- ジェームス・テイラー James Taylor -

<映画「旅立ちの時」>
 映画「旅立ちの時」という作品をご存じでしょうか?監督は、名匠シドニー・ルメット。若くして亡くなったリヴァー・フェニックスが「スタンド・バイ・ミー」の後に出演した作品で、今まさに大人になろうとする多感な少年を見事に演じていました。お話は、ざっとこんな感じです。
 1960年代、学生運動が過激さをおびていた時期、爆弾テロによって人を殺してしまった男が、身分を消し去って地下生活をしていました。彼は、そんな生活の中、ある女性と愛し合いひとりの男の子を授かり、秘かに育てるようになります。ところが、その子はピアノの天才で、有名なジュリアード音楽院の試験に合格してしまいます。しかし、彼がもし、音学院に入学すれば、一般社会に出ることの許されない父親とは、二度と会えなくなってしまいます。親子の選択は?
 そして、この映画の中でテーマ・ソングのように使われていたのが、ジェームス・テイラーの名曲「ファイアー・アンド・レイン」でした。

<シンガー・ソングライター時代の先駆け、ジェームス・テイラー>
 シンガー・ソングライター時代の幕開けを告げた男、ジェームス・テイラーを語ることは、1960年代から1970年代にかけての時代と社会を語ることでもあります。しかし、その時代の空気を知らなくても、彼の曲の魅力は普遍的な魅力を持っています。なぜなら、彼は時代を越えた存在「愛」「友情」「死」についてのシンプルな歌を歌い続けていたからです。おかげで、彼の曲はその優しい声と最高級のバックの演奏とともに、時代を越えるクオリティーを保ち続けています。

<優秀なるジェームス家>
 ジェームス・テイラーは、1948年3月12日ノースカロライナ大学の医学部長を務める父親の元、ボストンに生まれた。家族全員が音楽好きで、彼の兄弟たち、リヴィングストンアレックスケイトも後にミュージシャンとして活躍しています。優秀で裕福な家で育った彼は、繊細で感受性の強い子供でした。しかし、父親は息子たちも自分と同じような人間になるべきと考えていたので、彼を全寮制の厳しい進学校に入学させます。しかし、彼の繊細すぎる神経は、その学校の厳しい生活、古い考え方に適応できず、しだいに、そのバランスを崩してゆき、ついに精神病院に入院することになってしまいました。

<アップルからのデビュー>
 そんな彼の救いとなったのは、やはり音楽でした。彼は、退院すると幼なじみの友人ダニー・コーチマー(後に最高級のスタジオ・ミュージシャンと称されます)らとともに、フライング・マシーンというバンドを結成し、本格的に音楽活動を開始しました。しかし、相変わらず精神的に不安定だった彼は、麻薬にも手を出すようになり、いつしかヘロイン中毒になっていました。そこで、彼は心機一転、麻薬と縁を切るためもあり、あえてイギリスに渡り、そこでアップル・レコードと契約します。ビートルズが設立した新レーベルの第1号アーティストが彼でした。こうして、彼のデビュー・アルバム「心の旅」が発売されます。この時、プロデューサーには、かつてダニー・コーチマーが一緒に活動したことのあるアーティスト、ピーター&ゴードンピーター・アッシャーがあたり、彼はその後もジェームスと行動をともにすることになります。(その後ピーターは、リンダ・ロンシュタットなどのプロデュースで一躍ウェストコースト・ロックを代表するプロデューサーになって行きます)

<アップルでの挫折と復活>
 こうしてアップルという注目のレーベルから華々しくデビューしたジェームスでしたが、アルバムのキャンペーン直前にオートバイ事故を起こして入院してしまったこともあり、評価のわりにアルバムはヒットしませんでした。それどころか、その間にアップル社内では、経営陣の間で内紛が起き、そのとばっちりで彼はアップルから追い出されてしまいます。再び、彼は精神のバランスを崩し、療養所生活に戻ってしまいます。しかし、そんな厳しい状況が、彼に素晴らしいアルバムを生みださせました。それが、1970年に発表された彼の代表作「スウィート・ベイビー・ジェームス」であり、そこからシングル・カットされ大ヒットした「ファイヤー・アンド・レイン」でした。それはまさに「火の中、雨の中」をくぐり抜けることで生み出された作品だったわけです。

