越境者と共に旅をした波乱の記録と彼らの未来


「イン・ディス・ワールド In This World」

- マイケル・ウィンターボトム Michael Winterbottom -

<「ロード・ムービー」の傑作>
 この作品もまた「ロード・ムービー」の傑作です。「旅」を記録した映画というだけでなく、「旅をしながら作った映画」としても「ロード・ムービー」と呼ぶに相応しい作品といえます。映画を作るという行為は、旅に似ていると言ったのは、フランソワ・トリュフォーですが、目的地と撮影期間は決まっていても、その間に何が起きるかはまったくわかりません。
 そして、この映画は少人数のスタッフが二人の俳優と共に旅をしながら、それぞれの撮影地で現地の素人を俳優として採用しながら製作されました。彼らは、事前のロケハン・ツアーも含めて、旅で得た経験やエピソードを物語に盛り込むことでリアルでありながらドラマチックな展開を実現。観客を旅に擬似的に参加させることに成功しています。ただし、その旅はけっして楽しいものではなく、時には命がけであり、旅の終わりが幸福である保証もありませんでした。この映画を今再び見ると、主人公のその後のことを思わないわけには行きません。なぜなら、彼らの未来に現在のロンドンの状況を重ね合わせずにはいられないからです。

<より深みを増す世界状況>
 この映画の詳細については知らないまま見たのでスリル満点のサスペンス映画として見られました。しかし、この作品は、15年以上たって見ると古さを感じさせないどころか、より深みを増して見えてきます。それは、イスラム圏の状況がその後より深みを増しつつあるからです。
 2017年5月にイギリスで起きたアリアナ・グランデのコンサート会場における自爆テロ事件。その犯人はイラクからの移民青年でした。彼もまたこの映画の主人公ジャマール少年と同じようにロンドンに逃れてきたわけですが、その後、どんなことがあってイギリスを憎むようになったのでしょうか?イギリスでの生活に失望し、西欧社会の崩壊を望むようになったのでしょうか?
 そんなことを考えずにこの映画を見ることはできませんでした。この映画の主人公の旅はロンドンに着いて終わるのではなく、そこからが本当のスタートだったのだと思えてきます。
 この映画で主人公を演じたジャマール少年は、無事にロンドンへの密入国に成功した後、実際にイギリス政府に難民申請を提出しますが却下されました。それでも、特例として18歳までの在留は認められたもののそれ以降は、旅の出発地であるパキスタンに送還されることになったといいます。そのうえ、元々アフガニスタンから難民として逃れてきた彼は、パキスタン政府によりアフガニスタンに送還される可能性が高いといいます。しかし、彼自身はパキスタンの難民キャンプで生まれていて、アフガニスタンにはまったく身寄りがありません。そうなると、彼がアフガニスタンでどうやって生きて行けるのか?それは彼への死刑宣告にも思えます。いや、それがきっかけとなって彼はISのシンパになってしまうのではないか?そんな不安も感じます。
 彼にとって、映画への参加は不幸への旅になってしまったのではないか?これもまた「憎しみの連鎖」の新たな形にならないのか?
 そんなことを考えると、本当にこの映画は深く暗い闇を感じさせてしまうかもしれません。でも、かろうじて彼はISのテロリストにはならないと僕には思えます。それはこの映画における彼の体験は、映画の主人公とは違い「幸福な体験」だったと思えるからです。(この映画のDVDには、そんな撮影の現場も記録されています)
 この作品は映画に関わったスタッフ全員による「旅日記」でもある、と監督がインタビューで語っていたように、この映画は撮影チームが一丸となって作り上げた映画です。そして、ジャマール少年はその一員として生き生きと輝いているのです。その暖かな思い出は彼の心に深く刻まれているはず、そう僕は信じたいのです。ちょっと甘い考えかもしれませんが・・・。

