- ジャニス・ジョップリン Janis Joplin -

<追記>2003年12月14日

<僕とジャニスとの出会い>
 残念ながら、ジャニス・ジョップリンの歌をすぐに理解できるほど、僕の青春時代は濃いものでありませんでした。確かに、彼女の歌は高校時代や中学時代にも聴いてはいたのですが、彼女の歌に本当に感動したのは、東京の大学に受かり下宿生活を始めたばかりの頃、テレビ東京の「サウンド・ブレイク」(だったかな?)という短いが素晴らしい音楽番組を見たときでした。その時の曲は、アメリカ南部の風景をバックに流された名曲中の名曲「サマー・タイム」でした。これが僕にとって本当のジャニスとの出会いと言えそうです。(この番組以来、僕はずっとテレビ東京さんを応援しています!)

<テキサス州ポート・アーサー>
 テキサス州ポート・アーサーというメキシコ湾に面した典型的なアメリカの田舎町、そこにジャニスは生まれました。1943年のことです。彼女の家は、どこにでもある中産階級のサラリーマン家庭でしたが、彼女自身は明らかに他の子供たちとは違っていたようです。詩を書いたり、絵を描いたりするのが好きで、自分の中にある何かを常に吐き出さなければ苦しくて生きてゆけない、情熱の固まりのような少女だったと言います。

<ブルースとの出会い>
 そんな彼女のお気に入りの音楽は、最初はジャズだったそうです。オデッタビリー・ホリデイなどの女性ヴォーカリストのレコードを何度も何度も聴いていたと言います。しかし、ある時友達にブルース歌手、レッドベリーのアルバムをもらい、そこから彼女はブルースにのめり込んでゆくことになりました。特に、女性ブルース・シンガーのベッシー・スミスは彼女にとって最大のアイドルとなりました。

<ジャニスの孤独>
 時代はまだ1950年代でした。おまけに、そこはアメリカの深南部、差別や偏見がはびこる映画「夜の大捜査線」「ミシシッピー・バーニング」の世界でした。彼女のように女性でありながら、ブルースが好きで、派手な衣装を身につける人間は、当時の南部社会や学校で受け入れられるはずはありませんでした。まして、彼女は美人でもなく、スタイルが良いわけでもなかったのです。当然、彼女は高校時代、大学時代ともに常にまわりからから浮いた存在でした。

<スレッド・ギルとの出会い>
 そんな彼女にとって唯一の救いは、歌を歌うことであり、そのきっかけを与えてくれた恩人、スレッド・ギルとの出会いでした。彼は、年老いたヒルビリー歌手で、彼女が通う大学があるオースチンの町はずれで、バーを経営していました。その店で彼女はアルバイト代わりに歌を歌っていたのです。高校時代から、父親に無視されるようになっていた彼女にとって、彼はまるで父親のような存在でした。(彼女は、父親の愛を常に求めていたと言われています。彼女の死の直前に婚約を発表していた恋人の名前が、彼女の父親の名前と同じだったというのも、あながち偶然ではなかったのかもしれません)

<サンフランシスコへ>
 1961年、ギルの店で知り合った男に誘われ、彼女はサンフランシスコへと向かいましたが、結局麻薬中毒でボロボロになった後、故郷へ舞い戻ることになりました。しかし、その後しばらくして、彼女のもとに一人の男が現れ、彼女を夢中にさせた後、サンフランシスコへの旅に付いてこないかと誘いの声をかけます。その男、実は彼女をサンフランシスコのあるバンドに引き入れるために雇われた人間だったのです。そのバンドこそ、彼女がデビューすることになる最初のロック・バンド「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」でした。彼女は、薄々感づいていたにも関わらず、あえてサンフランシスコ行きを決意します。悲しいかな、彼女は男にだまされやすかったのです。(いや、、分かっていて騙されていたのかもしれません)それでもなお、彼女は誠実な男を求め続け、その経験が「ムーブ・オーヴァー(ジャニスの祈り)」に代表される悲しいラブ・ソングを生み、彼女を世界一のブルース歌手に育てあげることになったのです。男に弱く、酒と薬にも弱かった彼女は、こうして危険と紙一重の道を再び歩み始めました。

<ロック・バンドのヴォーカリストとして>
 1963年1月、ヒッチハイクをしながらサンフランシスコに舞い戻った彼女は、さっそく「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」のヴォーカリストとして活動を開始します。彼女はそこで、生まれて初めてロック・ヴォーカルに挑むことになりました。その最初のぶっつけ本番のコンサートで、彼女は今までのジャズやブルース風のヴォーカルをオーティス・レディング風のR&Bスタイルに切り替えます。ロックのパワフルな演奏に対抗するには、それしかないと考えたからです。そして、彼女が試したそのスタイルが、後のあらゆるロック・ヴォーカルの基礎になってゆくことになるとは、もちろん彼女が知るはずもありませんでした。(すべての女性ロック・ヴォーカリストの元祖ということになるのです!)

