「JAWS ジョーズ」 1975年

- スティーブン・スピルバーグ Steven Spielber -

<社会現象となった大ヒット>
 この映画の大ヒットにより海水浴に行く人が減ってしまったと、当時よく言われていました。かくいう僕も、足がとどかないところで泳ぐのが怖くなり、海の底を見るのが怖くなったものです。もちろん、その時、僕の頭の中にはあのジョン・ウィリアムスのテーマ曲のイントロが聞こえてきたものです。
 実際、この映画の撮影の際、映画が海水浴場に与える悪影響を懸念する声がありました。そこで小説にあった具体的な地名はあえて映画では使用せず、舞台となるアミティ島はニューイングランド地方沿岸のどこかの島という設定となりました。(実際に使用された場所は、ニューイングランド州の大きな島「マーサズ・バインヤード」と呼ばれる土地でした)ただし、元々アメリカ東海岸のこの地域では鮫が見慣れることはめったになく、それなら影響は少ないだろうという読みもあったのでしょう。
 しかし、「ジョーズ」があそこまで世界中で大ヒットするとわかっていたら、もしかすると撮影に対する反対運動も起きていたかもしれません。それほどに、この映画のヒットは単なる大ヒットの枠を超えた社会現象ともいえるものでした。ただし、その大ヒットの裏には映画の面白さだけではない、そのための仕掛けも存在していたようです。当時、ハリウッドではこの映画の大ヒットにより、「ハイ・コンセプト」な映画という言葉が流行語となったそうです。「ハイ・コンセプト」とはいったいなんぞや?

<ハイ・コンセプト>
 「ハイ・コンセプト」とは、映画の製作現場で使われる用語ではありません。それはズバリ、映画をヒットさせるためにはテレビを中心とするメディアを用いた大規模な広告を打つこと。そしてもうひとつは十分に宣伝広告を行った後、より多くの映画館で一斉に公開すること、この二つを重要視する考え方です。この映画は、「ハイ・コンセプト」な手法を用いて公開された作品として、当時最大のヒットとなり、その後の映画史を変える作品となりました。
 この映画のプリント貸し出し収益は100億円を越えましたが、その数字は60年代を代表するヒット作のひとつ「卒業」の3倍で、「ゴッドファーザー」が3年がかりで作った興行記録をもわずか80日弱で越えたというものでした。この翌年、日本でも角川映画が「犬神家の一族」をこの手法で大ヒットさせ、「ハイ・コンセプト」はごく当たり前のやり方になってゆきます。
 あの有名なテーマ曲をバックに公開前に展開された広告キャンペーンは、アメリカ中の人々に『「ジョーズ」を見ないと世の中について行けない』そう思わせることに成功したといえます。ハイコンセプト映画の先駆となった「ジョーズ」の大ヒットの後、「スター・ウォーズ」、「ET」がさらにその記録を上回り、崩壊しかかっていたハリウッド映画はいよいよ復活へと動き出すことになるわけです。

<ピーター・ベンチリー>
 この映画の原作者ピーター・ベンチリーは祖父から3代続く作家ファミリーに生まれ、初めはテレビのニュース解説や大統領のスピーチ・ライターとして活動。その後、この映画の原作となった小説「ジョーズ」を執筆します。この小説は発売と同時に大ベストセラーとなりますが、発売前、その原稿ができた時点で、すでに出版社はその映画化権についてザナック・プロダクションと25万ドルで契約を結んでいました。(ちなみにザナック・プロダクションの代表者、リチャード・D・ザナックの父親もまた映画製作者です。「史上最大の作戦」、「クレオパトラ」などの超大作を製作した超大物ダリル・F・ザナックです)出版元のダブル・デイ社はそれだけこの作品を高く評価しており、映画との相乗効果により、小説もまた大ベストセラーになると考えたのです。実際、この小説は世界中で1000万部を越える大ベストセラーとなり、その話題性が映画に観客を集め、さらに小説が売れるという理想的な循環を生み出すことになりました。(実は僕も映画を見る前に小説を読んでしまいました)この映画では、原作者自らが脚色を担当。映画の現場が気に入ったのか、彼は次回作「ザ・ディープ」の映画化では自ら監督を担当してしまいます。この映画にも、テレビのリポーター役で出演しています。

