1970 ヒッピー探偵は見た!アメリカの綻び


「インヒアレント・ヴァイス Inherent Vice」

- ポール・トーマス・アンダーソン Paul Thomas Anderson -
<内在する欠陥>
 「インヒアレント・ヴァイス」意味不明のタイトルです。これは日本語に訳すべきだったんじゃないでしょうか?
 あえて翻訳せず、この映画のつかみどころのなさを表現したかったのかもしれませんが。「内在する欠陥」はないとしても、「ヒッピー探偵LAを行く!」とか「私立探偵ドックと消えた恋人」とか・・・どうでしょう?(ちなみに、原作の日本語版タイトルは「LAヴァイス」です。)
 この映画は、ロサンゼルスを舞台にした私立探偵が主人公のハードボイルドものですが、クエンティン・タランティーノ作品のような「スタイリッシュな暴力」描写ではなく、コーエン兄弟作品のように「どこかお間抜けな」犯人たちが登場するわけでもない、今までにない不思議な犯罪映画になっています。
 私立探偵、刑事、犯罪組織、美しき被害者・・・登場人物たちは、誰もがどこまでもシリアスに行動するハードボイルド映画の王道的作品、と言いたいところですが、なぜか全編笑えてしかたありません。それは、主人公や多くの登場人物が麻薬でラリッているせいもあるでしょうが、素面のはずの刑事だってかなり笑えてしまいます。真面目にやればやるほど可笑しい実に不思議な映画です。
 この映画は、サイケで革命的だった1960年代の終わりを1970年のLAを舞台に、時代の縮図として映像化した作品としても観ることができます。
 思えば、1970年という年は、60年代カルチャーの終焉の年であり、「シラケの時代」、「ディスコの時代」、「麻薬拡散の時代」の始まりの年だったといえます。
1969年に起きたこと
1970年に起きたこと
 1969年は、ウッドストックでのコンサートの後、オルタモントで黒人青年が射殺される事件が起きた頃から時代の流れは変わりました。
 ブラックパンサーの過激化、ウーマンリブ運動の過激化、ゲイパワーによる暴動の発生。ネイティブ・アメリカンによる暴動、チャールズ・マンソン率いるカルト教団の暴走・・・様々な分野での内在する欠陥が明らかになり始めた時代でした。
 そして、1970年になると、ビートルズの解散、ジャニス・ジョップリン、ジミ・ヘンドリックスの死があり、いよいよ60年代カウンター・カルチャーの終焉が明らかになります。そして60年代にアメリカ中に広まった麻薬は、70年代に入るといよいよ一般の若者たちにまで広まり、ベトナム戦争の屈辱的な敗戦と共に、アメリカを病んだ国に変えてゆきます。
 そんな中、ロックの時代は終わり、1970年に放送が始まった「ソウル・トレイン」に象徴されるディスコの時代が始まることになります。
 この映画が「内在する欠陥」と称しているアメリカが当時抱えていた様々な欠陥とは何か?そのヒントは、映画の中にもいろいろとありました。ネイティブ・アメリカンから土地を奪ったという「ドジャース・スタジアム」の誕生秘話はその一例。インドネシアから麻薬を輸入する組織「黄金の牙」は、その後、アメリカがはまることになる麻薬の泥沼を象徴しているし、カルト教団の広がりも描かれています。

<映画に使用されているグルーヴィーな曲>
 この映画の見どころ(聴きどころ)のひとつに音楽があります。当時のヒット曲を監修したのは、ギタリストとしてミュージシャン活動もしているリンダ・コーエン。
 先ずは、この映画で使われている当時のヒット曲をご紹介させていただきます。ほぼほぼ使われている順番です。

