ジャズ黄金時代の青春文学


「ジャズ・カントリー Jazz Country」

- ナット・ヘントフ Nat Hentoff -
<ジャズ文学不朽の名作>
 「ジャズ・カントリー」は、ジャズのスタンダードナンバーのように長く読まれ続けている「ジャズ文学」の名作です。
 しかし、考えてみると、「ジャズ」という音楽ほど「文学」の対極に位置する存在はないかもしれません。
 「ジャズ」とは、基本的に歌詞=文学のない音楽です。(たまにスタンダード・ナンバーに歌詞をつけた曲も存在しますが・・・)
 「ジャズ」とはある意味、歌詞を否定する音楽ともいえます。なぜなら、そもそもジャズとはインプロビゼーション(アドリブ)を基本として、毎回異なる演奏を行う音楽なので、歌詞だけをあらかじめ決めるわけにはいかないからです。その意味で、「スキャット」は実にジャズ的なヴォーカル技法と言えます。
 そこまで歌詞=文学を否定しているにも関わらず、ジャズを語る文学作品の方は数多く存在します。(1950年代から60年代にかけてのビートニク時代の文学作品の多くはジャズの影響下に書かれていました)
 そうしたジャズ文学の中でも「ジャズ・カントリー」は、「ジャズ文学」としてだけでなく「青春文学」としても未だに輝きを失わない名作です。
 最近になって改めてこの本を読んで、その新鮮さに感心しました。著者の分身ともいえる白人青年だけでなく、何人かの登場人物をそれぞれ生き生きと描くことで、1960年ごろのジャズシーンを立体的に描き出すことに成功しています。もちろんジャズ評論家でもある著者ならではの「ジャズ論」も展開されていて、ジャズ・ファンにはたまりません。
 ここでは、登場人物それぞれについての素晴らしい台詞や文章、ジャズ論などから傑作を選んでみました。

<モーゼ・ゴッドフリー>
 モーゼ・ゴッドフリーは、主人公トム・カーティスの師匠となった黒人ジャズ・ピアニストです。そのモデルは明らかにジャズ史を代表する黒人ピアニスト、セロニアス・モンクです。

 新人テナー・サックス奏者のレコードを聴きながら、彼はレコードとライブの音についての違いを解説しています。
「まずしばらくはおれは、こいつの演奏をクラブで聴いてみたいな。じかに知らなくちゃ。レコードは写真のアルバムみたいなもんだ。いざというときには、いつでも聴けるから持ってて悪くないもんだが、ドキリとはさせんね。ところがおれは、ドキリとさせられたいんだ。」

 彼が、仲間たちと共に理想のジャズに近づきつつあると感じた喜びについて語るくだりにもワクワクさせられます。かつて、ジャズはそんな境地にまで迫っていた!と実感させられます。僕にはその技術的な面での快感は理解できないのですが・・・でも素敵です!

「まあ、それはともかくとして、今日は、おれはここにウィルを読んだ。それで、きみたちにあることを教えようとして、この音楽を書いたんだ。きみたちはみんなすごくヒップになってきてる。おれも、だ。おれたちは、もうコードが必要じゃないところにまで辿りつこうとしてる。時間というものを言いなりにならせる新しい方法を見つけるところにまで、辿りつこうとしてるんだ。・・・」

<ビル・ヒッチコック>
 ビル・ヒッチコックは、モーゼのバンドのメンバーでもあるベテランのジャズ・ベース奏者です。彼はトムの演奏を聴いて、厳しい感想を述べます。
「きみのブルースは新品の靴みたいなもんだ。すっかり磨きあげられながら泥ひとつついてやしない。どこにも行ってやしないんだから、な。ほら、たくさんの連中がジャズとは何か言おうとして本を書いたが、チャーリー・パーカーは言いたいこと全部を三十秒とかからないで言ってのけた。あいつは言ったんだ。『音楽ってのは、きみの経験だ、きみの思想だ、きみの知恵だ。もしも音楽を生きなきゃ、音楽がきみのトランペットから生まれてくるわけはない。』あらゆる種類の音楽のことを、あいつは言ってたんだが、何よりもその言わんとするところはジャズに当てはまる。
 何故かっていうと、即興やてるときには、きみ、じぶんの内部に入りこんでいって、その瞬間にじぶんがどう感じてるか掴み出すんだから、な。そいで、もしも、きみがたっぷり感じとれるくらいたっぷりと生きてこなかったんなら、聴くに値するような生い立ちなんてな、何ひとつ物語ることにならないね。」


