「イントゥ・ザ・ワイルド INTO THE WILD」 2007年

- ショーン・ペン Sean Penn 、ジョン・ミュア John Muir -

<誰もが感動できるとは限らない、しかし>
 この実話をもとにした映画は、誰もが感動できる作品ではないかもしれません。自らの死に向かって突き進んでいるとも思える主人公の旅に共感できるかどうか。それによって見方は大きくかわってくるでしょうから。「自然」「冒険」「旅」が好きな人でなければ、「単なる自殺願望の若者による無銭飲食の旅記録に過ぎない」そう思えるかもしれません。幸い、僕にとってはかなり共感できる作品でしたが、ドラマの舞台アラスカもまた僕にとって身近な土地でした。
 主人公がアラスカで命を落としたのが1992年のこと。偶然ですが、僕はその翌年の1993年にアラスカを旅していました。その旅はシーカヤックにテントなどの装備を積んでザトウクジラを見ながらキャンプをするというものでしたから、彼の歩いた山の中の旅とは違いました。しかし、途中で無人島の森の中を散歩しながら熊の足跡を見つけたり、食べられる木の実を試食してみたりと海以外の体験も多く、アラスカの手付かずの大自然に感動させられてきました。そのスケールの大きさ、自然保護活動の徹底ぶり、そして紙一重のところにある危険を直接身体で感じられたことは、インドやトルコなど混沌とした人との出会いの旅とは異なる強烈な印象を僕に与えてくれました。
 トルコやモロッコを一人で旅していて、危険に遭遇したり、お金を騙し取られたり、体調を崩して途方にくれることが何度もありました。でも旅から帰ると疲れてはいても、そんな悪い思い出はすぐに忘れてしまい、また出かけたくなる。旅や冒険が好きな人なら、「もしかすると、ここから先に行くと危険かもしれない」そう思ってもついつい先を目指したくなる、そんな気持ちはわかるのではないでしょうか。
 これまた若かりし頃、シーカヤックに乗って、一人で海に出て死にそうになったことがあります。行きは天気も波もおだやかだったのですが、帰りが逆風になりかなり危険な海に変わっていました。カヤックを置いて、車のあるところまで歩いて行くことも可能でした。しかし、なぜか僕はその危険な海に漕ぎ出してしまいました。本当は危険を前にして、それをあきらめる勇気こそ大切なのですが・・・・。そのときほど、死を意識して必死に何かをしたことはなかったかもしれません。アドレナリンの高まりはたぶん普段の自分ならありえない力を発揮していたのでしょう。その時、充実感と生きているという感覚はちょっと怖いくらいでした。それは、ある意味「究極の自由」を獲得した瞬間だったのかもしれません。普段、誰よりも臆病者の僕ですらそう思うのですから・・・。だから冒険はやめられないのでしょう。
「人生において必要なのは、実際の強さより強いと感じる心だ。一度は自分を試すこと。一度は太古の人間のような環境に身を置くこと。自分の頭と手しか頼れない苛酷な状況に一人で立ち向かうこと」

 映画の中のこの言葉が、まさにこの映画のテーマを言いえています。

<スーパートランプとジョン・ミュア>
 この映画の主人公クリストファー・ジョンソン・マッカンドレス(アレグザンダー・スーパートランプ)は、父親の家庭内暴力や正式な夫婦ではない両親の秘密などを知り、家を出る決意を固めました。大自然を賛美する彼の放浪の旅は、人間への不信だけでなく人類が築いてきた文明すべてに対する不信となり、ついには自らのもつ財産や家族、名前などのすべてを捨て去ってしまいます。それはかつて修道師フランチェスコがすべての財産を捨てて神のために生きると誓った聖者としての生き様を思い出させます。(映画「ブラザー・サン・シスター・ムーン」や「フランチェスコ」などで描かれています)
 しかし、もうひとり、彼の生き方に近かった人物がずっと昔にいました。アメリカにおける自然保護運動の元祖であり、世界中を旅した偉大な冒険家でもあるジョン・ミュアという人物です。彼は自然を愛した作家ラルフ・ウォルド・エマソンと会った時、こう語ったそうです。
「私は自分の本能に従い、良かれ悪かれ自分自身でいようと思う。そして、その結果をみようと思う。生きているかぎり、滝の音と、鳥のさえずりと、風の歌を聴こう。岩の話を聞き、洪水や嵐やなだれの言葉を学んでいこう。氷河と自然のままの野山に精通して、できるかぎり地球の心に近づこう」