<国境を越える旅の始まり>
 ジャマール少年と従兄のエナヤットによるロンドンへの旅は、2002年の年明けに始まりました。
 アメリカで9・11同時多発テロ事件が起きたのが2001年ですが、そのきっかけのひとつとなったのが米空軍によるアフガニスタンへの空爆でした。しかし、この空爆以前、1979年にソ連軍がアフガニスタンに侵攻してからのアフガニスタンの長きにわたる内戦と混乱によって、すでに多くのアフガニスタン人が難民としてパキスタンに逃げ込んでいました。そんな難民の家に生まれたのが、ジャマール少年でした。母国を空爆している国であるアメリカに行きたいと願う彼は、英語を身につけ、従兄のエナヤットと二人両親が貯めてくれたお金を使ってロンドンへの非合法の旅に出発します。
 旅のお膳立ては、実際に映画にも出演しているブローカーが行いましたが、そのシステムもよくできています。ブローカーへの支払いは、半分だけ行われ、残りの半分は第三者の立会人に預けられ、旅が終わり無事に目的地に着いたという連絡が届いたら、最終の支払いが行われることになっているのです。そんなよくできた仕組みがあるものの、旅の途中には様々な怪しい関係者が登場しハラハラさせてくれます。彼らは余計に宿泊費を払わせたり、工場で働かせたり、と見ていても心配になります。

<ペシャワールから>
 国境を越える旅の始まりはパキスタン北部の街ペシャワールです。そこからバスに乗った二人はイランへの密入国を試みます。映画の撮影を行うといっても、二人には国境を越えるための正式な書類はありませんでした。(ここがこの作品の一番重要なポイントかもしれません)そこで映画のスタッフは国境警備の隊長と交渉を行い、映画撮影のために特別許可を与えてくれるよう説得を試みます。そこで隊長が出した交換条件は、意外なことに自分を映画に出演させろというものでした。そして、彼はバスに乗り込んで車内を捜索し、二人の不正を見破って強制送還した係官を演じることになりました。(なかなかの名演技だと思いますが、その後彼におとがめはなかったのでしょうか?)
 ブローカー役の俳優といい、この国境警備の係官といい、この映画には実際に映画の中で演じる役を本職とする人々が数多く出演しています。(主人公や撮影スタッフも含めて)そのおかげで、監督はほとんど演技指導をする必要がなかったようです。これもまた究極のリアリズム演出です。

<クルドの人々>
 この作品を見て多くの人は、同じイスラムの国でも、言語や文化、民族がずいぶん違うことに気づかされるはずです。イランに入国した二人は、密入航者と疑われないようにと服装をイラン風に変えさせられます。それに言葉もまったく通じない場合もありました。国を持たない遊牧民のクルド人とも、まったく言葉が通じないのですが、彼らとの交流はこの映画の中で最も心温まるものです。どうやら、お互いを理解し、助け合うためには、「共通言語」はそれほど重要ではないのかもしれません。
 イランからトルコへと密入国するために、二人はトルコ東部の山岳地帯を越える厳しい旅に挑みます。その前にその地域に長年住み続けているクルド人の村ヤク―で二人は山越えの準備をすることになります。
 「クルド人」というのは、トルコ、イラン、イラクに分かれて生活する遊牧民の名前です。彼らは昔からどの国でも迫害されていて、トルコでは独立運動が長い間続いています。(映画「路」参照)もともと三つの国をまたいだ地域に住んでいた彼らにとって、国境は後から勝手に作られたものでしかありません。そうした迫害される立場にある民族だからこそ、クルドの村人は二人の越境者に対し優しく接してくれたと考えられます。この映画の中で、ヤク―の村での数日間ほど二人にとって安らかな日々はなかったのではないでしょうか。
 こうして、二人はクルドの人々に助けられ、トルコとの国境地帯の雪山を越えることになります。旧約聖書の「ノアの箱舟」が洪水が引いた後にたどり着いたとされるアララト山(5137m)を中心とするトルコ東部の山々は3000m級の山が連なる高地で冬は雪にしっかりと覆われます。そんな山をスニーカーで越えるのですから、中にはそこで凍死する越境者もいるはずです。国境警備隊も怖いでしょうが、それ以上に雪の方が恐ろしいはずです。(この地域を舞台にしたトルコの小説「雪」も参照)
 こうして二人が辿り着いたトルコ東部の街ヴァンは、昔僕がトルコを一人で旅した時に行ったことがあります。僕が行ったのは夏でまるで北海道の夏のように爽やかだったことを覚えています。そして、ここから彼らがイスタンブールへと向かうバスの旅は、僕がたどったルートとほぼいっしょだと思います。一本道が延々と続く長い長いバスの旅の始まりです。

