実験的推理小説の可能性に挑む


小説「時空犯」
小説「スイッチ 悪意の実験」
小説「エンドロール」
NEW!小説「あらゆる薔薇のために」

- 潮谷験 Ken Shiotani -
「あらゆる薔薇のために」2022年(第4作)NEW!
<あらすじ>
意識を失い昏睡状態のまま生き続ける謎の病。その患者を画期的な方法によって回復させた医師が殺害されます。
さらにその医師の元患者が連続して殺害される事件が発生。
治療によって回復した患者は、皆過去の記憶を失っていたことから、その精神的ストレスを緩和するためグループを作っていました。
連続殺人事件はそのグループに関りがあることがわかってきます。
自分自身もその患者だった刑事は、そのグループの中である実験が行われていたことを突き止めます。
被害者は、その実験に関わっていたことが明らかになり、しだいに容疑者も浮かび上がります。
しかし、なぜ犯人は殺人を犯したのか?その目的は?ある実験が何をもたらしたのか?
 これまでも推理小説の枠組みを越えるジャンル横断的作品を描いてきた著者は、今作でもまた新たなジャンルに挑戦。
 前半部は医療系犯罪推理小説として展開し、犯人捜しを中心にドラマが展開します。
 もしかすると多くの読者は、ラストを前に犯人は誰か、予測がつくかもしれません。
 真犯人の犯行理由は最後まで、今一つ納得しきれない気もしましたが・・・。
 でも、犯人捜しはこの作品の中心テーマではないのです。本当のこの作品のテーマは、犯人がわかってから提示されます。
 著者によると、この作品の推理小説部分とそこから先のSF的部分の比率にかなり悩んだそうです。
 何せ、そこから始まるスタニスワフ・レム的思弁SF小説は、一気に物語を京都の街から壮大な宇宙へと拡大させてしまうのです。
 スタニスワフ・レム的思弁SF部分は、読者にとっては眠くなりかねない内容です。(映画「惑星ソラリス」はまさにその典型)
 「犯人は誰か?犯行理由は何か?」という推理小説的モチベーションによって、読者は物語を読み進めます。
 そして、最後に辿りついた謎解きから、読者は突然SF的ワンダ―ワールドへと旅立たせられます。
 そこには、壮大な宇宙もしくは記憶の海が広がっているのですから驚きです。
 著者は、いよいよ「ジャンルからの逸脱」を自分のものにしつつあるのかもしれません。
 こうした「逸脱」が生み出す「意外性」もまた「センス・オブ・ワンダー」を生み出す源となります。
 「文学」がもつ「自由」を生かすことで、これからも挑戦的な作品を生み出し続けてほしいです。
<スタニスラフ・レム的思弁SF>
 ポーランドが生んだSF界の巨匠作家スタニスワフ・レム。
アンドレイ・タルコフスキーとスティーブン・ソダーバーグによって映画化された「ソラリスの陽のもとに」(映画は「惑星ソラリス」)
海が人間の記憶を実像化してしまう惑星が舞台でした。
彼の作品は、戦闘シーンもヒーローの活躍もありません。
「記憶とは何か?」「生命とは何か?」を文学によって描くためにSF的文学手法を利用した作家です。
科学と文学、そして哲学を融合させたある意味、究極のSF作家です。

<推理小説の取り扱い>
 ここで取り上げる小説「時空犯」のキャッチ・コピーは、こう書くこともできます。
タイム・ループが続く世界を止めるため、選ばれし人々が時空犯に挑む!
 でもこの小説はSF小説というよりも推理小説いうべき作品なんです!
 そもそもジャンル分け自体が今やもう古いと言われるとそれまでですが・・・ご理解の上、少々お付き合い下さい。

 「ポップの世紀」では今まで推理小説の作家や作品は、ほとんど取り上げてきませんでした。もちろん僕が推理小説が嫌いだからというわけではありません。中学生の頃、僕が最初にはまった作家はアガサ・クリスティーで、その後、横溝正史にもはまり、海外の推理小説の名作もかなり読みました。
 ではなぜ、推理小説をほとんど取り上げていないのか?
 答えは簡単、推理小説の魅力をネタバレなしに紹介できないからです。そして、推理作家は作品の裏側に隠れていて、その私生活はドラマチックとは言えなさそうだからです。
 今回ここで取り上げる「時空犯」は、まさにその推理小説ですが、かなり異色の実験的な推理小説と言えると思います。