<ジョン・ミュアの旅>
 1838年にイギリスのスコットランドで生まれたジョン・ミュア John Muirは、家族とともにアメリカに移住。異常なまでに厳格な宗教家の父親のもとで過酷な開拓生活を強いられた彼は家を出て独力で大学に入学します。その後、前述のエマソンの著書「自然 Nature」に感動した彼は一人で放浪の旅に出ます。(その直接の原因は、兵役を逃れるためだったという説もあります)彼は途中、製材所で働き出しますが、そこが火事で焼けてしまったため、仕方なく大都会インディアナポリスの工場で働き始めます。ところが、そこで目を怪我して失明の危機に見舞われてしまいます。なんとか彼は視力を回復しますが、長いリハビリ生活が続く中、読書をしながら自然の美しさとその保護の必要性について学び、再び旅に出る決意を固めました。
 南への旅に出た彼は、今まで見たことのなかった南部フロリダの美しい自然と南北戦争が終わったばかりの悲惨な風景を見た後、西へと向かいカリフォルニアのヨセミテ渓谷にたどり着きます。しかし、その土地の美しい手つかずの大自然に魅せられた彼はそこに8年間住み続けることになりました。そして、その土地の成り立ちを調べ始め、そこがかつて氷河によって削り取られてできた場所であることに気付きます。科学的に証明できるよう調査を行った彼は、彼の能力を理解してくれる人々の協力もあり、それを論文として発表。科学者として評価されるようになります。この後、さらなる未開の自然を求めて彼はアラスカへと向かう旅に出ます。それはアラスカがアメリカによってロシアから買い取られたばかりの頃でした。(1881年)
 この映画の主人公がアラスカを旅する100年以上も前、同じように家出から始まった放浪の果てにアラスカへと到達した人物がいたのでした。時代は変わってもなお、青年とは荒野へと向かうものなのかもしれません。ただし、ジョン・ミュアの人生はここから先がまだまだありました。
 彼は42歳にして結婚します。ヨセミテだけでなくアメリカ各地の自然林を国立公園に指定し保護する運動を立ち上げます。そうして開発によって失われゆく自然の森を守るため、自然環境保護運動の指導者として活動してゆくことになります。その母体となった自らが中心となって設立したシエラ・クラブは、現在までその活動を続ける世界的な環境保護団体となり、世界各地にその支部があります。さらに彼はアメリカだけでなく海外にもその活動範囲を広げ、ヨーロッパ、シベリア、ヒマラヤ、インド、エジプト、オーストラリア、ニュージーランド、中国、フィリピン、日本などを旅した後、アマゾンやチリ、アフリカにまで足を伸ばし、まさに世界中を旅した最初の環境保護活動家兼冒険家となりました。
 彼は森林を破壊する人々についてこう語っています。
「神殿破壊者たちは・・・・・自然を尊ぶ気持ちがまったくなく、全能の神が造りたもう山々を見上げているときは、実は『全能のドル』を仰ぎみているのだ」

<もしかすると彼も・・・>
 もしかすると、この映画の主人公もアラスカの大自然の厳しさを生き延び、無事にそこから生還していたら・・・あの葉っぱの見間違えさえなかったら・・・。その後はジョン・ミュアのような大自然に恩返しをするための人生を歩んでいたかもしれません。彼も知っていたかもしれませんが、1989年アラスカ沖で大型タンカーの座礁事故があり、大量の原油が生みに流れ出し多くの生物が油まみれになって死んでしまうという事件がありました。海鳥たちやアザラシたちが真っ黒な油にまみれている悲惨な映像は、世界中に衝撃を与えたことを憶えている方も多いでしょう。アラスカもまたその美しい大自然を失う可能性があることに世界中が思い知らされたのが、ちょうどこの頃だったのです。(実は僕が参加したシーカヤック・ツアーのガイドの一人は、その事故の時、原油除去の作業にあたったチームの責任者だったと聞かされました)
 人は長く生きてこそ、多くのことを知り、幸福とは何かを体験によって知ることができるものです。この映画の中にも以下のようなトルストイの言葉が出てきます。
「私は長いこと生きてきた。幸福のために何が必要か分かった。田舎での静かな隠遁生活だ。
 人々の役に立つこと、人によくするのは簡単だ。人々は皆、親切に慣れていない。
 人の役に立てる仕事をすること。それから自然、書物、音楽、隣人への愛。それが私の幸福の概念だ。
 そして最も必要なのは、きっと人生の伴侶と子供への愛だ。他に何を望めよう」

トルストイ著「家庭の幸福」より

 主人公はこうも記しています。
「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合った時だ」

 妻、子供、両親、友人・・・・・誰かがそばにいて見守ってくれること、それだけで幸福は訪れる。彼もまたそのことを理解してはいたのでしょう。そんな人生の真理は、本を読めば書いてあることではあります。しかし、それを読んだだけでは納得できないのが、「若者」であり、それを確認するのが「青春」という時期なのでしょう。
「愛よりも、金銭よりも、信心よりも、名声よりも、公平さよりも、真理をくれ」
 これはジョン・ミュアも憧れていたアメリカを代表するナチュラリスト、ソローの言葉です。

