「真夏の夜のジャズ Jazz On A Summer's Day」 1958年

- アニタ・オデイ Anita O'Day 、バート・スターン Bert Stern -

<モダン・ジャズの黄金時代>
 「真夏の夜のジャズ」、これほど幸福な雰囲気に包まれた映画は、ちょっとないでしょう。ステージに登場するアーティストたちは、皆自信に満ちあふれており、彼らに声援を送る観客たちもまた実にお洒落で素敵な人たちばかりです。
 それもそのはず、この映画が撮られた1958年は、モダン・ジャズにとって最も豊かな実りの時期だったのです。
 例えば、クリフォード・ブラウン Cliford Brownの"Study In Brown"(1955年)、チャーリー・ミンガス Charlie Mingusの「直立猿人 Pitecanthropus Erectus」(1956年)、セロニアス・モンク Thelonious Monkの"Brilliant Corners"、ソニー・ロリンズ Sonny Rollinsの"Saxophone Colossus"(1956年)、アート・ブレイキー Art Blakeyの「モーニン」(1958年)、マイルス・デイビス Miles Davisの"Kind Of Blue"(1958年)、オーネット・コールマン Ornette Colemanの「ジャズ、来るべきもの The Shape Of Jazz to Come」(1959年)
 ジャズの歴史に残る名盤中の名盤は、まさにこの時期に録音されています。

アメリカ合衆国の黄金時代>
 さらに観客であるアメリカの人々にとっても、この1958年はアメリカがその後30年にわたって失うことになる栄光をかろうじて保っていた最後の時代でした。
 朝鮮戦争は1953年に終わっており、アメリカは戦争のない平和な時代を謳歌していました。しかし、その平和も翌1959年のキューバ革命により、いっきに緊張の時代を迎えることになります。米ソ対立の図式にキューバが加わったことで、アメリカは喉元にナイフを突き立てられたも同然の状況に追い込まれるからです。
 それだけではありません。人種差別の撤廃を求める公民権運動は、少しずつ盛り上がりつつあり、1958年にはワシントンにおいて大きなデモ行進が行われました。アメリカの国内は、いよいよ混乱の時代を迎えようとしていました。そして、アメリカにとって屈辱的な敗北となるヴェトナム戦争がいよいよ始まろうとしていたのです。
 そんなわけで、第二次世界大戦で唯一直接的被害を受けず、戦後の復興景気で一躍世界のリーダーとなったアメリカにとって、この時期は20世紀最高の時代だったのかもしれません。
 まるで南仏を思わせるリゾート地ニューポートに集まった白人の聴衆は、皆そんな豊かで平和な時代を体現しているかのように粋なファッションに身を包み、幸福そうな笑顔を浮かべています。それはまるで、ファッション雑誌「ヴォーグ」を見るようなゴージャスな雰囲気です。その幸福感はコンサートの会場だけでなく、街中の映像やヨット・レースのシーンなど、すべてに満ちあふれています。
 ああ、なんという幸福な時代だったのでしょう。(もちろん、それはアメリカの白人にとってという意味ですが、・・・)

<偉大なるアーティストたち>
 この映画は、歴史的に貴重なもの、音楽の質において最高級のものなど、どれも見逃せないシーンばかりです。
セロニアス・モンク「ブルー・モンク」では、高僧のピアノ・プレイを見ることができます。アニタ・オデイ「スウィート・ジョージア・ブラウン」「二人でお茶を」は、彼女にとって一世一代の名唱と言えるでしょう。実にチャーミングです。ダイナ・ワシントン「オール・オブ・ミー」も、貫禄充分の熱唱です。ジェリー・マリガン「アズ・キャッチ・アイ・キャン」の渋い演奏も見逃せません。R&B界からはビッグ・メイビス・スミス「アイ・エイント・マッド・アット・ユー」、ロックン・ロール界はチャック・ベリー「スウィート・リトル・16」が登場し、もうひとつの黒人音楽ブームを予感させていました。チコ・ハミルトン「ブルー・サンズ」では、エリック・ドルフィーの貴重な演奏シーンを見ることができます。ルイ・アームストロング「レイジー・リバー」「タイガー・ラグ」「聖者の行進」は、エンターテナー、ルイ絶頂時のパファーマンスを楽しめます。そして、トリに控えるのはルーツ・オブ・ブラック・ミュージック、ゴスペル界の女王マヘリア・ジャクソン「シャウト・オール・オーバー」「ディドゥント・イット・レイン」そして「主の祈り」まさにこの映像を締めるのにぴったりの熱唱です。

<膨大なフィルムから>
 ニューポート・ジャズ・フェスティバルは、1954年からロード・アイランド州ニューポートで開催されており、すでに歴史のあるコンサートでした。この映画は、7月3日から6日までの4日間、カメラを回し続けて制作され、トータル24時間分のフィルムを撮ったということです。それをわずか80分の作品にまとめ上げた編集者の手腕も、たいへんなものですが、残りの使われなかったフィルムが未発表のままというのもまた贅沢な話しです。