<1970年という年>
 1970年、ジミ・ヘンドリックスがロンドンで死亡、ジャニス・ジョップリンもロスでヘロインの打ちすぎで死亡しています。さらにキャンド・ヒートのアル・ウィルソンもこの年に早すぎる人生を終えました。ビートルズが「レット・イット・ビー」を発表し、その活動にピリオドをうったのもこの年です。チャールズ・マンソンによるシャロン・テート殺害事件とローリング・ストーンズのオルタモントでのコンサートにおける黒人青年惨殺事件は、ヒッピー・ムーブメントの明らかな終わりを告げていました。ヴェトナムではアメリカ軍が北爆を再開、いよいよヴェトナム戦争は泥沼化しつつありました。人々は、激動の1960年代をやっとの思いで乗り越え、疲れ切っていました。

<時代をつかんだ歌>
 そんな60年代の嵐のような時代を生き抜いてきた男が、過去を振り返りつつ明日に向かって静かに歌う、それがジェームス・テイラーの歌です。同じ時代を過ごしてきた多くの人々にとって、彼の歌は安らぎであり救いとなりました。そして、彼の登場を待っていたかのように、自分たちの心情をギター一本で静かに歌うシンガー・ソングライターたちが、次々に登場してきたのです。
 ジャクソン・ブラウン、ランディー・ニューマンジョニ・ミッチェルローラ・ニーロレオン・ラッセル、ブルース・コバーン、トッド・ラングレン、ジェシ・コリン・ヤング、ドン・マクリーン、ジム・クロウチ、エリック・アンダーソン、ポール・ウィリアムス、ジョン・デヴィッド・サウザー、ウォーレン・ジヴォンビリー・ジョエル、ゴードン・ライトフット、ジョン・プライン、トム・ウェイツ、カーリー・サイモン、そしてキャロル・キング、有名どころをざっとあげただけでも、当時これだけのアーティストたちがデビューしています。

<J・Tサウンドの秘密
 一歩先をいっていたとはいえ、これだけ多くのアーティストたちが登場した中でも、ひときわ彼が輝いていたのは、なぜだったのか。先ず、優秀なバック陣の存在をあげなければならないでしょう。ダニー・コーチマー、キャロル・キング、ラス・カンケル、後にイーグルスで活躍するランディー・マイズナーなどのメンバーが生み出す確かな技術に支えられたシンプルかつタイトな演奏は、J・Tの素晴らしいギター・テクニックとともに見事なアンサンブルを織りなしています。
 もちろん、厳しい時代を乗り越えてきたからこそ語ることができた歌詞のもつ説得力、これなくしては、この時代のシンガー・ソングライターの存在価値はなかったのは言うまでもありません。
 そして、そんなJ・Tの魅力が凝縮されているのが、彼の歌声です。キャロル・キングの「君の友だち You've Got A Friend」をあれだけ暖かく包み込むように歌えるのは、彼ならではであり、だからこそ、この曲は全米ナンバー1に輝いたのです。「クローズ・ユア・アイズ Close Your Eyes」のもつ優しさと包容力も、憎らしいほどだ。当時、この曲を聴きながら、眠りについていた女性がどれだけいたでしょうか?彼女ができたら、この曲を絶対聴かせたいと思っていた男性も多かったでしょう。(僕もそう思っていた)

<不滅のJ・Tサウンド>
 これだけの魅力を兼ね備えていたからこそ、彼は時代の寵児であった時期を過ぎても、活躍を続けることができるのでしょう。シンガー・ソングライター・ブームが終わった後も、AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)・ブームの中でも、アルバム「JT」でその存在をアッピールし、90年代にはいってもなお第一線で活躍し続けています。
 優しすぎる男、J・Tはかろうじて時代を生き延びることができました。彼のようにギターが弾けて、歌が歌えるアーティストは他にもいるかもしれないが、彼ほど繊細でありながら、したたかな心の持ち主はいないのかもしれません。

<締めのお言葉>
「ただ自分ひとりに、次のように尋ねてみるのだ。この道に心はあるかと。心があればいい道だし、なければ、その道をいく必要はない」 カルロス・カスタネダ

[参考資料]
「ロック伝説」ティモシー・ホワイト著(音楽之友社)
「シンガー・ソングライター」萩原健太(監修)、ミュージック・マガジン社

ジャンル別索引へ   アーテイスト名索引へ   トップページへ