- 泉谷しげる Shigeru Izumiya -

<毒舌芸人、泉谷>
 泉谷しげると言えば、最近ではすっかり「毒舌コメンテーター」もしくは「毒舌キャラの俳優」というイメージができあがってしまいました。実際、彼の場合テレビ番組などで暴言事件を起こして降板させられたりしています。(テレビ東京)しかし、そのために彼が芸能界から捨てられるということはありませんでした。それは彼のキャラクターが、単に暴力的だったり破壊的だけなだけではないことを誰もが理解しているからでしょう。彼の行動にはある種の計算があり、その多くは作られたものかもしれません。しかし、その裏にある彼の正直さ真っ直ぐさが本物であることは多くの人が理解しているのです。さらに、そのことは彼が行った多くのボランティア・ライブで一般的にも知られることになりました。(それはもしかすると彼にとって不本意かもしれませんが・・・)
 1960年代フォーク界のアーティストたちを内側の目から描いた名著「日本フォーク私的大全」の中で著者、なぎら健壱は、彼のことを本当は繊細で大人しい男であると書いていました。僕もきっとそうだと思います。(うるせえ!この野郎!って泉谷さんには怒られそうですが・・・)と言っても、画家でもあり、映画の美術もこなし、役者もタレントもこなすマルチ・タレントの彼にとっては、全ての表現行為がひとつの作品なのですから、その暴力的イメージもまたひとつの作品なのかもしれません。
 しかし、そんな彼のキャラクターはもしかするとミュージシャンの泉谷しげるにとってはマイナスなのではないか?そう思えたりもします。彼には暴力的なイメージとは対照的な優しさ美しさにあふれた曲もあるのですが、それらの曲はまっとうな評価を得ていないのではないか?そんな気がします。(それは彼の歌い方のぶっきらぼうさのせいもあるかもしれませんが・・・)
 彼の暴力的なイメージは、その内気さが生み出した照れ隠しが暴走したものではないのだろうか?僕はそう思ったりしています。

<作られたアイドル>
 そんな暴走系アーティストの泉谷しげるが、実は「作られたアイドル」だというのをご存じでしょうか?なんと彼のデビューのきっかけは、同世代のスーパースター、吉田拓郎の移籍問題から生まれたもので、彼は拓郎に対抗するライバルとしてデビューしていたのです。
 1971年アルバム「人間なんて」を発表した吉田拓郎は、当時在籍していたエレック・レコードからメジャー・レーベルであるCBSソニーへと移籍しました。フォーク界の人気をURC(アンダーグラウンド・レコード・クラブ)とともに二分していたエレックでしたが、まだできたばかりでスターは吉田拓郎ぐらいしかいなかったため、拓郎を失うことはそのまま会社の存亡にかかわる可能性がありました。そのため、あわてたエレックの経営陣は急遽拓郎に代わるスター候補を求めて新人アーティストを探し始めます。そこで名前が挙がってきたのが泉谷しげるというまだまったく無名のアーティストでした。(この時、チャボこと仲井戸麗市が在籍していた古井戸ともエレックは契約を交わしています。さらにRCサクセションもリストアップされていましたが、彼らはいち早く東芝にもっていかれました)
 とにかく早く泉谷をスターにしたかったエレックは、まだ一枚もレコードを発表していなかった彼にワンマン・コンサートを行わせます。もちろん、観客の多くはエレックが動員。そして、そのライブを録音してライブ・アルバムとしてレコード化、それが泉谷しげるのデビュー・アルバム「泉谷しげる登場」として発売されました。当然、そのアルバムをプッシュするため音楽雑誌やラジオの深夜放送など当時の人気メディアが利用されます。その効果のおかげもあったのか、彼は見事わずか一年の間に見事拓郎に匹敵するフォーク界のスターへと成長してしまいました。

<出身地疑惑?>
 エレックは彼をデビューさせるとき、彼の出身地をわざと間違えたのだそうです。もともと彼は東京生まれの東京育ちなのですが、あえて青森出身のフォーク・シンガーと発表されていました。それはなぜか?当時フォーク・ミュージシャンには東京以外の地方出身者が多く、同時に地方訛など地方色を全面に出すアーティストが多かったからです。ある意味フォークは生活密着型であり、地方密着型の音楽だったと言えるでしょう。(それに対し、脱生活色、都会型を全面に打ち出したのがニュー・ミュージックだったのかもしれません)
 関西、九州、広島そして東北出身者は、アクの強さで群を抜いていたわけです。そして、青森と言えば、三上寛、寺山修司、沢田教一などよりクセのあるアーティストたちが出ている土地でした。しかし、個人的に僕の知る青森出身者は、よく言われるように「粘り強く沈着冷静なタイプ」の方が多かったように思います。「切れやすくすぐ怒鳴る男」と言われる泉谷しげるが青森出身というのは、ちょっと笑える嘘のような気がします。