<推理小説の枠組み>
 推理小説というジャンルは、文学の中でもかなり特異な存在です。歴史も古く、今でも新しい作品が世界中で生み出され続け、世代を越えた確固としたファン層をもつ唯一無二のジャンルと言えます。
 「犯人」「被害者」「被疑者」「探偵(刑事)」がいて、小さな部屋が一つあれば成立するシンプルな構造も特徴です。あとは作者の優れた「アイデア」さえあれば、傑作を生み出すことが可能です。
 ただ、歴史が古い分、様々なアイデアがすでに提示されており、読者を驚かせる作品を生み出すような新しいアイデアを見出すのは至難の業です。
 同じような人気ジャンルとしてSFもありますが、今やSFというジャンルはその枠組みが他のジャンルと融合することで失われつつあります。「科学」は人間社会に大きな影響を与える存在となり、「空想科学(SF)」はもうジャンル分けは不可能な存在になっていると言えます。そのためSF小説の中には、ハードボイルドもの、恋愛もの、そして推理ものなどいろいろなタイプが書かれてきましたが、推理小説がSF的要素を利用する作品は珍しいと言えます。

<推理小説が時代を超える理由>
 古くても新しくても「推理小説」の基本は、「事件」と「捜査」と「謎解き」という基本構造があることです。あとはその構造を保ちつつ、時代に合わせた飾りつけをすることで作品が生み出されることになります。
 例えば、物語の登場人物が捜査に用いる通信手段は、電話なのか?スマホなのか?ポケベルなのか?その選択で作品は大きく変わるはずです。最近では、そこにSF的要素が加えられ、過去の人物と話すことが出来る無線機が登場したりもしています。ただし、こうしたSF的要素の導入は、推理小説にとってはかなり危険な賭けです。
 なぜなら、推理小説は数学のように理詰めで犯人が誰かを証明できなければ、読者を納得させられないからです。SF的要素を取り入れるなら、きっちりとその枠組みを定め、推理の基礎が論理的に破綻しないようにする必要があります。
 例えば、タイムマシンを推理小説に導入すると、探偵に求められるのは推理ではなく、過去に戻って事件を起こさせないことになるでしょう。でも、そうなればそれはもう推理小説とは言えないかもしれません。

<時間逆行と推理小説>
 この小説で描かれている「タイム・ループ(時間の繰り返し)」は、実は推理小説において当たり前に使われています。
 名探偵は、事件を解決する際、脳内で時間の巻き戻しを行うことで捜査を行っています。そして、名探偵は被疑者たちを前に「謎解き」をする時も、過去の出来事を全員で追体験しています。素晴らしい作品はその追体験によって、読者を事件に感情移入させ、時に感動の涙を流させることにもなります。(松本清張の「砂の器」などはその代表的作品)
 ただし、その「タイム・ループ」を作品の中で実際に科学的に実現させるとなると話は別です。どのジャンルのファンよりも、論理的矛盾を許せないのが推理小説の読者です。彼らを納得させるには、「タイム・ループ」を科学的に説明するだけではなく論理的に成立可能な世界を作り上げる必要があります。
 「時空犯」は、その危険な賭けに挑んだ意欲作であり、著者は論理的破綻なく「事件」を起こし、名探偵による「謎解き」までを描くことに無事成功しました。
 考えてみると、そこで「タイム・ループ」の科学的な説明にあまり熱心になり過ぎると、それはもう推理小説ではなくSF小説と呼ぶべきなのかもしれません。

<「時空犯」のあらすじ>
 私立探偵の姉崎は、説明会への出席報酬40万円に惹かれ、ある実験への参加説明会に出席します。その実験の主催者は情報工学の有名な研究者、北神教授でした。
 当日その会場に集められたのは、ネット関連の専門家、元政治家、現役の刑事、商店街のやり手おばさん、人気アイドルなどバラバラな人々でした。
 そこで説明された参加者の任務とは、今現在繰り返し起きている「タイム・ループ」を体感し、それを止めるアイデアを出すことでした。「タイム・ループ」は、普通は過去の記憶を失ってしまうので誰も気が付かない。しかし、ある薬品を飲むことで過去の記憶を失わなくなり、それにより時間が繰り返していることを認識することが可能になるというのです。
 出席していたメンバーは、それぞれの思いを抱えつつ、参加を決意しますが、時間の巻き戻しが起きた翌日、予想外の殺人事件が起きてしまいます。