<幸福な時代の記録>
 幸福な時代の「幸福な演奏者と聴衆」をとらえたこの作品は、我々にひとときの「真夏の夜の夢」を見させてくれる貴重な作品です。優れた映像作家が、実に幸福なタイミングで出会うことができた素晴らしい瞬間の数々が、こうして貴重な記録として残ったことに感謝しなければならないでしょう。この映像を再現することは、永遠に不可能なのですから。
 例えジャズに詳しくなくても、1950年代のアメリカについて何も知らなくても・・・たぶんこの映画をみるとノスタルジックで幸福な気分に浸れること請け合いです。
 この映画は、みるたびに人々を1950年代の古き良きアメリカのリゾート地へとタイム・スリップさせてくれ、音楽のもつ「時代を越えて感動を伝える力」を感じさせてくれる永遠の名作です。

<ニューポート・フェスの花、アニタ>
 この映画の中には、いくつもの名場面があります。特に後半、夜のステージにおけるマヘリア・ジャクソンのゴスペル・ライブやルイ・アームストロングの素晴らしい演奏はメイン・イベントといえるでしょう。しかし、僕にとってこの映画の中で最も印象深い演奏といえば、アニタ・オデイの昼間のライブ・シーンです。この場面は、夜の盛り上がりに比べるとテンションは確かに低いのですが、その分このイベントのリラックスした雰囲気をいい感じで映し出しています。アニタのモノトーンの衣装も素敵だし、リゾート地のニューポートらしい観客たちのファッションも実に粋です。音楽フェスティバルというのは、ステージ上のアーティストも大事ですが、会場を埋める観客たちが作り出す独特の雰囲気こそがその価値を決めるといえる思います。そう考えると、なおさらアニタ・オデイのライブこそ、この映画を最も象徴していると思えるのです。このライブの時、彼女は38歳。女ざかりであり、アーティストとしてもピークを迎えていた時期でした。

<アニタ・オデイ>
 アニタ・オデイは、1919年12月18日イリノイ州シカゴで生まれています。プロの歌手としてデビューした年は、1939年マックス・ミラーのコンボの一員としてでした。その後、1941年に彼女はジーン・クルーパ楽団に引き抜かれ、しだいに人気者になってゆきました。当時の彼女は白人ではあってもハスキーな声を持ち、ビリー・ホリディの影響を受けたブルージーなヴォーカルも売りにしていました。しかし、1944年から1年スタン・ケントンの楽団に参加して、そこでモダン・ジャズの新しいヴォーカル・スタイルを身に着けます。1945年にジーン・クルーパ楽団にもどった彼女は「ブギ・ブルース」などを歌って高く評価され、「エスクワイヤ」、「ダウンビート」両誌の人気投票で新人歌手部門、バンド・シンガー部門で1位に選ばれます。
 勢いに乗った彼女はバンドから独立してソロ・アーティストとしての活動を開始します。ところが、人気を利用してのクラブ経営に失敗。さらには、そうしたストレスからアルコール中毒にもなるなど、音楽以外での失敗により歌手生命の危機に追い込まれてしまいます。
 彼女の才能を認めていた音楽プロデューサーのノーマン・グランツはそんな彼女を救い出そうと、再び音楽活動に戻らせます。1952年、クレフ・レコードで録音を行った後、彼女はヴァーヴ・レコードから次々にアルバムを発表。見事に復活を果たします。「An Evening with Anita」や「Anita」(1956年)、「Anita Sings the Most」(1956年)、「Pick Yourself with Anita」(1956年)など。こうして、1958年のニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演した当時の彼女は文句なしに白人ジャズ・ヴォーカリストとしてNo1の人気者だったといえるでしょう。
 しかし、この後、グランツの元を離れてから再び活動停止状態となってしまいます。どうやら、彼女は麻薬中毒に苦しんでいたようで、ついに麻薬中毒患者のための施設に入り、1969年にやっと復活を果たします。そして、1970年代に入り、彼女は西海岸を活動拠点としながら本格的に活動を再開。奇跡の復活を遂げました。しかし、彼女の魅力的な声はその後長くはもちませんでした。
 その意味では、この映画はそんな彼女のもっとも輝いていた瞬間を閉じ込めたタイム・カプセルでもあるのです。

「真夏の夜のジャズ Jazz On A Summer's Day」 1958年(日本公開1959年)
(監督)バート・スターン Bert Stern、アラム・アヴァキアン Aram Avakian
(制作)ハーヴェイ・カーン Harvey Kahn、バート・スターン
(撮影)バート・スターン、コートニー・ヘイフェラ、レイ・フェアラン
(音楽)ジョージ・アヴァキアン
(出演)上記参照

<追記>
 あの時代のアメリカは幸福だった。酔うのに、ジャズとジンジャーエールとタバコだけで十分だったのだ。麻薬もヴェトナムもエイズもまだなかった。ケネディが大統領に就任したのは、1961年ではなかったか。ヴェトナム戦争がはじまったのは、1963年だったろうか。
 音楽は、健全な酔いを与え、夢見させ、幸せにしてくれるものでしかなかった。プロテストの手段では、まったくなかったのだ。・・・
 イミテーション・ジュエリーがチカチカしていた時代のアメリカが、今の私にはかぎりなくなつかしい。そして音楽が、文字とおりの楽しい音であった時代が
・・・。
塩野七生「人びとのかたち」より

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