 スウィングについて、彼の解説もまた実にわかりやすく勉強になります。

「スウィングするしかたは、いろいろあるんだ。」ビルは、きちんと連続して始めるようになったレッスンのひとつが終わったとき、言った。
「バッハは、かれ流に、スウィングしてたんだ。そいで、ベートーヴァンもな。第7交響曲をきいてみろよ。そいで、ジャズじゃ、ニューオーリンズ出身の昔の連中は、それなりにスウィングしてたんだ。ハーレムのジャズ・ミュージシャンも、別のやり方でスウィングしてたもんだ。チャーリー・パーカーは自分のやり方を見つけたんだ。で、そいつは、今もつづいている。
 ところで、きみが批評家の誰かれのを読むとするだろう。彼らは、こんなことを言うんだ。君が君の足をうって拍子をとれなくちゃ、ジャズじゃないんだなんて。そんなの、ナンセンスだ。問題は、君が聞いてるとき脈動を感ずることができるかどうか、だ。いつもかもドリルみたいに君の耳にがんがん鳴ってる必要はない。注意してチャーリー・ミンガスを聴いてごらん。彼のは、別のやり方だ。彼のビートは、うねって入り、うねって出て、ゆったりとし、速まっていき、曲線みたいなんだ。それは生きてるんだ!それは彼なんだ!そこが大事なところだ - 時間を自己流に感ずる感じ方を見つけるってのが。そいで、それから同じやり方の連中をみつけるってのが。」


<ビッグ・チャーリー>
 モーゼの存在よりもさらに大きいのが、モーゼの恩師でもある盲目のブルース・ミュージシャンのビッグ・チャーリーです。ブラインド・レモン・ジャファーソンのようなギター&ヴォーカルの偉大にブルースマンに育てられ、モーゼは自らの音楽にソウルを込めることを学ぶことができたのです。こうして「アフロ・アメリカ音楽」の伝統は、現在まで受け継がれてきたのでしょう。
 そんな偉大な恩師についての思い出をモーゼが語り出すところがまた実に魅力的です。

・・・今でも、ぼくはゴッドフリーの甲高い静かな声を、耳にできる。ときたま、あんまり静かに話すので、何を言ってるのか聞き分けられないことがあった。そして、その話のしたには、まるで、ある歌が演奏されているみたいだった。いや、たいていの場合、ただその歌を感じていただけだったろう。音楽が演奏されていないと気に、音楽を感ずるなんて話をするのは、馬鹿げて聞えるということは、ぼくにもわかっている。だが、そういうことが、起こりうるのだ。そして、ぼくが感じていたのは、ブルース、ぼくが何ひとつ知らない時と場所から現われ出てきた、ある、古い古い、ブルースだった。・・・

 ある日、少年だったモーゼはビッグ・チャーリーから「自分は自由だ」ときかされ驚かされます。時代はまだ人種差別が当たり前で、黒人は差別され続けていた中での話です。

「自由ですって」と、おれは聞いた。
「テキサスで、黒人でありながら自由ですって?」
「おまえさんは、わしに一日中ついとった」
と、チャーリーは言った。
「わしがしたくないことを何かするのを見たかね、え?誰かの靴を磨いたり、『さようです、親方』なんて言うのを、見たかね、え?わしは、友だちのために歌っとっただけだ。で、その歌が気にいったちゅうんで、わしにくれる金をもっとったら、わしは、それを貫いたんだ。身を守るために、わしは、わしの縄張りのなかじゃ、わし本来のままであるように、うまくやってのけとったのだ。」
 