<スティーブン・スピルバーグ>
 この映画の監督に選ばれたのは若かりし日のスティーブン・スピルバーグです。テレビ・ムービー「激突」で認められた彼は、初監督作品として「続・激突カージャク」を撮りますが、評論家からの評価はいまひとつで、興行的にもいまひとつでした。その意味では、彼はこの映画に勝負を賭けていました。
 ロケの予定日数は2ヶ月で、撮影は5月2日から始まりました。当時はまだCGがなかったため、鮫との戦いのシーンには、「アニマトロニクス」と呼ばれる鮫のロボットが用いられました。(「アニマトロニクス」というのは、「アニマル」と「エレクトロニクス」の造語で生物の表皮をコンピューター制御のロボットにかぶせたもので、「ベイブ」の動物たちや「ジュマンジ」の動物たちも「アニマトロニクス」を用いて撮影されています)
 もちろん、本物の鮫の映像も必要なため、オーストラリアには別の撮影班がむかい、泳ぎ回る鮫の映像を撮り、それを映画にいかすことになりました。ところが、撮影中アニマトロニクスの鮫が壊れるなどトラブルが多発し、撮影期間は当初の予定をはるかにオーバーして、4ヶ月半にまでなってしまいました。自然相手の撮影だったため予測不可能な出来事も多かったようですが、これで撮影が中止になっていたら、スピルバーグのその後の活躍ももしかしたらなかったかもしれません。それでも、冬になる前になんとか撮影が終了し、なんとか映画は完成にこぎつけました。

<渋い役者たち>
 この映画が生み出したスリルとサスペンスは、リアルにこだわった映像によるものだけでなく、適材適所に配置された渋い俳優たちの力によるものでもあります。
 当初、この映画の主役ブロディー署長役にはスティーブ・マックィーンやチャールトン・ヘストンも候補として挙がっていたといいます。しかし、スピルバーグは「フレンチコネクション」(1972年)や「ザ・セブン・アップス」(1973年)での渋い演技を書く評価しロイ・シャイダー Roy Scheiderを主役に抜擢しました。ジョーズという最強の敵を相手に闘う主人公がマックィーンのようなスーパー・ヒーローではなく、ちょっとひ弱な中間管理職タイプであるところも、この映画がヒットした一員でした。彼が身近な存在に感じられたからこそ、ラスト・シーンでの彼の活躍に観客の多くが拍手を送ったのです。僕が映画館で最初にこの映画を見たときも、ラスト・シーンでは珍しく観客の中から拍手が巻き起こりました。
 主人公のひ弱さを引き立たせる役割を担ったのは、ジョーズだけではなくロバート・ショーもそうでした。「白鯨」におけるエイハブ船長にも匹敵する存在感を示していたクイント船長の強さがあったからこそ、彼の死後、ブロディーの闘いの重みも増したのです。このブロディーを演じたロバート・ショー Robert Shawは1927年8月9日イギリスのランカシャーに生まれた英国人です。ロンドンの王立演劇学校を出た本格派の舞台俳優であると同時に作家としても活躍。小説や戯曲を何作も発表しています。映画デビューは1955年の「暁の出撃」と意外に遅く、その評価が高まったのはさらにそれからしばらく後のことになります。「007/ロシアより愛をこめて」(1963年)のロシア人の殺し屋、「バルジ大作戦」(1965年)の戦車隊指揮官、「スティング」(1973年)でまんまと罠にはまってしまうマフィアのボス、「サブウェイ・パニック」(1974年)での沈着冷静な乗っ取り犯のリーダー、そしてこの映画での鮫退治のスペシャリストと様々な役柄を演じていますが、そのすべてが男っぽく、主人公を引き立てる最強の敵という役どころでした。
 ひ弱な主人公に最強の助っ人、そして、もうひとり「白鯨」における主人公のように、この映画にとって観察者的な位置にいる鮫オタクの青年フーパーの存在も重要です。彼がいることで、ピンと張られた緊張の糸は時々緩められ、そこから再びサスペンスが盛り上がることが可能になりました。フーパーを演じたのは、ジョージ・ルーカスの出世作「アメリカン・グラフィッティ」で認められたばかりのリチャード・ドレファスでした。

<最強の悪役>
 こうして生まれた巨大鮫「ジョーズ」は、その後のハリウッド映画を支えることになる数々の悪役モンスターの原点となります。「エイリアン」「ゾンビ」「ターミネーター」「プレデター」「トレマーズ」「ジェイソン」・・・etc.悪役でありながら、主役として「パート2」、「パート3」ができるまでの人気者となったモンスターとしては、フランケンシュタインやドラキュラに匹敵する存在になったといえるかもしれません。当時の最新テクノロジーだったアニマトロニクスが生み出した素晴らしい鮫のクールな演技もまた主演男優賞に値するものでした。