(解説)ビッグ・ブラザーとは?(彼女のバックとなった最初のバンド名)
SF小説における最も有名な作品のひとつジョージ・オーウェルの「1984年」からの引用
「”偉大な兄弟”(ビッグ・ブラザー)は実在するのですか」
「もちろん、実在するとも。党も実在する。”偉大な兄弟”は党の化身だ」
「彼は私と同じように実在しているのですか」
「君は実在しないのだよ」

<モンタレー・ポップ・フェスティバル>
 1967年カリフォルニアで行われたモンタレー・ポップ・フェスティバルに彼女たちは、地元の代表として無名ながら出場を果たします。そして、彼女のパワフルなヴォーカルは一気に世界中に知れわたることになったのです。その3ヶ月後に同じ場所で開催されたジャズ・フェスティバルにおいて、彼女はさらにその名をあげることになります。なにせ、そのコンサートで彼女は、ブルースの大御所たち、B.B.キング、T.ボーン・ウォーカー、ジョー・ターナーらと同じステージに登り、そこで大勢の耳の肥えた観衆の喝采をあびることに成功したのです!

<バンドとの亀裂>
 しかし、成功の喜びもつかの間でした。デビュー・アルバム「チープ・スリルズ」の大好評にも関わらず、バンドはあっという間に空中分解してしまったのです。ジャニスのスター気取りに、バンドのメンバーが嫌気がさしたとも言われますが、あまりに偉大なヴォーカリストにバンドが対応しきれなくなったのも事実でした。こうして、バンドとの関係も、彼女にとっては大きな重荷になって行きました。

<時代の流れとは無縁のアーティスト>
 彼女は、サイケ一色の60年代後半において「ブルース・ロックの女王」と呼ばれていましたが、けっして時代の流れを代表する存在ではありませんでした。それは彼女の歌っていた歌を聴くと明らかです。彼女の歌は、ほとんどが「男と女の愛」について歌われています。それも「本物の男」を追い求める女心を歌ったものが多かったようです。それは、あの時代においては時代遅れといっていい内容だったかもしれません。(少なくとも、ジョニ・ミッチェルのようなアーティストからは10年以上遅れていました)しかし、時代遅れだろうが、何だろうがそんなことは彼女にとってはどうでも良いことでした。彼女はその歌を歌うことで、最高の快感を感じ、満足感を得ていたのですから。それが、彼女が常に感じていた「すれ違いばかりの愛」にたいする唯一の対処法だったのです。彼女はいつも不幸でした。だから、酒と薬に頼り、歌うことでそこから逃れていたのです。

<白人版ビリー・ホリディ>(2003年12月14日追記)
 彼女はその才能を使い果たすべく運命づけられていたのではなく、利用されていたという意見もあります。これはかつてフィルモアのスタッフだったチェット・ヘルムズの言葉です。
「アルバート・グロスマンは、ジャニスを白人版ビリー・ホリディという鋳型にはめこもうとしていたと思う。クスリでボロボロになったブルース・シンガーという。そして、彼女も、いつしかその気になってしまったんだ。・・・」
 同じフィルモアのオーナー、ビル・グレアムはこう言っています。
「彼女は男の何かを刺激した。男の欲望をかきたてた。だがその欲望の対象は、彼女じゃなかった。おそらくジャニスは最後まで、その現実と折り合いがつけられなかったんじゃないだろうか。・・・」
「ジャニスの才能は、毎晩のように、この娘は自分の思いのたけをぶちまけている観客に信じ込ませることだ。その意味でジャニスは、ピアフに似ていた。わたくしは燃えさかるロウソク、ロウを使い果たして行く一方のロウソクを見ていたんだ。・・・」

 彼女はやはり自ら死への道を選んだのでしょうか?

<ひとりぼっちの死>
 1970年10月4日、彼女はハリウッドのホテルで27歳の生涯をとじました。死因は、オーヴァー・ドープ、麻薬の飲み過ぎによるものでした。最後まで、彼女はひとりぼっちでした。遺作となったアルバム「パール」は未完成でしたが、ヴォーカルが録り終わっていなかった「生きながらブルースに葬られ」はインストロメンタル・ナンバーとして収められ、死の直後に発表されます。そして、そのアルバムは、彼女にとって最高傑作と言われることとなったのです。

<締めのお言葉>
インタビュアー「ボブ、歌い始めたきっかけは?」
ボブ・マーリー「始まりは、…嘆きさ。そう嘆きから始まったんだ」
         スティーブン・デイビス著「ボブ・マーリー -レゲエの伝説-」
[参考資料]
ドキュメンタリー映画「JANIS」の解説書 湯川れい子ほか著(UPLINK社)
ついでに映画「ローズ」もお薦めです。ジャニスをモデルにしたあくまで架空の物語ですが、かえって素晴らしい映画に仕上がっています。(監督はマーク・ライデル、主演のベット・ミドラーは一世一代の名演技でした)この映画のタイトル曲が、この後、宮崎駿の映画「おもいでぽろぽろ」でエンド・テーマに使われています!まさに永遠の名曲となりそうです。 

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