- ジョニ・ミッチェル Joni Mitchell -

<強い女性>
「本当に酒に強い女性は、どんな飲んべえの男性にも負けない」
 これは、僕が自信を持って言える数少ない持論のひとつです。しかし、この定義はもう少し広い範囲に拡張することが可能かもしれません。
「本当に強い女性は、どんな偉業を成し遂げた男性よりも強い」
 どうです。思い当たりませんか?
 もともと男性主導のポピュラー音楽の世界において、それぞれのジャンルで成功した女性たちは、その意味では最高にタフな女性たちと言うことができるかもしれません。

<ロック界を代表するタフなシンガー>
 しかし、その中でも1960年代のロック時代の幕開けから、常にトップ・アーティストとして活躍を続けてきたジョニ・ミッチェルこそ、数多い女性アーティストたちの中でも、最強の存在と言えるかもしれません。しかし、そんな彼女も元から最強の女性だったわけではないはずです。30年以上のキャリアの中で鍛えられた「たたき上げの才女」というべきでしょう。おまけに、彼女の場合、アーティスト活動と恋を見事に連動させてきた実に稀な存在でもあります。彼女の恋の物語は、ある意味ロックの歴史でもあるのです。

<頑張り屋の女の子>
 彼女は、1943年11月7日カナダのアルバータ州フォート・マクリードという町で生まれました。9歳の時、小児麻痺にかかり一時は二度と歩けないだろうと言われましたが、見事に回復します。どうやら小さな頃から意志の強い性格だったようです。その後、ダンスや絵画に熱中し、将来は商業美術の世界で働くことを考えていました。(彼女の絵画が素晴らしいのはこの頃から。日本で個展を開くために来日したこともあります)
 しかし、結局彼女はキングストン・トリオなど1960年代前半のフォーク・ブームのスターたちに憧れ、フォーク・ミュージシャンになる道を選びます。

<ソングライターとしての出発>
 彼女は、先ず最初の夫、チャック・ミッチェルとデュエットを組んで、そのキャリアをスタートさせますが、すぐに離婚してしまいます。そして、本格的に活動するため、ニューヨークへの移住を決意。そこで先ずソングライターとして活動を始めます。同じ時期、ローラ・ニーロもライターとして活動を始めており、音楽の基礎知識に乏しかった二人はともに苦労を重ねたようです。しかし、しだいにその評価が上がり、ついにソロ・アルバムを作るチャンスが与えられます。デビュー・アルバムは"Song A Seagull"。プロデューサーは、その後彼女と恋に落ちることになるデヴィッド・クロスビーでした。

<フォーク系シンガー・ソングライターとしての活躍>
 「青春の光と影」「チェルシーの朝」「ビッグ・イエロー・タクシー」を歌う歌手として、バフィー・セントメリーによってヒットした「サークル・ゲーム」、それに名曲「ウッドストック」の作者として、彼女は一躍時の人になりました。こうして、アルバム「ブルー」「バラにおくる」あたりまで、彼女はフォーク系シンガー・ソングライターとして、大活躍をします。

<ジャズ・ロック系アーティストとしての活躍>
 1974年発表の「コート・アンド・スパーク」あたりから、彼女のスタイルは、ジャズ・ロックの方向へと大きく変わりだします。サックス奏者兼アレンジャーとして当時大活躍していたトム・スコット率いるLAエクスプレスクルセイダースなどと一緒に作り上げたこの作品は、彼女の数多い作品の中でも傑作のひとつと言われています。
 彼女はジャズの要素を強めるため、さらに多くのジャズ・ミュージシャンたちを起用して行きます。ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、パット・メセニー、マイケル・ブレッカー、そして、極めつけのジャズ・アルバム「ミンガス」を1979年に発表します。このアルバムは、偉大なるジャズ・ベーシスト、チャーリー・ミンガスに捧げるアルバムとして制作されたが、発売前にチャーリー・ミンガスがこの世を去り、劇的な作品として話題を集めました。

<ジャコ・パストリアスとの恋>
 彼女のジャズ時代、その恋の相手として最も有名だったのが、ウェザー・リポートのベーシストだったジャコ・パストリアスです。天才ベーシストとして一世を風靡した彼は、ウェザー・リポート解散後もソロとして大活躍しますが、しだいに麻薬に溺れるようになり、精神的にも崩壊状態となって行きました。そして、1987年35歳という若さでこの世を去ってしまいます。彼女は彼と別れた後、再び新たな展開を始めます。

<本格派ロック・アーティストとしての活躍>
 1985年発表のアルバム「ドッグ・イート・ドッグ」、続く1988年の「レインストームとCALKの痕」で、彼女は本格的なロック・アーティストとしての活躍を始めます。歌詞には、再び「ビッグ・イエロー・タクシー」の頃の社会性が登場し、政治問題、自然保護の問題などが鋭い批判精神をもって歌われています。特に後者のアルバムには、曲の多彩さに合わせるように、多彩なアーテイストが登場、彼女のロック界での人気の高さを証明してみせました。(ピーター・ガブリエル、トム・ペティ、ドン・ヘンリー、ブライアン・アダムスなど)ちなみに、この頃彼女は、「レインストームとCHALKの痕」を共同プロデュースしたロック・ベーシストのラリー・クラインと結婚していました。

<1970年ワイト島ポップ・フェスティバルにて>
 1970年、イギリスのワイト島で、巨大なロック・イベントが行われました。ジミ・ヘンドリックスの名演でも有名なフェステイバルですが、残念ながらこのイベントは、フラワー・ムーブメントの崩壊を世に知らしめたライブとして、後の世に語り継がれています。前の年に行われたオルタモントのローリング・ストーンズ・コンサートにおける、黒人青年惨殺事件から、すでにその終わりは明らかだったのですが、時代はすでに変わろうとしていました。そしてこのイベントでは、その混乱がさらに吹き出し、観客と主催者とのトラブルや観客どうしの喧嘩だけでなく、アーテイストたちへのヤジ攻撃など、その状況は混沌を極めていました。そんなコンサートにおいて、一人ギターを肩に舞台に立った女性アーティストがいました。彼女はしばらく観客のヤジにさらされましたが、それに立ち向かうように力強く歌い始め、その凛とした姿は多くの観客の目に焼き付きました。もちろん、それがジョニ・ミッチェルだったのです。
「みんなちょっと頭を冷やしたら。じっくり物事を考えるべき時じゃないの!」
彼女の登場は、多くの点で時代の変化を感じさせるものでした。そう考えると、彼女は現れた時から、やっぱり強かったようです。「しなやかに、したたかに」とは、まさに彼女のためにある言葉かもしれません。

<締めのお言葉>
「物事に熱中するのはもういい加減にして、そろそろ理性を働かせてもいい時分ですね。…」

ドストエフスキー著「白痴」より

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