<鮫との出会い>
 かつて、僕はスキューバ・ダイビングにはまっていたことがありました。一時は真面目にインストラクターになろうかと考え、ダイビング・ツアーの手伝いをしていたこともありました。その頃のこと、僕は海の中で鮫に再接近したことがります。場所は八丈島。台風が過ぎ去った直後の荒れた海を渡って、僕は当時八丈島の測候所で働いていた大学時代の研究室仲間のところに遊びに行きました。
 彼と僕と地元のインストラクター3人で港近くのポイントに潜っていると、なんと遠くからゆらゆらと大きな魚影が近づいてくるではありませんか。それはまさに鮫でした。遠くに見えるその姿は台風明けの澄んだ空から差し込む強い日差しにキラキラと輝いていて数10メートル先からでもはっきりとわかりました。こんな時、普通海水浴をしていたとしたら、逃げることを考えたかもしれません。しかし、ダイバーのほとんどは、こんな時は思わずガッツ・ポーズをしてしまいます。何せ、水中で鮫を見られるチャンスは何十回に一回あるかないかなのです。それは報道カメラマンが戦場でカメラのファインダーを覗くと銃弾が怖くなくなるのと似ているかもしれません。ダイバーもみな水中では、鮫が怖くなくなってしまうのです。実は、その鮫は尾長鮫という種類で人は襲わない種類だとすぐわかったので、どっちにしても安心だったのですが。
 我々は水底の岩にへばりついて、じっと鮫が近づいてくるのを待ちました。鮫のエラの動きまで見えた時の感動は未だに忘れられません。ところが、鮫が我々のそばを通り過ぎていった後、姿が見えなくなってから、状況は変わりました。姿が見えなくなったとたん、どこからか鮫が出てこないか、気になりだしたのです。すると、あのジョン・ウィリアムスの「ジョーズ」のテーマが聞こえ出してきました。このままではまずい、僕は知らん振りをしながら前を泳いでいた友人のフィンをつかみました。やあ、その時のビビッたことといったら・・・すまん!
 今なら、フーパーがオリに入って水中に降りた時の心境がわかります、きっとワクワクしながら潜っていたのでしょう。そのワクワク感は、もしかするとこの映画を見て怖がらせられた観客たちの気分と共通するのでしょう。映画館の中ならどんな残虐なシーンを見ても平気で大喜びできるという感覚、これもまた映画が育てたものかもしれません。かつて、巨匠ヒッチコックが生み出したサスペンス・ホラー映画のスタイルは、若きスピルバーグによって、より幅広い観客をひきつける「ハイコンセプト」な映画として完成され、この後ハリウッド映画はこれを主食として復興してゆくことになるのです。

「ジョーズ JAWS」 1975年公開
(監)スティーブン・スピルバーグ
(製)リチャード・D・ザナック、デヴィッド・ブラウン
(原)(脚)ピーター・ベンチリー
(撮)ビル・バトラー
(音)ジョン・ウィリアムズ
(編)ヴァーナ・フィールズ
(美)ジョセフ・アルヴィス・Jr
(出)ロイ・シャイダー、ロバート・ショー、リチャード・ドレイファス、ロレイン・ゲイリー

<あらすじ>
 6月のある夜、アメリカ北東部の小さな街、アミティの海岸に女性の死体の一部がうち上げられました。警察署長のブロディ(ロイ・シャイダー)は、彼女の死は鮫に襲われたためと判断。海水浴場に遊泳禁止の立て札を立てます。しかし、海水浴場に訪れる観光客が落とすお金で生計を立てている街の経済にとって、その決断は重いものでした。そのため、市長のボーンはさっそくブロディに看板をはずすよう命じます。彼は女性の死は、船のスクリューに巻き込まれた可能性もあると主張し、再び海水浴場をオープンさせる決断をします。ところが、そんな市長の判断をあざ笑うかのように、次の日曜日今度は男の子が水中に消えてしまいました。市議会が急遽召集され、再び海水浴場の閉鎖問題が話し合われますが、なかなか結論はでませんでした。しかし、そこに現れた漁師のクイント(ロバート・ショー)は犯人は間違いなく鮫だと断言し、一万ドル出せば俺がその鮫を退治してやると提案します。子供を殺された母親が殺人鮫に3000ドルの賞金を賭けたため、アミティには全国から鮫のハンターが集まり、さっそく体長4メートルの鮫が釣り上げられました。
 しかし、そのトラザメを見た海洋生物学者のフーパー(リチャード・ドレイファス)は、その口の大きさから、犯人ではないと言い切ります。そして、彼の予想どうりトラザメの腹の中からは魚しか発見されませんでした。
 7月4日アミティの海開きの日。再びボートに乗っていた男性が襲われます。もう、その巨大な殺人鮫の存在を疑うものはなく、海岸は閉鎖され、クイントの漁船「オーガ号」は、ブロディとフーパーを乗せ、殺人鮫を求めて船出をして行きました。いよいよ鮫と男たちとの闘いが始まります。

20世紀映画劇場へ   トップページへ