- ジャック・マイヨール Jacques Mayol -

<ジャック・マイヨールとの出会い>
 僕は、1980年代の中頃、本気でスキューバ・ダイビングのインストラクターになろうと思っていたことがあります。そのため当時、僕は月に2回は伊豆の海洋公園や大島に行き、そこであるダイビング・ショップのインストラクターの手伝いをしながら潜っていました。自動車関連機器のメーカーで新製品の開発設計を担当していた僕にとって、海はリラクゼーションの場であると同時に、人生を見つめ直させてくれる教師でもありました。だからこそ、映画「グレート・ブルー Le Grand Bleu」(1988年)で、今は亡きジャック・マイヨールと出会った時の感動は、単なる大好きな映画との出会いとはまったく異なるものでした。その後、彼についての本を読み、ビデオやテレビなどを見ることで、彼のことを知れば知るほど、僕はその魅力に取り付かれてしまいました。
 しかし、その後僕は、故郷の北海道に帰り、結婚、仕事、子育てに追われるようになり、すっかり海とはご無沙汰になってしまいました。(伊豆大島の海の底で出会った彼女と結婚し、二人の子供たちに「拓海」「和海」と名付けたところまでは良かったのですが・・・)

<ジャック・マイヨール、突然の死>
 そして、ある日突然彼が自殺したことを知りました。それは久々の衝撃的なニュースでした。
 しかし、それは彼が死んだという事実による衝撃ではありませんでした。彼が自宅の部屋で首吊り自殺をとげたという事実に衝撃を受けたのです。すでに70才を過ぎていた彼が、その生を終えるのは、どちらにしてもそう遠いことではなかったはずです。そして、彼がもし自分で死を選ぶとするなら、きっと死に場所に海を選ぶはずだ、そう僕は思っていたのです。それがまさか自宅の居間でひとりぼっちで首を吊るなんて、あまりにも寂しすぎました。(首を吊ったその部屋からは、眼下に美しい海を見下ろせたようですが、・・・)
 彼がこの世を去ったのは、2001年12月23日クリスマスの直前でした。多くの人々にとって、一年で最も幸福な時に自らの死を選んだのはなぜか?孤高の人なるが故の孤独の死、それはあまりにも寂しい結末でした。
 そこには「老い」がもたらす心の闇のようなものが影響していたのでしょうか?未だに彼の自殺の原因は明らかになっていません。だからこそ、彼の死は、僕の心に深い暗い影を落としたのです。その謎の答えは、きっとシシリー島の沖に広がるグラン・ブルーの底に沈んでいるのでしょう。

<ジャック・マイヨールと日本>
 ジャック・マイヨールは、ローラン・マイヨールと妻マルセイユのの間に1927年4月1日、生まれました。両親はともにフランス人でしたが建築技師として上海に住んでいたため、彼は13才まで中国で育ちました。10才の夏休みに彼は家族と日本にやってきました。そして、九州の唐津で初めて水中メガネを使ったスキンダイビングを体験していた時、彼は水中でイルカと遭遇しました。彼にとって、それはまさに運命的な出会いでした。

<ジャック・マイヨールと旅>
 その後すぐに中国も含め世界中が戦争の影に覆われるようになり、マイヨール一家は故郷のマルセイユに戻ることになります。しかし、ドイツ占領下のマルセイユの街に嫌気がさした彼は、高校卒業と同時に冒険の旅に出ます。その行く先はなんと北極圏でした。彼はそこでしばらくイヌイットたちと生活をともにします。彼が後にどんなに寒い海でもウエット・スーツなしで泳いでいられたのは、もしかするとこの頃の鍛錬があったからなのかもしれません?
 しかし、その後彼はまったく逆の環境、南国の地アメリカのフロリダへと移住しました。彼はフランス語系新聞の手伝いやラジオ番組のリポーターを勤めながら、マイアミ水族館でも働き始めます。

<クラウンとの出会い>
 1957年、彼はマイアミ水族館でイルカのクラウンと出会い、イルカの調教師を勤めるようになります。彼とクラウンはすぐにお互いの意志を伝え会えるまでの関係になり、彼はクラウンから水中での呼吸法や泳ぎ方を学びました。そして、この時彼は、人間がイルカのように水中に適応できる可能性があることに気づいたと言います。

<ケイコス諸島へ>
 彼はイルカたちを閉じこめて芸をさせるという水族館での仕事に疑問を抱くようになり、仕事を辞めて、カリブ海に浮かぶ小さな島、ケイコス諸島に移住しました。彼はそこで素潜りによる伊勢エビ漁を始め、その漁法を島の人々に教えました。その後この伊勢エビ漁はケイコス諸島の基幹産業となり島の経済を支え続けています。そして、この頃彼はフリー・ダイビングの世界記録にチャレンジしてみてはどうか、という誘いを受けました。

<フリー・ダイビング世界記録へのチャレンジ>
 彼はそれまでのダイビングの経験をいかし、「フリー・ダイビング」という酸素ボンベを使用しない無呼吸潜水の世界記録に挑戦するため、世界各地を転戦し始めます。1966年、人間には不可能と言われていた60メートルの潜水に成功。さらに彼はヨガの呼吸法をマスターすることで、自らの心拍数や精神状態をコントロールする方法を身につけます。この方法は、その後彼の記録に挑む者たちのほとんどが身につけるダイビングの基本となります。
 さらに彼は日本を訪れて「禅」についても学んでおり、水中で「何も考えない」ことにより集中力を高める方法も身につけていました。(この方法は、スキューバ・ダイビングや普段の素潜りでも実に有効です。是非、試してみて下さい!)伊豆沖で当時の世界最高記録76メートルに到達したのも、これらの修行の成果でした。

