「パッチギ!」&「ガキ帝国」

- 井筒和幸 Kazuyuki Izutu -

「パッチギ!」 2005年
(監)(脚)井筒和幸
(原)松山猛
(脚)羽原大介
(撮)山本英夫
(音)加藤和彦
(配給)シネカノン
(出)塩谷瞬、高岡蒼佑、沢尻エリカ、揚原京子、尾上寛之、真木よう子、小出恵介、浪岡一喜、オダギリ・ジョー、加瀬亮

 「ガキ帝国」や「岸和田少年愚連隊」など、井筒監督の原点といえるケンカ映画の要素と「のど自慢」や「ゲロッパ!」などで描いてきた人情喜劇の要素、それにかつて彼が青春時代を送った1960年代の関西へのオマージュがひとつになった集大成ともいえる作品です。
 主人公の塩谷瞬などの若い俳優たちに魅力全開だった頃の沢尻エリカ。それにオダギリ・ジョーや加瀬亮など味のある役者も加わり、新鮮な役者たちの魅力満載。さらに今わ亡き加藤和彦の素晴らしい音楽。特に「イムジン川」は、この映画の主役といってよい存在です。
 青春映画として現代の若者たちの心をとらえたこの映画は、40代以上の世代にとってはノスタルジックな青春回顧映画として受け取られ、様々な世代の観客を劇場に呼び込むことに成功し大ヒットしました。
 2007年には、その続編「パッチギ! LOVE&PEACE」が作られ、さらに舞台劇としても公演されるなど素晴らしい成功を収めることになりました。

<井筒和幸>
 この映画の監督、井筒和幸は1952年12月13日、奈良県大和郡山市に生まれています。「パッチギ!」にも描かれている1960年代後半に青春時代を迎えた彼は県立奈良高校在学中、学園紛争を題材にして8ミリ映画「俺たちに明日はない」を製作。高校卒業後の1971年には16ミリで「戦争を知らないガキ」を共同製作。しかし、その後、大阪府の補助職員として古墳調査の仕事につき映画を離れます。しかし、当時大ヒットしていた深作欣二監督の「仁義なき戦い」を見て、再び彼のケンカ魂と映画魂に火がつきます。
 1975年に仲間たちと「新映画倶楽部」を設立した彼は、フォークシンガー三上寛を主役に自主製作のピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(1975年)を撮ります。その後はチャンスを求めてピンク映画の世界に入り、助監督として働きながら次回作を監督するチャンスを待ちます。しかし、なかなかチャンスが来ないため、彼は再び自主製作でピンク映画「熱くて深い交わり、肉色の海」(1978年)を撮ります。そこでスタッフとして参加した西岡琢也は、その後脚本家として彼の作品に無くてはならない存在となります。
 ピンク映画の世界での評価を得た彼は、1981年ついに一般映画を撮るチャンスを得ました。それがATG配給の青春映画で「パッチギ!」の原点ともいえる作品「ガキ帝国」でした。

「ガキ帝国」 1981年
(監)(原)井筒和幸
(脚)西岡琢也
(撮)牧逸郎
(音)山本公成
(配給)ATG
(出)島田紳助、松本竜介、趙方豪、紗貴めぐみ、上岡龍太郎、夢路いとし、大杉蓮

 1967年の大阪を舞台に盛り場で勢力争いを繰り広げる不良少年グループと彼らと距離をおく3人の少年たちの青春を描いたリアルにこだわったケンカ映画。彼はこの映画で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。ピンク映画から一般映画へと進出する本格的なチャンスを得ることになりました。当時、マンザイ・ブームに乗り人気アイドルとなっていた島田紳助は、この映画でマンザイ以外の分野でも活躍できる才能をみせ、その後も現在に至る長い長い活躍の道を切り開いてゆくことになります。
 ちなみにこの映画には続編「ガキ帝国 悪たれ戦争」(1981年)があります。しかし、この映画は現在ではまったく見ることができない幻の作品になっています。決してつまらないからではなく、公開できない何かの理由があるとか?噂はいろいろあるようですが、真実やいかに・・・?

<ディレクターズ・カンパニー>
 1982年、彼は長谷川和彦や高橋伴明らを中心とする若手映画監督のグループ、ディレクターズ・カンパニーに参加。1983年には「タッチ」で有名なあだち充の人気漫画を映画化した「みゆき」でついにメジャーの監督としてデビューを飾ることになりました。
 その後は、角川映画「晴れ、ときどき殺人」(1984年)「二代目はクリスチャン」(1985年)、松竹映画「犬死にせしもの」(1986年)、大映映画「宇宙の法則」(1990年)など、様々な作品を撮り続けます。ところが、1991年、彼を不幸が襲います。アクション時代劇「東方見聞録」の撮影中、スタントマンが事故死するというアクシデントが起き、そのため彼はしばらくの間映画の撮影から遠ざかることになります。
 1994年、再び彼は活動を開始。1996年には「ガキ帝国」以来のご当地ものケンカ映画「岸和田愚連隊」を撮り、完全復活。人情喜劇として彼らしい快作となった「のど自慢」(1999年)も好評でそのスピンオフ版もできました。
 ジェームス・ブラウンのファンクと西田敏行の魅力が合体したヤクザ映画「ゲロッパ!」もまた楽しい映画でした。(岸部一徳も良かったんですけどね)そして、「ゲロッパ!」から「パッチギ!」へ。いいよいよ彼は黄金時代を迎えつつあるようです。正直言って、テレビのコメンテーター業はほどほどにして、もっと映画を撮って欲しいと思います。

<日韓関係と映画>
 1980年代までは、在日朝鮮人を描くことは、かなり重い政治的な映画だけで行われていました。それが1993年の「月はどっちに出ている」あたりから少しずつ自然に映画の設定として使われるようになり、「パッチギ!」のような爽やかな青春映画や「血と骨」(2004年)のように強烈な人間ドラマなど様々な名作を生み出すようになりました。こうした映画における在日朝鮮人の描写は、日韓関係の急激な変化とも大いに関係があると思います。かつては、日韓関係を修復困難な重い壁として見ていた日本人にとって、日韓のワールドカップ・サッカーや韓流ブームの盛り上がりは見方を根本的に変える大きなきっかけになったのではないでしょうか。
 ごく自然に韓国という国を見られるようになったことで、さらにお互いの国の歴史を知り、過去の過ちについても理解が深まれば、いよいよ日韓関係は素晴らしいものになるだろうと思います。
 願わくば、北朝鮮に民主主義がもどり、もうひとつの壁もとり除ければよいのですが・・・。

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