未来の戦争が生み出した恐るべきもの

- 1919年 -

- 第一次世界大戦とスペイン風邪 -
<第一次世界大戦の始まり>
 1914年6月28日、ボスニアの州都サラエボでボスニアを併合していたオーストリア・ハンガリー帝国(ハプスブルグ帝国)の皇位継承者フランツ・フェルディナンド大公(皇太子)とソフィー妃がセルビア人青年、ガブリロ・プリンツィプによって狙撃され死亡します。
 7月23日、皇太子の暗殺にはセルビアの組織が関わっていたとして、オーストリア帝国はセルビアに対して、反オーストリア的出版物の禁止など十項目の要求を突き付けます。しかし、セルビアがそれを拒否したため、オーストリアが宣戦布告を行います。それに対し、セルビアの支援国ロシアは、オーストリアとの戦闘準備に入ります。オーストリアの同盟国だったドイツは、8月1日ロシアに対し宣戦を布告。3日にはフランスにも宣戦を布告。さらに中立を宣言していたベルギーにドイツ軍が侵攻したことから、ベルギーを支援していた英国もドイツに宣戦を布告。こうして、わずか2か月間でヨーロッパ全土が戦争状態に入ったのでした。
 当時の戦争はまだ騎士道精神を示す場でもあり、「勝敗」や「国益」とは別のところである「名誉」と「栄光」を獲得する場でもありました。ドイツの陸軍相エリッヒ・フォン・ファルケンハインは、英国の参戦に驚いた後、こう語ったといいます。
「ドイツはこれで滅ぶかもしれないが、それもまたいいではないか」
 それはけっこういい加減な闘いでもあったようです。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、戦争を楽観視していて、出征する兵士を前に「落ち葉の季節までに諸君は帰国できる」と言って送り出したといいます。

<長引く戦争を終わらせた病>
 ヨーロッパで始まり、すぐに終わるはずだった戦争は、予想外の展開を見せます。日本やアメリカなどヨーロッパ以外の国々までもが参戦し、戦闘は世界中に広がることで終わりが見えなくなって行きました。さらにヨーロッパでは、英仏海峡からスイスまで巨大な塹壕が掘られ、そこに両陣営が立てこもる持久戦となったことも長引く原因となりました。泥の中に隠れ、お互いを狙撃し合う睨み合いは、多くの兵士たちの精神を狂わせることにもなりました。
 それでも1914年に始まった第一次世界大戦は、1919年に終戦を迎えました。イギリス、フランス、ロシアを相手に戦ったドイツは5年に渡る戦闘で経済的にも疲弊し、敗北は当然でした。この戦争での戦死者は850万人にも達し、780万人が行方不明になったと言われます。しかし、この戦争が1919年に終わったのには、もうひとつ大きな理由がありました。それは当時世界を襲い7000万人以上の命を奪ったスペイン風邪の蔓延です。このスペイン風邪は今ではインフルエンザの一種として、原因はそのウィルスによるものとわかっていますが、当時はその原因がはっきりせず、コレラやペストのように病原菌による疫病の一種とも考えられていました。当時、世界の総人口に対して3人に1人がかかったともいわれるほど世界中に広がったこのスペイン風邪の正体は何だったのか?それは保存されていたある兵士の血液サンプルからインフルエンザの一種だったことが今では確認されています。
 しかし、当時飛行機はまだ戦闘機が誕生したばかりであり、旅客機はありませんでした。にも関らず、スペイン風邪が世界中に一気に広がったのはなぜだったのか?それはずっと謎とされてきました。もちろん、その発生源がどこで、いつ、どんな生物がそれを広めたのかも明らかではありません。ただ明らかなのは1919年の時点で日本も含め世界中のすべての大陸にスペイン風邪が蔓延していたということです。

<スペイン風邪はどこから?>
 21世紀に入り、インフルエンザの脅威が世界に恐怖を与えるようになったことで、1919年に起きた史上最悪のパンデミックについての研究ついての研究も進みました。その中で明らかになってきたことで、驚くべきことがあります。スペイン風邪が人体に危険なインフルエンザとなり、人の命を奪った最初期の例がフランスにあったことがわかっています。
 1916年、フランスのエタープルという街に住む医師が、原因不明の気管支炎による死者についての報告書を残していました。エタープルの街には、第一次世界大戦の戦場に向かうイギリスからの兵士たちのキャンプがあり、常に10万人の人口がありました。ところが当時、キャンプ内の病院では戦場で受けた傷による死者の6倍以上の患者が謎の気管支炎によって命を落としていたことがわかっています。
 そうした死亡者の中でカルテと兵士の名簿との照合によって、ある兵士の身元が明らかになりました。それはハリー・アンダーダウンという兵士で、イギリスからやって来た陸軍の新人兵でした。彼は戦場で砲撃により大ケガをして、傷が回復した後も精神的な病いで言葉を発することができない状況が続きました。今ならそれで十分除隊になるはずですが、彼は薬物による治療の後、再び戦場へと戻されました。ところが1916年の冬は数十年ぶりの寒さで、なおかつ戦争は一進一退の塹壕戦が続き、兵士たちは寒さとストレスによって苦しめられていました。(当時の塹壕戦が及ぼした精神的ストレスは、あの歴史的名画「西部戦線異状なし」に実に見事に描かれています。今見ても素晴らしい作品ですので。是非ご覧下さい!)