「Vitamin C」(1972年)
「Soup」(1972年) 
カン Can ドイツが生んだテクノ&現代音楽&ジャズの融合バンドの代表曲。アルバム「エーゲ・バミヤージ Ege Bamyyasi」。
この曲だけは、1970年以降の曲ということになります。 
「Dreamin' on a Cloud」(1962年) ザ・トルネイドース The Tornados 大ヒット曲「テルスター」で有名なイギリスのインスト・ロック・バンドのヒット曲 
「Here Comes the Ho-Dads」(1962年) ザ・マーケッツ The Marketts テレビの人気番組「トワイライトゾーン」「バットマン」のテーマ曲のヒット曲で有名なサーファー系インスト・バンド。
アルバム「Surfer's Stomp」収録のヒット曲です。
「Les Fleur」(1970年) ミニー・リパートン Minnie Riperton ラムゼイ・ルイスのジャズ・ナンバーを70年代を代表するソウル界の伝説的歌姫がカバーした曲。
「上を向いて歩こう Sukiyaki」(1961年) 坂本九 Kyu Sakamoto 1963年に全米で1位となったアジア人初の大ヒット曲(今でも唯一のナンバー1)。
日本人がやっているパンケーキ店でかかっている曲で、そこでのビッグフットの日本語が笑えます。
「ハーヴェスト Harvest」(1972年) ニール・ヤング Neil Young ニール・ヤングの初期の傑作アルバム「ハーヴェスト」のタイトル曲。
ニール・ヤングとヘロインの逸話は数知れません。ライブで鼻の穴の周りが真っ白なことがしばしばあったのも有名です。
「Journey Through the Past」(1973年) ニール・ヤング Neil Young  同盟タイトルのアルバムもありますが、この曲は1973年のライブに収められています。
「Simba」(1956年) レス・バクスター Les Baxter マーティン・デニーと並ぶエキゾチック・サウンドの作曲家の代表的アルバム「TAMBOO」からの曲。
「(What A)Wonderful World」(1960年) サム・クック Sam Cooke ヘロインの受け渡しの際、旧世代と新世代(女子)の交代を象徴的に示した場面で使われた曲。
名曲なのに笑えてしまいます。1970年は「ウーマンリブ」が世界に広まった時代でもありました。
「Any Day Now」(1962年) チャック・ジャクソン Chuck Jackson 黒人R&Bシンガー、チャック・ジャクソンの代表的なヒット曲
 
その他の曲としては、
「燃ゆる橋 Burning Bridges」(1960年)ジャック・スコット Jack Scott
 カナダ出身のロカビリー系ロックンロール歌手の代表的なヒット曲。

「悲しき雨音 Rhythm of the Rain」(1962年)ザ・カスケーズ The Cascades
 アメリカの5人組ロックンロール・コーラス・グループの大ヒット曲。

「Never My Love」(1965年)ザ・アソシエイション The Assosiation
 1965年に全米2位のヒットになったLAを代表するソフトロック・バンドの代表曲。21世紀まで現役で活躍。

 これらの曲に加え、その間を埋めているジョニー・グリーンウッド Johnny Greenwood のオリジナル曲がまたいい感じではまっています。
 メンバーは、ドラムがクライヴ・ディーバーClive Deamer(ロニ・サイズ=レプラザントのメンバー)、ベースがコリン・グリーンウッド Clin Greenwood(レディオ・ヘッドのベースでジョニーの兄)、フルートがシャイ・ベン・ツールShye Ben - Tzur(ジョニー・グリーンウッドと共にラジャスタンエクスプレスとのアルバムを発表しているイスラエルのミュージシャン)、その他の楽器をジョニーが担当しています。