ビッグ・チャーリーは、さらに話しつづけた。
「わしがそう出来るただひとつの道はだな、わしが、歌って弾けるからなんだ。もしそうでなかったら、わしは、匍いつくばわにゃいかんだろ。何もおかしいことはないのにニタニタ笑いをせにゃならんだろうな。」


 ビッグ・チャーリーはモーゼに良く聴くことの重要性を説きました。
「おまえさんはミュージシャンだ。そして、ミュージシャンというものは、じぶんの音楽で言うべきことを、つぎつぎにたくさん学べるように耳を傾けなきゃいかんのだ。そして、じぶんを守るためにも、耳を傾けなきゃいかん。巡業するミュージシャンというのは、誰を信じていいのか、誰を信じちゃいけないのか、わからなくちゃいかん。活気をいっぱいもってる連中を信じるんだな。言ってることのその下に耳を傾けりゃ、わかるものだ。・・・」

 既成概念にとらわれることなく「自由」に表現することの重要性も彼が教えてくれました。
「おまえさんは、弾いとるのと別の音楽を、頭で聴いとるんじゃわい。ひどく、そいつがかけはなれとるんで、おまえさんは、笑われるんじゃないかと恐がって、その音楽を外に出さんようにしとる。出すんじゃ、な、出すんじゃ。もし出さんと、おまえさんは、心の落着きがえられんぞ。」

<フレッド・ゴッドフリー>
 主人公トム・カーティスの黒人音楽への憧れとは対照的なモーゼの息子フレッドの反発がこの小説をより奥深いものにしています。天才の息子に生まれてしまった2世の不幸もまたこの作品の読みどころです。

「すると、ぼくは、その遺産を裏切ってるってことになるんかな、え?ぼくがジャズに反応をしめさないからってんだ?ぼくが足を踏み鳴らさないからってんで?型にはまった言い方じゃないか!これまでのありかたとは別のやりかただったら、黒人には、自分のやりかたも選べないんかい?」

<ダニー・シモンズ>
 若手の黒人トランぺッターのダニーは、ゴッドフリーの弟子で自分の音楽への強いこだわりをもつがゆえに、生活のために仕事をすることも良しとしない厳格すぎるミュージシャンです。
「・・・ぼくはシカゴのサウス・サイドにあるファンキーなブルース楽団にいたことがあるし、一、二週間だけでみんな通り過ぎていってしまうクラブのお抱えピアニストだったこともあるし、何人かの歌手の伴奏したことだってある。それは、悪いことじゃなかった。ずいぶん勉強になったさ。しかし、いったんぼくがしゃんとして、自分の言いたいことを見つけ出すと、ぼくは他人のために演奏するのを止めなければならなかった。さもないと、ぼくは、真っ二つに引き裂かれちまう。・・・」

「・・・つまり、音楽というのは、ひとびとにたどりつくためにあるんだ。ときたま屋根裏部屋でとか、自分ひとりきりで演奏するというんじゃ、うまくいかない。いや、それだけじゃない。自分のやってることとやってないことをほんとに理解する道というのは、ただひとつだ。出ていって、何が通じ、何が通じないかを、感ずることだ。ひとりきりだと、自分をだましてるかどうかも、決してわからない。もしかしたら、つくっている音楽に血も骨もないかもしれない。わからないんだ。・・・」

「・・・ぼくは、むしろ自分の音楽のためにつかえるエネルギーを、全部貯えたい。それに、僕はやっぱり何てったって自由なんだ。文無しだが、自由なんだ。誰も僕にどうこうしろなんて言わない。・・・」


「ジャズ・カントリー Jazz Country」 1964年
(著)ナット・ヘントフ Nat Hentoff
(訳)木島始
晶文選書

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