<危険な船旅>
 トルコ西部ヨーロッパとの境界に位置するイスタンブールから彼らはトラックのコンテナに閉じ込められ、そのままイタリア行のコンテナ船に乗せられます。明かりも窓も食料も水もないコンテナの中で彼らは何日を過ごすことになったのか?イタリア東部トリエステの港に着いた時、船のコンテナに閉じ込められていた密航者のほとんどは命を落とし、エナヤットも死んでいました。
 もともとこの映画を撮るきっかけとなったのは、二人と同じようにイギリスに向かおうしてコンテナ船に押し込められてた中国人58人が死亡した事件を知ったことだと監督のマイケル・ウィンターボトムは語っています。
 生き残ったジャマールは、一人で旅を続けます。トリエステから近い観光地ヴェネチアの街で物売りや万引きをしながらお金を稼いだ彼は、パリへと向かい、その後、イギリスの対岸に位置するフランス北岸の難民キャンプ、サングトにたどり着きました。しかし、ここから先、ロンドンに行くには海を渡らなければなりません。どうやって、彼は海を渡るのでしょうか?

<手持ちカメラでの撮影>
 この映画は、手持ちの小型ビデオカメラを使用することで実現したともいえます。まるで観光客が旅先の風景を撮影しているようにして、様々場面がごく自然に撮影されているのです。警官や兵士たちも、まさか劇場用の映画が撮影されているとは思わなかったはずです。これにより、違法な越境者のドキュメンタリーがごく自然に撮影されただけでなく、演技については素人の俳優陣もまたいつものように仕事をしているうちに撮影されることになりました。まさに一挙両得の作戦です。
 映画の歴史において、様々な旅の風景が描き出されてきましたが、本物の密入国者を使ってドキュメンタリーではなくフィクションのドラマとして越境の現場を撮影した作品というのは珍しいはずです。
 旅とは、目的地に着くための「過程」ではなく、その旅自体が新たな人や景色との出会いの「体験」なのだと僕は思います。この作品の主人公であるジャマール少年にとって、この映画の中の旅はアフガン難民としての暮らしから脱出するために必要な通過地点に過ぎなかったはずです。
 しかし、この映画の主演俳優であるジャマール君にとっての「この旅」は、「自由」を得るために必要な手段であるだけでなく、必要不可欠な人生の栄養であり、思い出であり、心の支えだったはずだと信じたいのですが・・・彼の未来はどうなったのか?

「イン・ディス・ワールド In This World」 2002年(イギリス映画)
(監)マイケル・ウィンターボトム
(製)アンドリュー・イートン、アニタ・オーヴァーランド
(製総)クリス・オーティ、デヴィッド・M・トンプソン
(脚)トニ・グリゾーニ
(撮)マルセル・ガイスキンド
(音)ダリオ・マリネッリ
(出)ジャマール・ウディントン・トラビ、エナヤトゥーラ・ジュマティン
2003年度ベルリン国際映画祭金熊賞
<追記>
 この文章を書いている間にも、ロンドンでは再び7人が亡くなるテロ事件が発生しました。(2017年6月4日)
 ヨーロッパ各地で起きるテロ事件に出口は見えるのか?
 映画は何を描くべきなのか?

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