<生き残ったアイドル>
 もしかすると、こういうアイドル誕生の物語はそう珍しくないのかもしれません。そして多くの場合、こうして人工的に作られたアイドルたちはすぐに消えていったのでしょう。しかし、泉谷しげるはそうはなりませんでした。
 「春夏秋冬」のように未だ歌い継がれるフォークの名曲を生んだだけでなく、吉田拓郎、小室等、井上陽水とともにミュージシャンによる初のレコード会社「フォーライフ・レコード」を設立するなどフォーク界全体をリードする存在として活躍し続けます。

<パンク系フォーク・ミュージシャン>
 当初、彼はギター一本による基本的なアコースティック・フォーク・スタイルで歌っていました。しかし、1973年発表のアルバム「光と影」ではバック・バンドとしてサディスティックスを迎えてロックへと大きく方向を転換。さらに1975年発表のライブ・アルバム「ライブ!泉谷〜王様たちの夜」ではアコースティック・ギターを用いながらもまるでパンク・ロックのような攻撃的な音楽を展開し、誰よりも早くパンクの時代を先取りしていました。(バック・バンドのBANANAの存在も大きかった)1978年発表の「80のバラッド」、1979年の「都会のランナー」では、切れ味鋭いフォーク・ロックの路線を完成させました。

<オールナイト・ライブ>
 この頃彼が東京池袋にあった名画座「文芸座」で行っていたオールナイトのワンマン・ライブのことも忘れるわけにはゆきません。このライブの様子はアルバム「オールナイト・ライブ」に収められています。(残念ながらアルバムには、ライブの盛り上がりはあまり録音されておらず、彼と観客との丁々発止のやり取りも収められていません。でも、泉谷節の音楽だけでも十分に楽しめる内容ですので御一聴を!)
 僕も一度だけ彼のオールナイト・ライブを見に行ったことがあるのですが、さすが一度も眠気を感じることなくあっという間に夜が明けてしまいました。彼の歌はもちろんのこと、彼が主演している映画の上映後に始まったライブでの観客たちとの喧嘩腰のやり取り(「さっさと歌え!」と観客のヤジが飛び、それに対して泉谷が「うるせえ!黙って映画見ろ!」と横から怒鳴る。そんなやり取りが乱れ飛びました)、ギターのチューニングや切れた弦の交換などなど、すべてが彼流パフォーマンスとして見る者を飽きさせませんでした。彼のライブは観客たちと作り上げる一期一会の集団的総合的パフォーマンスとも言えるものでした。それを一晩中できるだけの体力と精神力が彼にあったからこそ、未だにあれだけのハイテンションを保てているのでしょう。

<80年代以降>
 80年代以降も彼の勢いはまったく衰えませんでした。特に1988年発表の「吠えるバラッド」は傑作です。ゲストに清志郎やチャボ、桑田佳祐を迎えて吠えまくる曲の数々は、まさにオヤジ・ロックの最高峰です。
 90年代も彼は活躍し続けています。特に奥尻島地震や阪神淡路大震災において彼が行った被災者救済のためのゲリラ・ライブ活動は、かつて彼が音楽活動を始めた時に行っていた新宿西口でのゲリラ・ライブ活動の延長にあると言えるのかもしれません。彼にとっては、怒りの矛先が異なるものの、同じように理不尽なものに対して感じた感情を歌にしてぶつける行為だったように思います。(政治家には怒りの矛が向けられても、自然災害にはそれができないだけに歌による癒しが必要なのかもしれません)
 彼の場合、美しいバラードナンバーもあるのですが、それを吠えるように歌うために一般受けしない傾向があります。美しい曲なのにそれを美しく聞かせようとしないのは、実にもったいないけど、それが泉谷流なのですからしかたないのでしょう。そうやってハード・ボイルドなスタイルにこだわるからこそ、時折みせる優しさがより魅力的に見えるのかもしれませんから。それは原田芳雄や松田優作、萩原健一らのもつ魅力などとも共通するのかもしれません。
 ロックという音楽にこだわり続ける男にとって「吠える」ことは重要なパフォーマンスです。しかし、「吠える」からにはその「怒り」は何に向けられたものなのか?その「怒り」は本物なのか?そして、その怒りにリアリティーはあるのか?そのことを常に意識していなければ、すぐにその仮面は剥がれてしまいます。
 しかし、未だ泉谷しげるには「吠える」ことに対するしっかりとした覚悟が感じられるように思います。「吠えろ!泉谷!」

<締めのお言葉>
「もし、わたしの中にある怒り、さまざまな昇華の形でそれ自身を表現する怒りを、どうして分析しろといわれたら、こう答えるだろう。おそらく、無意味なものを見たときに、わたしは怒りをかきたてられるのだ。つまり混乱そのもの、エントロピーの力 - それにはわたしの見る限り、理解を絶したなにものかが持つ代償価値がない、と。・・・

(P.K.デイック)(小説家)「P・K・ディック傑作選」より

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