どの世界の片隅にもいるすずさんへ、愛をこめて


「この世界の片隅に In This Corner of the World」
「マイマイ新子と千年の魔法」

- 片渕須直 Sunao Katabch -

<映画館で観る価値がある作品>
 多くの人に、この世界の片隅に現れた素敵な女性すずさんと出会ってほしいと思います。この作品の魅力は、口コミだけでなく様々なメディアでも語られるようになりましたが、まだまだ知る人ぞ知る作品かもしれません。僕が北海道の小樽で夜9時からの上映に臨んだ時、観客はわずか3人でした。(その中の一人に、帰りのエレベーターで声をかけられてビックリ。店のお客さんでした)上映館が増えたとはいえ、まだまだその知名度は低いようです。
 実は、僕もこの作品の監督の全作「マイマイ新子と千年の魔法」のDVDを持っていながら、ほったらかしにしていました。弟がこれ面白いよ、と言って貸してくれたのに・・・。
 
 正直、この作品については、様々なことが語られ、特集もされていますが、あまり指摘されていないことがひとつ。
 この映画は是非、映画館で観てほしいです。
 パノラマ的に展開する呉港を望む空撮的映像や空をおおう爆撃機の迫力ある映像。それに強烈な爆音や機銃掃射や対空砲の発射音。それらは映画館の画面と音響で味わうべきです。
 細部まで描き込まれた食べ物や天井の模様、野原の野草たちや生き物の描写。細密画のように細部まで再現された当時の建造物や戦艦、戦闘機などのメカ。これらは大きな画面で見るべきです。
 これらのことは、そのままこの映画における重要なこだわりであり、映画の成否を分ける部分でもあります。それだけに映画館で観る価値があると思います。(DVDが出たら、それはそれで画面を止めながらじっくり見るのもいいかもと思いますが・・・)

<片渕須直>
 この映画の監督であり、脚本家でもある片渕須直 Sunao Katabuchi は、1960年大阪生まれ。(僕と同じ年です!)日大の芸術学部映画科を卒業後、宮崎駿が参加したテレビ・シリーズ「名探偵ホームズ」の脚本・演出補としてデビュー。世界名作劇場「名犬ラッシー」(1996年)で監督デビュー。(このシリーズは僕も好きでした)
 2001年、映画「アリーテ姫」で劇場用アニメ映画の監督・脚本家としてデビュー。
 歴史考証や現地調査などを丹念に行い、それを画面の細部に生かすこだわりの作風は、片渕監督最大の特徴かもしれません。そして、彼のその才能が生かされたのが、2作目の劇場用映画「マイマイ新子と千年の魔法」でした。

「マイマイ新子と千年の魔法」 2009年
(監)(脚)片渕須直
(原)高橋のぶ子
(キャラデザイン)辻繁人
(演出)香月邦夫、室井ふみえ
(画面構成・作画監)浦谷千恵、尾崎和孝
(美)上原伸一
(音)コトリンゴ
(声)福田麻由子、水沢奈子、森迫永依、本上まなみ

 2009年の作品「マイマイ新子と千年の魔法」は、想像力豊かな主人公が日常の暮らしの中で、ごくごく自然に千年前、平安時代の住人たちや妖怪たちを登場させる物語でした。この作品の舞台は山口ですが、こちらも実に丹念に当時の街並みが再現されています。
 日常と非日常をごく自然に行き来し、融合させる主人公の能力は、「この世界の片隅に」のすずさんと同様で、それがこの作品のテーマとなっています。

「かつて子どもだった自分にとっては、生活のすべては遊びでした。この映画で、新子と貴伊子の間に友情を結ぶ架け橋となるのは、『想像力』です。それはゴッコ遊びそのものなのかもしれません。友だちとは、毎日の遊びを共有できる仲間のことなのです」
片渕須直