<LAハードボイルド映画の傑作たち>
 この映画を観ていて、LAを舞台にした私立探偵ものの過去の名作のことを思い出しました。監督のポール・トーマス・アンダーソンも何本かの名作を参考にしたと語っています。ということで、ここではLAを舞台にしたハードボイルド映画の傑作をご紹介します。どれも傑作でたぶん監督も観ているはずですし、影響が感じられる作品ばかりです。こうして並べてみると、各年代で名作が生まれていることがわかります。古い順に並べてみます。
「三つ数えろ」
(1946年)
ハワード・ホークス監督作品 ハンフリー・ボガートが名探偵フィリップ・マーロウを演じています。当然、原作はレイモンド・チャンドラー。 
サンセット大通り
(1950年)
ビリー・ワイルダー監督作品 主人公は私立探偵ではなく売れない脚本家で演じたのはウィリアム・ホールデン。殺された主人公の回想で始まる異色作。
「キッスで殺せ!」
(1955年)
ロバート・アルドリッチ監督作品 ハードボイルドの代表的存在ミッキー・スピレーン原作のマイク・ハマーもので、主演はウルフ・ミーカー。
これだけはLAが舞台ではありませんが・・・
「動く標的」
(1966年)
ジャック・スマイト監督作品 ポール・ニューマンが私立探偵リュー・アーチャーを演じた名作で続編もできました。原作はロス・マクドナルド。
「ロング・グッドバイ」
(1973年)
ロバート・アルトマン監督作品 レイモンド・チャンドラーの代表作「長いお別れ」を1970年代に移し替えた作品で、「インヒアレント・ヴァイス」の世界に最も近い作品です。
エリオット・グールドのとぼけたキャラも、ドックの雰囲気に似ています。
 映画の中盤でオーウェン・ウィルソンを中心に「最後の晩餐」が一瞬再現される場面にご注意下さい!
これは、ロバート・アルトマンの「マッシュ」へのオマージュとも考えられます。
 もともとポール・トーマス・アンダーソンは、ロバート・アルトマンを目指していたともいえる監督で、彼の代表作「マグノリア」はそのタイプの傑作でした。
「チャイナタウン」
(1974年)
ロマン・ポランスキー監督作品 ロバート・タウンのオリジナル脚本によるLAハードボイルドの傑作中の傑作。主演のジャック・ニコルソンにとっても代表作。
さらば愛しき女
(1975年)
ディック・リチャーズ監督作品 レイモンド・チャンドラーの同名作品の映画化。これもまた名作です。
ロバート・ミッチャム演じるフィリップ・マーローは、黄昏たLAの街の映像と共に最も原作の雰囲気に近いかもしれません。
ブレイドランナー
(1982年)
リドリー・スコット監督作品 1980年代になると、「スター・ウォーズ」の大ヒットからSFブームが到来。そこで生まれたのが、この未来版ハードボイルドの傑作です。
原作は、SF界の鬼才フィリップ・K・ディック
ハリソン・フォード演じるデッカードは、私立探偵ではなくレプリカント(アンドロイド)を追跡するプロの殺し屋。
しかし、ストーリーは、謎の女あり、心優しき悪人あり、粋な相棒ありと完全にハードボイルドものになっています。
 ビッグフットが変な日本語をしゃべるパンケーキ屋のシーンは、この映画でハリソン・フォードが立ち寄る立ち食いうどん屋のシーンへのオマージュでしょう。
「LAコンフィデンシャル」
(1997年) 
カーティス・ハンソン監督作品 これは久々のLAハードボイルドの傑作でしたが、主役は私立探偵ではなく警官でした。

 こうして振り返ると、LAハードボイルド映画として、この映画は21世紀に入って久々の傑作と言えるのかもしれません。ただし、コーエン兄弟がロス・マクドナルド原作の「ブラック・マネー」を映画化。ジョージ・クルーニー主演の「ヘイル・シーザー!」が2016年に公開されています。

<トマス・ピンチョン>
 この映画の原作者は、1970年という時代を象徴する作家トマス・ピンチョンです。彼は、有名なのにそのわりに読んだ人が少ない作家ナンバー1かもしれません。なにせ、どの作品もストーリー、キャラクターがぶっ飛んでいてアバンギャルドで難解。どう考えても映画化は困難なものばかりです。ポール・トーマス・アンダーソン監督は、それでも以前、ピンチョンの大作小説「ヴァインランド」の映画化に挑んだことがあるようです。(結局、映画化は中止になったようです)僕も、「ヴァインランド」を読んでみましたが、まあ、ストーリーがハチャメチャで・・・。
 そんなわけでピンチョンの作品が映画化されたのは、今回が初めてとのこと。そのためでしょうか。なんとこの映画にはその原作者のピンチョンが出演しているとのこと!彼はもともと一切マスコミに出ることをせず、顔写真すら一切公開さえていません。(昔の写真が2枚あるだけだとか・・・)どうやら、ドックが事務所に行った際、一瞬だけ登場している背の高い老人のようです。1937年生まれなので、この映画の時は77歳のはずです。
 僕はこの原作「LAヴァイス」を読んでいないのですが、かなり原作に忠実に映画化されているとのこと。ということは、2009年に書かれた原作小説は、今までになくわかりやすい小説なのでしょう。とはいえ、この映画の人間関係はかなり複雑です。ちゃんと観ていないとわかなくなる可能性があるのでご注意下さい!