<観客を引き込む演出>
 この映画における人生の真理を求める主人公の旅が死に向かっていることは、映画の結末を知らない人でも予想できるでしょう。しかし、死へと歩むその旅は、けっして暗いものではなく喜びに満ちていたことも、映画の中でしだいに明らかになってゆきます。「死」という最悪の結末を迎えるにも関わらず、その旅を追体験することは観客にとってけっして「苦行」ではなく「喜び」でなければならない。監督のショーン・ペンは、この映画の勝負どころでもあるそのことを描き出すのに成功しています。そしてもうひとり、その功労者の一人は映画「モーター・サイクル・ダイアリーズ」でも撮影を担当していたカメラマンのエリック・ゴーティエです。彼が写し取ったアラスカを初めとする美しい風景は、かつてジョン・ミュアが愛し、その保存運動に生涯をささげたアメリカの原風景そのもののはずです。誰も見たことのない自分だけの風景と出会った時、生きていることを実感するのと同じように、人と喜びを分かち合う瞬間にもまた生きている実感が得られるということを、主人公は旅の途中で少しずつ知ることができました。たぶん彼はその死の瞬間、社会へ、家族のもとへと帰る心の準備ができていたのでしょう。彼の心の中では、その時点で物語りはひとつのハッピーエンドを迎えていたのかもしれません。そう願いたいものです。
 この映画の死へと旅立つ瞬間の主人公の映像を見ていて、ついこの間見た「チェ39歳別れの手紙」を思い出しました。チェ・ゲバラの人生を追った二部作もまた「死」というゴールへと向かう悲劇の英雄の人生を追体験する作品でした。前半部にはキューバ革命の成功や国連での反米演説など、彼の輝かしい人生が描かれていましたが、後半部はあらかじめ決められたボリビアでの処刑場面へと向かう苦難のゲリラ戦が再現されています。そのほとんどは、飢えと渇きの連続であり、裏切りによって追い詰められる苦難の連続でした。それだけに、彼の死の瞬間、多くの観客はチェの死に対し、安堵しご苦労様と言いたくなったのではないでしょうか。
 人生の終わりに自分も、そして周囲の人も、誰もが「よくやったね、お疲れ様でした」そう思える人生を歩みたいものです。

 それにしても、世の中、もっと生きていて欲しい人間ほど早死にしてしまうものです。「死にたい」、「生きていたくない」そう今思っている人ほど、もっともっと生きるべきなのに・・・・・。
「書を捨てよ!街に出よう!」と言ったのは寺山修司でした。五木寛之は「青年は荒野をめざす」と書きました。人生、生きていれば、願っていれば必ず何かが起きるものです。

「山に登って、そのすがすがしい大気に触れよう。自然の平和が木々に流れ込む日光のように、あなたの体内に流れ込むだろう。風はその爽やかさを、あらしはそのエネルギーを、あなたに吹きつける。すると、心配事が秋の枯れ葉のように落ちていくだろう」
ジョン・ミュア

「ひざまづいていては自由になれない
 空のグラスを高々とかかげて、どこへ行こうと自分らしくいよう
 自由でいるために、誰もが少しずつ人生に囚われ、家族でさえ見知らぬ存在に多くの疑問への答えに迷う
 そして日々は続く
 僕を縛らないで、旅に出るのだから
 はるか彼方に僕を呼ぶ地がある
 心残りなのは、ただひとりだけ家で待つ君
 出会う人は誰も檻の中で生きている
 そんな人たちは僕を理解できない
 憤りはあるけれど純粋に思考する
 僕は生きている
 髪に風を感じ自然の中を行く
 見失った道を取り戻すために、夜の闇にまぎれ木々が歌っている、僕の頭上で僕で
 僕に構わないで、道は見つける
 永遠に軌道を回る衛星のように
 新しいルールで生きていこう
 ゆるぎなく」

エディ・ベダーによるエンディング・テーマより

「イントゥ・ザ・ワイルド INTO THE WILD」 2007年公開
(監)(製)(脚)ショーン・ペン Sean Penn
(製)アート・リンソン、ビル・ボーラッド
(製総)ジョン・J・ケリー、フランク・ヒルデブランド、デヴィッド・ブロッカー
(原)ジョン・クラカワー「荒野より」
(撮)エリック・ゴーティエ
(編)ジェイ・キャシディ
(音)マイケル・ブルック、カーキ・キング、エディ・ベダー
(出)エミール・ハーシュ、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ウィリアム・ハート、ジェナ・マローン、キャサリン・キーナー、ハル・ホルブルック

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