- 伊藤壇 Dan Ito -

<一年一カ国の男>
 一年一カ国を目標に世界各地のサッカー・チームを渡り歩いている選手がいる。その話を聞いたのはいつだったのか?
 以前、チェ・ゲバラの自伝を読んだ時、彼が青春時代、南米縦断旅行中にセミプロ・サッカー・チームに入って旅費を稼いだというエピソードがありました。ナオト・イン・ティライミが世界一周をしている最中にサッカーが大いに役に立ったという話もあります。
 サッカーが上手くて、ギター一本で歌が歌えたら、たぶん世界中どこに行っても喰うに困ることはないだろうと思います。(今なら和食の料理ができれば、文句なしでしょうが・・・)
 しかし、サッカーのプロ選手として実績をあげながら、なおかつ一年ごとに異なる国のチームに移籍している男がいるとは!
 日本のサッカー・レベルの向上は、日本のサッカー文化の向上につながり、そこから新たな日本人の生き方も生まれるかもしれない。そう思っていましたが、サッカーで世界を旅するという冒険を実行している人が現われていたとは・・・ちょっと驚きでした。これは、功なり名を成し遂げた中田選手の「自分探しの旅」とは根本的に違うものです。これは「日本人」ならではの冒険だと思います。
 考えてみると、サッカーが上手いだけでは、この冒険は不可能です。上手すぎる選手は世界ランク150位以下のチームに入ってプレーすることに満足できないはずです。かといって、実力がある程度はなくては、チームとの契約はできないし、試合にも出してもらえないでしょう。ほとんどの国には、外国人枠が存在するので、簡単に採用されるわけではないのです。さらには、どの国に人種、宗教的な差別が存在します。(日本以上に厳しい井可能性もあるでしょう)したがって、そうした問題にも耐えられるメンタル面の強さもなければならないでしょう。
 外国人枠で出場するからには、どんな国に行っても、その国のメンタリティーに合わせてチームに溶け込み、主軸として活躍しながらメンバーに指示できるだけの指導力も求められるでしょう。サッカーに言葉はいらないとはいいますが、技術的、戦術的にチームをリードするためには言語の習得も必要になるはずです。

<日本人のメンタリティー>
 昔、僕が海外を旅していた時、その土地の人によく聞かれたのは、「アメリカ人はグループで旅をしている。ドイツ人はカップルで旅をしている。なのになぜ日本人は一人で旅をしているのか?」というものでした。
 確かにインドやトルコ、モロッコなどを旅していると、一人で旅をしているのは、日本人かオージー(オーストラリア、ニュージーランド)が多かった気がします。当時、日本人の団体旅行は有名でしたが、その反対に一人旅する日本人も多かったのです。
 昔から日本人は「修行」が好きな国民でした。武道、茶道、華道、宗教だけでなく俳句、料理、陶芸、染物などから野球まで、様々な分野において、日本人はその技を習得するための「修行」に人生を捧げ、そのための「修行の旅」も好んできました。そんな国民性が一人旅というある種人生の修行時間を求めるのかもしれません。(僕もそんな感じで旅をしていました)

<サッカーの修行僧>
 伊藤壇というサッカー選手もまた、自らにあえて「一年一カ国でプレーするという苦行」を課した「修行僧」の一人といえそうです。自らの怠慢や間違ったエリート意識からJベガルタ仙台を解雇された時から、自分のサッカー技術向上以上に精神的な向上を目指す必要性を感じたからこそ選んだ道だったのかもしれません。
 日本のサッカーは確実にレベルアップし、ユースレベルやジュニアレベルのテクニックはたぶん世界でもトップクラスに近づいているのかもしれません。日本の小学生が、いきなりバルサにスカウトされる時代なのです。それだけ、日本のサッカー技術のレベルは底上げされているということです。
 しかし、技術的にはレベルが上がっても、それだけでは日本代表がワールドカップで優勝するにはまだまだ多くの事が足りません。それは本田と他の代表メンバーの差にも明らかに現われています。ロシアのチームという、他のヨーロッパ・リーグとは異なる環境で戦うことは、かなりのメンタル面の強さが求められたはずです。(ロシア人相手なので、もちろんフィジカルの強さも必要だったはずですが、あの国では人種差別も厳しいはずです)そうした海外の選手との差を埋めるために多くの選手が海外のチームに移籍しようとしているわけですが、成功した本田に比べると、まだまだ失敗して帰ってくる場合の方が多いようです。(平山、宇佐美、宮市など)
 伊藤選手の闘いは、将来日本人が見につけるべき海外での戦い方の基礎を作ることになるのかもしれません。もちろん、彼はそんなことを考えてプレーしているわけではないのでしょうし、彼の活躍が現在の日本代表チームのレベル・アップにつながるわけではありません。しかし、彼が切り開いた海外へのもう一つの道筋を歩み出す若者が増えてゆくことは、海外で戦う日本人サッカー選手のメンタル面の強さが底上げされることにつながるはずです。(実際、現在では伊藤選手の後を追うように多くの日本人選手が国境を越えています)
 歴史の浅い日本のサッカーが文化としてのレベルを急激に底上げてゆくためには、伊藤選手のような存在もまた必要だと僕は思います。たぶん本田や香川のように優れたプレイヤーの存在だけではだめな気がします。
 彼のような選手が活躍することで、日本のサッカー文化をアジア各国に広めることは、平和外交を重視する日本にとって、お金による単なる経済支援よりも有効なことかもしれません。平和憲法とサッカー文化を大切にする国として、世界をリードする国になってほしい。ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、伊藤壇というサッカー選手はそうしたスポーツ外交の先駆者として将来もっともっと高く評価されることになる気がします。

