世界の情報共有を可能にした数学者


- ティム・バーナーズ=リー Timothy John Berers=Lee -
<ネット社会の生みの親>
 21世紀の世界に大きな影響を与え続けているインターネットを利用したコンピューター・テクノロジーは、多くのSFが予測してきたように人類の未来を左右する存在となりました。もし、将来映画「ターミネーター」のように人類がコンピューター・テクノロジーによる反逆によって絶滅の危機に瀕したとしたら、タイムマシンを発明した未来人が過去を変えようとしたら・・・。彼らはそのターゲットを誰にするでしょうか?多くの人物が関わってきただけに、誰か一人をターゲットにするのは難しいかもしれません。
 それでも誰か一人に絞るなら、あなたは誰だと思いますか?
 ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズは確かに偉大な存在ですが、彼らはその大衆的な普及に貢献しただけかもしれません。
 コンピューターそのものの開発者として、アラン・チューリングジョン・フォン・ノイマンあたりはかなり重要な存在だと思います。
 でも、それよりも重要な鍵となる人物がいます。それはコンピューターの開発者ではありません。インターネットによって、世界を一つにするための道を切り開いた人物です。彼の存在がなければ、現在のように自由に世界中の情報を得ることはできなかったし、今こうしてあなたはこのサイトを読んでいることもなかったはずです。
 インターネットの原点とも言えるコンピューター間の通信が初めて行われたのは1969年のことで、その記念すべき日、11月21日は「インターネット記念日」とされています。
 ただし、もし「ターミネーター」のように未来のため、インターネットに関する研究をやめてほしいと、彼に頼めば、たぶん彼ならその研究を放棄してくれたかもしれません。なにせ、彼こそがインターネットの生みの親であり、それを誰もが自由に使えるように、そこから生み出せるであろう利益をすべて放棄した人でもあるのです。(それどころか、彼はその無料利用を確保するために、尽力を続けています)

<ティム・バーナーズ=リー>
 インターネットの生みの親ともいえる存在、ティム・バーナーズ=リー Timothy John Berers=Lee は、1955年6月8日英国のロンドンに生まれました。両親は共にコンピューター初期の開発に関わった研究者で、彼はアラン・チューリングの後継者だとも言えそうです。当然、彼もまた数学の才能に恵まれており、1976年に名門大学オックスフォードに入学。卒業後は、スイスのジュネーブにある欧州原子核共同研究機関(CERN)に就職。そこで膨大なデータを処理するためのソフトウェア開発者として働き始めます。
 そこで彼が挑んだのは、それぞれの分野の研究者たちがもつ情報を整理し、それを有効に活用できるようにすることでした。そのためには、膨大なデータをパソコン内に入力するだけでなく、それを簡単に選び出すことができるようにする必要がありました。どうすれば、必要な情報を誰もが簡単に利用できるようにできるのか?そのために彼が考えたのは、それぞれの情報にラベルを張り付けて入力し、それを目印に検索できるようにすることでした。ただし、それぞれのパソコンのメーカーが違い、国籍が違い、言語が違うと、システムやソフトもバラバラで情報のやり取りはそのたびにデータを打ち込み直す必要がありました。
 今ではまったく考えられませんが・・・僕が大学の理学部で勉強していた当時は学校で様々なデータ処理のためのフォーマットがあり、パソコンを使うには先ずそこから理解しなければなりませんでした。思えば1980年代初め、最新鋭の電卓は、オリジナルのプログラムによってデータを処理させる小型パソコンでしたが、そのためのプログラムは自分で組まなければなりませんでした。そんな状況を誰もが簡単にアイコンを使ってパソコンを利用できるようにしたアップル社のマッキントッシュは革命的だったといえます。でも、それらの開発はアップルやIBMがそれぞれ独自にソフトを開発しており、それをなんとか独占しようとしのぎを削る時代でもありました。
 コンピューターの発展は、ある意味、必然的なものでしたが、それがネットによってすべて結ばれる必然性はなかったかもしれません。もしかすると、ネットに接続して情報を得るには、どこかの通信サービス会社の会員になり、メンバーとして登録されなければならない。そんな世界だった可能性もありえます。もちろん、サービス業者は複数存在し、誰かと自由に情報をやり取りするには、同じメーカーのパソコンを所有し、同じ通信サービス会社と契約をする必要があったかもしれないのです。
 ではなぜ、そうはならなかったのか?それは、ティム・バーナーズ=リーがそうならないための方法を考え出したからです。

<エンクワイヤの開発>
 彼は、自分が発見した情報閲覧のためのソフトに、ヴィクトリア朝時代の百科事典の中の言葉「Enquire Within Upon Everything(すべての問いはこちらまで)」から「Enqireエンクワイヤ」と名付けました。彼はそのエンクワイヤのシステムを研究所内のパソコンの中だけでなく、世界中の研究者が共有すれば、瞬時に情報を知ることが出来るシステムを構築できると考えたのです。そうすれば、世界のどこかで誰かが重要な発見をした場合、その知識はパソコン上で失われることなく保存され、さらにその知識を必要している他の研究者が利用できるようになる。そうなれば、科学の進歩は今までとは比べものにならないぐらいスピードアップするに違いない。
 さらに彼はそこからさらに一歩進み、科学の研究結果などという専門的なことだけでなく、電話帳、地図、人名録、世界各地の天気予報、様々な地域情報・・・すべての情報が世界中で共有することが可能になるはずだと考えました。
 こうして、彼は誰もが理解しやすい簡単なコーディング・システムHTML(ハイパー・テキスト・マークアップ言語)を共通の言語として設定。そして、必要なファイルを見つけ出すために、そのファイルに目印としてURL(ユニバーサル・リリース・ロケータ)という番地をつける方法を考え出し、そうして作るリンクをインターネットを介して結びつけるためのルールとしてHTTP(ハイパー・テキスト転送プロトコル)を構築しました。(これらの作業のほとんどは彼がやったようです)

<インターネット世界の始まり>
 そして1991年、最後に彼は世界初のWWWブラウザを作り、インターネットを使ってそれを世界に公開。誰もがそれを自由に無料で利用できるようにしました。その後、5年間で利用者の数は一気に4000万人にまで増加します。
 彼はその発明によって、利益を得ることも可能でしたが、あえてそれをせず、MIT(マサチューセッツ工科大学)で働きながら、W3コンソーシアムを運営。マイクロソフト社のような大企業が自分たちが開発した独自のプロトコルを用いて、そこから利益を得たり、自由な利用に制限を加えることがないようチェックを行っているとのことです。
 2016年にはチューリング賞を受賞し、数学者としても高い評価を受けています。彼の研究分野が、数学・応用数学なため彼はノーベル賞を受賞するチャンスはありませんでした。僕なら、彼にノーベル平和賞を与えたいと思います。地球上の国境を仮想空間上とはいえすべて消し去った功績は、、もっともっと高く評価されていいように思います。まさに平和賞に匹敵するように思います。そのおかげで、世界中の情報は国境を越えて、どこでも見られるようになり、インターネットは「自由」を世界に広める最も重要なツールになっています。(でも、この先、「ターミネーター」のような未来がやって来ないとは限りませんが・・・)
 考えてみれば、このサイトも、もとはといえば彼のおかげでこうしてあなたに読まれているのです。実際、海外在住の日本人の方からのメールも時々あり、そのやり取りから生まれたページもあります。
 改めて、このサイトをティム・バーナーズ=リーに捧げたいと思います。そして、彼を暗殺するために未来から刺客がやって来ないように願いたいと思います。

パソコン文化の歴史と進化

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