<デビュー作「スイッチ」との比較>
 デビュー作「スイッチ」でも、著者は作品中にボランティアたちによる「実験」という特殊な物語の駆動装置を使っています。
 その実験は、参加者がそれぞれの意志によって、ある家族を不幸にするかどうかの選択を行うという内容でした。実験の目的は、「人は悪意のある選択をあえてするものなのか?」を調査するというものでした。そしてもし、そうした「悪意ある選択」をするのが人間の本能なら、それはなぜなのか?その意味を探ろうというものでした。
 そこで行われた実験は、ある意味「未来を選択する」行為であり、参加者は同じ大学の生徒たちでした。
 それに対し、「時空犯」の実験では時間の巻き戻しにより、「過去の選択」が可能になり、それが「現在の選択」へとつながります。そして、実験への参加者は、学生だけだったデビュー作から一気に多様化しました。もしかすると、「スイッチ」は「時空犯」のプロトタイプだったのかもしれません。
 当然ながら、「タイム・ループ」のシステムを論理的破綻なしで作り上げることは困難だったはずです。実際、基本的なアイデアはあったものの、最後に上手くまとめられるかどうか?著者は、不安な気持ちで書き始めたと言います。(そこは著者がメールで教えてくれました)
 思えば、推理小説の作家さんは、大物になるほどそれぞれ独自のスタイルを持っているものです。その点、著者はまだ2作品目ということで、逆に自由度が高いはず。だからこそ、時間逆行と推理小説の融合という挑戦もやりやすかったのかもしれません。著者にとっては、推理作家と呼ばれるか?SF作家と呼ばれるか?が大きな問題かどうかはわかりませんが・・・。

<上がり続けるハードル>
 作家という仕事は大変です。一作書き上げるたびに、前作を越えるための新たな挑戦を始めなければならないのですから。
 とはいえ、今後の著者の作品がどうなるのかは、非常に楽しみです。
 これからも新たなアイデアに挑戦し続け、そのたびに新たな登場人物を登場させるのか?
 彼のホームタウン、京都を背景にし続けるのか?
 新たな推理小説を生み出すために、これからも新たな「実験」を小説内で行うのか?
 そもそも推理小説の枠組みにこだわり続ける必要はあるのか?
 
 村上春樹師匠はこんなことを書いています。

 僕の考えによれば、ということですが、特定の表現者を「オリジナルである」と呼ぶためには、基本的に次のような条件が満たされていなくてはなりません。
(1)ほかの表現者とは明らかに異なる、独自のスタイル(サウンドなり文体なりフォルムなり色彩なり)を有している。ちょっと見れば(聴けば)その人の表現だと(おおむね)瞬時に理解できなくてはならない。
(2)そのスタイルを、自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。時間の経過とともにそのスタイルは成長していく。いつまでも同じ場所に留まっていることはできない。そういう自発的・内在的な自己革新を有している。
(3)その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキに吸収され、価値判断基準の一部として取り込まれていかなくてはならない。あるいは後世の表現者の豊かな引用源とならなくてはならない。

 もし僕の書く小説にオリジナリティーと呼べるものがあるとしたら、それは「自由さ」から生じたものであろうと考えています。僕は29歳になったときに、「小説を書きたい」とごく単純にわけもなく思い立って、初めて小説を書きました。だから欲もなかったし、「小説とはこのように書かなくてはならない」という制約みたいなものもありませんでした。
村上春樹「職業としての小説家」より

 自分の「スタイル」をもつことは重要ですがそのスタイルは常に拡張させる必要がある、とすれば、書くたびにハードルは上がってしまいます。
 そう考えると、作家という仕事だけでなくゼロから何かを「創造」する仕事はみな大変です。だからこそ、苦悩の中で創作された作品をそう簡単には批判できないのです。
 特に、著者が挑戦をし続けた結果生み出された作品には、高い評価を与えたい気がしてしまいます。
 ということで、著物の次回作にも期待しています。
 さらにハードルを上げてしまい申し訳ありません!

<最後にネタバレ>
 最後に、ここでこの作品を取り上げたきっかけについてのネタバレを書いておきます。
 潮谷験の処女作「スイッチ」との出会いは、ちょっとした驚きでした。わざわざ著者の手紙付きで送られてきたのです。
 それは、作品中に登場するヴァン・ダイク・パークスのアルバム「ソング・サイクル」について、「ポップの世紀」の記述を参考にさせてもらったと書かれたお礼の手紙でした。
 確かに作品中、主人公が精神的に混乱する状況に追い込まれるところで、そのアルバムが大きな役目を果たすことになっています。確かにその作品は、ミュージシャンの間では高い評価を得ながら、まったく売れなかった歴史的迷盤もしくは名盤と言われています。だからこそ、リアリティーがある使い方として説得力があったのです。
 その使い方には大いに感心しました。
<参考>
ヴァン・ダイク・パークスと「ソング・サイクル」

 最後に一言。
 ちょっとしたきっかけはあったものの、作品そのものが面白くなければ、ここで紹介したりしませんので、是非、読んでみて下さい!