<ポール・トーマス・アンダーソン>
 監督のポール・トーマス・アンダーソンは、なんとこの映画の舞台となった1970年にLAで生まれています。思えば、彼の出世作「ブギーナイツ」(1997年)も、1970年代前半のアメリカLAを舞台にドラッグ・カルチャー真っただ中の世代を描いた作品でした。
 彼とっては、1970年のドラッグ・カルチャーとカリスマ的なリーダーを描くことが重要なテーマなのかもしれません。彼の父親は俳優・司会者だった人物でしたが、子供時代に当時のショービズ界で強烈な体験でもしたのでしょうか?
「ブギーナイツ」はポルノ映画のカリスマ・スターの物語。「マグノリア」は主人公の一人トム・クルーズが演じたのは自己開発セミナーの主催者でした。「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」はカリスマ的石油王の伝記映画。「ザ・マスター」は新興宗教の教祖で、まさにカリスマ的人物の物語でした。
 もうひとつ注目したいのは、この映画に登場する彼と同じようなハリウッド系俳優たちのことです。
 主役のホアキン・フェニックスは、リバー・フェニックスの弟で、兄の死後、映画界を離れたり、ミュージシャンに転向したりしていましたが、ポールのおかげで「ザ・マスター」に出演し、映画界に復帰しています。
 ビッグフット役のジョシュ・ブローリンはジェームス・ブローリンの息子。シャスタ役のキャサリン・ウォーターストーンは、サム・ウォーターストーンの娘。ミッキー役のエリック・ロバーツはジュリア・ロバーツの兄。ドックの恋人の検事を演じているリース・ウィザースプーンはライアン・フィリップスの妻。ペチュニア役のマーヤ・ルドルフはなんと監督自身の奥さんです。
 これだけ並ぶと、配役を意識的にハリウッドのサラブレッドで固めたようにも思えてきます。
 ちなみに、この映画に出演しているマーヤ・ルドルフの母親は、この映画の音楽に使われている伝説的女性ヴォーカリスト、ミニー・リパートンです!

 この作品、噛めば噛むほど味が出る映画です。物語を楽しんだら、音楽を楽しみ、役者の演技と顔ぶれを楽しみ、最後にのんびりと何も考えずにグルーヴィーな気分に浸ってください!もちろん、麻薬なしで、ナチュラルに・・・それができる映画です。

「インヒアレント・ヴァイス Inherent Vice」 2014年
(監)(脚)ポール・トーマス・アンダーソン Paul Thomas Anderson
(原)トマス・ピンチョン「LAヴァイス」
(撮)ロバート・エルスウィット(「ゼア・ウィル・ビー・ア・ブラッド」でアカデミー撮影賞受賞)
(編)レスリー・ジョーンズ
(衣)マーク・ブリッジス
(音)ジョニー・グリーンウッド
(音監)リンダ・コーエン
(ナレーション)ジョアンナ・ニューサム
(出)ホアキン・フェニックス、ジョシュ・ブローリン、オーウェン・ウィルソン、ベニチオ・デル・トロ、リース・ウィザースプーン、マーティン・ショート、マーヤ・ルドルフ、ジョアンナ・ニューサム
<あらすじ>
 ロスで私立探偵をしているドックの前に昔の恋人シャスタが現れ、自分の愛人が狙われていて、自分もその仲間になるよう脅迫されていると相談に来ます。まだ彼女を忘れられずにいた彼は、彼女の愛人でありパトロンの大物実業家ミッキーについて調べ始めます。
 するとミッキーとシャスタは共に行方不明となります。二人を探す彼は、ミッキーが精神病院にいることを知り、彼に会いにゆきます。彼は麻薬取引を行う大きな組織「黄金の牙」によって、精神病院に入れられ洗脳されようとしていました。そんな中、彼が潜入する場所でなぜか死んだはずの男コーイと出会い、彼が組織に使われていることを知ります。
 同じ頃、かつて自分の相棒をその組織に殺された刑事ビッグフットは、その復讐の機会を狙っていて、ドックを組織に侵入させようと考えていました。ドックは、組織のメンバーによりつかまってしまいますが、そこから脱出し、大量の薬物を盗み出しことに成功します。さて、二人はそれを使って何をするのか?

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