ジマー Hans Zimmer
(特殊効果)クリス・コーボールド Chris Corbould
(視覚効果)ポール・フランクリン Paul Franklin
(出)レオナルド・ディカプリオ Leonardo Dicaprio(コブ)、渡辺謙 Ken Watanabe(サイトー)、ジョセフ・ゴードン=レヴィット Joseph Gordon-Levitt(アーサー)
   マリオン・コティヤール Marion Cotillard(モル)、エレン・ペイジ Ellen Page(アリアドネ)、トム・ハーディー Tom Hardy(イームス)、ディリープ・ラオ Dileep Rao(ユスフ)
   キリアン・マーフィー Cillian Murphy(フィッシャー)、トム・ベレンジャー Tom Berenger(ブラウニング)、マイケル・ケイン Micchael Caine(マイルズ、コブの義理の父)

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