「エンドロール」 2022年(第三作)
<あらすじ>
新型コロナ禍の日本で、将来に絶望した若者たちの自殺が急増。その中に哲学者、陰橋冬の作品を読み、その影響で自殺した若者が200人に達します。
 その作品には、自らの人生を文学作品として完成させるエンディングに自殺を奨励。その結末をもって完成した作品を書籍化し、国会図書館に収めるところまでが示されていました。
 亡き姉の意志を継いで新進作家としてデビューした雨宮葉は、そうした社会の流れに歯止めをかけるため、人気のインターネット番組に出演することになりました。
 そころが、自殺する若者を止めるための番組のはずが、収録中に予期せぬ事件が起きてしまいます。
 この小説を読んですぐに思い浮かんだキャッチ・コピーは「コロナの時代の心」です。
<コロナの時代>
 上記のコピーは、ラテン文学の巨匠ガルシア・マルケスの代表作「コレラの時代の愛」がヒントになっています。
 「時代」を描くのことは、文学の重要な役割の一つです。
 普遍的な愛や怒りや欲望を描くのが究極の目的としても、その時代の空気が表現できなければ「愛」も「欲望」も説得力を持ちません。
 逆にこの時期(2022年)に「コロナの時代」をしっかりと描くことは、後世にまた同じ状況が訪れた時、大きな意味を持つはずです。
 とはいえ、私小説ならその試みは当然ですが、推理小説の世界でコロナの時代を描くことは必須条件ではありません。それだけにその挑戦には敬意を表します。
 この時代の記憶が失われた未来に、この作品がどう読まれるのか?そこも気になります。
<こころの不安>
 夏目漱石の代表作「こころ」もまたこの小説から浮かんできた作品です。
 「こころ」は大正時代初めの小説ですが、それは明治天皇と乃木大将が次々に亡くなった時期でもありました。
 その時期は、日本人の多くが2人の「神様」の死によって、将来を不安視する「こころ」の危機の時代でもありました。
 第一次世界大戦とも重なり、経済的には景気が良かったものの、軍国主義の時代が始まりつつありました。
 そんな時代に書かれた小説「こころ」は、心理的に追い込むことで人を自殺へと追い込んだ殺人犯による完全犯罪の告白の書と読むことも可能な作品でした。
 それは実験的なサイコ・サスペンス小説の傑作と読むことも可能な作品なのです。
<パスティーシュの物語>
 この小説の主人公、雨宮は自身をオリジナルではなくパスティーシュの作家であると少々自虐的に語っています。それは、作家の潮谷さん自身がそう書いているようにも思えます。
 もちろん、多くの名作文学や芸術作品は過去の偉大な作家の作品を真似るところから生み出されています。真の「オリジナル」など稀にしかありません。
 過去にも描かれてきたテーマを、書かれた時代に合わせて以下に描き、それをリアルに感じさせるのかが作家の腕の見せ所なのです。
 その点は、今回も成功しています。なぜなら、読みだしたら最後まで止まりませんでした。
 途中、気になったのは、自殺を前向きな創造行為と印象づけようとする流れに対しての対抗手段が今一つインパクトが弱く地味に感じたことでした。
 論理的に否定するのが困難だとしても、もっとわかりやすく説得力のある方法はなかったのか?と思ったのですが、大ラスのどんでん返しで納得しました。
 相変わらずどんでん返しの多い作家さんです。
<次なる作品への期待>
 デビュー作が心理実験と推理小説の融合で、前作がタイムトラベルSFと推理小説の融合、そして今回は夏目漱石が「こころ」で試みた文学内文学(メタ文学)と推理小説の融合でした。
 そうなると次回作も何か新たなジャンルと推理小説の融合を試みるのか?それともまったく別の試みを行うのか?
 どちらにしても、またもハードルが上がってしまいました。さあ、どうやってその斜め上を行くのか?楽しみです。


小説「スイッチ 悪意の実験 Switch」 2021年
小説「時空犯 infinite loop criminal」 2021年
小説「エンドロール End Roll」 2022年
小説「あらゆる薔薇のために」 2022年
(著)潮谷験

現代文学大全集へ   トップページヘ