<エンゾとの闘い>
 当時の彼には強力なライバルがいました。それが彼を主人公として製作された映画「グラン・ブルー」にも宿敵として登場していたエンゾ・マイオルカです。(この映画でエンゾを演じたジャン・レノは、この一作で一躍有名になりました)ジャックと彼は、お互いに競い合いながら次々に記録を伸ばして行きました。
 しかし、1974年9月にエンゾが87メートルの世界記録を出した際、浮上中に彼は突然意識を失ってしまいます。(呼吸を長く止めるために突然訪れるこうした意識消失を「ブラック・アウト」といいます。ちなみに、かつてフランク・ザッパがマザーズ結成前にやっていたバンドの名が「ブラック・アウト」でした)
 これを機に、彼はフリー・ダイビングから身を引き、その後記録を伸ばすために行うスポーツとしてのフリー・ダイビングは禁止されることになりました。

<未知への挑戦>
 こうして、ジャックもまた、競技としてのダイビングから離れることになり、医学、生理学など科学的調査を目的とするダイビングの世界で活躍するようになります。彼にとってのダイビングは、単なる「記録への挑戦」から、人類にとっての「未知の世界への挑戦」へと、その方向性が変わることになったのです。
 1974年、彼はカテーテルを挿入した状態で潜水を行うという非常に危険な実験に挑みました。これは、潜水中に体内の血液がどのように変化するのかを診るのが目的でした。すると、この実験から、イルカなど水棲ほ乳類独特の生理反応「ブラッド・シフト」が、人間でも起こりうることが、初めて確認されました。これは、まさに生理学の世界における常識を覆す大発見でした。

ブラッド・シフトについて)
 普通、あらゆる動物の血液は、偏ることなく一様な割合で体内をめぐっています。しかし、イルカなど水棲ほ乳類が水中に潜ると深度によって血液循環が心臓付近へと偏りをみせます。これは体内の器官の中で最も重要な心臓へと血液を集中させることでヘモグロビンの不足を補おうとする代謝反応です。人間にも無意識にそれを行う能力があるということは、人間がかつて水棲生物だったことの証なのかもしれません。(今でも、人間は赤ちゃんとして生まれてくるまでは、母親の胎内で水棲生物として生きています)

<海と共に生きる>
 1976年11月23日、イタリアのエルバ島沖で、ついに彼は100メートルという前人未踏の深さに到達しました。(この時の潜水時間は3分40秒)しかし、この後彼は少しずつフリー・ダイビングの世界から離れて行きます。彼が海に潜る目的は、「記録への挑戦」でも「未知への挑戦」でもなくなりつつありました。
 彼は自らの著作「イルカと、海へ還る日 Homo Delphinus」やドキュメンタリー・フィルム、講演会などを通して、人間とイルカがいかに近い存在であるか、人間がイルカに学ぶべきことがいかに多いかを説き始めます。このことは、単に数値的、学術的に地球環境の保護を訴える従来のやり方とは、まったく別の新しい環境保護運動でもありました。
 大自然とともに生きるイルカの心を理解することは、おのずと環境保護の重要性を理解することにつながるのです。

<ホモデルフィナスの死>
 限りなくホモデルフィナス(水棲人間)に近づいた男、ジャック・マイヨール。彼はイルカの心を理解することで、人間という種族に嫌気がさしてしまったのでしょうか?イルカに生まれかわることを望んで死を選んだのでしょうか?
 彼が自殺した部屋には、イルカの置物と母親の写真が、まるで祭壇に供えるかのように飾ってあったそうです。
 願わくば、来世では、イルカとして生まれてこられますように。

「生命の色彩」  - ジャック・マイヨールに捧ぐ -
赤、橙、黄、緑・・・
少しずつ色が消えてゆく
最後に残った青の世界も、ついには消え去り
あとはただ暗黒の世界が果てしなく続くだけ


そこは、はるか一万メートルの深さまで広がる世界
しかし、色彩が存在するのは、ほんのわずかの場所
ほとんどの生き物が水面近くで生活しているように
色彩もまた水面近くにしか存在しない

夕暮れ時がなぜ美しく、そしてもの悲しいのか
あなたはご存じですか?
あなたが水深30メートルの海底にいたとしましょう
そこから水面への短い旅の途中
あなたは次々と新しい色を発見するはずです
そして、最後にあなたは赤と出会います
そう、その色こそ夕暮れ時の空に見ることができる色なのです

もしかすると、その時あなたが体験した色の発見は
地上に生きる生物すべてが共有する唯一の記憶かもしれません
そして、それは赤ちゃんが母親のお腹から出てきた時の記憶とも共通しているかもしれません
だからこそ、夕暮れ時は僕たち人間にとって
美しく、そしてもの悲しい思いを抱かせるのではないでしょうか

最初に見つけた色、それは海の青
最後に見つめた色、それは夕焼けの赤

暗黒の宇宙に浮かぶ色彩の星、地球
そこには色の種類と同じだけ豊かな生命が息づいているのです

(作)鈴木創

<締めのお言葉>
「はじめて海中に潜って目をみはった幻想的な瞬間以来、私はそれ以前のように見、考え、そして生きることができなくなってしまった。24年前のことだ。あまりにもたくさんのことが一時におこったので、そのすべてをはっきりと理解するのは、今も不可能だ。からだは軽々と空間の中に浮かび、皮膚の所有者は私ではなく水であった。海中生物のあざやかな形態はこの上なく挑発的で、その運動の合理性には倫理的とさえ呼びたい深い意味が秘められていた。私は直観した・・・重力こそ、最初に海を捨てた生物が犯した原罪なのだと。海生ほ乳類を真似てわれわれが海へと回帰するとき、はじめて贖罪がなされるにちがいない」

ジャック・イブ・クストー

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