<スペイン風邪の脅威>
 そうした環境がスペイン風邪が広まる重要な要素のひとつでした。さらにそのキャンプでは食料を確保するためにニワトリや豚などの家畜が飼われていたことで感染源となりうる存在もそこにそろっていたわけです。しかし、人口の密集と寒さとストレス、そして鳥や豚だけなら、それまでも存在していたはずです。問題はそこに突然変異を生み出す何かがあったかどうか?ということです。実は、その点について、第一次世界大戦後、軍医のウィリアム・ソーシュマンという人物が論文を発表していました。彼によると、この戦争で初めて使用された毒ガス兵器こそ、その元凶だったというのです。当時、ドイツ軍が用いた毒ガスが与えた被害は有名です。しかし、毒ガスによる直接的な被害を受けなかった兵士たちもまあそれにより肺にダメージを受けていたと思われます。そのために彼らの多くが肺の免疫機能を低下させていたとしたら、インフルエンザ・ウィルスにとっては実に好都合な住処だったことになります。そこで、ウィルスは次々と変異を繰り返し、ついにはその中から突然変異によって恐ろしい殺人ウィルスが登場したのでしょう。
 第一次世界大戦の戦場は、寒さと飢えに苦しむ悲惨な場所でしたが、そこではスペイン風邪という恐るべき細菌兵器が自然の力によって生み出されていたのです。

<多くの新兵器を生み出した戦争>
 この戦争は多くの新兵器が初めて戦場に現れた未来の戦争でもありました。
 日露戦争で初めて使用された機関銃は、この戦争では主役となりました。
 1903年にライト兄弟が成功させたばかりの飛行機は、早くもこの戦争で兵器として使用され、それが飛行機開発を大きく進めることになります。
 ぬかるんだ泥だらけの土地を走ることが可能なキャタピラー式の戦車も現れ、海には潜水艦が登場し、海軍の戦闘を大きく変えます。
 さらに恐るべき兵器として世界を驚かせたのが毒ガスでした。
  第一次世界大戦は、スペイン風邪のせいで終わったとも言われていますが、そのスペイン風邪を生んだのもまた、もしかすると第一次世界大戦の戦場だったというのは驚きでした。
 戦闘機、戦車、毒ガスなど、数多くの新型兵器が登場した第一次世界大戦は人知れず、人類を地上から抹殺するかもしれない究極の細菌兵器をも生み出していたのかもしれません。
 それにしても、もし戦争という人間の古くからの行為がなければ・・・どれだけ地上に生きる人類は平和に過ごせたことか・・・。
 人類は次々に不治の病を治してきましたが、それと同じだけ新しい恐怖の病を生み出してきたのかもしれません。
 将来、人類の文化についてより深く研究が進めば、ほとんどの病にはそのウィルスを生み出した何かの原因があり、、もしかするとそのほとんどは人類が生み出したのものだったとわかるのではないか?そんな気がしています。

<生み出された次なる戦争>
 あまりに大きな被害を生み出した戦争は、ヨーロッパ諸国に膨大な借金を残すことにもなりました。その借金の多くを貸し付けていたアメリカの銀行家J・P・モルガンらは、その貸付金を回収するため、敗戦国に莫大な借金を背負わせます。その結果締結された「ヴェルサイユ条約」は、敗戦国に経済的格差や民族間の憎しみを生み出すことになりました。さらに1929年に始まった「世界恐慌」は敗戦国の経済を崩壊させることになります。
 そして、そうした状況の中、救世主として大衆の人気を獲得することになったのが、新たなる英雄、アドルフ・ヒトラーでした。ヒトラーという20世紀を象徴する怪物を生み出したのもまた「第一次世界大戦」だったのです。

「しかし事実は明白で無慈悲である - 数千という年若い作家や芸術家が死んでおります。ヨーロッパ文化なるものへの幻滅があり、また知識はいかなるものの救済においても無力であることが証明されました。科学はその道徳的野心に致命傷を負い、その応用の残念さによって名誉を失ったようです。
 理想主義はやっとのことで勝利をえたものの、ふかく傷つけられ、自分のいだいた夢想の責任をおわねばなりません。現実主義の見込みがはずれ、打ちのめされ、犯罪と過失によって圧しつぶされています。欲望も諦念もひとしく翻弄され、信仰も双方の陣営に入り乱れ、十字架と十字架が、半月刀と半月刀が相闘うのであります。・・・・」

ポール・ヴァレリー(フランスの詩人)

<参考>
孤立していたアメリカの参戦

20世紀事件簿へ   トップページへ