 彼はこの映画についてのコメントとしてパンフレットにこう書いています。

「この映画は「児童映画」なるものを取り戻そうとする企みです」

「『児童映画』とは、子どもが独自の価値観を持って『大人』や『大人の社会』なるものを相対化してしまう『子どもなりのしぶとさ』であるべきなのでした」

 「マイマイ新子と千年の魔法」は、公開当初まったくの不入りで上映が短期間で終了してしまうという厳しい状況に追い込まれました。しかし、一度見た観客やアニメファンの間で再評価と再公開の動きが広まります。その後は口コミでじわじわと話題になり始め、海外の映画祭などでも高い評価を得ることになり片渕監督の名前は海外にまで知られるようになります。
 ラピュタ阿佐ヶ谷でのアンコール上映会の監督挨拶をDVDの特典映像で見ましたが、監督の涙にこっちももらい泣きしてしまいました。良かった、良かった!この時の成功がなければ、今回の映画も世に出なかった可能性がありますし、クラウド・ファンディングの成功もなかったかもしれません。

「この世界の片隅に」 2016年
 前作が好評だったとはいえ、次の作品には製作にかかるまで、再び長い時間を要することになります。物語の現場となる広島、呉での現地調査などに5年の歳月をかけた後、パイロット・フィルムを製作。それをネット上で公開することでクラウド・ファンディングによって、最大のネックだった製作資金を調達することに成功します。こうしてこの作品はなんとか製作にこぎつけました。そして、7年後、ついに第三作となる長編アニメ映画「この世界の片隅に」が公開されることになりました。

 結局、最初に原作を読んだ時に、すずさんみたいな人の上に爆弾が降ってくるようなことが可哀想で仕方がなかったんですよ。で、その時に、これを絵空事じゃないものにしたいと強烈に思ったんです。一番大事なことは、すずさんという人が本当にいる人なんだと、僕ら作り手たちが完全に信じ切って作らないといけないと。
 だから、それを実現するための手立てが、ここまで話してきたように、第一には時代や風土を徹底的に考証して背景やシーンに落とし込むということであったし、第二にはこれまでの日本のアニメーションとは違う動かし方で、自然な日常感を出すということだった。
 そして第三の柱に、やはり内面にすずさんと共通しているものを持ってる役者さんに、すずさんを演じてもらうことが必要だと思っていました。

片渕須直

 この映画の完成を前に最後まで決まらなかったのが、すずさんの声を誰にするかでした。ぎりぎりまでオーディションを行いながら、これだという声優が見つからず、完成を目の前にして、元能年玲奈こと、のんさんのスケジュールが上手く合い、滑り込みで彼女がすずさんの声を演じることになりました。
 吹替えを前にして、「マイマイ新子と千年の魔法」を参考として見た彼女はこう言ったそうです。
「すずさんというのは、新子ちゃんみたいな子供心をずっと抱えたままお嫁に来てしまったことを痛みとして抱えていて、なおかつそれが戦争によって踏みにじられてしまったという話なんですね」
 最後にすずさんの声に「のん」さんが決まったことで、この作品は傑作とのなるべく準備は整ったのでした。

 「マイマイ新子と千年の魔法」の主人公が、日常と非日常をつなぐ存在だったのと同様、すずさんもまた「絵」によって非日常とつながる少女でした。しかし、彼女は「結婚」と「戦争」という日常に取り込まれるように、非日常とのつながりを失ってゆくことに失ってゆくことになります。
 悪夢のような「戦争」という「日常」は、映画を見る観客にとっては「非日常」そのものですが、すずさんには抜け出すことのできない「日常」となります。「平和」から「戦争」、「日常」から「非日常」への変化は、人々が知らないうちに少しづつ進んでいました。観客もまたすずさんと同じように少しづつ戦争という非日常に引き込まれてゆきます。
 「日常」から「非日常」への入り口を様々な手法で描くのが、この作品の見どころです。
 すずさんが描く様々な「絵」はその入り口です。
 さぎ、白兎、空を舞うタンポポ、夕焼けの街、丘から見下ろす港・・・様々な生き物たちや風景は、時に写実的に、時に絵本のように、そのスタイルを変えます。
 そうした優しい「絵」と対照的なのが、すずさんが時限爆弾の爆発に巻き込まれる場面。フィルムに直接刻んだ傷のような表現方法は、アニメーションの原点でもある手法で強烈なインパクトがあります。
 「アニメーション」という表現方法は、リアルな実写映像と違いそこには「デフォルメ」や「強調」がなされ、観客はそれを自らの頭の中で再構築したり、補完しながらそれぞれのリアルな物語を作り上げます。そのため、アニメにおける絵的な表現方法は、それにより異なる世界や異なる感情を描き分けることが可能になります。
 ただし、そこからリアルへ日常へと観客の心を戻すためには、その背景となる家や街並みはリアルにこだわる必要があります。