伊藤壇 サッカー年表
1975年 (1)日本 北海道札幌市に生まれる
登別大谷高校サッカー部で全国大会出場
仙台大学時代は目立った活躍はなく教員になるつもりだった
1998年 JFLブランメル仙台に入団
1999年 ベガルタ仙台で試合に遅刻し、チームを解雇される
2000年 北海道リーグ札幌蹴球団に入団
2001年 (2)シンガポール ウッドランズ・ウェリントンFCに入団
Sリーグ(シンガポール・リーグ)FIFAランク139位(2011年)
Jリーグをモデルにして1996年、8チームでスタート
2002年 (3)オーストラリア ブログで一年一カ国で10年かけて10各国まわると発表
ウェストゲートSC入団
(子供のためのサッカー・スクール・コーチと兼業)
Aリーグ(オーストラリア・リーグ)は2004年スタート
ウェストゲートは州リーグ所属のセミプロ・チーム
2003年 (4)ヴェトナム サザンスチール・サイゴン・ポート(現在のタンフォー・ホーチミンFC)
Vリーグ(ヴェトナム・リーグ)FIFAランク134位
1980年にサッカーリーグが誕生し、2004年にプロ化
(5)香港 傑志(キッチー)足球隊
香港ファースト・ディヴィジョン・リーグ FIFAランク156位
1908年発足のアジア最古のプロリーグ
2004年 (6)タイ オーソット・サパー
夏休み中のみのレンタル移籍で4試合出場
2005年 (7)マレーシア ペナンFA
Mリーグ(マレーシア・リーグ)FIFAランク151位
発足の1921年(イギリス領だけに歴史あり)
2004年から1部スーパー・リーグ(8)2部プレミア・リーグ(18)
スマトラ沖地震被災者のための募金活動を行い、「ミスター・ツナミ」というニックネームをもらう
(8)ブルネイ QAF FC
国王の甥がチェアマンで、キャプテンであり現役選手としても出場するチーム
4ベッドルームの家にお手伝いさんとポルシェ付き
食費、公共料金など無料
ブルネイ・プレミア・リーグ FIFAランク197位
2002年10チームでスタート
2006年 (9)モルディブ バレンシアFC
デイベヒ・リーグ FUFAランク162位
2011年現在8チームからなるリーグ
ブルネイ DPMM
皇太子からの命令によりレンタル移籍
2007年 香港 屯門晋高(セミプロ・チーム)
2009年 (10)マカオ 世家加義(セミプロ・チーム)
マカオ・リーグ(甲組リーグ) FIFAランク191位
バーレーン、UAE、アルアハリなどの中東チームをまわるが、オフか海外遠征中で交渉できず
2010年 (11)インド チャーチル・ブラザース
Iリーグ(インド・リーグ) FIFAランク160位
2007年スタート
(12)ミャンマー ラカプラ・ユナイテッド
ミャンマー・ナショナル・リーグ FIFAランク170位
2009年スタート(アマチュア・リーグは1893年開設で歴史は古い)
2011年 (13)ネパール MMC(マナン・マルシャンディ・クラブ)
2012年 (14)カンボジア ビルド・ブライト・ユナイテッド
2013年 (15)フィリピン グリーン・アーチャーズ・ユナイテッド
(16)モンゴル エルチム
2014年  (17)ラオス  LAO TOYOTA 
(18)ラオス Yotha F.C. 

<参考>
「越境フットボーラー The football players across the border」
 2012年
(著)佐藤俊
角川書店

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