 手をつなぎ、料理を作り、手を振り、縫物をし、掃除をし、水を汲むことで、日常を生み出していたすずさんの右手。右手という魔法の世界への入り口を失い、その導き手だった姪っ子の晴美ちゃんをも失ったことで、すずさんは「戦争」という悪夢の日常にとじ込められてしまいました。
 悲しくてやりきれない、その状況から彼女は逃げ出すことができるのか?

「すずさんは、自分の中身が空っぽであることが表に出るのが恐いんだと思う。けれども、空っぽに見える心の中の部屋にある床下を開けると、すっごい豊富な宝物がいっぱいあることに気が付いていなくて、そこがすずさんの痛みというより痛さなんじゃないか。そこにアプローチできるのは、すずさんが右手で絵を描く時だけなんだ」
片渕須直

 あなたにとっての魔法の入り口は何ですか?
 この作品では、誰もがそれぞれの立場で、自分自身の日常から同じ目線ですずさんの人生を体感することができます。

 物語のラストで、すずさんは自分には作ることができなかった子供を拾います。そこで彼女は、どう「母親」として振る舞えるかという課題に直面する。僕はレコーディングルームにいたのんちゃんに「ママになれ」と声をかけることになりました。そこにはもう、23歳になったのんちゃんも、20歳ぐらいのすずさんという人もいなくなって、「お母さん」になった人が出現するはずだ、と。
片渕須直

 この作品は、「反戦映画」でもなく、「反核映画」でもありません。だからこそ、この作品は時代を越える「普遍性」を持つことが可能になったのです。すずさんが生きた時代は、千年前の平安時代でもいし、大阪万博開催中の大阪でもいいし、バブル絶頂期の六本木でもいいし、ニシン漁が華やかなりし時代の小樽でもよかったのです。どんな時代でも、どんな土地でも、その世界の片隅にすずさんは、きっといるはずです。

 私には、すずさんの「生活することで戦う」というニュアンスのいセリフから、戦争に対して怒りを抑えている人だということが伝わってきました。だから戦争に負けたと認識した時に、理性させてしまう。
のん

「ありがとう。この世界の片隅に、うちを見つけてくれて」
この言葉があれば、もう映画の解説はいらないかもしれません。素敵すぎる一行です。

「この世界の片隅に In This Corner of the World」 2016年
(監)(脚)片渕須直
(原)こうの史代
(企)丸山正雄
(監補・画面構成)浦谷千恵
(キャラデザイン・作画監)松原秀典
(美)林孝輔
(音)コトリンゴ
(プロ)真木太郎
(声)のん、細谷佳正、小野大輔、尾美美詞、稲葉葉月、潘めぐみ、岩井七世、牛山茂、小山剛志、新谷真弓、京田尚子
<あらすじ>
 広島に住むすずさんは、絵を描くことが大好きな少女でした。太平洋戦争が始まり、少しづつ平和だった世界が暗くなって行く中、彼女は呉にお嫁入りすることになります。見知らぬ街に住み、まだ幼さの残るすずさんは、寂しい思いをしますが、夫の優しさ、義理の両親の心づかいのおかげでつつましくも幸せ日々を送り始めます。
 しかし、戦況が悪化し、軍港として戦艦大和などがいることから、呉の街は米軍の爆撃目標となり、ついには街が焼け野原になってしまいます。毎日のように防空壕に逃げ込む日々に少しづつ家族は消耗し、すずさんもその明るさを失い始めます。それでも、日々の暮らしを続けることに目標を見出していた彼女でしたが、爆弾によって、彼女にとって最も大切な右腕と、守っていたはずの姪っ子を奪われてしまいます。そして、彼女の両親や家族が住む広島に原子爆弾が落されます。
 1945年、終戦となり彼女は夫と共に戦争を生き延びますが、心に残された深い傷は癒えるのでしょうか?

邦画名作劇場へ   トップページへ